第5話「トゥアンナの決意」

 星の海をくは、第一級非限定遺宝戦艦だいいっきゅうひげんていいほうせんかんエルベリオン。

 厳密には今、三笠七海ミカサナナミを乗せた巨大な宇宙戦艦は、宇宙の底へともぐっている。地球周辺の銀河、そしてそれをも内包する大銀河からは観測できないが……

 そして、底にはエーテルの海……虚天洋エーテリアが広がっている。

 エルベリオンの艦橋ブリッジでは、ヴァルキロイドの少女達が忙しく働いていた。


「艦長、着宙体制ちゃくちゅうたいせい完了。誤差修正」

「周囲索敵、周囲に艦影かんえいなし」

「現在座標、神星アユラ皇国領、アードーラ星系」


 七海は今、艦長席を包むコンソールの外側に腰掛けている。その中央に収まる艦長のリーチェア・レキシントンはまるでパイロットだ。

 実質、彼女が今はエルベリオンを動かしている。

 皇族が持つ遺宝戦艦は、その血を引いた者にしか扱えないのだ。


「七海、席に座って。後ろ……わたしの、後ろ」

「ん、ちょっと落ち着かないな、あの席。何で少し高いところにあるのかな」

「あそこは……艦隊司令かんたいしれいの席だから。このふねは過去何度も、皇国の旗艦きかんとして戦ってきたの。艦隊司令の座乗艦ざじょうかんとして」

「なるほど」


 だが、リーチェアのかたわらから七海は立ち上がらない。

 彼女の側にいてやりたかった。

 足元にリーチェアを見下ろすのではなく、同じ目線でとなりにいまはいたい。そうすることでまず、彼女を安心させれると思ったのだ。随分自惚うぬぼれてるなと苦笑がこぼれるが、リーチェアは目まぐるしくコンソールを操作しながら艦を操っている。

