第25話「眠れるエルベリオンの心」
決戦にエーテルの海が嵐と揺れる。
激しい振動の中で、
有史以来最大の大艦隊決戦に、
「酷い揺れだ……大丈夫かな? 艦はミィナに任せてるし、どのみち
奇策を
そして、七海は今まで奇抜さも大胆さも用いてこなかった。常に少数、そして劣勢……その中で
だから、今は最後の切り札を信じて、迎えに走る。
周囲の無機質な艦内構造物は、ある場所を境に突然途切れる。
エルベリオンの清潔感に満ちた
「この奥にリーチェアが……さて、どうやったら入れてくれるのかな」
そっと手で触れてみると、灰色の壁は木材でも金属でもないし、不思議な柔らかさで温かい。そして、どこにも継ぎ目はないのに、不思議とその先が存在することを確信させてくる。
ところどころに浮かぶ大小様々な球形は、まるで
無数の瞳に見詰められながら、七海はフムと
「確か、遺宝戦艦は……
激しく艦が揺れた。
ビリビリと伝わる激震は、恐らくフラクタル・フェイズシフト・フィールドへの直撃弾だろう。距離次第では、このエルベリオンの強固な力場と装甲もダメージを
エルベリオンと
しかし、それでも数で上回る相手に苦戦は避けられない。
急ぐ必要がありそうだと、よろけながらも七海は壁に張り付いた。
「うーん、困ったな。……例えば、リーチェアの
物言わぬ太古の遺跡は、黙して語らない。
だが、その時……七海の
今までに感じたこともない、奇妙な外部からの接触が脳裏に
まるで、頭の奥に直接響くような、言葉。
男でも女でもなく、幼子でも老人でもない声。
それなのに、不思議と無機質ながらも柔らかなぬくもりがあった。
「……まいったな、エルベリオン。君は僕に、リーチェアのそういう人間だということを示せというのかい? それも、ここで今すぐに」
艦内のヴァルキロイド達は今、全員が配置について戦っている。
この場にいるのは七海一人で、モニターしている人間など誰もいない。
強いて言うのなら、彼は今……一隻の巨大な宇宙戦艦に向き合っていた。
だが、迷っている時間はない。
ゆっくり息を吸って吐き出すと、七海はゆっくりと言の葉を
「聞いて、エルベリオン。リーチェア・レキシントンは……リーチェア・アユラ・ミル・アストレアは、僕にとって大事な人だ」
静寂だけが声を反響させて吸い込む。
なにも、起こらない。
再度七海は、奇妙な手触りの壁に触れながら語りかけた。
「大切な人だ。彼女がこの艦に……君に僕を乗せてくれた。その意味を先日知ってね……とても、嬉しかった。……駄目? うーん、かなり恥ずかしいことを言わせてくれてるんだけど」
無反応。
残念だが、やはり事態は変わらない。
だが、頭の中ではまだ、ゆっくりと優しい声が問いかけてくる。
エルベリオンは、自分の主であるリーチェアを飲み込んだまま、七海を試し続けてくる。
意を決して、七海は気付けば叫んでいた。
「愛してるとか好きだとか、そういう言葉は言えない。リーチェアのことで曖昧な気持ちは口にしたくないし、僕にも想いの
ドン! と七海は、もう片方の手で軽く壁を叩いた。
そのまま、輝く量子波動結晶をつけた額をこすりつける。
「君の
なにも起こらないが、七海は気付けば言葉が止まらなくなっていた。
リーチェアのことは、好きだ。
それは、トゥアンナが好きなのと同じ気持ちでしかない。
だが、そうした
ゆっくりと手で触れ、形を確かめる時間が必要だ。
だから、今はそのことだけを正直に告げるしかない。
「僕はトゥアンナのアーティリオンにも乗った……アーティリオンは君の妹だね? なら、リーチェアがトゥアンナを想う気持ちもわかる
それだけは断言できる。
それだけしか今は、言葉にできない。
「そのための明日を今、戦いの中で探している……作ってるんだ。待てば訪れるものではなく、血と汗と犠牲を強いられても、リーチェアとの明日を僕は切り開く。だから――」
不意に、壁の水晶体が全て光を放った。
同時に、目の前の壁が消滅して、七海は前のめりに倒れそうになる。
だが、不意に重力が消失して、見えない力が彼を包んで吸い込んだ。
思わず目を
そして、目を開けば眼前に……裸のリーチェアが浮いていた。
周囲には彼女の軍服や下着が
「リーチェア? ……お疲れ様。迎えに来たよ」
ぼんやりと光るリーチェアの裸体は、
色とりどりの細い光が、リーチェアの全身を
可視光線が全方向から流れて交わる、その中央でリーチェアは浮いているのだ。
「エルベリオン……彼女を、もういいかな? できれば彼女が望むように、もう少し君の力を使わせて欲しい。……君はかつて、先史文明が大戦争を経験した折に……地球に、来てるよね?」
返答の代わりに、どこからともなく光が照射された。
七海の額へ真っ直ぐ、光条が注がれる。
反応するように量子波動結晶が輝き、その中で七海はヴィジョンを見た。
それは、宇宙の底からの進撃……遥か天上の別宇宙との、戦いの歴史だった。その中で確かに、七海は見た。エルベリオンが
下である虚天洋の先史文明は、上に広がる天の宇宙と戦っていたのだ。
その、
七海は歯を食いしばって、情報の
「ん……七海? ……迎えに、来て、くれたんだ」
リーチェアはゆっくりと瞳を開いた。
そっと降りてくるリーチェアに、七海は手を伸べる。
全てを七海に短時間で語って、エルベリオンからの光は途切れていた。
「行こう、リーチェア。僕と二人でトゥアンナを……虚天洋を救わなきゃ」
「うん……うんっ! でも……その、恥ずかしい、かな。わたし、いつのまに裸に」
「あっ、ゴメン。こういうのって、普通はラッキーなんだよね」
「……嬉しく、なかった? 普通はってなによ……ま、七海は
七海の手を握って、もう片方の手で胸を抑えながら、リーチェアは笑った。
七海も自然と、微笑みを向ける。
「見慣れてたのはもう、昔の君だけど。今の君を改めて見たら……綺麗でびっくりしちゃった。嬉しくない訳がないんだけど、浮ついてもいられないんだよね」
「そうだね……これからおいおい、色々、その……深め合う、として。その……声、全部聞こえてたから。エルベリオンを通して、全部」
「そう? うん、これからだよね。そのために、今は」
リーチェアの手を引き、七海は振り返る。
同時に、再びエルベリオンは見えない手で優しく二人を包んだ。
周囲が真っ白に染まってゆく中で……その時確かに、七海もエルベリオンの肉声を聴いた。とても落ち着いていて、耳の奥へとしっとり響いてくる。
急いで着衣を拾い集めるリーチェアと共に、七海は元いた場所へと飛び出すのだった。
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