第4話「その海の名は」

 ふと目を覚まして、三笠七海ミカサナナミは後頭部に柔らかさを感じた。

 瞼を開けて、焦点のピントが次第に合ってゆく。ぼやけた視界が鮮明になると、自分を見下ろし覗き込んでいるリーチェア・レキシントンの顔が見えた。

 近い距離に自然と、自分が膝枕ひざまくらで寝かされていることに気付いた。


「あれ、リーチェア……ここは? ごめん、気を失ったみたい」

「ん、ここはわたしのふね。代々皇族に伝わる、第一級非限定遺宝戦艦だいいっきゅうひげんていいほうせんかん……エルベリオンの艦橋ブリッジよ」

「遺宝……戦艦……?」


 確かにあの時、七海は見た。

 住み慣れた我が家が端微塵ぱみじんに破壊されたのを。

 そして、その地下から現れたのは……まるで天を尖塔せんとうのようなシルエット。あまりにも巨大過ぎる、リーチェアの宇宙戦艦なのだった。

 身を起こして、そのことを思い出す。

 床に敷いたベストの上に、七海はスエットのままで寝かされていたみたいだ。膝枕してくれていたリーチェアも、今はまだ制服姿である。

 だが、彼女のひたいには不思議な宝石が赤く光っていた。


「リーチェア、おでこに何か……」

「ああ、これ? あとで七海の分も用意させる。あると便利だから」


 リーチェアが言い終わるか言い終わらないかの時だった。

 突然、プシュッ! と空気がれる音が響く。

 そして、薄暗い室内に複数の人間が入ってきた。同時に照明がともって、周囲があらわになる。そこは、戦艦の艦橋というイメージとは少し違った。

 七海が床だと思っていた、そこは各セクションの座席を仕切る通路だ。

 すぐ近くに、恐らくリーチェアが座るであろう艦長の椅子いすがある。椅子というよりは、まるでコクピットだ。

 同様のものが他に六つ程。

 その中でも、艦長席の背後に一段高くなった場所がある。

 周囲をキョロキョロと見渡していると、やってきた人達がリーチェアと七海の前に整列した。全員がうら若き少女なのにも驚いたが、それよりも――


「みんな、同じ顔だ……姉妹? でも、五つ子というのは」

「リーチェア殿下でんか、艦橋勤務の人員選定を終わりました。現在、本艦は地球から遠ざかりつつ再艤装作業さいぎそうさぎょうを実行中です」


 無表情で、どこか機械的な少女達の声。

 それは、見た目の印象そのままの無機質で平坦な響きだった。

 七海は立ち上がると、リーチェアに手を差し伸べる。そうして二人で並ぶと、同じ顔の少女達は少し背が高かった。

 全身のスタイルが浮き彫りになった、不思議な素材のスーツをピッチリ着込んでいる。白い肌に黒い瞳、切り揃えた真っ白なショートボブ……そしてやはり、額に宝石。リーチェアのものと違って緑色だ。

 すぐにリーチェアは七海に説明してくれる。


「彼女達は、エルベリオンのクルーよ。今まで封印されていたエルベリオンの中で眠っていたの。この艦には百人ちょっと……彼女達は全員よ」

「ヴァルキロイド?」

「生体アンドロイド、って言うのかな? わたしの国、神星しんせいアユラ皇国こうこくでは、古くから軍艦には女性しか乗せてはいけないことになってるわ。……いっ、いい、! あと、人員不足を想定して、一定数のヴァルキロイドを搭載してるの」

「なるほど……それより、ね、リーチェア。言葉……通じるけど。日本語だよ? これ」


 そこでようやく、リーチェアは額の赤い宝石に触れた。

 親指の爪くらいの菱形ひしがたで、ヴァルキロイドと呼ばれる少女達のものと違って金縁きんぶちのエングレービングが施されている。


「この量子波動結晶アユラクオーツが、皇国語となって伝わる空気の震えに干渉かんしょうしてるの。これは皇国では誰もが使ってる高度情報統合端末こうどじょうほうとうごうたんまつね。今、わたしの周囲の言語を全て日本語に聞こえる周波数へ変換するように設定してるわ」

