第6話

 翌々日。


「はあ……」


 僕は深いため息をつきながら家を出た。行先は最寄りの駅。そして学校。要は、普通の生活に戻ろうというわけだ。

 曇天の空模様が、僕の心境を反映しているように思われてならない。

 ちなみに昨日の話をすっ飛ばしたのは、何も名案が浮かばなかったからだ。お題はもちろん、『いかにして自信を持つか』ということについて。


「できりゃ誰も苦労はしないっつーの……」


 三十分に一本という、なんともお粗末な運行ダイヤとにらめっこしながら、駅のホームの椅子に腰を下ろす。

 爺ちゃんから託されたミッションの件ももちろんある。だが、主に僕を憂鬱にしていたのは、周囲の反応だった。

 まあ、僕は日頃から影のような存在だから、下手にお悔やみの言葉をかけてくる知人などいないだろうとは思う。それでもやはり、僕の方からは妙な違和感を覚えてしまうのだ。胸のあたりがざわざわする。

 いざという時は保健室にでも行けばいいんだろうけど、なんだかサボるみたいで良心の呵責を覚えてしまう。どうしたものか。


 学校に到着し、クラスメートたちが朝の挨拶を交わし合う昇降口へ。僕は一旦立ち止まり、灰色の校舎を見上げる。ここで、誰か協力者を見つけなければならない。しかしその検討をつけるどころか、話しかける勇気もないときている。

 そう考えると、この何の変哲もないコンクリートの校舎が、RPGの魔王の城に見えてくる。病気だな、こりゃ。

 僕はため息をつきつつ、ゆっくりと下駄箱に手をかけた、その時だった。


「おっ! 竜太じゃねえか!」


 バン! と背中を叩かれた。


「や、やあ、榊山くん」

「久しぶりだな! って一週間も経ってねえか! ま、今日も元気にいこうぜ!」


 今度は優しくポンポンと僕の肩を叩きながら、彼――榊山篤――は廊下へと上がっていった。

 篤は僕に声をかけてくれる、珍しい人種だ。本人は誰彼構わず『LOVE&PEACE!』みたいなことをよく口にしている。だからだろう、僕にもこうして声をかけてくれるのだが、正直、僕は彼が苦手だ。

 せっかく話しかけてくれるのに、申し訳ないと思う。だが、背も高く頭もキレて運動神経抜群な彼は、僕とは住む世界が違うように思われるのだ。僕が苦手なのは、彼の性格ではなく、彼の優しさに甘えている自分の立場なのかもしれない。

 僕はわざと篤から距離を取りながら、一階の廊下を進んでいく。目指すは最奥の一年A組。篤が入室したのを確認して、僕は歩幅を広げた、その時だった。


「りゅーうーたーくん!」

「ぐえ!」


 何者かの腕が、僕の背後から首を絞めてきた。


「ワタシハダレデショウ?」

「ちょ、苦し……」


 こんなことをしてくる相手に、僕は見当がついていた。この人物こそ、祖父の言っていた僕の幼馴染、柏木友梨奈である。

 こざっぱりしたショートカットにつぶらな瞳、笑みを絶やさない口元など、チャームポイントはたくさんあって、男子からも女子からも人気がある。

 ちなみに、親戚でもない彼女が祖父の葬儀に出てくれたのは、小さい頃に僕と祖父と彼女の三人でよく遊んでいたからだ。

 それだけ。たったそれだけの関係だったが、それでも『お世話になった人だから』と言って参列してくれた。情に厚いんだなあ。彼女の泣く姿を見たのは、学校では僕だけかもしれない。

 まあ、それはいいとして。


「友梨奈、学校では僕にあんまり構わないでよ」

「何で?」


 ある意味残酷な僕の言葉を受け流し、友梨奈はこくんと首を傾げる。


「僕はあんまり目立ちたくないんだ」

「何で何で?」


 友梨奈の追及は続く。周囲、特に男子からの視線が痛い。

 僕はいつものように、こめかみのあたりを掻いた。友梨奈との会話を打ち切る際の癖だ。


「なあんだ、何にも話してくれないのね、竜太は」

「余計なお世話だよ」


 そう言って冷たく友梨奈をあしらおうとした、その時だった。


「あーーー!!」

「ちょ、何!? 竜太、どうしたの!?」


 僕は気づいた。危うく、ミッションクリアのための最善策を自ら放棄しようとしていたことに。生徒たちが目を向ける気配がして、僕は慌てて俯いた。


「友梨奈、ちょっと」


 軽く手招きをし、僕は廊下の陰に友梨奈をいざなった。


「ど、どうしたのよ竜太?」

「誰か知らないか?」

「はあ?」

「だから誰……そうだ、機械いじりが好きな奴とか」

「何よ突然……。でもそうねえ」


 と言いながら、友梨奈は顎に手を遣って考え始めた。数秒前まで僕に翻弄されていたのに、切り替えの早い、そして話の分かる奴で、非常に助かる。

 数秒後、手を打ち合わせながら『なあんだ、そんなこと!』と僕に眩しい笑顔を見せた。


「誰か見当がついたのか?」

「誰っていったら、あの人がいるじゃない!」

「あの人?」


 すると友梨奈は肩を落とし、


「全く、竜太は他人に関心がなさすぎるのよ!」


 と言って、ビシッ! と僕に人差し指を突きつけた。


「は、はあ。すみません」

 