 そして、軽い衝撃が艦内に伝わった。


「艦長、着宙完了」

「艦に異常なし」

「引き続き航路を索敵中……次の目標を命令してください」


 艦長席に座ったまま、リーチェアが長い長い息を吐き出した。

 彼女なりに緊張していたようである。その華奢きゃしゃな肩を、ポンと七海が叩いた。見上げて微笑ほほえむリーチェアは、ひたいにうっすらと汗をかいている。

 そのおでこには、赤い宝石が輝いていた。

 彼女達皇国の民が身につける、量子波動結晶アユラクオーツだ。


「お疲れ、リーチェア。大変なんだね、宇宙戦艦の艦長って」

「特に、遺宝戦艦はね。基本的にわたしとトゥアンナにしかあつかえないし……トゥアンナのアーティリオンをふくめ、もう数える程しか残っていない貴重なオーパーツだから」

「そう言ってたね。じゃあ……これを大量配備は無理ってことか」

「製造不可能、発掘されるのを待つしかできないわ」


 七海なりに色々考えてみたが、第一級非限定の名は伊達だてではない。つまり、エルベリオンはこの虚天洋では特別な戦艦なのだ。そのアドバンテージは、

 今、エーテルの波間なみまに浮かぶ巨艦きょかんは、見上げる宇宙の彼方かなた飛翔ひしょうすることができるのだ。

 だが、それはあくまでエルベリオンをふくむ、わずかな艦だけ。

 そして、ゲームや漫画と違って……。エルベリオンがこの宇宙で最強の戦艦であろうと、艦隊戦の中では旗艦という一つの戦術単位でしかないのだ。


「で、リーチェア。これからの方針だけど」

「ん、それなんだけど……七海、お願いしたいことがあるの。わたしのために……ううん、わたしよりトゥアンナのために――」


 リーチェアが何かを言いかけた、その時だった。

 無数の光学ウィンドウを並べて浮かべた通信士が、見もせずにコンソールを操作しながら振り返った。

 精緻せいちな小顔は無表情で、声音も常に落ち着いている。


「艦長。本国の母星より発信。エーテル通信による無時差放送ゼロラグほうそうです」


 すぐに全員が、前面中央のモニターを見やる。

 巨大な海図チャートが表示され、そのなかに小さな光点があった。それが、この虚天洋に浮かぶエルベリオンの位置だろう。そのはるか後方に、皆が本国と呼ぶ星があった。

 惑星アユラだと、リーチェアが教えてくれる。

 距離にして数千光年、広がる大洋のすみだという。

 すぐにリーチェアは立ち上がると、自分の席から身を乗り出す。


「モニターに出して! ……トゥアンナ、何を始める気なの?」


 リーチェアには、放送の主がトゥアンナだとわかっているらしい。そして、七海にもはっきりとわかることがある。

 トゥアンナが平和な学園生活を捨ててまで始めること。

 それは、戦争。

 彼女は確かに、あの日はっきりと告げた。

 リーチェアに七海との平穏な日々をたくして、自分は戦いに身を投じると覚悟を表明したのだ。その痛々しいまでの清冽せいれつさを、今も七海は覚えている。

 そして、スクリーンの画像が切り替わる。


『この虚天洋に浮かぶ星々の皆様。突然の無礼をお許し下さい。今、あらゆるチャンネルを用いて、この海に暮らす人類の同胞はらからへと呼びかけています。わたくしは、神星しんせいアユラ皇国皇女こうじょ、トゥアンナ・アユラ・リル・アストレアです』


 画面の中に、荘厳そうごんなドレスをまとったトゥアンナの姿があった。

 薄く透けた、不思議な素材のドレスだ。大胆な露出だが、不思議と神々しさを感じる。色は深海のような深いあおで、輝く銀髪ぎんぱつ真紅しんくの瞳とが鮮烈な印象を刻んでいる。

 額にはリーチェアと同じ、真っ赤な量子波動結晶が輝いていた。

 この映像を見る誰もが、美しき皇女に息を飲んだだろう。

 そして、顔の作りだけは同じリーチェアがジト目でそれを見詰める。

 艦橋内では、まるで鍛え抜かれた兵士のようにヴァルキロイドが全員立って、身を正していた。


『今日は、皆様に残念なお知らせをしなければなりません。すで御存知ごぞんじかと思いますが、この海で今、不当な実行力による支配を強めている国家が存在します。その名は……第七民主共生機構セブンス


 ――

 それがトゥアンナの敵、そして七海がリーチェアと共に戦う相手の名だ。

 だが、それは悪の帝国とか大災害、侵略者や未知の脅威といった雰囲気が感じられない。それは七海が、一応は民主主義の体裁ていさいをもって運用される日本の出身だからだろう。

 すぐに七海は、傍らのリーチェアに説明を求めた。


「第七民主共生機構、って? どんな国なのかな」

民主共和制みんしゅきょうわせいによって、議会による運営を行っている国よ」

「神星アユラ皇国は?」

神皇しんおうによる絶対君主制ぜったいくんしゅせいね」

「……ふむ。他に何かあるでしょ? 正義の民主主義と悪の絶対君主制なんて、単純な話じゃなさそうだ」


 ねまくった蓬髪ほうはつをかきあげ、リーチェアが説明してくれた。

 第七民主共生機構は、今から数百年前に小さな民主主義国家から始まった。そして、国民が選挙によって政治に参加することで、豊かで安定した繁栄はんえいをしていたそうである。当時はまだ、宇宙の片隅の共和国だった。

 だが、徐々に歴史の歯車がきしんで狂い出した。

 いつしか民主主義という国家運営のためのシステムが、それこそが至高というカルト的な信奉しんぽうへと変化していった。そして、そのことを誇示こじするために他のあらゆる政治体系を攻撃し始めたのだ。


