第3話「大いなる船出」

 始業式、入学式、そしてそれぞれの学年集会等……春の行事でバタバタしてるうちに、週末が訪れた。

 だが、三笠七海ミカサナナミの夜は静かだ。

 家には今、自分しかいない。

 そして、そんな生活になって随分つ。両親は二人共海外の仕事で、七海だけが日本で借家住まいだ。だが、にぎやかな双子の幼馴染おさななじみがいてくれたので、さびしいなんてことはなかった。


「ま、トゥアンナはもういないけど……リーチェアは大丈夫だろうか」


 寝る前に少し机に向かおうと思って、台所でお茶を用意する。濃い目のコーヒー、これはインスタントだ。粉を一匙ひとさじ多く入れて、マグカップを手に自室へ向かう。

 古い日本家屋にほんかおくで、平屋建ひらやだて。

 あの有名な、日曜の終わりを告げる家族アニメサザエさんに出てくるような家だ。

 家賃は安い。

 かなりガタピシとした家だが、大家は気のいい人で何かと七海の世話も焼いてくれる。そういえば、あの老人は双子にも親身になっていた。トゥアンナとリーチェアも、親がいない。

 それもまた、七海と親しい理由の一つかもしれなかった。


「さて……ん? メールだ」


 ふとスマートホンが歌って、小さな明かりがともる。

 テーブルの上のそれを拾い上げて、そっと七海は指をすべらせた。

 最上秀樹ミガミヒデキからのメールだ。

 どうやら、彼は熱中しているゲームで戦果をあげたらしい。その手伝いをした七海に、律儀に短くお礼のメールをくれたのだ。


「なるほど、ドンピシャだったんだ。うん、それは重畳ちょうじょう、重畳、っと」


 軽めの返信を送って、そのまま七海は自室へと移動した。

 上下そろいのスエットで、まだ少し肌寒いから上にベストを羽織はおっている。手狭てぜまな家で、台所と風呂とトイレ、そして自室以外は全く使われていない。

 それでも、いつもは頻繁ひんぱんに双子が訪れていた。

 ある時はトゥアンナが、またある時はリーチェアが。

 どちらが先かの話で、気付けば三人になるのがいつものパターンだ。そのことを今はもう、なつかしむことしかできない。


「明日にでも、リーチェアをさそってでかけようかな。元気、出さなきゃね。僕も彼女も」


 明かりを落とした縁側えんがわを歩く。

 その時、ふと庭の方に気配を感じた。

 声がしたかもしれない。

 そして、震えた声音の主に心当たりがあった。

 気のせいかとも思ったが、すぐに七海は戸締とじまりのんだ雨戸あまどを開いた。難儀しながらも片手で押し開くと、その先に……奇妙な光景が広がっている。

 月夜の晩、すでにもう夜の九時を回った。

 青白い光の中、庭に一人の少女が立っている。

 思わず七海は、その名を呼んだ。


「こんばんは、さっきぶり。どうしたの、リーチェア」


 そこには、リーチェア・レキシントンが立っていた。

 学校で見た時と同じ、制服姿だ。ちょっと少女趣味なブレザーで、七海達二年生はタイの色が緑だ。それが今、ジャケットのボタンを外しているリーチェアの首で揺れている。夜風に遊ばせる鈍色にびいろ蓬髪ほうはつが、月光で冷たい鋭さを感じさせた。

 彼女は小さな声で、じっと七海を見据みすえて話し出す。


「……ごめん、七海。あの、ね……あの」

「うん。何かあった? あった、よね。トゥアンナがいなくなったんだもの」

「う、うん」

「あがってってよ。まだ外は寒いよ? お茶くらいは出すからさ」


 だが、その場に立ち尽くしてリーチェアは動かなかった。

 そして、彼女の視線が真っ直ぐ七海に注がれる。

 普段は眠たげなジト目が、強い光に満ちていた。


「あのね、七海……あの約束、覚えてる?」


 あの約束とは、三人のちかいだ。

 リーチェアとトゥアンナ、そして七海……幼馴染の三人は、互いに助け合う。そうやって必ず支え合うと、約束したのだ。

 実際、七海は二人に今まで何度も助けられた。

 ぼんやりとおとなしい子供だった幼少期は、一度ならずいじめられたことがある。そんな時に、毅然きぜんと間に割って入ってくれたのがトゥアンナだ。常に堂々とした彼女の背中を、いつもリーチェアが見守っていたのを覚えている。

