第25話「眠れるエルベリオンの心」

 決戦にエーテルの海が嵐と揺れる。

 激しい振動の中で、三笠七海ミカサナナミは一人でふねの中枢を目指していた。

 第一級非限定遺宝戦艦だいいっきゅうひげんていいほうせんかんエルベリオン……典型的な地球型の砲艦ほうかんに準じながらも、どこか優美なあかい艦体。その奥へ、深くへと進む。

 有史以来最大の大艦隊決戦に、虚天洋エーテリアはにらぐように荒れていた。


「酷い揺れだ……大丈夫かな? 艦はミィナに任せてるし、どのみちすでに命令を挟む余地はないよね。なら――」


 奇策をろうする必要はない。

 そして、七海は今まで奇抜さも大胆さも用いてこなかった。常に少数、そして劣勢……その中でかせる武器をフル活用し、慎重に、丁寧に戦ってきた。

 だから、今は最後の切り札を信じて、迎えに走る。

 周囲の無機質な艦内構造物は、ある場所を境に突然途切れる。

 エルベリオンの清潔感に満ちた廊下ろうかが、突然閉じたゲートに遮られた。そこはもう、まるで生物のような未知の素材にふさがれている。ゲートと評したが、それが扉であるとすら思えない、奇妙な壁だった。


「この奥にリーチェアが……さて、どうやったら入れてくれるのかな」


 そっと手で触れてみると、灰色の壁は木材でも金属でもないし、不思議な柔らかさで温かい。そして、どこにも継ぎ目はないのに、不思議とその先が存在することを確信させてくる。

 ところどころに浮かぶ大小様々な球形は、まるで水晶クリスタルの眼だ。

 無数の瞳に見詰められながら、七海はフムとうなった。


「確か、遺宝戦艦は……神星しんせいアユラ皇国こうこくの皇族にしか使えない。つまり、僕はこの先に通してもらえない訳だけど、っとっとっと!」


 激しく艦が揺れた。

 ビリビリと伝わる激震は、恐らくフラクタル・フェイズシフト・フィールドへの直撃弾だろう。距離次第では、このエルベリオンの強固な力場と装甲もダメージをまぬがれない。

 エルベリオンと封印艦体ふういんかんたいの娘達は、あらゆるスペックで既存きぞんの艦船を凌駕りょうがする。

 しかし、それでも数で上回る相手に苦戦は避けられない。

 急ぐ必要がありそうだと、よろけながらも七海は壁に張り付いた。


「うーん、困ったな。……例えば、リーチェアの伴侶はんりょおっとなんかは対象になるのかな? 僕が未来の可能性の一つとして、そういう人間だとわかってもらうには」


 物言わぬ太古の遺跡は、黙して語らない。

 だが、その時……七海のひたい量子波動結晶アユラクォーツが明滅を始めた。

 今までに感じたこともない、奇妙な外部からの接触が脳裏にひらめく。それは、ヴァルキロイド達との交信とも違うし、戦術データやチェックリスト等をやり取りするときとも違った。

 まるで、頭の奥に直接響くような、言葉。

 男でも女でもなく、幼子でも老人でもない声。

 それなのに、不思議と無機質ながらも柔らかなぬくもりがあった。


「……まいったな、エルベリオン。君は僕に、リーチェアのそういう人間だということを示せというのかい? それも、ここで今すぐに」


 艦内のヴァルキロイド達は今、全員が配置について戦っている。

 この場にいるのは七海一人で、モニターしている人間など誰もいない。

 強いて言うのなら、彼は今……一隻の巨大な宇宙戦艦に向き合っていた。

 だが、迷っている時間はない。

 ゆっくり息を吸って吐き出すと、七海はゆっくりと言の葉をつむいだ。


「聞いて、エルベリオン。リーチェア・レキシントンは……リーチェア・アユラ・ミル・アストレアは、僕にとって大事な人だ」


 静寂だけが声を反響させて吸い込む。

 なにも、起こらない。

 再度七海は、奇妙な手触りの壁に触れながら語りかけた。


「大切な人だ。彼女がこの艦に……君に僕を乗せてくれた。その意味を先日知ってね……とても、嬉しかった。……駄目? うーん、かなり恥ずかしいことを言わせてくれてるんだけど」


 無反応。

 残念だが、やはり事態は変わらない。

 だが、頭の中ではまだ、ゆっくりと優しい声が問いかけてくる。

 エルベリオンは、自分の主であるリーチェアを飲み込んだまま、七海を試し続けてくる。

 意を決して、七海は気付けば叫んでいた。


「愛してるとか好きだとか、そういう言葉は言えない。リーチェアのことで曖昧な気持ちは口にしたくないし、僕にも想いの輪郭すがたととのえる準備が欲しいんだ。それと」


 ドン! と七海は、もう片方の手で軽く壁を叩いた。

 そのまま、輝く量子波動結晶をつけた額をこすりつける。


「君のあるじが、君ごとエーテルの藻屑もくずと消える……君はそれでいいかい? もし君が、皇国の指導者達にたくされた太古の叡智えいちならば、その力の全てを皇国と虚天洋のために使うべきだ」