 僕が後頭部に手を遣ると、友梨奈はその人物の名を口にした。


「牧山里香さん! ほら、小柄で眼鏡でツインテールの」

「はあ」


 僕にはピンと来ない。


「あーったくもう! 学年理系トップの牧山さんのこと! 名前くらい知ってるでしょう?」

「優秀な人に興味はないよ、僕みたいな底辺層の人間は」


 すると友梨奈は、ぱっと僕の手を取って


「あんたと同じA組の子だから話はしやすいでしょ? ほら、交渉に行くわよ!」

「あ、ちょっ、待って!」


 再び廊下に躍り出た友梨奈(と引きずられる僕)は、そのままA組へと足を踏み入れた。


         ※


「あ、友梨奈、おっはよー!」

「友梨奈、昨日はバスケ部の助っ人サンキュ!」

「ちょっと数学の宿題見せてくれない? 友梨奈様~」


 違うクラスなのに、友梨奈を迎え入れるA組の雰囲気は穏やかだった。一つには、友梨奈が陸上部でいろんな運動部の人間に顔が広い、ということがある。

 が、やはり人づきあいの上手さというか、人徳を得る巧みさというか、そういったものが、友梨奈の人生にプラスに働いている。そう解釈した方がいいのかもしれない。


「皆おはよー! 数学のノートはユウちゃんに渡しておくから、今日のお昼前には返してね!」


『はーい!』と唱和する女子の面々。そのお陰で、僕は『え、あの人誰?』という視線を喰らわずに済んだ。


「ところで、牧山里香さんの席って、どこか教えてもらえる?」

「あ、窓際の後ろから二列目だよ」


 それを聞いた友梨奈は、礼を述べてからそのまま僕を引っ張り、里香の席の前に立った。

 里香はと言えば、肘を机に着いて掌の上に顎を載せながら、ぼんやりと景色を眺めている。


「あの、牧山里香さん、ね?」

「……」


 友梨奈が話しかけるも、里香は無反応。だが、シカトしているような悪意は感じられない。気づいていないのか?


「牧山さん?」


 再び友梨奈が呼びかける。すると、ごくごくゆっくりとしたペースで里香は首を曲げ、正面に立っている友梨奈を見上げた。


「私、一年B組の柏木友梨奈。初対面でごめんね、少し頼みたいことがあって」


 すると里香は、ゆっくり自分の顔を指さし、きょとんと首を傾げた。言外に『私に?』と問いかけているようだ。

 

「ほら、竜太!」

「え?」

「何よ『え?』って! 頼み事があるのはあんたでしょう? 取り敢えず自己紹介して、用件を伝えなさい!」


 肘で小突いてきた友梨奈のせいで、僕は里香の正面に立たされた。

 相変わらずぼんやりとした表情の里香は、興味津々でもなく、かといって邪険にするでもなく、僕を見上げた。

 ええい、こうなったら僕だって自己紹介の一件や二件……!


「お、おはよう、牧山さん! 僕、一年A組の高峰竜太です! 趣味はテレビゲームとプラモデルです! 好きな教科は国語です! よろしくお願いします!」


 がばっと、僕は頭を下げた。


「そこまで言わなくていいの! 全く、誰に育てられてきたっていうのよ? あんな立派なお祖父さんがいたのに……」


 友梨奈の指摘は容赦ない。だが、何も知らない人に自らのことを伝えるには、これだけの言葉が必要だと判断したのだ。半ばやけっぱちだったが。

 僕が顔を上げると、友梨奈はやれやれと首を振っていた。前途多難、と顔に書いてある。

 しかし、僕の自己紹介の勢いに乗ってか、里香もゆっくり、ゆっくりとだが口を開いた。


「牧山里香、です」


 ……あれ? これってもしかして、コミュニケーション成立か!? やった! 初対面の人(クラスメートだけど)に自己紹介できた!

 それだけで浮かれそうになった僕を再び小突き、友梨奈は


「ほら、頼み事、あるんでしょ?」

「あ、ああ」


 僕は鞄を置いて、例のトランジスタラジオを取り出した。


「あの、これを修理してほしいんだけど……」

  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る