第27話

「里香!」


 僕は素っ頓狂な声を上げた。


「録画していてくれたのか!? 今まで!?」

「うん。竜太が竜蔵さんを引き留めた直後から」


 ああ、よかった……。


「婆ちゃん」


 僕は里香からデジカメを預かり、ゆっくりとベッドに近づいた。


「分かるかい? 僕だよ、竜太だよ。高校一年になったんだ」


 すると、今までうっすらとしか開いていなかった祖母の瞼が、これでもかと見開かれた。


「竜太、ああ、竜太……!」


 僕はそっと膝を折り、祖母と目を合わせた。

 祖母の左手を両手で握りしめる。すると、祖母は右手でそっと、僕の頬に触れた。


「私にはもうよく見えないけれど……。やっぱり竜太ね、竜太なのね」


 僕は一瞬、目を逸らした。零れそうな涙を堰き止めにはそうするしかない。するとちょうどよく、里香が僕の隣に並んだ。


「お婆さん、私、牧山里香と言います。竜太くんを慕う者です」

「!?」


 僕は一瞬で涙が引っ込んでしまった。し、『慕う』って、それ、僕の前で告白しているようなものじゃないか。


「ちょっ、里香……!」

「あらあら、聡明な方ね。そんな真面目な雰囲気が伝わってくるわ」

「ありがとうございます」


 僕は顔を戻し、里香の肩を掴んだ。


「ちょっと里香、君、一体何のつもりで……!」

「正直な気持ち、お婆様にもお伝えしたくて」

「正直な気持ちって何――」

「好きだよ、竜太」


 再び、病室が静まり返った。

 なんてこった。里香がそう思ってくれていたなんて。僕が鈍感すぎただけかもしれないけど。


「お婆様、私、高峰竜太くんを心から想っております。二人で幸せになりたいと思っています」


 僕は鼻に込み上げてくるものがあって、慌ててハンカチを顔に当てた。

 どうして鼻水が――。そう思ってハンカチを離した僕は、危うく悲鳴を上げるところだった。

 ハンカチが真っ赤だったのだ。それこそ、絵具でベタ塗りしたかのように。


「あっ竜太、どうしたの!? 血が……!」


 僕は慌てて両手で顔を覆う。しかし里香は、心配のあまり僕の腕を引っ掴んでくる。

 確かに、鼻の粘膜が弱いのは、僕の小さい頃からのちょっとした悩みだったけれど。


「お爺さん、私やあなたがいなくなっても、この子たちはちゃんと生きていかれるわ。もう思い残すことは――」


 と言いかけた、その時だった。


(皆さ~ん、そろそろ現実世界へお帰りくださ~い)


 と、何とも間延びした女神様の声がした。それと同時に、先ほどと同様の鏡が出現する。


「婆さん、俺たちはもう、現実世界に――十二年後の世界に戻らなきゃならんらしい」


 いつになく弱々しい祖父の声。だが、その反動もあってか、祖母は高らかに声を上げた。


「皆、家族仲良くね」


 そうして、祖母は目を閉じた。


「婆さん? ……婆さん!」

(おや、この時代の高峰さんご一行が到着したようですね~。早く戻ってくださ~い)


 最後に、僕たち三人は一人ずつ、祖母と手を握り合った。


「そ、それじゃあ……」

「ありがとう、竜太」


 祖母が微笑んでいる気配。僕は不器用な笑みを返し、鏡の向こうへ跳び込んだ。


         ※


 僕と里香がこの世に戻ってきた時、まず聞こえてきたのはお経だった。小父さんが、ずっと上げ続けてくれていたようだ。


(もう大丈夫ですよ~)


 という女神様の声に、小父さんはザッ、と数珠を握った手を止めた。あたりを見渡せば、既に外は真っ暗。

 数珠を手首に通した小父さんは、疲れを全く感じさせずに穏やかな声をかけてきた。


「三人共、どうでしたか? タイムスリップの方は」

「ばっちりです」


 僕はデジカメを掲げて見せた。


(いやあ、世話になったな孝之くん!)


 すっかりメンタルを復旧させた祖父は、中間霊域の向こうから声をかけてくる。


(わしの通夜や葬儀はまだしも、ここまで世話になるとはな! 感謝するぞ、孝之くん!)