「……凄いんだね」


 声は空気の振動が伝わって届く。

 その震え方を、皇国語から日本語へと作り変えているらしい。

 それだけでも、リーチェアの母国の文明レベルが知れる。そして何より、彼女自身の出自に改めて七海は驚いた。


「皇女……お姫様、なんだね。地球じゃない星の」

「うん……驚いた?」

「まあね。でも、リーチェアが小さかったあの時、突然ガキ大将に殴りかかった時ほどじゃないさ」

「――ッ! だ、だって、七海が……止めに入ったトゥアンナも。だから」

「グーで殴ったよね? ドンピシャなパンチだったよ、あれ」

「は、恥ずかしいから! も、もうっ!」


 そうこうしていると、ヴァルキロイドの一人がんだ声を発した。

 とても歯切れがよくて、あまりにも透き通った声だ。


「では、そちらの地球人にも量子波動結晶を御用意します」

「ありがと。えっと、色は」

「男性として乗艦されてることからも、白金プラチナでよろしいかと」

「そ、そそそっ、そうね! ええ、そうだわ! お、おねがいします」

「了解しました」


 一人のヴァルキロイドが出ていった。

 他の者達は、空いてる席へと座って仕事を始める。

 あまりにも統制の取れた、全く無駄を感じない行動だった。

 それよりも、あの額につける量子波動結晶には、色に何かしらの意味があるのだろうか? 七海がそのこともリーチェアに聞こうと、隣を見下ろす。

 彼女は颯爽さっそうと艦長席に座って、表示された光のキーボードへと指を走らせた。ぼんやりと浮かぶ立体映像のキーボードが、白く細い指の動きに明滅めいめつする。

 周囲でも、ヴァルキロイド達が同様のコンソールで作業中だ。中には、宙に無数のウィンドウを踊らせながら、複数のキーボードを叩いているまでいる。

 そして、リーチェアは七海に、自分の後ろの席に座るよう言って小さく叫んだ。


「艦の現状データを頂戴。皇女権限で全機能を回復させるわ。あと、艦の立体映像を前面スクリーンへ」

「了解、艦長」


 やはり、リーチェアは艦長らしい。

 つまり、彼女が『わたしの艦』と呼ぶエルベリオンの最高責任者だ。

 そして、すぐに周囲360度の内壁を兼ねたモニターの一部に一隻の宇宙戦艦が浮かび上がる。それは七海が思うに、とても趣味的でおかしな、ある意味ではオーソドックスな姿だった。

 CG補正されたその映像は、リーチェアの指示でそのまま画面を飛び出し宙へと立体的に浮かぶ。


「第一級非限定遺宝戦艦エルベリオン……わたし達皇族に代々伝わる、由緒正しい艦よ。艦齢かんれいはわかってるだけでも、一万二千年以上。先史文明せんしぶんめいが残した、この世で数隻しか現存しない遺宝戦艦の一隻」

「……見るからに、宇宙戦艦……だよね」


 朱色しゅいろに塗られたその姿は、見るもの全てに軍艦の威容を感じさせる。

 巨大な艦体の中央部に、高くなった艦橋構造。その前後に三連装さんれんそう回転砲塔かいてんほうとうが並んでいる。左右の装甲からも、無数に砲身が生えていた。第一次大戦時代の装甲艦を思わせる作りである。そして、それは全て流線型のボディ中央に真っ直ぐ配置され、優雅な前進翼がまるで鳥のように広がっていた。

 それは、創作物……いわゆるゲームやアニメでお馴染みの姿に近い。

 そのことが逆に、七海には不思議だったのだ。


「宇宙船、なんだよね?」

「ええ」

「僕が知る限りでは……重力下と違って上下の概念がないから、こういう形は無意味な気がするんだけどな。趣味であるという点を考慮しなければ、ね」

「ふふ、そうかもね。でも、七海。一つ教えてあげる」


 まだ立ったままの七海を見上げて、リーチェアは鈍色にびいろの髪をかきあげた。

 眼鏡めがねを取った彼女の目が、キラキラと輝いて七海の姿を映している。吸い込まれそうな程に大きく綺麗なひとみは、静かに燃える炎を確かに感じさせた。


「そうなの?」

「ええ。

「……宇宙の、海?」

「そう。文学表現としての比喩ひゆ表現じゃないの。わたし達にとって、宇宙は海……エーテルの波濤はとう逆巻さかまく、神聖な海よ。そして、常に血を求めてきた戦場でもあるわ」


 改めて七海は、エルベリオンの姿を見る。

 喫水線きっすいせんがある、地球の軍艦と大差のない構造だ。鋭く、そして優雅……翼を持つ戦艦は、宇宙船としての合理性を一切合切持ち合わせていない。

 通常、無重力の空間戦闘を考えれば、艦体は限りなく球形構造に近付いてゆく。宇宙では上も下もなく、相手がいる方向が前となるからだ。無論、内部スペースも同様に、床は天井であり壁となるはずである。

 だが、エルベリオンの艦橋内は地球の洋上艦ようじょうかんと大差ない。


「七海、ちょっと難しいかもしれないけど……覚えてて。わたしは、わたしとトゥアンナは自身の命を守るために、地球へ飛ばされ身分をいつわり生きてきたの。そして、わたし達の宇宙とは……虚天洋エーテリア

「虚天洋……?」

「宇宙には上も下もない……それは、地球を含む無数の銀河だけ。大銀河、そしてそれすらも内包した膨大な宇宙には底があって、エーテルの海が広がっている。それが、虚天洋よ」

「宇宙の底、かあ」

「地球からでは観測不能な宇宙の下側、そこがわたし達のふるさと」


 ――虚天洋。

 それが、七海の知らない宇宙。地球からは存在を知ることさえできない海らしい。

 少しの説明で、七海は納得して理解した。

 エルベリオンの姿は宇宙戦艦として趣味的なのではない。

 虚天洋という特別な海で運用される艦船なのだ。


「つまり、じゃあ……その虚天洋では、エーテルの海に艦隊を並べて戦うんだ」

「そうよ。そして、エルベリオンを含む遺宝戦艦だけが……。この艦を含むわずか数隻しか、地球と虚天洋は行き来できないわ」

「どうしてだい?」

「今のわたし達の文明でも、エーテルの上を飛ぶことはできない。虚天洋を満たしたエーテルは、わたし達の宇宙は……島々のように星が浮かぶ巨大な平面世界のようなものなの」


 ヴァルキロイドの一人が振り返り、「あと900秒で虚天洋へ着宙予定」と告げてくる。リーチェアは自分で艦のコントロールを引き受けるむねを通達して、座席の両側にある肘掛ひじかけへと手を置く。

 彼女の額で、量子波動結晶が真紅しんくに輝き出した。

 それはまるで、彼女の胸に燃える炎が具現化したかのように七海には見えた。

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