第20話

 先ほどまで気づかなかったが、どうやらこの森林の中はもとの世界よりも涼しい感じがした。大木の葉が太陽光を遮っているからだろうか。それとも主人公補正だろうか。

 いずれにせよ、僕たちが移動に困ることはなかった。


(さあさあ、誘導するからついて来とくれ!)


 祖父はおおはしゃぎで、僕たちの前方でふわふわ浮かんでいる。誘導してくれるのはありがたいが、どこに連れていかれるのか、また、先輩が恐竜を見て驚かないか、それが心配だった。一応、先輩には恐竜の存在は知らせておいたのだけれど。


「里香、何か気配は?」

「特に危険な動物は近くにはいないみたい。でも油断しないで」

「了解だ」

「ほほう、ファーストネームで呼び合うとは! キミたちも隅に置けぬようだな!」

「ちょっと先輩! 静かにしてください! 今この瞬間だって、何かが僕たちを狙っている可能性が――」


 と言いかけた、まさに次の瞬間だった。


「ふっ!」


 里香が振り返り、短刀を投擲した。その刃は僕の髪を僅かに切り、先輩のシャツを掠めて、突き刺さった。ラプトルの喉元に。


「なっ!?」


 僕が声を上げた時には、ラプトルは短刀の勢いそのままに後方に倒れ込むところだった。


「前言撤回するよ、竜太! こいつら、学習してる! 殺気を感じさせずに私たちを包囲したみたい!」

「何だって!?」


 すると、もはや隠れる必要はないと踏んだのか、ラプトルたちがゆっくりと木陰から現れた。その数、八頭。しかも前回遭遇した連中より、隠密行動に長けていると見える。足音さえ聞こえない。


(おおっ! 邪魔が入ったな!)

「嬉しそうに言わないでくれ、爺ちゃん!」

「冒険らしくなってきたではないか! なあ、ブレイブ・ボーイ!」

「先輩は伏せていてください! あなたの腕がやられたら、僕たちの計画は台無しです!」


 僕が長剣を構え、能天気な二人に注意を促す。その間に、里香は短刀に代わる武器を装備していた。小ぶりなサーベルを、逆手に握りしめたのだ。

 これなら、ちょうど殴りつける要領で、敵に斬撃を加えることができる。


「里香、格闘戦に持ち込むつもりか?」

「うん。竜太一人に任せるわけにはいかない」


 僕と里香は、背中合わせになりながら周囲を見回した。

 八頭のラプトル。


 次の瞬間、一瞬のうちに大きな動きが重なった。

 左側から攻め込んできたラプトルを、里香が思いっきり殴打する。もちろん、サーベルを装備したままで。しかしラプトルは跳躍した勢いを殺さず、深手を負いながらも里香を狙ってくる。距離を取ろうとする里香。


 その気配を感じた僕は、自ら一歩踏み出し、正面のラプトルに斬りかかった。僕の突然の挙動に虚を突かれたのか、一頭はあっさり斬り倒される。

 僕はその場でわざと動きを止め、深呼吸を一つ。全く無防備な姿勢だ。それを不審に思うまもなく、ラプトルの牙が襲ってきた――両脇から。すると、僕がしゃがみ込むだけで、ラプトル二頭は頭からぶつかって昏倒した。そこを逃さず、僕は素早く二頭のラプトルの首筋に長剣を突き立てた。


 振り返ると、里香が最初のラプトルの心臓を切り裂くところだった。残り五頭。


「これはすごい勝負だ! 是非ともカンバスに収めたい! 皆、一旦動くのを止めてくれ!」

「無茶言わないでください!」


 とは言いつつも、確かに状況は振り出しに戻っていた。ラプトルの数が減っただけだ。

 包囲されつつ、再び背中を合わせる僕と里香。


「里香、どう出る?」

「私、囮になる」

「何だって?」


 里香が囮に、だと?


「だったら僕が代わりに――」

「ううん、それではこの作戦は成り立たない」

「作戦って?」


 僕はラプトルたちから目を逸らさずに問うた。すると里香は、


「今は主人公補正がかかってるから、あなたにはラプトルを一気に殲滅する力が与えられている。私はちゃんと避けるから、心を静かに。集中して、剣に全てを任せて」


 当然ながら、僕は戸惑った。剣は道具で、持ち主は僕だ。それなのに『剣に任せろ』だって?