「いえいえ、これも務めですから」


 本箱に向かって、深々と礼をする小父さん。


「二人共、もうこんな時間だ。送っていこう」


 ずっと正座していたとは思えない機敏さで、小父さんは立ち上がった。

 僕と里香は各々小父さんに礼を述べて、書斎を出て車に乗り込む。


「……」

「……」


 僕たちは無言。告白直後の間がこんなに重苦しいものだとは、思いもよらなかった。

 そうか。里香は既に告白してくれた。会話のキャッチボールは、今は僕の手中にある。

 かと言って、今言葉でどうこうすることはできなかった。小父さんが一緒なのだ。告白し返すわけにもいかない。


 さり気ない風を装って、里香の方に視線を遣る。里香はやはり恥ずかしかったのか、窓の向こうを眺めていた。今の僕にできることは――。

 僕はそっと手を伸ばし、里香の手の甲に触れてみた。ぴくり、と里香の肩が震える。

 いつものおっとりとした調子で、しかし顔を真っ赤にしながら里香が振り返る。


「あっ、ごめん」


 慌てて指を離す。しかし里香は、穏やかな笑みを浮かべて僕の手に触れてきた。


「……」


 思わず僕も、おかしくなって笑いかけてしまった。

 小父さんは気づいたか。気づかれたとしても気づかないふりをしてくれたのか。どちらかは分からないけれど、僕は軽く、笑みを返した。


 だが、僕にはまだやるべきことがある。父と、祖父のことについて激論バトルを展開しなくてはならない。


「着いたよ、竜太くん」


 僕は厳しい顔を作りながら、小父さんに礼を述べて頭を下げた。


「ただいま」

「お帰り、竜太」


 出迎えたのは母だった。突然父が仁王立ちしていたらどうしようかと思っていたけれど。僕はほうっ、と胸を撫で下ろした。


「父さんは?」

「書斎にいるわ。大事な話があるのね?」

「うん。僕と父さんの話なんだ」


 母はこくり、と頷き、


「晩ご飯はその後ね」


 と言って台所に引っ込んだ。


         ※


 僕は父の書斎の前に立った。これほど、この扉の前で緊張したのは初めてだ。

 緊張感があることとビビリであることは同じではない。でも、今の僕はどちら寄りなのだろう? 微妙なニュアンスだが――などと言葉遊びのようなことをしながら、僕は覚悟を決めた。


 トントン、とノックを二回。するとすぐに声が返ってきた。


「入ってくれ」

「失礼します」


 僕は思い切ってドアノブを引き、書斎へと足を踏み入れた。


「デジカメ、使わせてもらったよ、父さん」

「そうか」


 相槌を打ちながら、父は椅子を回転させた。僕と相対する。

 父が次に言葉を発する前に、僕は先制のジャブを繰り出した。


「父さんがこれを見てどう思うかはわからない。けど、どうして僕が爺ちゃんに懐いていたのか、そして爺ちゃんや婆ちゃんはどんな心境だったのか、伝えてみようと思う」


 父は無言で、ぐいっと頷いた。僕はゆっくりとデジカメを差し出し、一歩下がる。

 そうして、父は再生ボタンを押し込んだ。


 長い長い、時間が過ぎた。僕の耳にも、僅かに誰かの声が聞こえてくる。しかし、この距離では祖母の声までは聞こえてこない。父には聞こえているだろうか?

 だが、そんな心配は杞憂だった。


「……母さん」


 と、父が呟いたのだ。祖母の言葉は、ちゃんと録音されていたらしい。

 僕が安堵した次の瞬間、信じられない光景が僕の視界に浮かび上がってきた。


 ……涙? 父が泣いているのか? あれだけしっかりしていた我が家の大黒柱、高峰竜平が?


 これは見るに忍びない。そう思った僕は、ゆっくりと静かに父の書斎を後にした。


 それから僕は自室に行き、いつも通りベッドに大の字になった。

 読み慣れた漫画を読む。僕は面白いと思ったものは、何度も読み返したり観返したりする方だ。

 最近買ってきた未読のラノベを読んでもよかった。しかし、集中できる見込みがなかったので、わざと読み飽きたくらいの漫画に目を通すことにした。


 一時間ほどが経っただろうか。


「流石に腹減ったな……」


 思わず呟いた。かと言って、今日は父と一緒に夕飯の席に着かなければ気が済まない。そんな気分もあった。理由は分からないが、今は祖父を失った僕たち家族が、肩を寄せ合うべきだと思ったのだ。

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