第25話
「やあ、いらっしゃい竜太くん! 元気にしてるかい?」
「小父さん、お久しぶりです」
僕はほっと胸を撫で下ろしながら、友梨奈の父に頭を下げた。小太りの体幹の上に、文字通り坊主頭が載っている。僕は、そこに浮かんだ満面の、穏やかな笑みに救われた気持ちがした。こんな小父さんの前では、里香も友梨奈も険悪なムードにはならないだろう。
「いやあ、暑いな! 三人とも、遠慮なく上がってくれ」
小父さんにいざなわれるまま、僕たちは畳の間に上がり込む。そこには扇風機が二台回っていて、涼し気な空気を攪拌していた。
「君が牧山里香さんだね? 友梨奈から聞いているよ」
「あっ! は、はい! お世話になります!」
僕は少し警戒したが、どうやら友梨奈は、里香のことを悪く言っているわけではないらしい。里香は軽く、ふっとため息をついた。
僕と里香は、互いに補完し合いながら中間霊域のことを説明した。そこでどんなことが起こっているかということも含めて。
そう言えば、祖父のお葬式に来てくれたお坊さんは小父さんだったはず。僕は自分の記憶力の曖昧さを恥じた。しかし、祖父の死がいかに重大事だったかを考えれば、無理もないことだったかもしれない。意識や記憶が霞んでしまっていても。
まあ、それはいいとして。
「それで私に来てほしい、ということだね?」
「はい」
僕はゆっくりと頷いた。
「まずは、竜太くんの家に行ってみようか。私が何をすればいいのか、はっきりさせよう」
僕と里香はお礼を述べて、小父さんと一緒に立ち上がった。
「友梨奈、お前はどうする?」
「え? 私が行ってもしょうがないじゃん。留守番してる」
とのことで、結局中間霊域へ赴くのは僕、里香、そして小父さんの三人になった。
小父さんが車で送ってくださるとのことなので、僕と里香はありがたく便乗した。二人で膝を並べて後部座席に腰を下ろす。
チラリ、と里香に一瞥をくれる。するとタイミング、というか目がバッチリ合ってしまった。僕は慌てて目を逸らし、自分の鼓動を落ち着けようと深呼吸。どうしてこうなるんだ、全く。
その気まずさを破ってくれたのは、運転席の小父さんだった。
「それにしても、君のお爺さんはいい人だったよ、竜太くん」
「えっ? あ、ありがとうございます……」
「ただ、君のお父さん――竜平くんが怒るのも分かるんだ。私と竜平君は、高校時代の同級生だったからね」
おっと、それは初耳だ。
僕の考えを察したように、小父さんは父とクラスメートだったのだと告げた。
「実に生真面目な生徒でね。自由奔放な竜蔵さんとは大違いだった。まあ、性格ってのは人それぞれだから、親子で気が合わないこともあるさ」
「そう、ですか……」
小父さんは軽く肩を竦めてから、ルームミラーで僕と目を合わせた。
「君一人が背負い込むことじゃない。牧山さんもいることだし」
「ひ!」
僕は声にならない音を出した。これではまた気まずくなってしまう。
と思いきや、次に口を開いたのはやはり小父さんだった。
「この家だね? 竜蔵さんのご自宅は」
「あっ、はは、はい!」
僕は首をカクカクと上下させて、肯定の意志表示をした。
「それでは、お邪魔してみようか」
そう言って、小父さんは狭い駐車場に車を滑り込ませた。
※
三人は、僕を先頭に書斎へと向かった。
「散らかっていてすみません、いろいろあったもので……」
「いやいや、気にすることはないよ。ここで竜蔵さんと話ができるのかい?」
すると僕よりも早く答えが帰ってきた。
(おお、柏木孝之くんだな! この前は世話になった!)
