第15話
「遅かったな、竜太」
出迎えに立っていたのは、母ではなく父だった。肩幅の広いスーツ姿。先ほど帰ってきたところらしい。
「あら、お帰り竜太! 晩御飯を温めなおして――」
「待ってくれ、母さん」
父は母――『母さん』と呼んでいる――の眼前に手をかざし、続く言葉を止めた。
「竜太、こっちに来てくれ」
「……うん」
僕は肩を落としながら、客間へと向かう父の後を追った。
帰りが遅かったのを咎められるのだろうか?
「さ、入るんだ」
父は飽くまでも紳士的な態度を崩さず、僕をソファへといざなった。僕の横を通り抜けて、真正面、上座のソファに腰を下ろす。
僕はもう一度、自分が何をしてしまったのかを考えた。やはり何の連絡もせず、こんな遅くまで帰宅しなかったのはまずかった。
が、それは僕が父に叱られる原因の、三割程度の要因にすぎなかった。
「最近帰りが遅いそうだな。母さんから聞いたぞ」
「まあね。お爺ちゃんの遺品の整理をしなくちゃいけないから」
「それはそうだ。竜太に頼んだのは父さんだものな」
あれ? あまり怒っていない? だが、父はずっと僕を見つめたまま。まだ退室は許されていないようだ。
すると、父は突然眉間に手を遣った。
「竜太」
「うん」
「お前、あの家で何をしている?」
え? 何だって?
「もう一度訊くぞ、竜太。お前は竜蔵さんの家で何をしている?」
僕は父から目を離すこともできず、数回瞬きをした。
「な、何って、遺品の整理を――」
「それだけか? それだけで、こんな夜遅くになるまで連絡もせずに片づけをしていたのか?」
「い、いや、だいぶ散らかってたから時間がかかって――」
すると父は、白い半袖シャツの胸ポケットから何かを取り出した。自分のスマホだ。
「これを見てくれ」
画面を突きつけられた僕は、少し前のめりになってスマホの画面を覗き込んだ。
「発信履歴……」
そこには、僕の名前がずらっと並んでいた。高峰竜太、高峰竜太、高峰竜太……。
「母さんは、父さんの倍は電話していたはずだぞ。それに気づかないとは、どういうことだ?」
「ご、ごめん」
僕は咄嗟に頭を下げつつ、自分のスマホを肩掛けバッグから取り出した。受信履歴を見てみると、
「うわ!」
そこには、画面一杯に両親の名前が刻まれていた。だいぶ心配をかけたという証左か。
僕は再び『ごめん』と口にした。しかし父は、『分かればいいんだ』と一言。それだけで黙り込んでしまった。
おかしい。単に僕の深夜徘徊を責めるだけなら、母も同席していいはずだ。しかし、この部屋には僕と父しかいない。となると話題はやはり、
「話を戻す。お前は自分の祖父の家で、何をしている?」
「……」
僕は再び『遺品の整理を』と答えようとしたが、それでは父を納得させられないのは明らかだった。そんな切れ味の鋭い目で、父は僕を見つめている。
仕方ない。駄目元で正直に、ここ数日で何が起こったか説明しよう。
僕は語った。
中間霊域のこと。
祖父の四十九日間の滞在のこと。
異世界に行って、祖父の未練を断ち切る手伝いをしていること。
そのせいで、今日は連絡も取れずに帰宅が遅くなってしまったこと。
「馬鹿馬鹿しい話だと思われるだろうけど、僕は本当に爺ちゃんに――」
「いや、分からん話ではない」
「だよね、こんなこと信じてもらえるわけが――って、え?」
「私は信じよう、竜太。お前の話を」
するとようやく、父はソファに深く腰かけ、背もたれに寄りかかりながら胸の前で腕を組んだ。
「竜蔵さんの最期の言葉、お前も聞いたな?」
「あっ、うん。『わしにはまだやりたいことがある、ここで死ぬわけにはいかない』って」
「全くしぶとい人だ、あの人は」
左右にかぶりをふる父。
「亡くなってから四十九日間は、現実とあの世の境目――中間霊域、と言ったか? そこに存在できるということを、私は信じている」
僕はポカンと目を丸くした。まさかそんなオカルト的なことを、父が信用していただなんて。
「今は多くは語るまい。その時が来たら竜太、お前にも話す。だが、正直言って、あのご老体に懐くのはもはや得策ではない。四十九日後の別れが辛くなるだけだぞ」
「そ、そんな、だからって放っておけないよ!」
僕は思わず立ち上がっていた。怒りや焦りからではない。どうしても父に理解を求めたかったからだ。
「僕は爺ちゃんが好きなんだ、爺ちゃんのためなら――」
