最終話「僕は海、君は艦」

 三笠七海ミカサナナミが意識を取り戻した時、彼の肉体は地球へと戻っていた。

 どうやら艦隊決戦の後に気絶して、そのまま週末を過ごしてしまったらしい。目が覚めたのはつい先程で、赤城清兵衛アカギセイベイことディーダ・レウナンの屋敷だった。神星しんせいアユラ皇国こうこくの王宮で城爺しろじいをしていた男は、多くを語らない。

 七海の側には、制服姿のミィナが控えているだけだった。

 そして、慌ただしく着替えて身だしなみを整え、七海は学校へと疾走っている。

 遅刻ギリギリの朝、隣を走るミィナだけが息も乱さず寄り添ってくれた。


「七海提督ていとく、あと400秒で朝のホームルームが始まってしまいます」

「ああ、うん」


 春の陽気が温かくて、行き交う者達は皆足早に歩く。

 新生活が始まって間もない、どこは忙しい空気が町に満ちていた。


「……また、日常に戻ってきたんだけどね。これは……うん。ちょっと、違うかな」

「七海提督? 何かおっしゃいましたか?」

「いや、いい。それよりミィナ、少し事情を聞かせて欲しい。いいかな?」

「かしこま!」


 真顔でミィナは、皇国式の敬礼を返してくる。

 だが、言動が最近は時々変だ。

 その理由は、今朝方一斉にまっていたメールを受信し始めたスマートフォンが教えてくれた。友人の最上秀樹モガミヒデキの仕業である。

 どうやら彼は、ミィナにあれこれ妙な知識を与えているらしい。

 ミィナは水を吸うスポンジのように、あっという間に彼の秀樹の色に染まってしまったのだ。それでも常に無表情なので、シュールなミスマッチが笑いを誘う。


「リーチェアはどうしたんだい? どこにもいないんだ。まだ、虚天洋エーテリアにいるのかな?」

「そのことに関しては、リーチェア殿下から口止めされています」

「君、僕の副官だよね?」

「はい」

「……言えない?」

「言えません」


 ました顔で、ミィナはしれっとした態度だ。

 なんだかここ最近で、急激に彼女はふてぶてしくなったような気がする。それでいて、以前にも増して甲斐甲斐かいがいしいのだから不思議なものだ。

 だが、彼女は機械的な足取りで走りながら言葉を続けた。


「リーチェア殿下は、倒れた七海提督にずっと付き添って看病していました。脱出船団から抜け出て、トゥアンナ殿下も」

「そ、そうなんだ」

勿論もちろん、私もお側にいました。ずっとです」

「ありがとう、ミィナ。……ミィナ?」

「みんなで、提督が目覚めるのを待っていたんです。でも、提督はまるで死んだように眠り続けて、それで両殿下も公務が忙しくなり」

「そうだったんだね」


 ミィナは副官として、事の顛末に関しては仔細しさいを話してくれた。

 わず半個艦隊はんこかんたいで、第七民主共生機構セブンスの大艦隊、30,000隻を七海達は撃沈した。容赦なく、無防備な艦艇を真上から攻撃したのだ。

 宇宙の底で多くの機構軍兵士が、異形の邪龍群を見上げながら死んでいった。

 エーテルの海は、生きとし生けるもの全てを許さぬ残酷な大洋なのだ。


「機構軍が新たに艦隊を派遣してくる様子はありません。聯合艦隊れんごうかんたいと対峙する主力艦隊の残存兵力も、沈黙を保ったままです」

「まあ、あれだけの艦隊を全滅させてまだ……僕達と機構の戦力差には大きなへだたりがある」

「そのことで、すでにトゥアンナ殿下が動かれています。脱出船団が出港する二週間後までに、機構側との交渉を準備しているかと」

「大変な仕事だね。でも、大丈夫かな……リーチェアは今、トゥアンナの側にいてあげてるんだろう? 僕はそんな気がするんだけど」

「言えません。秘密だぞい」

「だぞい、って……ミィナ」


 やがて、予鈴よれいの鐘が聴こえてきた。

 同時に、七海達の前に学校の校門が見えてくる。

 ジャージを着た体育教師が、駆け込む生徒達に何かを怒鳴っている。このままでは遅刻、教師に捕まってしまうだろう。お説教はまぬがれないと思えた、その時だった。


「提督……七海提督」

「ん? ああ、ごめん。ミィナ、先に行って。君の脚なら遅刻を免れると思う」

「拒否します」

「えっ?」

「私も、提督をおしたいしているんです。例え両殿下の想いにかなわぬまでも……御二人にたくされたからには、七海提督は私が守ると決めました。失礼します」

「ちょ、ちょっと、ミィナ?」


 不意にミィナが、身を寄せてきた。

 そのまま密着して、彼女はいつものように七海の腰に手を回す。いつだってミィナは、艦隊司令の席に座りたがらない七海のシートベルトだ。

 いつものようにヒョイと、ミィナは軽々七海を小脇に抱えてしまう。


びます、七海提督」

「え、あ、ちょっ――」

「七海提督に遅刻など……南無三なむさん、です!」


 あとで秀樹には言っておこう。

 あまり妙な言葉を、ミィナに教えないようにお願いしよう。

 そう思う七海を抱えたまま、ミィナは軽々と校門を飛び越える。怒鳴どなる声すら忘れて、目を点にした体育教師が眼下を通り過ぎた。そのままミィナは、玄関へと滑り込むや下駄箱の前で急停止。

