第19話◎
「ひっ!」
里香は露骨にビビった。脳天から絵具を垂らす僕の背後に回り込み、身を隠す。しかし岡倉先輩は、高い等身を活かして僕の背後を覗き込もうとする。
「む?」
「う」
「むむむ?」
「ううう……」
首を巡らせる先輩に、段々追い込まれていく里香。なんだか小動物みたいで可愛らしい……って何を考えてるんだ、僕は。
「岡倉先輩、彼女は人見知りが激しいんです。ちゃんと紹介しますから、美術室に戻って――」
「ああ、そうか!」
首を正面に戻した先輩は、ぽんと右の拳を左の掌に打ちつけた。
「分かったぞ高崎くん! 彼女はキミの恋人さんだな!」
「恋人!?」
その瞬間、周囲の空気が固まるのが分かった。ミシッ、という幻聴まで聞こえてくる。挙句はどこからか敵意が感じられる始末だ。
何だ、この現象は? 何があった?
僕は思索する。空気が固まったのは、僕が先輩の言葉を繰り返した瞬間だ。その中にあった注目すべきワードは、ズバリ『恋人』。それ以外は何も喋っていない。
痛い。視線が痛い。この高校の三年生にはリア充さんが少ないのか。それで皆が僕たちに『爆発しろ』と呪詛をかけているのか。僕だってまだはっきり告白したわけじゃないのに、理不尽だ。
それは置いといて。
「先輩、とにかく戻ってください!」
「どうしてかね? いいではないか、ガールフレ――」
「失礼しますよ!」
僕は里香の腕を掴み、先輩を押しのけるようにして美術室に踏み込んだ。これ以上先輩に、色恋沙汰に関するワードを発信させるわけにはいかない。
「まあまあ、そう慌てなさるな! 我輩はお暇した方がいいかね? 何だったら美術室でキミたちを二人きりに」
「僕たちはあなたに会いに来たんですよ、岡倉先輩!」
二人きりになるには体育館の裏ででも――って、これじゃあ僕が里香に告白したがっているようじゃないか。いや、実際そうなのだけれど。
僕は自分の両頬をパチンと叩こうとした。その時だ。
「あ、りゅ、竜太……」
「何?」
僕が里香の方に振り返ると、里香は俯きながら呟いた。
「手……」
「あ」
美術室に入る時から、ずっと握りっぱなしだった。
「うわあ、ご、ごめん!」
「ううん、いいの! ただ、ちょっと痛かっただけ」
「うん……」
僕はさっと手を離し、ぼんやり自分の掌を眺めた。
「で、我輩に用があると? 高峰くんと恋人さん」
僕は慌てて振り返ったが、その時には既に、先輩が扉を閉めるところだった。
「恋人なんかじゃありませんよ!」
「だから尋ねたではないか、ガールフレンドか、と」
「そんなんじゃありませんから!」
喚く僕。沈黙する里香。話をトンチンカンな方へ持っていく先輩。
僕は何とか自らを制し、落ち着いて里香を紹介した。
「なるほど、つまり君たちはまだ友人関係であると?」
「はい……って、『まだ』って何ですか、『まだ』って!」
「いや? お似合いに見えたものでね」
すると僕の隣から、蒸気が沸き立つような音がした。見れば、里香が真っ赤になってオーバーヒートしている。
上手いかわし方を思いつくことができなかった僕は、無理やり話題を本題に入れ込むことにした。
「と、とにかくですね、僕たちは今日、岡倉先輩に頼み事があって来たんです」
「ほう? 天才芸術家であるこの我輩に!」
先輩は美術室中央に置かれた一脚の椅子に腰かけ、足を組んだ。
「お伺いしようか」
「はい。長い話になるのですが……」
僕は淡々と、先輩に説明を試みた。
祖父の死。中間霊域。そして、祖父が絵画を求めていること。
「ふむ。よかろう」
先輩の理解は実に早かった。
「で、我輩はその中間霊域の風景画を描けばいいのだな?」
「はい」
僕は頷いた。隣では里香がうんうんと首を上下にさせている。
「では参ろうか、お若いの! 準備をするから、少し待っていてくれたまえ」
すると先輩は、描きかけだった油絵をそのままにしてそそくさと準備を始めた。
一つの鞄に、パレットや絵具、それに絵具の筆洗いバケツを突っ込んだ。
「いざ、行かん!」
「あ、ありがとうございます……」
一つ気になったのは、先ほど僕を叩いた大きな筆を背中に装備していることだった。
「あのー、先輩?」
「何かね? 純愛ボーイ?」
「誰が『純愛』ですか! それよりそんな大きな筆、必要なんですか?」
「無論!」
腕を組む先輩。
「カンバスに自らの魂を叩きこむのだ。このくらいなければな!」
うーん、そのまま引き抜いてビームサーベルにでもしそうな雰囲気だ。
「……まあいいです。案内しますから、一緒に来てください」
「うむ!」
こうして僕たちは学校を後にした。なんだかこれだけでどっと疲れた気がしたが、まあいい勉強になったと思えばいいか。変人との付き合い方を覚えられたとすれば。
※
「ここがキミのお爺様のお宅だな!」
「ええ、まあ……」
「では、早速お邪魔しよう」
暑さで僕と里香が閉口する中、岡倉先輩だけが元気だった。予想通り、釣って……じゃない、連れてくることができた。芸術家肌の人間には、こんな貴重なチャンスは逃せないところだろう。
僕が鍵を開けて祖父の家に入ると、
「むわ!」
さらに暑い。空気が停滞しているからか。
僕は足早に二人を最奥の書斎へ案内した。勢いよく扉を開ける。すると、突然声が聞こえてきた。
(おお! 来たか竜太!)
