第2話「始まりの春」

 新学期、一日目の朝が始まった。

 始業式を待つ教室の二年生は、クラス替えがあってにぎわっている。新顔同士で知り合う者、再び巡り合った者、皆が様々な言葉をやり取りしていた。

 そんな中、三笠七海ミカサナナミは教室の窓辺で外を見やる。

 昨日、こうして校庭を眺めていた少女は、もういない。

 そして、彼女の力になることができないのだ。


「よっす、七海! ヘヘッ、また一緒だな!」


 不意に、バン! と肩を組まれた。

 間近に見上げれば、長身の少年がニヤリと笑っている。一年生の時からの友人、最上秀樹モガミヒデキだ。気の合う仲間で、親友と言ってもいい。

 その彼が、教室を見渡し声を潜める。


「なあ……本当にトゥアンナ、いないんだな。お前、何か聞いてないか?」

「ん、そうだね。帰国するっていう話は聞いてたけど、詳しくは」

「そっかー、幼馴染おさななじみのお前も知らないかあ」


 秀樹は、ほぼ全ての男子がそうであるように、トゥアンナ・レキシントンに恋をしていた。それは、この学校では学年を問わないし、性別の垣根かきねさえ超えているかもしれない。

 学園のマドンナという言葉すら、陳腐ちんぷに感じる程のカリスマ。

 容姿端麗ようしたんれい文武両道ぶんぶりょうどう品行方正ひんこうほうせい……慈愛の女神か、希望の天使か、その両方か。トゥアンナには誰もが好意を抱いていたし、それを打ち明けはかなく散っても、それでも嫌いになれない人ばかりである。

 その少女はもう、学校にはいないのだ。


「あーあ、知ってたら俺も告白したのになあ」

「そう? ……意外だな、それは」

「や、俺だって三次元リアルにちゃんと恋してますから!」


 秀樹は、いわゆるオタクだ。

 だが、そのおかげで七海も趣味らしい趣味をようやく持てたのだ。二人の時、秀樹はアレコレすすめてくれる。今では七海も、漫画やゲーム、アニメの楽しみ方を理解していた。

 それに、秀樹は七海を利用しようとする魂胆こんたんが全くない。

 あのトゥアンナの幼馴染を見て『しょうんと欲すれば先ず馬を射よ』と思わないらしい。そういう人間が少なからず接触してくる中で、稀有けうな友人とも言えた。

 その秀樹が、思い出したようにスマートフォンを取り出す。


「あ、そうだ! 七海、また頼むよぉ……俺ぁこの、編成とか設定とかが苦手なんだよなあ」

「ん、いいよ。前に僕が組んでみたの、どうだったかな?」

「もち、バッチリよ! とがった局所的な一点突破いってんとっぱの艦隊! そこに俺のプレイスキルが加われば……ふっふっふ!」


 秀樹と一緒にスマートフォンを覗き込み、その画面に指を走らせる。

 因みに七海は勿論もちろん、秀樹も知らない。

 こうして一緒にいる二人を、女子達は遠くから眺めて甘い溜息ためいきこぼしていることを。自分の容姿にも無頓着むとんちゃくな七海は、当然のように秀樹の端正な顔立ちにも興味がなかった。

 二人がのぞき込むアプリケーションの名は『』……ソーシャルネットゲームだ。


「このイベントさ、もっと持久力のある艦隊編成で挑みたいんだよ。けど、さあ」

「どのもかわいいから、目移りする? 選べないんだ」

「そう! そうなんだよ! 神イラスト過ぎる……その全てが、俺に訴えて来るんだよ! 私を主力艦隊に配備して、お兄ちゃん(はぁと)ってな!」


 秀樹はゲームが大好きだが、数値や結果よりもプレイスタイルにこだわるタイプの男である。そして何より、熱中できる『』と同じくらい、胸のときめく『』を重要視している。そして、このゲームは過去に存在した大戦中の軍艦を美少女に擬人化びしょうじょしたイラストが特徴なのだった。

 ゲームの内容としては、戦闘時にシューティングゲーム要素があるシミュレーションである。

 だが、マズールレーンに以前から秀樹はハマっていた。

 七海は以前の自分の編成表を眺めて「ふむ」と唸る。


「前回の速攻を重視した攻めの布陣、航空母艦こうくうぼかんを中心とした機動部隊きどうぶたいの編成を見直そうか」

「ああっ! 赤城あかぎたんが! 飛竜ひりゅうたんも、翔鶴しょうかくたんも瑞鶴ずいかくたんも!」

「勿論、全部は外さないけど……むしろこういうのは、どうかな」


 七海自身は遊んではいないが、いつも秀樹の隣で見ている。

 頭のなかに、実装済みのあらゆる軍艦データが揃っているのだ。だから、言うなれば彼は秀樹提督ていとくの頼れる参謀さんぼう懐刀ふところがたなみたいなものだろう。そして、当の秀樹本人からそう言われるのは、とても嬉しいことだった。

 だが、ふと脳裏を双子の声が横切る。


『ふふ、お二人はいつも仲がいいんですのね。ね? 姉様』

『……わ、わたしも、やろうかな……教えて、くれる? 秀樹も……つっ、ついでに、七海も』


 七海は唐突とうとつに理解した。

 秀樹はトゥアンナが好きだった。

 けど、四人でいる時は友人としての自分を優先してくれてたのだ。


「ん、どした? 七海」

「……ううん、別に。で、空母を信濃しなののみにして、戦艦と巡洋艦で火力と防御力を高める」

「信濃たんキター! なるほど、コスト的にも大和やまと武蔵むさしより、金剛こんごうたんや長門ながときゅんを使うんだな!」

「燃費に関しては、随伴ずいはんの補給艦を少しだけ増やす。今回は雷撃戦隊に少しお休みしてもらって……あとは、ん、そうだな。こんな感じで継戦能力けいせんのうりょくを重視してみたよ」

