第23話◎
翌日。中間霊域にて。
今回から、中間霊域へと入るためのファイルは『冬④』となっていた。半袖で来てしまった僕は、あまりの寒さに自分の想像力のなさを呪ったが、ひとまず落ち着いて周囲を見渡すことにする。
雪は今は降っていないが、僅かに積もっている。十二月中旬くらいの感覚だろうか。
幸いにして、ロッジはすぐに目に入った。拳でトントンと、少し強めにノックする。
「じ、爺ちゃん、は、はは入っていいかい?」
「おう、竜太か。寒いだろ、さっさと入れ」
その声からして、祖父が人型の状態であることが分かった。脳内に直接ではなく、耳を通して祖父の声が聞こえてくるのだ。
歯をガタガタさせていた僕は、ありがたくロッジへと踏み込んだ。
「おう、竜太! ……って何をやっとるんだ? 寒いだろうに」
「爺ちゃんが『冬のファイルを開け!』って言ったんじゃないか!」
祖父は長袖のシャツの上にカーディガンをまとっていた。暖炉には火が灯っており、そばの椅子には里香が座っている。きちんと長袖のパーカーを着た姿で。
里香は、祖父の前では物おじせずにいられるらしく、僕のことを心配してくれた。
「竜太、大丈夫? 風邪ひかないように、これ……」
と言ってパーカーを脱ぎ始めた。
「ちょ、り、里香、何を……!?」
女性の着替えに全く免疫のなかった僕は、慌てて顔を逸らす。一体里香は何を考えているんだ?
「ほら、ちゃんと受け取れ」
「え?」
祖父に促されて僕が顔を戻すと、里香はパーカーを差し出していた。自分の足元を見つめるように俯き、頬を赤く染めている。
「あ、ありがとう……」
おずおずと受け取る僕。祖父の方を見たが、祖父は頷いてみせるだけだ。
これは着るしかない、か……。
僕はもぞもぞと里香のパーカーに腕を通し、それから頭に被るようにして着込んでいく。微かに洗剤の清潔な香りがした。
僕が頭をすっぽり出すと、里香は既に自分の席に戻っていた。これまた長袖のトレーナーを着ている。寒がりなのか。
そんな僕たちを、祖父はニヤニヤしながら見つめていた。
「里香、さっきからこの加湿器の調子がおかしいんだ。見てもらえるか?」
「あっ、はい!」
里香は眼鏡の向こうの目を輝かせ、部屋の隅に置かれた機械の方へと向かっていく。すると祖父は、足音を低めながら僕の方へと向かってきた。
「どうしたの、爺ちゃん?」
「竜平の奴、何と言っとった?」
「え? 何を?」
「その……婆さんのこととかだ」
僕は思わず息を飲んだ。
「婆ちゃんのこと?」
「そうだ。竜平はわしには会おうとせんだろうが、わしは息子に恨まれながらでは成仏できん。どうにかならんもんか?」
「そうだね……。爺ちゃんが婆ちゃんに謝る現場を、このデジカメで撮影できればいいんだけど」
「わしが婆さんに謝るのか?」
祖父はずいっと僕に顔を近づけてきた。僕は頷きながら首肯する。
「うん。それしかないと思う。未だに父さんは、爺ちゃんのことを恨んでいるんだから」
「む……」
一番いいのは、祖父を祖母と直接会わせて謝罪させることだ。しかし祖母は、もう中間霊域にはいない。他人の霊域に入れるのか否かは不確かだし、祖母は亡くなってから、とっくに四十九日は過ぎている。当然のことだ。
「どうしたもんかなあ……」
(お困りですか~?)
「うわっ!」
「おう、女神さん」
驚いたのは僕、淡々と答えたのは祖父。女神様は、緑色の球体の姿でロッジの中をふわふわしている。
「どうかね女神さん、中間霊域の中で構わんから、過去に戻ったりできんもんかね?」
(それは難しいですね~)
「当たり前だよ爺ちゃん……」
僕は肩を落としながらそう言った。
だが、待てよ。
僕は今、亡くなったはずの祖父とこうして話をしているのだ。これは世間一般で受け入れられる事象ではない。でも、嘘や虚構ではない。現実とは言い切れないが、事実だ。
もしかしたら、過去へ行くこともできるのではないか……?