「私はそうは思わん。孫を利用してまで未練を晴らそうなどと……。お前の祖父さんは、そんな都合のいい言い分が通るような立場の人間ではない。はっきり言おう」
すると父は息を深く吸って、こう言い放った。
『竜蔵さんはろくでなしの、父親失格の道楽人間だった』と。
「な……!」
今までにない暴力的な言葉遣いの父に向かい、僕は口をパクパクさせた。かと言って適切な言葉が出てくるわけでもない。
その時、僕は胸を串刺しにされるような感覚に囚われていた。それも、氷柱で貫かれたような。
反対に、手足の先に熱い血潮がどっと集中するのが分かった。
「爺ちゃんを悪く言うなあっ!!」
僕は思いっきり足を踏み出し、中央のテーブルに体重をかける。そのままテーブルをまたいで、父に殴りかかろうとした。しかし、
「うわっ!?」
父へ延ばされた腕は、逆に思いっきり引っ張り込まれた。勢いそのままに、僕は背もたれに足を引っかけ、父の背後の床へと倒れ込む。
辛うじて頭部は守ったが、鼻先に痛みが走った。床にぶつけたらしい。
「ッ……」
大したことはないが、鼻血が出てきた。するとそれを見かねたのか、父はハンカチを投げて寄越した。が、僕はそれを無視して、シャツの袖でぐいっと血を拭った。
僕が転んだ時、確かにドスン、と大きな音がしたはずだが、母がやってくる気配はない。客間には近づくなと、父が母に釘を刺しておいたのかもしれない。
「道楽人間だって? 父親失格だって? そんな酷いこと、よく言えたもんだな! 自分の父親に向かって!」
鼻血が飛び散ったが、気にするものか。僕は腕を振り回し、声を張り上げ、喚き立てた。
僕の罵詈雑言を、しかし父は黙殺。
「何か答えろよ!!」
僕はソファの前面に回り込み、父の肩を握って揺さぶった。すると、父は音のないため息をついて問うてきた。
「竜太。お前は父さんと母さん、片方が死んでしまうとしたら、どちらがマシだ?」
「へ?」
僕の口から、なんとも間抜けな声が出る。
両親のうち片方が、死ぬ、だって? そのうちどちらがマシか、だって?
「そんなもの、選べるわけないだろう!?」
僕は父から手を離し、両腕を開いて見せた。何を言ってるんだ、父さんは?
すると父はひじ掛けにゆったりと腕を載せた。
「私……いや、父さんだってそうだ」
そう言って、父さんは顔を上げて僕と目を合わせた。
「だがな竜太、あの男は――竜蔵という男は、父さんの母さんを、つまりお前のお祖母さんを殺したんだぞ?」
「……!?」
息が詰まった。
な、何だって? 僕は先ほどからの頭の混乱が収まらず、自分がどんな挙動を取っているのかすら分からない。
「お前の記憶には残っていないだろうがな、竜太」
父はゆっくりと立ち上がり、僕を見下ろした。
「お前の祖母は、夫である竜蔵に殺されたんだ。受動喫煙による肺癌でな」
「じ、じゅど……きつ……?」
突然の四文字熟語に、僕は戸惑った。よく聞く言葉なのに、全く意味が通らない。
それに肺癌? 肺癌だって? 爺ちゃんだけじゃなく、婆ちゃんまでも?
ひとまず、受動喫煙という言葉を理解した。煙草の煙によって、直接吸っていない人まで煙草の成分を吸ってしまい、肺や気管支に悪影響が出るという現象だ。
「お前も知っているだろう? 竜蔵がいかにヘビースモーカーだったか。長く付き添っていたお祖母さんが、どれほど煙を吸わされてきたか。私は竜蔵を――父を許さないし、父だとも思わない。何せ、母を死なせた要因を作った人間だからな。それに――」
僕は父が俯くのを見た。しかしすぐに父は顔を上げ、こう言った。
「あの男、お前の前でも吸っていただろう? 葉巻を」
僕は頷くしかない。続く父の言葉で、すぐに祖父が貶されると分かっていても。
「分かってくれ、竜太。あの男は、お前命のまで危険にさらしていたんだ。許せないだろう?」
その時、僕の脳裏にとんでもない考えが浮かんだ。
「まさか、父さんは爺ちゃんが死ねばいいとでも思ってたの!?」
父は眉をぱっと上げて、目を丸くした。
「そんなわけがないだろう!! 何を言い出すんだ、竜太!!」
「爺ちゃんが僕の命を危険にさらしていたなんて、考える方が酷いよ! 爺ちゃんは交通事故から僕や里香を守ってくれたのに……!」
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます