第10話
祖父の書斎は、昨日と変わりなかった。ポルターガイスト後のあの状態だ。
僕はゆっくりと足を踏み入れ、『お邪魔しま~す』と一言。すると、
(来たな、竜太! 我が血族よ!)
脳内に祖父の声が響き渡る。ただ、昨日よりは不快な感じはしなかった。それより、
「爺ちゃん、どうして中二病っぽいこと言ってるの?」
(ん? ああ、若者文化の理解だ)
確かに祖父は、いろいろと若者文化に触れようと挑戦を繰り返していた。それはアウトドアだけに留まらない。ラノベやコミックの乱読、テレビゲーム(主に格ゲー)、アニメの鑑賞など。特に去年は、僕が受験生で多忙だったこともあり、僕よりも若者文化に触れていたんじゃないだろうか。
(ほら、昨日のファイルが置いてあるだろ? 早く来てくれ)
「分かったよ……」
中間霊域に飛び込むと、記憶の断絶が起こるのだ。一度体験したこととはいえ、あまり気持ちのいいものではない。
そうは言っても、誰あろう祖父の頼みだ。僕が我慢して済む程度のことなら構わないか。
僕は『①夏』のファイルを手に取り、ゆっくりとページをめくっていった。するとあるページから、見開きの状態でまばゆい光が溢れ出した。
慌てて目を閉じる。直後、再び僕は自分の身が圧縮されるような感覚で、中間霊域へと引き込まれていった。
※
「うわっ、おっ!?」
今度は睡魔に襲われることはなかった。きっと眠気が生じるのは、中間霊域を『夢だった』と人に思わせるためだったのだろう。僕はもう、中間霊域の存在を知り、信じ込んでいるから、眠くさせる必要性はなかったということだ。
僕の足の裏は、直に熱砂を踏みしめていた。軽く小さな波が、くるぶしのあたりを撫でてくる。我ながら危なっかしい足取りではあったが、どうにか僕は姿勢を立て直すことができた。
さて。祖父はどこにいるのだろう? 前回のような出迎えはないようだ。水平線から目を逸らし、ヤシの木の生えた砂浜を見遣っていると、
「あ」
見つけた。前回連れ込まれたロッジだ。扉は閉め切られているが、暑くはないのだろうか?
僕はラジオを担ぎなおし、砂の鳴る音を聞きながら、ゆっくりとロッジへ近づいていく。人の気配は感じられるが、やはり出迎えてくれる様子はない。
ロッジの短い階段を登り切った僕は、扉を軽くノックしながら『すみませーん』と声をかけた。すると、
「竜太か! よく来たな、ささ、入ってくれ」
「あ、うん」
僕はゆっくりと扉を押し込み、ロッジの中へと足を踏み入れた。
そこには祖父がいた。しかし、こちらに背を向け、なにやら押し入れに向かっている。
「少し待っててくれい」
そこで、僕は目にした。エアコンだ。
密閉された真夏の空間によく耐えていられるものだと思っていたが、冷房がかかっていたのか。って、この世界には電気が通っているのか? 今度女神様に質問してみよう。
それはともかく、祖父は押し入れに向かったまま、何やらゴソゴソやっている。
と思ったら、
「ふう、これでよかろう」
そう言って、祖父は額の汗を腕で拭い、
「竜太、ちょっと見てくれ」
と言いながら振り向いた。僕はてくてくと歩を進め、押し入れを覗き込んで、
「……」
絶句した。
その押し入れには、春夏秋冬を快適に過ごせるだけの衣服が備えられていた。それはいい。
問題は、その畳まれている隙間の一着ごとに、押し入れの湿気取りがぶちまけられていることだ。
「爺ちゃん、何これ?」
「おう、死んでまで自分の服を虫に食われるのは癪だからな。湿気がなければダニもそうそう出て来やしないだろう」
僕は再び沈黙。この老人、何を考えているのやら。孫としても図りかねるものがある。
まあ、そんな奇行に付き合っていても仕方がない。
「爺ちゃん、一昨日のラジオ、持ってきたよ」
「何とぉ!!」
と、祖父は空を斬る勢いで振り返り、目を丸くした。今度は祖父が絶句する番だった。
「あ、あの、爺ちゃん……?」
「……」
お気に召さなかったのだろうか。新品以上にピカピカにされてしまったことが。
「クラスメートに機械に強い子がいてさ、直してもらったんだけど」
「何だと?」
祖父は首の角度はそのままに、眼球だけを動かしてジロリ、と僕を睨みつけた。