「あ、竜蔵さん、声が聞こえます! 今はどこに?」
(中間霊域の中だ。だが、孝之くんには別の件で頼みたいことがあるのだ)
そこで説明役を買って出たのは女神様だった。
(どうも~、高崎竜蔵さんの中間霊域を管轄しております、女神です~)
自分で女神、って言ってしまうのか。まあ、そうとしか呼び方がないから仕方ないのだけれど。
(柏木孝之さんですね、お待ちしておりました~。あなたには、ここでお経を上げていただきたいのです~)
「でしたら木魚や座布団が必要では?」
小父さんは首を傾げたが、問題はないらしい。
(数珠のみで結構です。ここでいつも通りお経を上げてくだされば大丈夫です~)
「それで過去に行けるんですか?」
僕は確認を取ってみた。すると女神様は『それで霊力は十分得られます~』とのこと。
「小父さん、僕と里香は中間霊域に入ります。お経の件、よろしくお願いします」
「分かった。心を込めて上げさせてもらうよ」
小父さんは大きく頷いた。
「じゃあ行こうか、里香」
「ええ」
こうして僕たち二人は、中間霊域に跳び込んだ。
※
真っ先に気づいたのは、この中間霊域に響くお経だった。天から降って来るかのように、穏やかに、しかし明確に聞こえてくる。
いつも通りロッジに入ろうとすると、向こうから扉が開いた。
「おう! 二人共!」
「爺ちゃん」
取り敢えず声をかけてはみたものの、何をどう話せばいいのか分からない。これからタイムスリップをする、という実感が湧かなかったのだ。しかし、そんな僕の不安を笑い飛ばすかのように、祖父は言った。
「いやあ、また婆さんに会えるとは思わなんだ! 女神さんと孝之の坊主には礼を言わんとな!」
(皆さん、それではいいですかあ~? ここから過去に行けます~)
随分とお気楽な調子だな。と思っていると、ヴン、という近未来的な音がした。振り返ると、そこには鏡があった。ちょうど高さは二メートル、幅は一メートル近い。僅かに地面から浮いており、軽くまたいで向こう側へ行ける態勢が整っている。
「じゃあ、僕から入ってみるよ」
僕は持ち込んだデジカメをいじりながら、過去への鏡を跨ごうと試みる。
「大丈夫か、竜太?」
「え?」
思いがけず声をかけてきたのは祖父だった。
「爺ちゃん、何か心配なの?」
「いや……。何でもない」
しかし、祖父の声音に心配の色が浮かんでいるのは容易に察せられた。
もちろん、僕とて全く不安がなかったわけではない。異世界の、それも過去へ行くなんて。
だが、僕の胸には母の言葉が刻銘に残っていた。
『強くなって』
僕は今までの僕じゃない。強くなるには、何事にも挑戦してみなければ。
「爺ちゃんも里香も、急がなくていいからゆっくり来て。それじゃ女神様、行ってきます」
(ごゆっくり~)
僕はふっ、と一呼吸置いてから、その鏡状の境目に足を踏み入れた。
※
足は、ちょうどリノリウムの床を踏みしめた。
「よっ、と」
もう片方の足も、抜き足差し足で引っ張り込む。同時に顔を差し入れると、薬品特有の匂い、いかにも病院という空気感が、僕を包み込んだ。そんな僕の視線の先にいたのは、紛れもなく『その女性』――。
「婆ちゃん……」
僕は、強烈な脱力感と共に呟いた。膝から崩れ落ちそうになる自分を、なんとか立て直す。
その病室は、個室だった。祖母の口元には人工呼吸器が取り付けられ、骨と皮しかないような腕には点滴の針が刺さっている。
おぼろげとはいえ、僕の胸には確かに祖母との記憶が残っている。祖父と同じくらい、僕に優しかった祖母。そんな彼女の今の姿は、僕が見つめ続けるにはあまりにも過酷だった。
軽く深呼吸し、目を逸らす。すると、ちょうど壁掛け時計が目に入った。午後九時四十五分。ベッドのそばに置かれたカレンダーを見ると、入院から一週間後であることが分かった。
この年の十二月二十四日。誰が忘れるものか。祖母の命日だ。
確か、午後十時ちょうどに僕たちが来て、祖母を看取ったのだ。当時の僕に『死』という概念は掴みどころのない、曖昧なものだったけれど。
すると、背後で人の気配がした。この過去世界の誰かと出会うのはマズいのではと思ったが、現れたのは里香だった。
「竜太、大丈夫?」
「ああ」
僕は顔がぐしゃぐしゃいなっているのを悟られまいとして、無理やり逸らす。
すると間を置かずに、祖父が入ってくるところだった。
「おい婆さん! 会いに来てやった――」
と陽気な声を上げたのも僅かな間のこと。祖父はベッドに横たわる祖母を認め、呆然とした。祖父のこんな顔は見たことがない。
「ば、婆さん……?」
急に膝が脱力したかのように、祖父はよろめきながらベッドに縋りついた。
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