 呆気あっけにとられる七海は、靴を上履きに履き替えさせられ、気付けば教室にいた。

 ギリギリセーフ、まだ担任の教師は来ていない。


「ふう……ミィナ、やり過ぎだよ」

「申し訳ありません、提督。非常時だったので。あっ、秀樹氏。おはようございます」

「よお、七海! ミィナちゃんも。おはよ。……どした、七海? すっげえ疲れてねぇか」


 机の上に突っ伏し、首だけを巡らせ七海は秀樹を見上げる。

 屈託のない笑顔は、手にしたスマートフォンを指差し楽しげに語りかけてくる。


「七海のお蔭で、今週末にSSRキャラを沢山ゲットだぜ! やっぱ、お前の作る艦隊は強いよ。俺にはそういう頭はないからな!」

「そりゃよかった」


 教室は平和そのものだ。

 ここは日本で、地球の戦争や紛争とも無縁な土地である。

 だが、七海は知っている。

 遥か足元、銀河の外……宇宙の底で今も、二つの勢力が戦っているのだ。最悪の民主主義と、最良の専制君主制の戦い。それを高貴なる義務ノブレス・オブリージュと決意して、立ち上がった少女の戦争だ。

 地球とは全く関係がないが、七海には別である。

 二人の少女がただの女子高生に戻れるためなら、彼は何でもやるのだ。


「って、お前……リーチェアは一緒じゃないのか?」

「ああ、うん。常に一緒って訳じゃないよ」

「だよな。そうだったら俺、嫉妬が止まらなくなるからな、わはは!」

「でも……まあ、うん。ほら、秀樹、先生が来た」


 ばたばたと教室が慌ただしくなる。

 ちらりと七海は、リーチェアのいない机を見やった。

 彼女がいてくれないと、七海はトゥアンナの助けになれない。

 トゥアンナを助けると誓った、リーチェアも支えられない。


「帰ったら清兵衛さんに色々と聞かなきゃな。ミィナが側にいるってことは、僕だけ平和な地球に取り残されたって訳でもなさそうだし」


 リーチェアであれトゥアンナであれ、やりそうなことだと思った。

 戦いにこれ以上は巻き込めないからと、七海を地球へ置いていった……それは、もし可能なら七海も二人にしてあげたかったことかもしれない。

 だが、まだ七海は皇国の雇われ提督だと思う。

 その証拠に、近くの机ではミィナが生真面目に担任教師の言葉をメモしている。

 教室の扉が、バン! と開いたのは、そんな時だった。

 今日の行事連絡をしていた担任教師が、入り口で肩を上下させる少女を振り返る。


「ん、ああ……レキシントン君。遅刻はいけませんよ? さあ、座りなさい」


 そこには、長い髪の少女が立っていた。

 彼女は豊かな胸へと手を当て、呼吸を落ち着かせる。

 そして、顔を上げる。

 次の瞬間、教室の空気が顔所の色に染められた。


「あれ? リーチェアさんって……え、嘘?」

眼鏡めがね、やめたんだ……ってか、あれ? えーっ?」

「ま、まあ、トゥアンナさんと双子だもんね」

「そう、それ! 私もトゥアンナさんだと思った」


 きらびやかななのに、どこか深い光沢をたたえた銀髪。

 白い肌の顔に並ぶ双眸は、深い真紅しんくに輝いている。

 そして、彼女の顔は穏やかな笑みを浮かべていた。


「すみません、先生。ふねに乗り遅れて……」

「船? いや君、もっとましな言い訳を考えなさいよ。いいから座って」

「はいっ! あ……みんな、おはようっ!」


 誰にとっても再会だった。

 そして、新たな出会いだ。

 七海も一瞬、彼女がリーチェアかトゥアンナなのか、わからない。

 だが、そんな七海を見詰めて、少女はよりまぶしく微笑ほほえむ。


「七海、おはよ……ごめん、遅れて」

「あ、ああ、うん。おはよう。そして、おかえり」


 まだ、七海達は知らない。

 この日、神星アユラ皇国は正式に、聯合艦隊司令長官リベルタ・レムルールス元帥を通じて公式発表を発した。第七民主共生機構との講話準備があること、そして……一連の海戦において、いにしえ封印艦隊ふういんかんたいを解き放った特殊戦力……閃撃艦隊エクスフリートの存在も公表される。

 この事実は、対話を拒んだ機構側からも、むべき強敵の名として発表された。

 虚天洋、波高し……風雲急ふううんきゅうを告げる次の週末へと、七海は守るべき少女達と一緒にすことになるのだった。

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週末提督の閃撃艦隊《エクスフリート》 ながやん @nagamono

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