第11話「疾駆」

 ――惑星グラン・プール。

 古くより王朝制度おうちょうせいどをもっておさめられてきた、地球型の大気を持つ惑星である。生存可能率せいぞんかのうりつは74%と、かなり高い。地軸も虚天洋エーテリアの海面に対して、ほぼ垂直である。第七民主共生機構セブンスに統合されてより、半世紀……王朝は強制解体され、その権威失墜を民は今も悲しく思っているそうだ。

 そこまでデータで確認して、そっと三笠七海ミカサナナミひたいに触れる。

 白金色プラチナに光る量子波動結晶アユラクォーツが、データの注入をやめて小さくリン、と鳴った。


「ええと、生存可能率っていうのは」


 今、遺宝戦艦いほうせんかんエルベリオンは、驚異的なスピードでエーテルの海を走る。

 その確かな加速を全身で感じながら、リーチェア・レキシントンのかたわらで七海はつぶやいた。操艦に集中しているリーチェアは、周囲に無数の光学ウィンドウを浮かべている。

 まるで、光の玉座に身を沈めた女王だ。

 彼女に代わって、隣に立つミィナが教えてくれた。


「生存可能率とは、エーテルの海に浮かぶ星々の、洋上に顔を出している割合の大きさです。その惑星の大陸であれ海であれ、エーテルに触れない場所にしか人間は住めませんので」

「つまり、この虚天洋にぷかぷか浮いてる島星ほしの、居住可能な広さということか」

「そうなります」


 宇宙の底には、エーテルの海がある。

 その名は、虚天洋。

 そして、その水面に浮かぶ星々でしか、人は生きていけない。エーテルに満ちた大海原は、その下に沈む何者も許さない。

 洋上の星々にも様々で、その中の何割かに人々が暮らしている。

 北極点の周囲しか、エーテルの海に顔を出していない惑星。

 地軸のかたむきが大きく、昼夜が巡る中で大半がエーテルの海に沈む惑星。

 どれも様々だが、そこには生まれて暮らす人々のいとなみがある。

 それを思い出していると、オペレーターのヴァルキロイドが一人、振り返った。


「七海提督、後続のイシュタル様から通信です」

「ん、つないで」

「了解」


 すぐに正面モニターの隅に、小さな窓枠が浮かぶ。

 そこには、表情こそ変えないが、わずかに気色けしきばんだイシュタルの童顔どうがんが映った。

 その瞳には、いぶかしげな光が輝いている。


『七海提督、これはどういうことじゃ? おぬし、何を考えておる』

「僕はリーチェアと決断し、その命令を伝えたはずです。……。全速力でついてきてください」

『無論、やっておる……が、提督は知らぬとは言わせぬぞ? 我々封印艦隊の一隻一隻が高性能とはいえ、船足ふなあし艦種かんしゅによって大きく異る』

「無論、承知していますよ」


 再び七海は、量子波動結晶へと念じる。

 すぐに周囲に、あらゆる艦のデータが浮かび上がった。

 そして、旗艦きかんエルベリオンと封印艦隊の現在地が海図チャートとなって一際大きく広がる。それは、艦隊行動と呼べる状態ではなかった。

 真っ直ぐ惑星グラン・プールに突入……特攻と言ってもいい形で進むエルベリオン。

 その航跡こうせきを追う封印艦隊は、真っ直ぐ長い長い陣形になっていた。

 イシュタルのような超ヱ級大戦艦ちょうエきゅうだいせんかんなどは、船足が遅く自然と後方でじりじり離されている。高速突撃艦こうそくとつげきかん近接格闘艦きんせつかくとうかんといった、小さく速度の出る艦だけが前へと突出している。

 細く伸ばされた紡錘陣形は、やがてただ一列の縦隊へと引き絞られていた。

 遅い艦が後ろへ、速い艦だけが前へ。

 そしてこれは、七海の思い描いていた通りである。


『七海提督、このような艦隊運用は古今ここんに前例がない』

「イシュタルさん……僕達にをお望みですか?」

『……いや? ワシ等が望むのは勝利。そして、それをもたらす強いあるじだ』

「ならば、今は信じていただけませんか? 向かう先、グラン・プールには第七民主共生機構の第十七艦隊だいじゅうななかんたい駐留ちゅうりゅうしています。その数、12,000隻」


 敵の第十七艦隊は、グラン・プールを母港としている。

 主力艦隊の一部、これだけの数を駐留させねばならない理由があるのだ。それは、なかば強引に併合へいごうして王朝を解体したため、民の不満が圧縮され続けていることに原因がある。

