第30話

「二人共、これを!」


 女神様の、か細くも明瞭な声が響く。でも『これ』って何だ?

 そんな僕の疑問は、すぐに解けた。僕の前に長剣が、里香の前には短剣がふっと現れたのだ。

 さらに同時に、身体が軽くなる感覚が足元から伝わってくる。これは――。


「二人に主人公補正をかけたわ! 悪魔には適応されないから、思いっきり暴れて頂戴!」

「ふざけんな!!」


 友梨奈が女神様の方へと向き直る。その動きが、僕にはひどく緩慢に見えた。


「友梨奈、目を覚ませ!」


 僕は身を低くし、剣の柄を両手で握りながら疾駆。


「はあああああああっ!!」


 友梨奈と女神様の間に割り込ませるように、剣を振り上げた。

 風圧が発生し、怯む友梨奈。その隙に、女神様は眩い光を発しながら球体になって上空に舞い上がった。


「里香、君は爺ちゃんを守ってくれ。これは僕と、友梨奈の問題なんだ」

「待って、竜太!」

「ふっ!」


 僕は短いステップを踏んで、ジグザグに友梨奈へと接敵した。友梨奈はその場に軽く浮かびながら、僕を待ち受けている。


 もし僕がこの場で殺されたら、すぐさま現実世界に戻されてしまう。そうしたら友梨奈は里香をも殺し、宣言通り祖父を地獄送りにするだろう。

 母の言葉がよみがえる。『友梨奈が僕を好きになったのは、彼女の勝手なのだ』と。

 だが、僕は正直、嬉しかった。浮気をするつもりはないが、でも、人から与えられる好意は、与えられた方を励まし、支え、勇気を与える。それを――篤が友梨奈を好いていることを、なんとか教えてやらなければ。


 だが、今の友梨奈に、そんな言葉は伝わらないだろう。どうにかして彼女を落ち着かせなければ。

 では、どう戦えばいいのだろう? 


 僕は思案しながらも、油断なく友梨奈との間を詰める。

 それから、ジリジリと円を描くように摺り足で友梨奈の周りを巡る。この場にいる全員が無言だ。そしてその沈黙を破ったのは、友梨奈のすっ、と息を吸う空気音だった。


「はっ!」

「うっ!」


 思わず僕は息を詰まらせた。友梨奈の翼が竜巻を起こし、僕を襲ったのだ。ギリギリで竜巻を横薙ぎにし、破壊する。しかしその先に、友梨奈の姿はない。


「遅いわね!」


 背後、斜め上方から殺気がした。直後、僕は背後から地面に叩きつけられた。


「うわあっ!!」


 そのまま前転するように転がされる。翼で直接打撃を受けたようだ。

 その威力は、主人公補正のかかった僕にも容赦がない。僕は体勢を立て直す間もなく何度もバウンドした。地面が抉れ、草花が舞い上がり、泥が目や口に入ってくる。

『竜太!』という里香の叫び声がしたような気もするが、それすら曖昧だ。


 今の友梨奈を、かつて戦った恐竜たちと同列に考えてはいけない。強い。強すぎる。


 僕は匍匐前進して、辛うじて近くに落ちていた剣の柄を握りしめた。その直後、竜巻が僕の頭上を通過していく。なんとか接近戦に持ち込まなければ。

 だが、それでどうする? 友梨奈を殺して、彼女だけを現実世界に強制的に戻すのか?

 違う、と僕は思った。

 今の友梨奈こそ素の友梨奈だ。それをこの場で説得しなければ、本当に現実世界で、彼女は暴力行為に走る恐れがある。それに、僕の主人公補正も効かない。


 どうしたらいいんだ――?


 友梨奈は僕が立ち上がるのを、追撃せずに待っていた。


「友梨奈、話し合おう! 僕には君に伝えなければならないことが――」

「うるさいっ!!」


 再び突風を巻き起こす友梨奈。視界の端では、里香までもが腕で頭部を防御している。祖父と突風の間に割り込み、友梨奈の攻撃から祖父を守ってくれているのだろう。


 そんなことを思ったのも束の間、僕は剣で十字を切るような挙動で次の竜巻を破壊した。

 先ほど友梨奈は、竜巻に気を取られた僕を翼で叩いてきたな。だったら――。

 僕はさっとその場に伏せた。頭上の空気を、友梨奈の翼が薙ぎ払っていく。


「チッ!」


 友梨奈の舌打ちが聞こえる。と同時に、友梨奈が旋回して斜め上前方から突っ込んでくるのが見えた。迷っている暇はない。

 僕は立ち上がり、剣を正眼に構えて腰を落とす。耳を澄まし、目を閉じる。爺ちゃんがよく教えてくれた、剣道精神を思い返しながら。

 徐々に友梨奈の殺気が高まってくるのを感じる。


 ――今だ!!


 僕は思いっきり、居合切りの形で剣を振り下ろした。

 目を開くと、友梨奈が慌てて後退するところだった。だが、僕が視線を遣ったのは友梨奈の本体ではない。

 翼だ。目を凝らせば、右の翼が先端から三分の一ほど斬り落とされている。

しかし、友梨奈は痛みを覚える様子はない。


「やったわね、竜太!!」


 そう言って突進してくる。僕は横転してこれを回避、再び友梨奈と視線を合わせる。

 僕の勘は当たっていた。翼さえ破壊すれば、友梨奈はただの女の子。そして死にはしない。

 今度は僕が、自ら友梨奈へと駆け出した。


「うおおおおおおお!!」


 友梨奈は一瞬、驚いて目を見開いた。主人公補正は大したもので、一気に距離を詰められる。無傷な方、左の翼に包まるようにして、友梨奈は防御姿勢を取った。僕の狙い通りだ。


「はっ!!」


 僕は思いっきり、面を打つ原理で剣を振り下ろした。翼だけを斬り落とすように。


「ぐっ!!」


 友梨奈の姿勢が大きく揺らいだ。左の翼は、根本から断ち斬られている。それでも友梨奈本人には、ダメージが及んでいる気配はない。

 後は右の翼だ。飛翔能力さえ奪ってしまえば、友梨奈はただの女の子。まだ説得できる。


 そう僕が思った直後だった。


「ふっ!」


 地面を踏みしめ、友梨奈は大きくサイドステップして僕の返す剣を回避した。いや、それだけではない。一気に距離を詰めたのだ――里香の方へ。


「きゃっ!!」

「里香!!」


 慌てて視線を遣ると、里香が友梨奈の右の翼で突き飛ばされるところだった。残されたのは、動くこともままならない祖父。僕は慌てて駆け寄ろうとしたが、


「動くな、竜太!」


 祖父に一喝され、足を止めた。


「分かってもらえて嬉しいわ、お爺さん」


 移動できない祖父のわきで、友梨奈は短剣を里香の首筋に当てながら唇を歪めてみせた。短剣は、里香にぶつかった時に掠め取ったのだろう。


「やめろ友梨奈、今ここで僕や里香を殺しても、ただ現実世界に戻されるだけだ! 意味はないぞ!」

「それにしては、随分慌てているようね」

「ッ……!」


 そう。原理的に、ここで里香が殺されることは、彼女に致命傷を与えることにはならない。だが、そんな光景を見せつけられてしまったら、僕は剣を握っていられなくなるだろう。心理的なショックのために。


「竜太! 私に構わないで! 戦って!」


 里香は必死に声を上げる。

 考えろ、竜太。どうしたらいい? 攻撃するか、降伏か? 一体どうすれば……!


 その時だった。視界の隅で動くものがある。それは僅かな動きだったが、僕は明確にそれを捉えた。祖父が、首から上だけで指示を出そうとしている。声を出さずに、口の動きだけで訴えているのだ。『自分のことは構うな』と。

 僕は『落ち着いて』ゆっくりと首を横に振った。それを見逃す友梨奈ではない。


「隙あり!!」


 友梨奈は短剣を里香から離し、こちらに投擲してきた。やはり僕の方を先に片づけるつもりだったか。――思った通り。

 僕はすぐさま視線を前方に戻した。祖父の指示は、飽くまで友梨奈を罠に嵌めるためのものだったのだ。僕が隙を見せた、と友梨奈に勘違いさせるために。


 真っ直ぐに、僕の首元を狙って迫る短剣。しかし僕には、それがひどくゆっくり飛んでくるように見えた。もはや見つめる必要もない。僕は目を閉じ、すっと息を吸って、思いっきり剣を振り下ろした。


「はあっ!!」


 キィン、という高音が中間霊域に響き渡る。次に聞こえた、何かが柔らかいものに刺さるズッ、という鈍い音。

 僕はゆっくりと目を見開き、里香と友梨奈の方を見遣った。二人共、ポカンと口を開けている。僕の背後では、先端から真っ二つにされた短剣が地面に刺さっている。気配だけで分かった。そんな僕は無傷だ。


「あ……」


 呆然とする友梨奈に、しかし僕は容赦しなかった。


「友梨奈、正気に戻れえええええええ!!」


 叫びながら突進。里香は僕の狙いを察し、友梨奈を突き飛ばして地に伏せる。

 そして、ズバッ、という軽い音と衝撃が、僕の耳朶と腕を震わせる。


「……!」


 友梨奈の右の翼は、根本からバッサリと斬り払われた。

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