唸りながら顎に手を遣っている祖父をよそに、僕は女神様に呼びかけた。
「過去に戻るのは難しいんですね? 『不可能』ではなく」
(そうですね~、不可能ではありませんが)
女神様、歯切れが悪い。
「何か方法があるんですね?」
(はい。ただし、大変ですよ)
「大変、とは?」
(中間霊域のことを信じてくれて、尚且つ霊との対話に長けている――。そんな人物が必要です)
うーむ、誰だろう? 霊との対話? どういうことだ?
「あ、分かった!」
「え?」
嬉々としてこちらに振り返ったのは里香だった。
「お坊さんとか神主さんじゃないかな? だって竜蔵さん、四十九日間はここにいられるんでしょう? 亡くなってから四十九日を区切りにする、っていうことは皆分かってることだし、お寺や神社を司る人なら、きっと力になってくれるよ!」
「でもさあ、里香」
僕は顔をそちらに振り向けた。
「そんな人、いるかなあ? 中間霊域のことを信じてくれるなんて。少なくとも僕の知り合いにはそんな人――」
「いるじゃない!」
「誰?」
「柏木さんの家、お寺じゃない!」
僕は思いっきり前のめりに転倒した。足元には何もないのに。
「竜太と私から友梨奈さんに話してみて、お願いしようよ! って、大丈夫、竜太?」
よりにもよって、友梨奈に協力を仰ぐのか。今の僕にはあまりにも高いハードルだ。
「ねえ、どう? このアイディア」
「……」
「おい、どうしたんだ、竜太?」
祖父もまた心配そうに覗き込んできた。だが、僕にはまだ友梨奈とのことを打ち明ける勇気はない。僕は何とか立ち上がって、声を絞り出した。
「そ、そうだね……。そうしようか」
「大丈夫、竜太? 何かあったの?」
「いや、な、何でもないよ」
パタパタとパーカーを叩きながら、『明日、友梨奈に相談してみよう』と一言。
「おお! そういえば柏木の家は寺だったな! わしも賛成だ!」
「じゃ、じゃあそういうことで……」
僕は喉にラムネ瓶のビー玉が詰まってしまったように感じた。まともに息ができないほどのプレッシャーが、僕の胸を締めつける。
友梨奈は僕のことを、まだ好きでいると言った。一種の宣戦布告をしていったのだ。そんな僕が、彼女の仇であるところの里香と一緒に頼み事をしにいったら、一体どんな反応を示すだろうか。
かと言って、じっとしているわけにはいかない。祖父を無事、無念なく成仏させるには、どうしても友梨奈の協力が要る。僕は腹を括るしかないらしい。
※
中間霊域から戻り、自宅に着いた僕は、いつものようにベッドに大の字になった。しかし全身が重く、特に胸が痛みを覚えるような錯覚に陥る。こんな感覚に囚われるのは初めてだ。
「どうしろってんだよ……」
僕はドアに背中を向け、額に手を遣りながら転がった。
今まで僕の姉のような立場だった友梨奈。なんだかんだ言って、僕を支えてきてくれた友梨奈。そんな彼女の想いを裏切りながら、僕は一体何をしているんだろう? 誰に相談すれば――。
その時だった。
「竜太、ご飯にしましょう。お父さん、今日も遅いって」
「ああ」
短く答え、身体を反転させる。のろのろとベッドから足を下ろし、ふらふらとドアへ向かう。
「って、いるじゃん!!」
僕は何の脈絡もなく叫び声を上げた。一気に四肢に血が巡りだしたような勢いで、僕は階段を駆け下りる。そしてダイニングへ跳び込んだ。
「か、母さん!!」
「どうしたのよ、竜太? そんなに慌てて……」
「落ち着いて、僕の話を聞いてほしいんだ!!」
すると、母は頬に手を当てながら目を細めた。
「あらあら、もしかして心の病? 恋煩いかしら?」
「そう! ちょっと僕と友梨奈と里香のことで……」
「へえ~、あなたも隅に置けないじゃない! 両手に華ね!」
「うん! だからこそ問題が――って、え?」
「え?」
僕と母は同時に目を見開き、互いをまじまじと見つめた。
「冗談でしょう、竜太? そんな、あなたみたいな優しい子が二股だなんて!」
「ちっ、ちがっ、違うよ母さん! 落ち着いて聞いてよ!」
僕は話した。僕たち三人のことを。篤のことも少し加えた。
しかし意外だったのは、祖父や里香には話せなかったことが、母には自然と話せたということだ。これが母性というものなのか。
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