第24話

「なるほど、あなたは里香ちゃんのことが好きだけど、友梨奈ちゃんはあなたのことが好きだし、諦めてもいないのね」


 無言で頷く僕。


「ふーん……」


 母は腕を組み、微かに頷きながら考え込んだ。


「そんな友梨奈ちゃんに頼み事、ねえ……」


 僕は俯いて肩を縮める。やはり、いくら楽観的な母でも名案は思い浮かばない、か。


「いいんじゃない? 友梨奈ちゃんにお願いすれば」

「やっぱりそう思う? 僕もそう思って――って冗談だろ母さん!?」


 僕は思わず、両の掌をテーブルについた。その勢いで立ち上がり、母を見下ろす。

 しかし母は、穏やかな目つきで僕を見上げてきた。


「だって、考えてごらんなさいよ」


 母は両腕を広げてみせる。自信満々の様子だ。


「友梨奈ちゃんがあなたを好きになったのは、彼女の勝手でしょう? そのせいであなたが引け目を感じることなんてないのよ?」

「うん……」

「あなたは里香ちゃんが好きなんだから、その気持ちを大切にしていたって罰は当たらないわ」

「でもさあ、母さん」


 僕はしばしの沈黙の後、顔を上げた。


「僕に非がないらしいってことは分かったけど、それと実際に友梨奈に頼み事をするのは別問題だよ。だって怖いもの。何がどうなるか……」

「何が怖いの?」


 何が、だって? ううむ、よく分からない。僕はまた沈黙しながら、キレの悪い頭を回転させた。母はじっと、優しげな目で僕を見つめている。しばしの後、僕はのろのろと口を動かした。


「余計に友梨奈と仲が悪くなっちゃうこと、かな……」

「何故?」

「え?」

「どうして友梨奈ちゃんとの仲を気にするの?」

「そ、そりゃあ友梨奈は……」


 大事な友人だから、と言いかけて、僕は口をつぐんだ。

 そう、友梨奈は飽くまで友人なのだ。里香だって、告白していない以上は友人なんだろうけど、僕は彼女を恋愛対象として見ている。友人よりも大切な存在だ。


 母は優先順位をつけろ、とでも言いたいのか? 友梨奈と里香、どちらが大切なのかということで?


「ねえ、竜太」


 母は手を伸ばし、僕の手の甲に掌を載せた。


「人間、人生を送っていくってことはね、何かを捨てながら生きていくってことなのよ」

「捨てながら……?」

「残酷なことを言うようだけれど」


 じっと僕は母の瞳を見返した。


「あなたと友梨奈ちゃんの関係は、変わるべきポイントに来ているのよ。あなたが里香ちゃんやお爺ちゃんのことを大切に思うなら、友梨奈ちゃんを傷つけるようなことがあっても仕方ないかもしれない」

「そんな……」


 まるで崖っぷちに立たされたような気分だ。怖い。他人に嫌われるのがこんなに怖いことだとは、思ってもみなかった。


「後はあなたの勇気次第よ、竜太。何とかしてご覧なさい。自信がつくから」

「自信……」


 僕はその言葉を復唱した。小さい頃から言われてきたことだ、『自信を持て』と。

 母にここまで言われてしまった以上、あとは僕が『やるか、やらないか』という問題なのだろう。

 母は優しく目を細めながら、僕の肘を擦ってこう言った。


「強くなって、竜太」

「強く……」


 再び沈黙するダイニング。母と二人で沈黙することしばし。


「あら、そろそろお父さんが帰って来るわ。お味噌汁温め直さなくっちゃね」


 そう言って母は何事もなかったかのように立ち上がり、微かに頷いてクッキングヒーターへと向かった。


         ※


 翌日。重い足を引きずるようにして登校すると、一年生の廊下に里香が立っていた。


「おはよう、竜太」


 おっとりと笑顔を見せてくる里香に、僕は陰鬱な雰囲気で『おはよう』と一言。


「さっき柏木さんが来たところだから、もう話しに行こうか?」

「うん……」


 問題は『やるか、やらないか』なのだ――再び自分に言い聞かせる。

 できることなら、僕が一人で向かうべきだった。里香の前で、友梨奈が何を言い出すか分かったものではないからだ。場合によっては、里香にショックを与えてしまうかもしれない。

