第5話◎
片手を腰に当てながら、女神様は
「大抵、中間霊域に召喚された人間は、その事実を忘れてしまいます。あるいは、夢だったのだと思い込むような場合がほとんどですね。だからこそ逆に、たまに記憶が断片的にでも残っている人がいると、『私は霊に会った!』とか『自分は霊能力者だ!』と騒ぎ始めるわけです」
『人間は扱いが難しいですね』と、軽く嘆息して見せる女神様。
「まあそういうわけで、竜太さんも他人事だとは思えない事態になっているのはお分かりですか?」
「へ?」
「竜蔵さんは、強烈な遺志の下、あなたに頼みごとがあるそうです」
「ぼ、僕に?」
僕は一抹の驚きと、大変な不安を覚えた。慌てて祖父の方へと振り返るが、祖父は全く笑みを崩す気配はない。
僕に一体、何をしろというのだろう? こんな何の特技もない、どこにでもいるようなただの高校生に?
すると僕の不安を察したのか、祖父が口を挟んできた。
「竜太、お前はよく言っていたな。自分はただの高校生だと。だから将来的にはあまり期待しすぎないでくれと」
「ああ、うん」
僕は祖父の方を向き、頷いてみせた。
「正直、わしにはそうとは思えんのだ。お前は人より努力家で、心に芯が通っている。だが、自信を持てないでいるというのが実際のところだ。違うか?」
「ん……」
それは祖父が生前、それこそ耳にタコができるほど僕に言ってきたことだ。しかし、こうした遺志として、未練として聞かされると、何というか……重みがある。
「そこで提案だ。お前が今日開いたファイルには『①夏』と書いてあったな?」
「うん」
「あの本箱には、今日と同じ仕組みのファイルが入っている。わしが成仏せねばならない四十九日間のうちに、竜太にはその全てをクリアしてもらう!」
僕は言葉を失った。僕が亡くなった爺ちゃんの課題をクリアする、だって?
「三日間はもう過ぎてしまったからな。あと四十六日だ」
「も、もしその期間を過ぎてしまったら……?」
祖父はふん、と鼻を鳴らしながら、
「ま、成仏はできんだろう。背後霊として一生お前に憑きまとうことになるかもしれん」
僕はポカンと口を開けて、そのまま口が塞がらない状態だった。リンゴか何かを顎で挟んで、そのまま固定されてしまったかのように。
しかし背後霊とは。酷いもんだな……。いや、僕の扱いが。祖父が背後霊になるのは祖父の勝手だし。
「では、具体的なお話はどうぞお二人で! 何かあったら呼んでくださいね。あ、あと瞼をぎゅっと閉じるのを忘れないように!」
すると、女神様は祈りを捧げるようなポーズで膝をつき、両手の指を組み合わせた。
「お二人共、目は閉じましたね? それでは~」
なんとも気楽な声と、とんでもない量の光の筋を残して、女神様はこの場から消え去った。
その場に残された、僕と祖父。
「竜太、嫁さんを貰う時は、あんな風に目の保養になるような女性を選ぶんだぞ」
「なっ、ななな何言ってるのさ爺ちゃん!?」
「何って、人生の知恵だ。わしの場合は――」
と言いかけて、祖父は言葉を止めた。何やらごにょごにょと呟いていたが、僕の耳までは届かない。
祖父のことだ、どうせ『婆さんも昔はあんなに綺麗だったんだぞ!』とでも言い出すのかと思っていた。が、そうではなかったらしい。
僕が声をかけようかと迷っていたところ、
「おお、そうだ!」
と、わざとらしく掌を打ち合わせ、祖父は
「最初のミッションだ」
そう言ってロッジの奥へと引っ込んだ。
ものの数秒もかからなかった。祖父は黒い、随分と古びた機械を取り出してきて、中央のテーブルに置いた。
「これって……トラジスタラジオ?」
「うむ。よく知っとるな。世界で作られて発売された一号機だ」
胸を張ってラジオを見せつけてくる祖父。そう言えば、祖父の寝室にいつも置いてあったな。『静かすぎると眠れん!』とか言って、毎晩適当な局の放送を聞いていたっけ。
「差し当たって、お前にはこいつを修理してもらう」
「ぼ、僕がこれを?」
外見に損傷は見られず、電池も入っている。しかし、どれだけダイヤルを捻っても、聞こえてくるのは砂嵐の雑音だけ。どこか部品の接触が悪いのだろうか。こうなってしまっては、機械オンチの僕にはどうにもできない。
「お前のクラスにだって、こういうのに詳しい奴はいるだろ? 頼んで来い」
「つ、つまり……?」
「お前が依頼するんだ。その、機械に強い奴に」
僕は崖っぷちに立たされたような気分になった。しかも頭上には暗雲が垂れ込めているというおまけ付き。何故なら、
「ぼ、僕、友達いないんだよ!?」
そう。僕は小学生以来、ずっとぼっちなのだ。
いじめられてきたわけではない。シカトされてきたわけでもない。けれども、通信簿にはいつも『消極的だ』とか『協調性がない』とか、散々書かれてきた。
そんな僕に、一体どうしろと? 優秀な同級生――きっと取り巻きがたくさんいるんだろうな――に近づいて行って、『突然だけど、これを直してくれない?』とでも頼むのだろうか? 相手は僕の存在すら知らないかもしれないのに?