「第七民主共生機構は今、民主主義という政治体系を高度にシステム化して運用してるの。そして……それを虚天洋の全ての国家に押し付けようとしている」

「何のメリットがあるんだい? それは」

「民主主義による虚天洋の統一、そして経済や産業、軍事を一つの価値観でたばねる……そうすることで、より完成度の高いシステムになると主張しているわ。資源争いも経済格差も、民族浄化エスニッククレンジングも地域紛争もなくなるそうよ?」

「そりゃ凄いね。

「ええ、そうね」


 ようするに、極端なグローバリズムを押し付けてくるらしい。

 そしてそれは、部外者の七海が見ても迷惑なことだ。

 民主主義というものは方法論であって、その国家の民が幸せに暮らし、生命と財産、そして人権を保証されればなんでもいいのだ。社会主義しゃかいしゅぎだろうが共産主義きょうさんしゅぎだろうが、勿論もちろん絶対君主制だろうが、何でもいい。

 国民の幸せが目的であって、方法論にこだわる必要はそこまでないはずだ。

 一方で、民主主義が『』であることも事実である。

 トゥアンナの演説は続く。


『現在、虚天洋に存在する国家のうち、実に八割が第七民主共生機構へと組み込まれました。それは、独自の文化を弾圧し、今までの暮らしを否定する暴挙ぼうきょです。望まぬ者にまで民主主義を押し付け、自分達の価値観で枠組わくぐみに取り込むと言うなら……それは到底、容認できるものではありません』


 七海の隣でリーチェアも大きく頷く。


『同じ通貨、同じ市場価値、そして同じ権利と義務。そうして世界をたいらに統一して、本当に人々の幸せが訪れるのでしょうか? 自ら望んで探し、人々の総意で選ばれた民主主義であれば、それはとうといものです。しかし、そうではない地域にも武力を向けて鎮定ちんていするかのような行為を、わたくしは絶対に許しません。ゆえに、ここに宣言します』


 それは、いつも七海が見てきたトゥアンナの表情だった。

 常に真っ直ぐ相手を見据みすえて、決して激せず、声も荒らげない。ただ静かに、毅然きぜんとした声で言葉を伝える。歯切れよく、自分の考えをべて争いやいさかいをたしなめる。

 そんな彼女が選択した行動には、悲壮な決意さえ感じられる。

 聡明そうめいな少女だから、考えに考え抜いた末の決断なのだろう。

 そして、七海はその戦いを支えるためにやってきた。

 妹を助けると誓ったリーチェアと一緒に、リーチェアごとトゥアンナを守るのだ。


『わたくし達、神星アユラ皇国はここに……。これより先、第七民主共生機構による併呑へいどん、実効支配へあらがうう全ての国家に対して、軍事的な行動での援助を惜しみません。勿論、常に外交のチャンネルは開いています。自らを宇宙で最も効率的で平和なシステムとうたう、第七民主共生機構の皆様……熟慮じゅくりょを願います』


 演説は終わった。

 同時に通信も途切れ、スクリーンの映像が消える。

 代わって広がる光景に、七海は息を飲んだ。

 そこには、見たこともない大海原が広がっていた。

 エーテルに満ちた宇宙の海、虚天洋。


「凄い……宇宙に色がある。エーテルって、緑色なんだね。なんて深い緑……まるでエメラルドの海だ」

「そう、これが虚天洋、わたし達の宇宙よ。そして……トゥアンナが戦争を選んででも守りたい場所。第七民主共生機構は、民主主義こそが正義という論理のもと、あらゆる国家を強引に吸収合併しているわ。その中で、多くの文化や信仰が失われている」

「全員一緒の世界を作って、それが効率のいい幸せだってことだね。随分と壮大なディストピア計画だ。……わかったよ、止めよう。微力びりょくながら力を貸すよ、リーチェア」


 七海の言葉に、リーチェアは大きく頷く。

 二人で見詰める虚天洋は、恒星からの熱風を受けて静かにいでいた。

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