 民主主義を広め、共和制で虚天洋を統一せんとする第七民主共生機構。

 彼等にとっては、一部の人間への権力と、それが持つ権威は許されない。

 七海がこの一週間で探していた、最も鬱積うっせきの溜まった惑星……それゆえに、最も巨大な戦力が配置された場所がグラン・プールだ。


「イシュタルさん、おのおのがそれぞれ最大戦速で……今はそれだけで十分です。そして、エルベリオンはさらに加速して、敵の主力へ向かいます。追いかけてきてください」

『……了解した。無策な吶喊とっかんではないことを祈っておるぞ?』

「任せて下さい。では」


 通信が切れて、イシュタルの顔がモニターから消える。

 同時に、さらなる加速でエルベリオンが飛ぶようにせた。

 リーチェアを囲むコンソールに腰掛けながら、傍らのミィナへと七海は振り返る。


「ミィナ、座ってて。振り落とされるよ?」

「いえ、私は七海提督の副官です。お側でお支えします」

「そう? まいったな……っとっとっと!」


 際限なく加速し続ける艦の中で、七海は転げ落ちそうになる。

 艦橋ブリッジ内では、リーチェアを始めとする全員が、半ば拘束されるようにシートに埋まっていた。すぐにリーチェアが、七海を見もせず小さく叫ぶ。


「ミィナ! 七海をお願い!」

「了解しました、リーチェア艦長。では、失礼します」


 ミィナはそっと七海の腰に手を回して、抱き寄せてきた。そしてそのまま、並んでリーチェアの側に腰掛ける。肉体的にも頑強なヴァルキロイドの少女が、そのまま七海のシートベルトになってくれた。

 柔らかくて、ひんやりと冷たい。

 着衣を隔てて触れてくるミィナは、フル加速で疾走るエルベリオンの中でも動じた様子がなかった。

 他のヴァルキロイドも、各々の席で仕事をこなしながら声をあげる。


「艦長、敵の哨戒艦しょうかいかんに探知されました。300秒後に接敵」

「敵艦隊の主力に動きが……迎撃行動に移りつつあり」

「哨戒艦から入電、繋ぎます」


 すぐに壮年そうねんの軍服姿がモニターに映った。

 その男は、口髭くちひげを蓄えた表情を凍らせている。

 当然だ。

 突然、自分達の半数にも満たない敵艦隊が、何も考えずに突っ込んでくるのだから。そして、それはすでに陣形と言えるような一列縦隊いちれつじゅうたいですらなかった。

 一部の高速艦が追いつきつつある中で、七海達は火力や防御力の高い艦艇をまるごと置き去りにして来てしまったのだ。

 哨戒艦の艦長は動揺しながらも、威厳で声を繕って喋り出す。


『こちら機構軍第十七艦隊所属、哨戒艦オスロウ。直ちに停船して、船籍および所属を明らかにされたし』


 ――呼び掛けに応じぬ場合、撃沈する。

 男の声に迷いは感じない。

 哨戒艦オスロウのデータを脳裏に並べながら、七海は回線の向こう側へとはっきり言い放つ。

 予想だにせぬ言葉だったらしく、敵の艦長は目を見開いて黙ってしまった。


「こちらは神星しんせいアユラ皇国こうこく所属、遺宝戦艦エルベリオン……及び、封印艦隊」

『封印艦隊っ!? ……あ、あの、太古の昔の!? なんてことだ、災厄さいやくを解き放ったのか!』

「行動目的は、惑星グラン・プールの解放。そこで……改めて降伏を勧告します」

『正気かっ! 貴艦きかんは後続を置き去りに、わずかな艦艇で突入しつつある。我が艦隊の主力は一万以上、つまり――』


 だが、七海は平然と声を冷たく尖らせる。

 自分でもびっくりするくらい、悪どい声が出た。

 悪役が正義の味方をピンチへと追い込む、とても暗く響く声音だ。


「警告はしましたよ、艦長。全滅したくなければ、今すぐグラン・プールより退去されたし、以上。通信、終わり」

『ま、待て! 待ってく――』


 七海は通信を切った。

 同時に、密着してくるミィナが小さく呟く。


「七海提督、哨戒艦オスロウと接触します。攻撃を」

「無視して。ただ、立ち塞がるなら……撃沈しちゃって。リーチェア、お願い」

「ええ! わかってる……容赦はしないわ!」


 真紅しんく巨艦きょかんが、波間をぶ。

 そして、鈍い衝撃が艦橋を僅かに震わせた。

 だが、ヴァルキロイドのクルー達は全く動じず淡々とデータを読み上げる。


「敵艦、発砲」

「着弾、右舷後方。当方に被害ナシ」

「フラクタル・フェイズシフト・フィールド、作動中」


 この世界では、艦砲の類はほぼ全てが粒子フォトン兵器だ。

 高圧縮された粒子を、砲弾として撃ち出す。

 そして、エーテルの干渉によって真っ直ぐには飛ばず、放物線を描くのだ。ここはまさに、砲艦同士がノーガードで殴り合う、前世紀的クラシックな艦隊戦しか存在しない世界なのだった。

 フラクタル・フェイズシフト・フィールドと呼ばれる力場りきばが形成されて、エルベリオンを守る。だが、速過ぎる艦のスピードは、敵に数秒前の残像しか撃たせない。


「艦長、鼻先を掠めます」

「攻撃オプションの選択を」

「雑魚は無視して! このまま艦隊主力に向かうわ!」


 あっという間に、敵の哨戒艦が後方へと通り過ぎる。

 そして、向かう先に浮かぶ緑色の惑星周辺が慌ただしく光り出した。衛星軌道状に浮かぶ敵艦隊が、本格的な迎撃行動に出るべく動き出した瞬間だった。

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