「む、無理だよ爺ちゃん!」
「やってみてから言うんだよ」
「そんな乱暴な……」
と言いながら、僕はそばにあった椅子に腰かけ、頭を抱えてしまった。
そんな僕を見ながら、嘆息する祖父。
「仕方ねえな、じゃあわしからヒントだ」
「ヒント?」
「ああ」
僕が顔を上げると、祖父は呆れたような、憐れむような、取り敢えず変な顔をしていた。
臆病な僕も悪いけれど、人にものを頼んでおいてそんな顔をする祖父に対し、僕は少しばかりカチンときた。
「じゃあ何だよ? ヒントって」
すると、僕が食いついてきたのが嬉しかったのか、
「知りたいか?」
と言って口元を緩める祖父に、
「ああ、教えてくれよ」
僕は素直に頼んでみた。
「お前、一年A組だったよな?」
「うん」
「B組にいるじゃないか、絶好の相談相手が」
「相談相手?」
もし平時であったなら、僕には誰のことだか分からずじまいだっただろう。だが、祖父の葬儀の場面で二言、三言言葉を交わした『彼女』の存在を、僕は思い出した。
「柏木さんのこと?」
「おう、そうだ!」
祖父は腕を組み、満足気に頷いて見せた。
柏木友梨奈。僕の幼馴染で、僕とは対照的に活発で明るい女子だ。そして当然ながら、友達も多い。名前に『友』が入っているくらいだし。
そうは言っても、祖父の葬儀の時は慎ましく、実感の持てない僕の代わりに涙を流してくれた。知人としては、大変好感を持てる人物だとは僕も思う。
しかし、そんな彼女こそ、取り巻きが多いのではないか。そんなグループの輪の中に、しかも他クラスからやって来て声をかけるのは非常に困難に思われた。
「おいおい、何を悩んでるんだ、竜太!」
呆れ半分、叱咤半分で祖父が僕の背を叩いてくる。そんな祖父の手から逃れながら、
「だって柏木さんだよ? 別クラスだよ? 一体どうすれば……」
「どうもこうもあるか。教室の入り口で『柏木さん呼んでくれない?』って適当な奴に頼めばいいじゃないか」
て、適当な奴って……。同級生とはいえ、赤の他人だ。そんな人に声をかけるのは、やはり勘弁願いたい。
「うぅ……」
「まーったく、度胸のない奴だな! それでもわしの孫か!」
祖父はこめかみのあたりを掻きながら、
「取り敢えず、明後日からは学校に行くんだろ?」
「うん」
「ピンチはチャンスだ、堂々と行ってこい!」
「うん……」
僕の姿があまりに脆弱に見えたのだろう、祖父は今度は頭をガシガシと掻きながら
「明日は来なくてもいいから、何とか自信を持てるように努力しろ! いいか?」
自信をもつための努力なんて、一体どうしろというのだろう。
そう思った僕の目に、すっと光が差し込んできた。夕日の橙色だ。
「おおっと、こんな時間まで話し込んでしまっていたとは! うっかりしとった!」
祖父は僕の腕を握り、ロッジの外へと連れ出した。
「今日の話はこのくらいだ。中間霊域の経過時間は現実世界と同じだから、今帰ったらちょうど晩飯だろう。送り返してやるから、しっかり食ってしっかり寝ろ!」
すると祖父は僕の両肩を掴み、そちらに振り返らせた。ゆっくりと右手の人差し指を僕の眉間に当てる。
「では、さらばだ、我が孫よ!」
そんな大それた台詞はいらないだろうと思ったけれど、どうやら僕は現実世界に帰されるらしい。中間霊域に入るのと同じように、急な睡魔が襲ってきて、僕はその場に膝をついた。
転倒を防ぐため、両手を突っ張ろうとしたが、その頃にはもう僕の意識は沈み込んでしまっていた。
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