 だが、考えている暇はない。『剣に任せろ』――その言葉を証明するように、剣は微かに、しかし鮮やかな青色を帯びている。


「私が飛び出したら、すぐに剣を振るって」

「さ、作戦ってそれだけ?」


 頷く気配が背後から伝わってくる。


「大丈夫。あなたはこの物語の主人公なんだから」


 その時、ドクン、と胸が高鳴った。まるで握り潰されようとしていた心臓が、一気に覚醒して脈を打ち始めたようだ。

 僕が、主人公……?


 実感はない。自信もない。だが、これは僕に課されたミッション。僕と里香との共同戦線。そして、祖父のためになること。つべこべ言う暇があるだろうか?

 答えはもちろん、『否』。


「三つ数えたら私が真っ直ぐ突撃するから、思いっきり剣を振り回して」

「……分かった」

「それじゃ」


 里香はさっとカウントダウンに入った。僕は少しだけ長い瞬きをして、すっと息を吸った。


「三、二、一、零!!」

「はあああああああ!!」


 剣は、まるで僕の腕と同化したかのように自在に動いた。と言っても、動きはいたってシンプル。その場で刃を横向きにし、三百六十度、思いっきり一回転したのだ。五頭のラプトル全てが、いっぺんに首を刎ね飛ばされた。


「はあっ!」


 その手応えから勝利を確信した僕は、剣を地面に突き刺して荒い息をついた。剣はメタリック・ブルーに輝いていたが、それもすぐに元の銀色に戻った。

 背中に差し入れると、何かが僕に背後からぶつかってきた。


「やった! やったよ竜太!」

「り、里香!」


 里香は僕の肩を握って半回転させ、正面から抱き着いてきた。

 微妙に柔らかな膨らみがシャツ越しに当たってくるのだが、里香は気にしていない模様。

 それに対し、母以外の女性に抱き着かれたことのない僕は、すっかり赤くなってしまった。


「あ……」

「どうしたの、竜太?」

「いっ、いや、何でもない!」


 慌てて背を向け、鼻元を拭う。この程度で鼻血って、変態か僕は。しかし――。


「里香、こう言っちゃなんだけどさ」

「何?」


 興奮冷めやらぬテンションで、里香が尋ねてくる。


「君って、機械いじり以外でもこんなに喜ぶんだね。教室じゃ随分静かだったから、これほど喜怒哀楽がある人だとは思ってなかった」


 そんな僕の心境の吐露に、里香は笑顔のまま答えた。


「そんなことないよ! 嬉しい時は喜ぶし、悲しい時は泣くんだよ!」

「そ、そう?」

「竜太は違うの?」


 問い返されて、僕はしばし黙考した。

 考えてみれば、どうも両親の前では感情を押し殺してきたような気がする。あるいは、両親の望む息子であり続けようとしたのか。ご機嫌伺いに必死になって。


 そんな僕が心を許せた身内は、確かに祖父だけだったかもしれない。


(あー、お二人さん!)

「うわ! なんだよ爺ちゃん!?」


 僕は跳び上がらんばかりに驚いた。


(ちょうどトリケラトプスの群れがやって来るぞ。さっさと移動せんとな)

「あ、ああ、分かった!」


 僕は周囲に目を巡らせた。すると、すぐに蚊帳の外になっていた人物が目に入った。


「岡倉先輩、何やってるんですか?」

「見て分からんかね? スケッチだよ」

「よくこんな状態で絵が描けますね!」


 と僕が怒気を強めて言うと、


「こういう時だからこそ描くんだよ。同じ情景でも、平常心の時とパニック状態の時とで、作品そのものが大きく変わってしまうからね」


 いやいや、そもそも自分が食い殺されるかもしれない状況下で、スケッチしようとする心境の理解に苦しむ。


「竜太、早く移動しないと」

「ああ。先輩、早く立ってください! 里香も待ってますから!」

「あと五分! 五分だけ待ってくれ!」


 遅刻の常習犯か、この人は。

 僕は振り返り、里香に向かって肩を竦めて見せた。しかし、里香はどこか諦めの境地にいるようだった。


 それから三十秒ほど経っただろうか。


(お~いお前ら、恐竜が来ちまうぞい)


 と、おどけた調子で祖父が言った。


「私はここに残る……。竜太くん、里香くん、どうか幸せに暮らしてくれ……」

「そんな下手なお芝居は結構ですから、行きましょう、先輩」

「なっ!」


 先輩は、自分の道化っぷりが冷淡な評価を受けたことで驚いたようだ。しかしすぐに気を取り直した様子で、スケッチブックをリュックに背負い込み立ち上がった。


(では参ろうぞ。ついて来てくれ)

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