第9話「出港、再び宇宙の底へ」

 三笠七海ミカサナナミにとって、怒涛どとうの一週間が終わった。

 まずは、無事に金曜日まで学園生活を満喫まんきつできたことを感謝する。それは、姉のリーチェア・レキシントンを自分にたくしてくれた、トゥアンナ・レキシントンへの素直な気持ちだ。

 そして今、再び星の海へと戻る準備中だ。

 巨大な遺宝戦艦いほうせんかんエルベリオンは、海へ隠している。

 町外れの砂浜までは、あの大家さんが送ってくれた。

 老人の名は、赤城清兵衛アカギセイベイ

 リーチェアとトゥアンナに仕えた城爺しろじい、ディーダ・レウナンの偽名ぎめいである。彼の運転で、小さなワンボックスが海岸線を走っていた。

 助手席の七海は、改めてディーダの横顔を見やる。


「はは、何かワシの顔についてますかな? 七海提督ていとく

「いえ……あと、以前みたいに呼んでもらえると助かります、大家さん」

「助かっているのはワシ等なんじゃが、確かに。ワシも、不敬とは思いつつリーチェア様とトゥアンナ様を実の孫のように感じておりました。七海提督も……いえ、七海君もそれは同じなのですじゃ」


 夜の海は真っ暗で、遠くに灯台とうだいが見える。

 寄せては返す波の音が、夜風に乗って静かに車を揺らしていた。

 七海にとって、ディーダは小さな頃からずっと大家さんだった。今は見る影もない程に破壊されてしまった、七海の我が家。両親が海外に長期出張で、本当によかったと思う。

 そういえば、と七海は以前からの疑問を口にした。


「大家さん、どうしてリーチェアとトゥアンナは神星しんせいアユラ皇国こうこくから……虚天洋エーテリアから逃げてこなきゃいけなかったんですか?」

「ふむ、そのことはまだお話されてませんでしたか、リーチェア様は」


 振り向くと、後部座席ではリーチェアが丁度ちょうど着替えていた。

 下着姿の彼女は、ミィナに学校の制服を預けてている。あのやたらと華美かび荘厳そうごんな軍服を着ようとしているのだが、七海の視線に真っ赤になって固まった。


「ちょ、ちょっと、突然振り返らないで……はっ、はは、恥ずかし……」

「ああ、ごめん」

「もぉ」


 下着姿のリーチェアは、語気を荒げるようなことはしなかった。

 昔から、どこかボーッとして見えるジト目の女の子。鋭い三白眼さんぱくがんばかり、眼鏡めがねの奥で光らせ黙ってる少女だった。だが、七海は知っている……本当に怒ると、リーチェアはとても怖いのだ。

 だから、今は笑って再び前を向く。

 心なしか楽しげに、ディーダも先程の話の続きをしてくれた。


「神星アユラ皇国を今おさめていらっしゃるのは、お二人のお父上ですじゃ」

「その方が星皇せいおう……マキシリア・アユラ・ゼル・アーレス陛下」

左様さよう。今はご病気で伏せっておられますが、以前から第七民主共生機構セブンスに対して国際的な場で注意をうながしておりました……ゆえに、万が一を考え二人の皇女様を地球に逃したのですじゃ」

「……それほどまでに危険な相手なんですね、第七民主共生機構は」

「ワシは正直、民主主義がそんなに素晴らしいかどうかがわからんのですじゃ。じゃが、連中は必要とあらば正義のためと言って、暗殺からテロまで何でもやらかしますのう」


 恐ろしい話だ。

 国家が主導するテロリズムは、

 国家や行政、支配者層に対して、暴力を用いて政治的主張をするのがテロリズムだ。だが、それを国家が自らやるならば、それはもう戦争行為に片足を突っ込んでいる。

 背後から、着替えを終えたリーチェアが髪をたくし上げながら言葉をはさむ。

 彼女は運転席と助手席の間から顔を出して、ディーダの言葉を拾った。


じいの言う通りよ。お父様はわたしとトゥアンナを守るため、地球に逃したの。皇国と機構の国力差は、大きいわ……総力戦になれば、全く勝ち目はない。でも、お父様はおびやかされる小国のためにと、義憤ぎふんを胸に声を上げ続けた」

「じゃあ、トゥアンナがこの間してた演説は」

「前からお父様が主張し続けていたことを、トゥアンナは自分の言葉にしたわ。あの子、いつも意志が強くて主張は明確でしょ? 自分の考えを柔軟に良くしていける子なの」


 最後にリーチェアは、額に量子波動結晶アユラクォーツを装着する。

 眼鏡を外した彼女は、真紅しんくの遺宝戦艦を自在に操る美少女艦長だ。

 そして、彼女の帰りを待つふねが、向かう先の海で息をひそめている。

 安全運転で車は、右に左にと波打なみうぎわの上を走った。

 ミィナが透明で平坦な声をあげたのは、そんな時である。


「七海提督。提督も着替えて下さい。艦隊司令用の軍服を御用意しましたので」

「ああ、あれね……その、やっぱり僕も着替えないと駄目かい? 派手だよね、あれ」

「艦隊司令としての威厳が求められています。副官として着用をお願いするむね、ここに進言させて頂きます」

「うーん、わかったよ。考えておく」


 ミィナは他のヴァルキロイドがそうであるように、無表情で無機質だ。

 そんな彼女も今、学校の制服を脱いでいる。

 真っ裸だ。

 七海は気にしないが、リーチェアが両手を伸ばして顔を包んでくる。

 ゴキリ! と首の鳴る音が聞こえそうなほど、強くじられ外を向かされた。


「ミィナ、まずは早く着替えて。もうっ、どうして全部脱ぐ必要があるのよ」

「ヴァルキロイド用の艦内スーツは、ヘルメット装着時は真空の宇宙でも活動できるように設計されており、生命維持装置せいめいいじそうちが内蔵されているため導尿管等どうにょうかんとうの接続が――」