「機械に強い『子』? 女子か?」
ドキリ。何故かは知らないが、知られてはならないことを察されてしまったような気がする。
すると、『ほほ~う?』と言いながら祖父は腰を上げた。僕を見下ろす。その口元は、まさに『ニヤリ』という効果音がつきそうな角度にひん曲がっている。
「美人か?」
「なっ、そんなこと、爺ちゃんには関係ないだろ?」
今度は僕が背を向けた。顔が赤らんだのを隠そうとしたのだが、
「どうしたどうした、耳まで真っ赤になって!」
バレたか。
正直、里香は『美人らしい美人』ではないと思う。だが、ぼんやりと落ち着いた所作、物静かな雰囲気、それに、百八十度切り替わったような子供らしい喜び様。
それらは目立たない、あるいは滅多にお目にかかれないものではあるけれど、僕にとっては魅力的なものに思えてならないのだ。
「そうか、竜太にも春が来たんだなあ……」
「ちょっ、た、ただの友達だよ!」
「飽くまで『今は』だろう?」
祖父は一層笑みを深くする。
「そ、それよりさ!」
僕はどうにか活路になる話題を見出した。当然、トランジスタラジオのことだ。
「僕もこれ、ちゃんと電波が入るかどうか、試してないんだ」
「ほう?」
眉を上げる祖父。これは、驚きの表現らしい。生前から言えることではあったけど、実に表情豊かな人だ。
「ではお前もまだ聞いてないんだな?」
僕が頷いて見せると、
「じゃあ、かけるぞ」
と言って祖父はラジオのダイヤルに触れた。そこに一種の愛着が込められているのを、僕ははっきりと見て取った。
ジジッ、という音がして、明日の天気予報が朗々と読み上げられる――かと思いきや。
「あれ?」
さっき電源を入れた時以来、何の音もしなくなってしまった。砂嵐の騒音さえも。
「おっと、音量のダイヤルを忘れとった」
ガクッと体勢を崩しかけた僕。そんなことを気にせずに、祖父は思いっきりヴォリュームをマックスに上げた。次の瞬間、
ギャギャギャギャギャギャギャ!!
「!」
「どわあっ!!」
耳を防ぐだけでは間に合わず、僕は真後ろにふっ飛ばされた。突然ロッジに、いや、この中間霊域全体に響き渡るようなデスメタル。ちょうど絶叫パートであったらしく、とても言葉では表現できない――当然真似することもできない、とんでもない『痛み』が場を震わせる。
「爺ちゃん、電源切って! 早く!」
「―――――――!!」
「爺ちゃん!?」
聞こえていないのか!? 僕が何とか上半身を起こし、祖父の方を見ると、
「―――――――!!」
ノリノリだった。飛び跳ね、喚き散らし、果てはロッジ内を転がり始めた。胸の前で何かを振り回す挙動を取っている。あ、これエアギターか。
って、今はそれどころじゃない!
僕はラジオを壊さないよう注意しながら、両腕を伸ばして握り込み、一気にヴォリュームを落とした。
「ア~、ウォオ~~~!! ……ってあれ?」
ポカンとして動きを止めた祖父を前に、僕は思いっきり肩を落としてみせた。
「竜太、何やっとる! さっさと音量を戻せ!」
「嫌だよ爺ちゃん!」
ラジオだけならともかく、祖父にまで唱和されては僕の鼓膜はひとたまりもない。
「爺ちゃんが若者文化が好きなのは勝手だけど、今度またデスメタルを聞きたくなったら僕がいない時にして!!」
「何故だ! お前にはこの絶叫に込められたソウルが感じられんのか!!」
全世界のデスメタルファンの皆さん、ごめんなさい。感じられません。少なくとも僕には。
っていうか爺ちゃん、そこまでいろんな文化に造詣があったのか。意外だ。
生前にご近所から非難されていた、という噂が聞かれないことも意外だが。
ぶーぶーと不満を垂れる祖父を無視して、僕はゆっくりと音量とチャンネルのダイヤルを回した。すると、
「お、ちょうどいいな」
祖父がそっと僕の手を止めた。もちろんデスメタルのチャンネルではない。むしろ、僕でさえ聞き覚えのある曲が流れていた。
(見上げてごらん 夜の星を)
そう、まさにこのイントロから始まる『見上げてごらん夜の星を』だ。
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