 だが、一人で他クラスに突入するだけの勇気は、僕にはなかった。里香がいてくれればこそ、どうにかなると思えるのだ。


「竜太?」

「ん? ああ、じゃ、行こう」


 と、その時。


「ちょっと待って」


 先行しかけた里香を、僕は引き留めた。同時に、入り口近くにいた男子に声をかける。


「す、すみません、柏木さん、呼んできてもらえますか?」


 するとその男子は妙なリアクションを取ることなく、僕に振り返った。


「ああ。ちょっと待ってて」


 どうやら変だとは思われずに済んだらしい。だが、いざ友梨奈を前にしたら、僕の独力ではどうにもならないような気もしてきた。やはり、里香にはそばにいてもらいたい。

 などなど考えていた僕を現実に引き戻したのは、誰あろう友梨奈の元気な挨拶だった。


「おっはよー、竜太! 牧山さんも! どうかしたの? 怖い顔して」


 友梨奈は僕の顔を下から覗き込むように、おどけた調子で見つめてくる。いつもの友梨奈と変わらないようだ。


「あのさ、友梨奈、一つ頼みたいことがあって……」

「なになに? 聞くだけならいいからなんでも言ってご覧なさい!」


 僕は一度、ゴクリと唾を飲んだ。


「友梨奈のお父さんの力を借りたいんだ。住職さん、だったよね?」

「ええ」


 笑顔を絶やさない友梨奈。


「うちの爺ちゃんが亡くなったことと関係があって……。どうしても協力してほしい。お父さんに会わせてもらえないかな?」

「なあんだ、そんなこと! 全然問題ないよ!」

「本当に?」


 僕が確認すると、友梨奈はスマホを取り出した。そのまま耳に当て、会話を始める。


「あ、お父さん? 今日の夕方って暇? ――うん、分かった。ありがと」


 スマホを仕舞いながら、友梨奈はこちらに振り返った。


「大丈夫だって。放課後にでも来なよ!」

「あ、ありがとう。感謝するよ」

「なーに水臭いこと言ってんの! もう授業始まっちゃうよ? さあさあ、帰った帰った!」


 蚊を追い払うような仕草をしながら、顔を逸らす友梨奈。


「じゃあ、また放課後に」


 と僕が告げる頃には、友梨奈は女子グループの元へ戻っていくところだった。


「……竜太」

「何? 里香」


 ふと横を見ると、里香がなんとも複雑な表情で僕を見返してきた。口元が奇妙に曲がっている。


「どうしたのさ?」

「あのね、いいことなんだけど……。竜太くん、変わったなあって」

「変わった? 僕が?」


 大きく頷いて見せる里香。


「今まではこんなに行動的じゃなかった、っていうか、自分から他の人に声をかけるなんて、してこなかったでしょう?」

「うん、まあ」


 僕は後頭部に手を遣った。これは褒め言葉と受け取っていいだろう。だが、里香が言いたいことはそれだけではなかった。


「柏木さんと何かあったの?」

「!」


 僕は一瞬、時間が止まったかと思った。そのくらい、僕には衝撃的だったのだ。里香に、僕が友梨奈にどんな酷いことをしたか、それを悟られてしまったような気がして。


「なっ、何でもないよ、何でも……」

「ならいいんだけど」


 眼鏡の向こうの目を微かに細めながら、里香はそう言った。目を細める、という癖は僕の母にそっくりだが、意味合いが全く違う。里香の目には、心配や疑念といった負の感情が浮かんでいる。女の勘、というやつか。

 微妙な雰囲気のまま、僕たちは自分たちの教室へと引っ込んだ。


         ※


 その日の放課後。僕たちは友梨奈の家へと向かっていた。メンバーは今朝の三人だ。

 なんだか雨の匂いがする。空を見上げれば、黒々とした雲が頭上に覆いかぶさろうとしていた。傘を持ってこなかったこと、天気予報を見逃してきたことを後悔する。

 里香と友梨奈は、何とはなしに当たり障りのない会話をしていた。どうやら毎週金曜夜の刑事ドラマに、二人共ハマっているらしい。二人の間に険悪な空気がないことに、僕は心からほっとした。


「せっかくだし、境内から入らない?」


 そう提案してきたのは友梨奈だ。


「去年改築したの。竜太は来たことあったっけ?」

「いや、改築したのは知ってたけど」

「そう? じゃあなおさらね。まあ緊張せずに、自分の家だと思って」


 いや、それは流石に無理だろう。否応なしに緊張感が増してくる。そのくらい、柏木家の寺院は荘厳な造りだった。

 僕と里香は恐縮しながら、畳の間に足を踏み入れる。するとそこでは、向こうの襖から友梨奈の父親が出てくるところだった。

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