「わかったわ、わかった。わかったから……は,早く着替えなさいよ。風邪かぜを引くわ」


 ミィナもそうだが、ヴァルキロイド達はいつも白いスーツを着ている。首から下がすっぽりと覆われる、ダイバーがマリンスポーツで着るようなものだ。ところどころにメカニカルな意匠いしょうがあって、スーツというよりは全身タイツのような薄さだ。

 エルベリオンの艦内では、ミィナ達は全裸と変わらぬシルエットで働いている。

 動じる七海ではなかったが、約得かと言われれば否定する気持ちに自信がない。


「あ、でもミィナ」

「はい。何でしょうか、七海提督」

「あまり学校では目立ってはいけないよ。前にもお願いしたけど」

「はあ……しかし、要求に対してスペック上のベストで応えることは、これはヴァルキロイドとしてインプットされた本能です。手を抜くというのは、少し難しいかと」


 当然と言えば当然だが、ミィナはとても美しい容姿をしている。

 どこかはかなげで、華奢きゃしゃ可憐かれんで、その姿はトゥアンナを失った学園に再び希望の光をともしたのだ。今までトゥアンナロス、いわゆる自意識過剰じいしきかじょう喪失感そうしつかんで無気力だった者達は、早速さっそくミィナに集まり出したのだ。

 そのおかげで、七海とリーチェアには忙しい一週間だった。

 体育の授業で、ミィナが100mメートルを9秒台で走った。これはストップウォッチが壊れていたことにした。数学では黒板の問題を暗算で答えのみ書き、英語の時間はさながら自動翻訳機じどうほんやくきといった有様ありさまだったのだ。

 それでますます、ミィナの人気は白熱していた。

 だが、それが何故なぜなのかが彼女にはわからないらしい。


「何故、この星の人間はヴァルキロイドの私にこうも興味を向けるのですか? 七海提督、リーチェア艦長。私には理解に苦しみます」


 七海はリーチェアと顔を見合わせ、肩をすくめるしかない。

 ディーダだけがおかしそうに笑っていた。


「いいかい、ミィナ。君は一般的な人間の美的感覚に照らし合わせると、とても美しいんだ」

「それは、皇室が運用する遺宝戦艦のクルーとして造られたヴァルキロイドだからです」

「確かにね。でも、地球人にはそういうった概念がいねんがないんだ。ここでは君は、ただのかわいい美少女なんだ。誰の好みにもおおむねドンピシャな、才色兼備さいしょくけんびのね」

「……わかりました。以後、目立たぬように気を付けます」


 そうしてくれると嬉しい、そう思ってそのまま七海はうなずく。

 だが、ミィナはよせばいいのに言葉を続けた。


「リーチェア艦長が何故、地球で変装して能力をいつわっているかがわかりました。目立つのを避けているのですね。とても完璧です。見事に周囲に調和し、没個性ぼつこせい埋没まいぼつしています」

「……う、うるさいわね。昔から目つきが悪いっていわれてるの。それが、こんな真っ赤な目じゃ、怖いじゃない。だから、伊達眼鏡だてめがねを――」

「運動に関しても、見事なカモフラージュです。とてもトゥアンナ殿下と同じ遺伝子を持った双子の皇女殿下とは思えません」

「ちょっとミィナ? あんたね」

「勉学以外の全てで、おおよそ同世代の女子よりかなり低い能力値をよそおっている訳ですね。以後、私もそのようにしてみたいと思います。かなり困難ですが」

運動音痴うんどうおんちは昔からよ! もうっ!」


 リーチェアが赤くなって、ツンと指でミィナの額を押す。

 ずっと表情の変わらぬミィナの頭上で、飛び出て立った一房の前髪が揺れた。

 そうこうしている間に、車は目的の砂浜へと到着する。

 周囲には民家や商店がなく、この春先に訪れる者もいない。

 すぐに車を降りたリーチェアは、額の量子波動結晶を輝かせた。


「エルベリオン、浮上。周囲の1km四方に対してアナログジャミング開始」


 アナログジャミングとは、文字通り生物の五感、特に視覚と聴覚を撹乱することである。恐らく、周囲からは見えないはずだ……沖に浮かぶ月へと向かって、垂直に海中から突き出る真紅しんくの巨艦が。

 真っ直ぐ屹立きつりつしたエルベリオンは、そのまま大音量で波飛沫なみしぶきを撒き散らして水平になる。

 あわい月の光に、鮮やかな紅蓮ぐれん巨艦きょかんが輝いてい。

 七海はミィナの手に持つ軍服から、制帽せいぼうだけを取って小脇に抱える。

 そうして、見送ってくれるディーダに向き直るや、背筋を伸ばして敬礼した。


「では、ちょっとアレコレやっつけてきますので。また日曜の夜あたりに」

「リーチェア様を、そしてトゥアンナ様を頼みますぞ、七海君」

「ご安心を……こんなことはさっさと終わらせるに限りますから。僕は、必ず三人での日常生活を取り戻す、そう決めてるんです」


 そう言って、制帽をかぶる。

 エルベリオンからの内火艇ランチが砂浜に来ると、七海は再び宇宙の底へと向かい始めた。すぐにこの一週間での戦況の変化、封印艦体ふういんかんたいに課したカリキュラムの進捗状況などを再確認しなければならない。

 毎日リアルタイムで報告を受けているが、あまりにも思う通りに行き過ぎているから。

 過信を知らぬ男、三笠七海の勇名をとどろかせる、初めての海戦が迫っていた。

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