「おお……おお! っしゃあ、出撃すんぜ! ありがとな、七海」


 無邪気な笑顔で、ワシワシと秀樹が頭をでてくる。

 騒がしい教室の空気が一変したのは、そんな時だった。

 扉が開かれる音へと、皆の視線が沈黙と一緒に突き刺さる。そこには、一人の少女が立っていた。どこかくすんだ、鈍色にびいろのような銀の蓬髪ほうはつ。妹と全く同じ容姿の、唯一の差異である眼鏡めがね。その奥には、濃い臙脂色えんじいろの瞳がぼんやりと並んでいる。

 周囲が無責任に騒がしくなった。


「なんで、リーチェアさんの方が残ったんだろ……」

「シッ! 聴こえるって。故郷の人達だって、私達と一緒だからじゃない?」

「リーチェアさんよりは、トゥアンナさんがいいもの」

「リーチェアさんって、地味だよね。運動全然駄目だし、なんか暗いし」


 彼女の名は、リーチェア・レキシントン。

 あのトゥアンナの双子の姉である。その姿は、ほぼ毎日一緒の七海が見ても両者にシルエットの違いは少ない。同じ身長、同じ容姿……だが、イメージは全く異なる。

 快活かいかつ闊達かったつなトゥアンナに対して、リーチェアは物静かで寡黙かもくだ。銀髪も赤い目も、色合いが全然違う。何より、いつもジト目で引っ込み思案なリーチェアは、平々凡々な少女として誰にも意識されていなかった。

 七海はすぐに、入ってきたリーチェアに声をかけて歩み寄る。

 当然のように、秀樹もそれに続いてくれた。


「やあ、リーチェア。今年は一緒のクラスだね」

「よう! お前さんだけ、別のクラスだったもんなあ。ま、改めてよろしく頼むぜ!」


 リーチェアは少しおどおどしてたが、七海を見ると安心したように胸をで下ろす。コロコロと目まぐるしく表情を変えるトゥアンナと違って、彼女はどこかフラットな顔でボソボソと話した。


「あ、ありがと……よかった。知ってる人、いて」


 二人はいわば、光と影……太陽と月だ。

 トゥアンナは姉を慕って、いつもリーチェアを照らしていた。真逆まぎゃくの姉妹は、姉と妹の関係まで入れ替わってるかのように見えたものだ。

 だが、二人は仲睦なかむつまじく、確かな姉妹のきずなつながっていた。

 リーチェアは目立たぬ存在だが、トゥアンナをいつも少し離れて見守っていた。それを七海は知っていたし、三人には幼い頃からのちかいがあった。


「周りな、気にすんなよ? リーチェア」

「う、うん。ありがと、秀樹。七海も、ありがと……」


 見る者が見れば、華やかなトゥアンナのまぶしさにかれるだろう。だが、同じ優しさをリーチェアも持っているし、ただ静かに胸に秘めているだけだ。

 確かに、勉強以外は何をやらせてもトゥアンナが達者だった。

 だが、そんな妹の些細ささいなアレコレをフォローしてきたのは、リーチェアなのだ。

 そして、ふと七海は思い出す。

 トゥアンナとの別れの瞬間の、あの言葉を。


「ねえ、リーチェア。君の母国って、その……少し、政情不安定せいじょうふあんてい?」

「えっ? ん……逆、かな。揺るがないよ、皇族こうぞく統治とうちは」

「そうなんだ。実はトゥアンナが、


 その時の、リーチェアの表情を七海は見逃さなかった。

 三白眼さんぱくがん気味のジト目が、未開かれた。どこか眠そうなひとみが、大きく丸く輝く。だが、それも一瞬のことでリーチェアは顔を背けた。


「ごめん、わかんない……ごめん。でも、どうして?」

「ん、まあ……助けたいからね。トゥアンナも、リーチェア、君も」


 秀樹がニヤリとひじ小突こづいてきたが、これは彼なりのエールだ。からかう空気は感じられない。そして、リーチェアに七海はいつもの調子で静かに告げる。


「僕達三人の約束は、今も生きてるよ。だから、何かあったらたよってほしいな」

「くーっ! 俺も美少女双子姉妹の幼馴染がほしいだけの人生だった! ……ま、俺も気軽に頼ってくれよな。なーんもできねえけど、うはは、はは!」


 リーチェアは、何度も大きく頷いた。

 そうこうしていると、校内放送が始業式の開始を呼びかけてくる。周囲が廊下ろうかへ並び出す中、七海達もそれに続こうとした。

 その時、もう一つだけ七海はリーチェアにたずねる。


「あとさ、リーチェア。あの、トゥアンナに『わたくしのふねに乗ってほしかった』って言われたんだけど……何だろう。胸騒ぎが、する」


 何故かリーチェアは、顔を真っ赤にした。

 ボンッ! と赤面せきめんして、そのまま口ごもり……そのまま女子の列へと行ってしまう。そうして大勢の生徒達と整列すれば、彼女の姿は大勢の中に埋もれてしまった。

 本当に地味で、トゥアンナとは大違いだ。

 だが、人は皆が違うもの……そして、七海にとっては二人は両方共大事な幼馴染、等しく同じ存在だ。そのことを知ってくれてる秀樹にうながされて、七海も体育館へ向かう列に交じるのだった。

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