 いつも、いつでも……リーチェアは妹と七海のためにこぶしを握っていた。

 地味な姉はキレるとヤバい、危ない奴だといううわさも一時期あって、その半分は事実である。身をもって知った人間が少なからず存在するから。


「約束、忘れたことはないよ。リーチェア」

「うん……あ、ありがと。だから……わたしも、そのこと、忘れてないから。忘れたく、ないから」


 そう言って彼女は、野暮やぼったい黒縁眼鏡くろぶちめがねに片手を添える。

 そして七海は、初めて見た。

 眼鏡を外した素顔のリーチェアは……普段の地味なイメージを一瞬で焼き尽くしてしまった。ずっと一緒だった幼馴染の印象が、消滅する。

 トゥアンナと同じ作りの顔に今、鮮やかな緋眼ひがんが燃えていた。

 メガネのレンズ越しに見る、くすんだ臙脂色えんじいろではない。


「リーチェア……目が」

「わたし、トゥアンナを助けに行く。行ってくるんだ、これからすぐ」


 三白眼さんぱくがんのそのひとみは、紅蓮ぐれんに燃える大恒星クエーサーのようだ。

 いつも、太陽と月のようだと思っていた双子の姉妹。

 全てを照らす太陽は、トゥアンナ。そして、静かに光るのはリーチェア。

 だが……事実は、逆だった。

 誰もが見上げる優しいお月さまは、トゥアンナの方だ。

 そして……直視の許されない輝きを、リーチェアは秘めていた。

 

 常にトゥアンナの活躍を見守ってきた、リーチェアこそが妹の太陽だったのだ。


「トゥアンナとふるさとが危ないの。だから、わたしも行く」

「……そっか」

「だから、その……七海、あのね」

「じゃあ、決まりだね」


 裸足はだしのまま、七海は庭へと降りた。

 そのまま、静かにリーチェアに歩み寄る。


「リーチェアがトゥアンナを守るなら、君ごと二人を僕が守るよ」

「……っ! それは……でも、いいの?」

勿論もちろん。そのために来てくれたんじゃないのかな。それとも……それはこまる?」

「まさかっ! でも」


 トゲトゲみたいなくせを揺らして、リーチェアは首を横に振る。

 だが、七海の即決に躊躇ためらいはなかった。

 何も判断していないし、考えも挟まない。

 ただ、それが当然だから。

 すでに双子の姉妹と誓ったあの日、全てを選び終えているから。たとえ何が待っていようと、七海には迷う必要がない。


「トゥアンナにはフラれちゃったけどね……ええと、なんだっけ」

「フッ、フフ、フラれた!? ……やっぱり。あの、確かに口にしたんだわ。きっと、最後だと思ったから」

「そう、静かに僕にこう言った。……『わたくしのふねに乗ってほしかった』って。だから、今度はリーチェア。君の艦に僕を乗せてくれないかな。力になれることがあるかもしれない」


 何故か、リーチェアは顔を真っ赤にした。

 きっと、彼女の母国の言葉なのかもしれない。

 わたくしの艦に乗ってほしかった、そういう言い回しの故事成語こじせいご慣用句かんようくだろう。

 その時はまだ、七海は漠然ばくぜんとそう思っていた。

 深い意味などない。

 ただ、それがあの時一瞬だけ素顔を見せた、トゥアンナのSOSサインだったように感じるのだ。だから今こそ、約束を守る。誓った言葉を現実にすることで、リーチェアにもトゥアンナにも、約束を改めて思い出させるつもりだ。


「……わかった。じゃあ、七海」

「うん」

あらためて、お願い……。わたしと一緒に、艦に乗って!」

「当然さ。任せて、リーチェア」


 大きくうなずいたリーチェアは、眼鏡を持った手の甲でまぶたをぬぐう。

 彼女の長い睫毛まつげが、静かに濡れていた。


「ありがと……七海。じゃあ、行くね?」

「ああ。でも、今すぐかい?」

「うん。駄目、かな」

「いや、全然。それで、これから具体的には――」


 その時、シュルシュルとリーチェアが制服のタイをほどいた。シャツの胸元をはだけた彼女の、白い肌があらわになる。

 そして、七海は目撃した。

 胸の谷間の、その上に……不思議なあざがあった。

 それは金色こんじきに光りを帯びて明滅を始めた。

 何かの文字にも見えるし、紋章のようにも思える。

 同時に、大地が突然揺れ始めた。地震を感じた次の瞬間には、立っているのも難しい激震が七海を包む。あわてて駆け寄り、リーチェアをかばうように抱き寄せる。

 激しい縦揺れの中で、リーチェアが小さくつぶやいた。


神星しんせいアユラ皇国こうこく皇女こうじょ、リーチェア・アユラ・ミル・アストレアが命ずる……目覚めなさい、わたしの艦。再びその力を、!」


 リーチェアの胸が輝きを増してゆく。

 そして七海を包む、闇。

 腕の中にリーチェアを守りながら、振り向いて七海は目撃した。

 長年暮らした我が家を端微塵ぱみじんにして……巨大な何かが地面から星空へとそそり立つ。その影の中で、七海は不思議な感覚と共に意識を失ってしまうのだった。

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