「む! なんだ!? どこからともなく声が!」
バックステップし、首を巡らせる先輩。警戒心と好奇心がごっちゃになった表情だ。
「ああ、心配しないでください。祖父の声が、先輩にも聞こえるようになってるみたいですから」
すると祖父は、僕の言葉を受けて先輩に語りかけた。
(よくぞ来てくださった、画家殿。わしが依頼者の高峰竜蔵だ。よろしく頼む)
「おお! 亡くなった方と意思疎通ができるとは! インスピレーションが刺激されるな!」
はしゃぎまくる先輩の姿にため息をつきながら、僕は
「さあ、早く中間霊域に行きますよ。向こうの方が、まだ涼しいかもしれませんし」
「そうなのか! では参ろう!」
『調子に乗らないでください!』という言葉を飲み込んで、僕は『秋①』のファイルを取り出した。里香と先輩に、僕のそばに来るように手招きする。
その直後、またぐいっと引っ張り込まれるような感覚と共に、僕たち三人は中間霊域に跳び込んだ。
※
僕たちが足をついたのは、ちょうどロッジの真ん前だった。
「お、っと、っと!?」
初めて転移したことで、足元が怪しくなった先輩。
「あ、先輩!」
僕は先輩に駆け寄り、腕を握って体勢を立て直させた。
「大丈夫ですか?」
「ああ、すまない」
「それじゃ……」
僕はロッジのドアをノックした。
「おーう、入ってくれい」
祖父の呑気な声が聞こえてくる。どうやら今は人間の姿でいるらしい。
僕は軽く振り返って二人に頷き、ロッジのドアを開けた。
「よく来てくれた、お三方!」
祖父は部屋の奥から声をかけてきた。と、その時だった。
「やあ、爺ちゃん」
「お邪魔致しますぞ、竜蔵殿!」
すると祖父は先輩に目を留めた。
「おお、貴殿が画家様でいらっしゃるか! 素敵なフェイス・ペイントをなさっているな!」
「お褒めいただき光栄也、竜蔵殿。さて、我輩は何を描けば――」
と、その時だった。
「あーっ! あの子がいる!」
こんな素っ頓狂な声を上げたのは、里香だった。視線の先にあったのは、もちろん先日話題になったトランジスタラジオだ。
「お爺さん、あの子――ラジオの調子はどうですか?」
「ん? ああ、立派なものだよ」
笑みを深くする祖父。
「音質も電波の入りも申し分ない。よくぞここまで直してくれたな、里香!」
そう言いながら、祖父は里香の頭にぽん、と手を載せた。あまりに和やかな雰囲気に、僕は本題を忘れそうになっていたことに気づく。
「あ、そうだ。爺ちゃん、どこで何を描けばいいの?」
「ん? そうそう、もう決めてあるぞ! わしが誘導するから、ついて来とくれ」
すると祖父は、全身が輝きだした。球体になる際の予備動作だ。
「皆、目を閉じて! 先輩も早く!」
「お、おう」
僕は、里香と先輩がちゃんと目を閉じたのを確認してから自らも瞼をぎゅっと下ろした。
(よし、出発準備完了だ!)
祖父の声が、直接頭に入ってくる。ゆっくり目を開けると、そこには灰色のゴルフボール大の、例の姿に変身した祖父がいた。先輩が驚かなかったところを見ると、本能的に『球体=祖父』と納得したらしい。
その隣では、里香がそそくさとフードを被り、短剣を腰元に差すところだった。
「竜太、先輩、これを」
里香が渡してきたのは、水の入った革袋だった。
「それと、竜太にはこれ」
続けざまに差し出されたのは、僕が前回使った長剣だった。その重量感に一瞬戸惑ったが、『主人公補正』があることを思い出し、鞘をぎゅっと握りしめた。それを背中に装備する。
(よし! それでは出陣だ!!)
祖父は景気よく声を張り上げた。
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます