第14話「解放の夜明け」

 熱い空気の震えが、惑星グラン・プールの大気を沸騰ふっとうさせる。

 一種の波動をともなうかのような、歓喜に満ちた声、声、声。

 三笠七海ミカサナナミは、自分の肺腑はいふに入って出る空気が、見えない炎で真っ赤にたぎっているのを感じていた。それはとても恐ろしく、同時に喜ばしい。

 今、式典会場の壇上だんじょうに立つリーチェア・レキシントンを、七海は見守る。

 背後に巨大な軌道エレベーターを背負って、リーチェアは押し寄せる群衆を見渡した。

 大丈夫、堂々としている。

 今までの控えめで内気な彼女はもういない。


「惑星グラン・プールの皆さん、はじめまして。わたしは神星しんせいアユラ皇国皇女こうこくこうじょ、リーチェア・アユラ・ミル・アストレアですっ! えと、ん……おはようございますっ!」


 現在時刻は、神星アユラ皇国標準時だと真夜中だ。

 だが、このグラン・プールでは夜明けが始まったばかり。見上げれば星空はわずかにしらんで、真っ直ぐ伸びる軌道エレベーターを吸い込んでいる。

 そして、遠くその先へ、無数の真っ黒な雲がたゆたっていた。

 それは、第一級非限定遺宝戦艦だいいっきゅうひげんていいほうせんかんエルベリオンを旗艦きかんとする、封印艦隊ふういんかんたい

 昇り始めた朝日の中で、リーチェアは歓声を受けて言葉を選んだ。


「ここに、グラン・プールの解放を宣言します! ただし、わたし達皇国の艦隊はこの星を占領せず、駐留もいたしません。皆さんのふるさとを今、その手にお返しします」


 僅か5,000隻の七海達には、艦隊戦をやる以上の力がない。

 

 封印艦隊の機械生命体きかいせいめいたいである各艦は、それぞれ一隻が一人だ。加えて、エルベリオンもヴァルキロイドが数十人いるだけである。

 一方、まだこの星には第七民主共生機構セブンスの将兵が残っている。地上で統治を管轄する、外交官や軍の高級官僚達である。そのことについては、帰国手続きをとりつつ保護してあることを、グラン・プールの首相から聞かされていた。


「皆さん、再びこの惑星は皆さん一人一人のものになりました。だから、よく考えて下さい。このまま皇国に帰属し、属国となることを望むなら、それもいいでしょう。機構の統治がいいというのならば、それを止めません。ですから、皆で選んでほしいんですっ!」


 トゥアンナの先日の演説は、堂に入ったものだった。

 対して、リーチェアの言葉はどこか幼く無邪気で、素直過ぎる。

 そして、その飾らぬ言葉が、人の胸に響くこともあるのだ。


「わたし達皇国は、妹のトゥアンナ・アユラ・リル・アストレアによって打倒機構のためにはたをあげました。それは、武力によって一方的な拡大政策を進め、民主主義というシステムを強要してくることへのアンチテーゼです。ですから」


 言葉を一度切って、リーチェアは周囲を見渡す。

 最後に七海を一度だけ振り返ったので、大きくうなずいてやった。

 そして、彼女は毅然と前を向いて小さく叫ぶ。


「機構が民主主義を押し付けてくるのなら、わたし達皇国は選択肢を提示します。ここから先は、このグラン・プールの皆さんにゆだねます……ただし、覚えていて下さい」


 式典会場が静まり返る。

 誰もがリーチェアの言葉に聞き入っていた。

 何十万もの民が、たった一人の少女を見詰めて黙る。


「忘れないでください。皆さんの選択が不当な暴力によってゆがめられる時……わたしは必ず、皆さんを守って戦います。信じて下さい、皇国を……わたしと妹のトゥアンナを!」


 割れんばかりの喝采かっさい、そして今まで以上の歓呼かんこ

 その声が次第に、リーチェアの名を呼ぶ大合唱へと変わってゆく。

 今、虚天洋エーテリアで旗を掲げて立ち上がったのは、トゥアンナだ。

 だが、その意志を体現して戦い、七海と勝利したのはリーチェアである。その事実を、この星は永遠に記憶するだろう。

 リーチェアが一礼して下がると、小太りな男が慌てて彼女に駆け寄る。

 この星の首相で、ずっと機構から来た総督そうとく丁稚でっちだった人物らしい。本人はどう思っているかはわからないが、今は勝者である皇国に対して友好的な態度を示していた。

 その彼が、リーチェアに何かを小声でうったえている。

 それを受けて、下がろうとしたリーチェアが振り向いた。


「……わかりました。立体映像ホログラフィによる無時差通信ゼロラグつうしんですね? 出してください」


 そして、民衆は目撃した。

 銀髪緋眼ぎんぱつひがん美貌びぼうの皇女殿下が見詰める先に……全く同じ姿が立体映像で浮かび上がるのを。

 よく見ればリーチェアのねた蓬髪ほうはつと違って、輝く銀色の髪はストレートだ。

 ひとみの色もんだ赤で、紅蓮ぐれんと燃えるようなリーチェアとは異なる。

 華美かびながらも半透明で露出の激しいドレスの、それはトゥアンナだった。


『惑星グラン・プールの皆様……神星アユラ皇国皇女、トゥアンナ・アユラ・リル・アストレアです。まずはお祝いの挨拶をさせていただきます。皆様、おめでとうございます』


 時々ノイズが走って、彼女の美貌がゆらゆらと揺れる。

 それがまた、美しき虚天洋のジャンヌ・ダルクを神秘的な存在へと高めていた。幻想のようにはかなげで、慈愛に満ちたアルカイックスマイル。トゥアンナは声を張り上げる民衆へと手を振り、リーチェアに向き直る。

 そして、彼女は七海のよく知るトゥアンナ・レキシントンの顔を見せてくれた。


『姉様……リーチェア姉様。それに、七海さんも。どうして、来てしまったのですか? わたくしは、お二人には平和な地球で暮らして欲しかった。わたしにはできない、当たり前で平凡な、普通の高校生活をやってほしかったのです』


 今にも泣き出しそうなトゥアンナの背後に、慌てた軍服姿が無数に行き交う。

 だが、それを手で制する彼女を見て、グラン・プールの民も黙ってしまった。そして、徐々にざわめきが広がってゆく。

 七海は、まずいと思った。

 圧倒的なカリスマであるトゥアンナの、その人物像がぶれてしまう。

 小さな皇国の姫君でありながら、によって王道を、正道を強く歩む少女の姿ではない。そこには、あの日の教室で夕焼けに別れた、ただの女の子なトゥアンナがいた。

 そして、対象的にリーチェアは静かに笑って歩み寄る。


「姉が妹を助けるのに、理由が必要?」

『……姉様、でも』

「聞いて、グラン・プールの皆さん! 妹のトゥアンナは、文武両道の才女、天が二物にぶつどころかダース単位の才能を与えた無敵の皇女なの。それをわたしが、証明してみせる。お願い、妹を……トゥアンナを信じてあげて! どんな選択であれ、いつでもわたしとトゥアンナがこの星の味方だから!」


 な朝焼けの中で、リーチェアはトゥアンナに大きく頷く。

 立体映像なので、触れることはできない。

 だが、ようやく笑顔を取り戻したトゥアンナは、そっと手を伸べた。

 その手に手を重ねるリーチェアを、全ての人々が祝福して大地を踏み鳴らす。興奮の坩堝るつぼと化した式典会場で、二人はようやく姉と妹になって再会した。

 エーテルの波間に浮かぶ、あらゆる星が彼女達の決意と覚悟を知ったのだ。

 そして、最後にトゥアンナはドレスのスカートをつまんで、うやうやしく民衆にこうべれる。へりくだって見せても、気品と風格が彼女を一層美しく気高い皇女に見せていた。

 トゥアンナに代わって、軍服姿の女性が映った。

 吊目気味つりめぎみ細面ほそおもての美人で、気の強そうな縦巻きロールの金髪に片眼鏡モノクルだ。


『惑星グラン・プールの諸君。私は皇国聯合艦隊司令長官こうこくれんごうかんたいしれいちょうかん、リベルタ・レムルールス元帥げんすいだ。グラン・プールは機構の勢力圏内にあり、今後すぐに再侵攻、再制圧の危険がある』


 こうしている今も、機構軍は艦隊を再編成中だろう。

 リベルタはそのことも手短に話し、先程のリーチェアの提案を皇国側の総意だと伝えた。とても冷静で透明な、どこか冷たささえ感じる玲瓏れいろう声音こわねだった。


『どんなやり方でも構わない。この星が求める、民が望む形で惑星の方向性を早急そうきゅうにまとめて欲しい。それを皇国は尊重そんちょうする。勿論もちろん、皇国に追従する必要はない……自分達の意思表示を明確にするのだ。その決定を皇国の艦隊が、命をして守ろう』


 それだけ言って、リベルタはキッと七海をにらんだ。

 末席に立っていた七海は、まるでへびに睨まれたかえるの心境だ。

 だが、それを顔に出さず言葉を待つ。


『それと……リーチェア殿下は異星人の協力者を得て、伝説の封印艦隊をよみがえらせた。その力は、旧世紀に虚天洋を統べ、今はエーテルに揺られて見上げるしかできぬ……はるか天の宇宙へものぼったという。皇国聯合艦隊はこれを戦力に組み込み――』


 来たな、と思った。

 封印艦隊は、皇族のみが従えることのできる究極の絶対戦力だ。

 戦争を終らせることはできないまでも、戦局を左右する力である。

 七海はそっと歩み出て、リーチェアに並んだ。


「失礼ですが、リベルタ提督ていとく。発言を許していただけないでしょうか。僕からも是非ぜひ、グラン・プールの方々にお祝いを述べたいので」

『……ひかえよ、異星人。貴様のことはトゥアンナ殿下からも聞かされている。貴様もこころざしがあるなら、連合艦隊に合流してもらおうか。リーチェア殿下ごとな』

「それはお断りします。僕達はリーチェア殿下直属の独立艦隊どくりつかんたいとして、戦局に対し柔軟な対応で戦っていくつもりです。勿論、本国及び聯合艦隊との連携はお約束しますよ」

『独立艦隊……だと?』

「空を御覧ごらんください。これが、僕と封印艦隊の意志です。他者の意志を守るために戦う者もまた、おのれの意志を守らねばなりませんね? それだけの勝利を僕は演出してみせたし、演じ続けるつもりです」


 七海が空を指差す。

 そして……宵闇よいやみを脱ぎ始めた空で、封印艦隊に異変が起こった。

 徐々に中央から、真っ赤に染まってゆく。

 あまりにも鮮やかな、それは払暁ふつぎょうの輝きのような真紅しんく

 イシュタルと打ち合わせていた通り、封印艦隊の全艦は最終艤装完了と同時に艦体カラーを一新した。他ならぬ、イシュタル達封印艦体の自由意志によるものだ。

 リーチェアただ一人をあるじとし、彼女を七海と共に支えるというちかいの赤である。

 リベルタは黙ってしまったが、愉快そうにニヤリとほおを歪める。


『確か、封印艦体はわずかに半個艦体……5,000隻程だな? 如何いかに伝説の機械生命体とはいえ、全くの無補給でいいはずもあるまい。兵站へいたんをこちらで整え、指揮系統も正式なものとして確保する。……そうだな、しばらくは余り物艦隊エクストラフリートとでもしておこう』

「それで結構です」

『で、今後はどうするつもりだ。貴様が私欲なく民のために戦えるのなら、何か一つくらい方針を示してみろ。私とて皇国軍人、半端な者にリーチェア殿下は任せられん』


 大衆の前で今、七海は試されている。

 だからこそ、静かに息を吸って、吐いて、また吸った。

 心を落ち着かせると、七海はこれからのこと……すぐ明日のことを、はっきりと公の場で明言した。

 それを聞いた瞬間、リベルタは目を丸くして黙ったし、集まった観衆に笑い声が満ちていった。それは嘲笑ちょうしょうではなく、あまりにも突飛な話ゆえの、馬鹿馬鹿しいまでに愉快ゆかい極まりない笑い声だった。

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