 なにも起こらないが、七海は気付けば言葉が止まらなくなっていた。

 リーチェアのことは、好きだ。

 それは、トゥアンナが好きなのと同じ気持ちでしかない。

 幼馴染おさななじみで、いつも一緒だった。今は最上秀樹モガミヒデキやミィナ、そして封印艦体の娘達と親しい者も増えている。そうした、自分に関わってくれる人達が七海は好きなのだ。

 だが、そうした友愛ゆうあいと親しみの中に、まだ違う姿が象られている。

 ゆっくりと手で触れ、形を確かめる時間が必要だ。

 だから、今はそのことだけを正直に告げるしかない。


「僕はトゥアンナのアーティリオンにも乗った……アーティリオンは君の妹だね? なら、リーチェアがトゥアンナを想う気持ちもわかるはずだ。そして、僕はそんな二人を支えると誓った。誰でも助ける訳じゃない、一緒の未来を迎えたい、一緒に未来を作りたい人間だからなんだよ」


 それだけは断言できる。

 それだけしか今は、言葉にできない。


「そのための明日を今、戦いの中で探している……作ってるんだ。待てば訪れるものではなく、血と汗と犠牲を強いられても、リーチェアとの明日を僕は切り開く。だから――」


 不意に、壁の水晶体が全て光を放った。

 同時に、目の前の壁が消滅して、七海は前のめりに倒れそうになる。

 だが、不意に重力が消失して、見えない力が彼を包んで吸い込んだ。

 思わず目をつぶって、永遠にも思える一瞬の中で浮き上がる。そのまま飛ぶように、七海の肉体は艦の最奥へと運ばれていった。

 そして、目を開けば眼前に……裸のリーチェアが浮いていた。

 周囲には彼女の軍服や下着がただよっている。


「リーチェア? ……お疲れ様。迎えに来たよ」


 ぼんやりと光るリーチェアの裸体は、ひざを抱えて背を丸めている。まるで母の中で眠る胎児たいじだ。何か夢を見ているのではと思うほどに、その表情は安らかだ。

 色とりどりの細い光が、リーチェアの全身を透過とうかして行き交う。

 可視光線が全方向から流れて交わる、その中央でリーチェアは浮いているのだ。


「エルベリオン……彼女を、もういいかな? できれば彼女が望むように、もう少し君の力を使わせて欲しい。……君はかつて、先史文明が大戦争を経験した折に……?」


 返答の代わりに、どこからともなく光が照射された。

 七海の額へ真っ直ぐ、光条が注がれる。

 反応するように量子波動結晶が輝き、その中で七海はヴィジョンを見た。

 それは、宇宙の底からの進撃……遥か天上の別宇宙との、戦いの歴史だった。その中で確かに、七海は見た。エルベリオンがく宇宙の片隅に、青と緑を湛えた原初の地球の姿を。

 はるけきとき彼方かなた、太古の昔……宇宙を二分する戦があった。

 下である虚天洋の先史文明は、上に広がる天の宇宙と戦っていたのだ。

 その、悠久ゆうきゅうなる歴史が一瞬で知覚に注がれる。

 七海は歯を食いしばって、情報のうずの中でリーチェアだけを見詰めていた。


「ん……七海? ……迎えに、来て、くれたんだ」


 リーチェアはゆっくりと瞳を開いた。

 ね放題の蓬髪ほうはつがゆるゆると揺れて、彼女はまゆになっていた裸体をほどく。胸には奇妙な紋章がはっきりと刻印されており、それは先日とはまた違う光り方をしていた。

 そっと降りてくるリーチェアに、七海は手を伸べる。

 全てを七海に短時間で語って、エルベリオンからの光は途切れていた。


「行こう、リーチェア。僕と二人でトゥアンナを……虚天洋を救わなきゃ」

「うん……うんっ! でも……その、恥ずかしい、かな。わたし、いつのまに裸に」

「あっ、ゴメン。こういうのって、普通はラッキーなんだよね」

「……嬉しく、なかった? 普通はってなによ……ま、七海はおおむね普通じゃないけど」


 七海の手を握って、もう片方の手で胸を抑えながら、リーチェアは笑った。

 七海も自然と、微笑みを向ける。


「見慣れてたのはもう、昔の君だけど。今の君を改めて見たら……綺麗でびっくりしちゃった。嬉しくない訳がないんだけど、浮ついてもいられないんだよね」

「そうだね……これからおいおい、色々、その……深め合う、として。その……声、全部聞こえてたから。エルベリオンを通して、全部」

「そう? うん、これからだよね。そのために、今は」


 リーチェアの手を引き、七海は振り返る。

 同時に、再びエルベリオンは見えない手で優しく二人を包んだ。

 周囲が真っ白に染まってゆく中で……その時確かに、七海もエルベリオンの肉声を聴いた。とても落ち着いていて、耳の奥へとしっとり響いてくる。

 急いで着衣を拾い集めるリーチェアと共に、七海は元いた場所へと飛び出すのだった。

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