第14話
僕と里香、それに浮遊霊状態の祖父は、ロッジを出て川沿いをたどった。川と言うより僅かな水の流れ、といったものだったが、水質はとても澄んでいた。
(恐竜どもは水を求めて川沿いに集まる可能性が高い。そこで一発、派手に頼むぞ!)
僕ははあ、と肩を竦めた。爺ちゃんめ、自分は戦わないからそんな呑気なことを言っていられるのだ。まあ、そんな未練を断ち切るのが僕の使命みたいなものだけれど。
僕は里香について歩きながら、自分が腰に差した剣を少しだけ引き抜いてみた。青白い光が、剣先から放たれている。中二病的な感じはちょっと……いや、かなりしたが、ここにいるのは里香と祖父だけ。そんなに気を遣う必要もないだろう。
僕が、さーっ、という太い川の流れの音を捉えた直後、
「本流に出るよ、竜太」
「お、おう」
里香は前を向いたまま、倒木をまたいで進んでいく。それだけ前方に注意を払っているのか、僕と顔を合わせるのが恥ずかしいのか。
そんなことを考えているうちに、目の前が急に開けた。水流は穏やかだが、川幅はずっと広い。対岸で、トリケラトプスが首を下げて水を舐め取っている。平和な眺めだ。
「このあたりで待ちましょう。肉食恐竜との戦いの方が、お祖父さんも喜ぶでしょうし」
(分かっとるな、里香! それに比べ、うちの竜太の情けないことと言ったら……)
「余計なお世話だよ」
すると、里香は無造作に腰を下ろした。ポンポンと隣の地面を叩いている。僕にも座れと言っているのだろう。
僕が腰を落ち着けると、里香は体操座りをしながらぽつり、ぽつりと語りだした。
「さっきも言ったけど……。私、竜蔵さんのお葬式に行けなかったのがすごく残念なの。最後のお別れの機会だったのに……」
「いやあ、気にすることないよ。ほら、今もピンピンしてるじゃない?」
(馬鹿もん! わしはもう死んどるわ!)
「痛っ!」
銀色の球体になった祖父が、僕の額にぶつかってきた。ちょうどデコピンを喰らったような感じ。しかし、死んだことを自慢されても対応に困る。
すると里香は、クスクスと喉を鳴らしながら口元に手を遣った。
「里香、そんなにおかしい?」
「だって面白い人じゃない、竜太も竜蔵さんも」
「僕をそんな風に見てたの? 学校でも?」
「まあね」
笑みを絶やさない里香。
面白い? 一体どんなところが? 僕がそう尋ねようとした、その時だった。
里香の表情が一気に引き締まった。さっと立ち上がり、短刀を引き抜く。
僕にも、何かが近づいてくるのは察せられた。
「恐竜、だね」
「ええ」
(おっ! 来たか来たか! アクションシーンが!)
僕ははしゃぎだした祖父を無視して、剣を鞘から引き抜いた。
バリバリという草木がへし折られる音と共に、足音も聞こえてくる――が、重苦しい感じは全くしない。まるで羽毛が地を踏みしめて駆けてくるようだ。そして、敵は複数。
「里香、こいつは?」
「たぶん、ヴェロキラプトル。五頭はいる」
五頭か。僕はごくり、と唾を飲んだ。
ヴェロキラプトルは、小型の肉食恐竜だ。人間と同じくらいの背丈だが、その素早さは比較にならない。集団で狩りをするため、どこから飛び出してくるか分からないのも厄介だ。
僕が鞘から剣を抜こうとした、その時だった。
真後ろから、強烈な勢いで押し倒された。
「どあっ!」
「竜太!」
確かに主人公補正は効いているらしく、痛みはない。ただ、背中を大きく裂かれた感覚はあった。強靭な爪が、僕を背後から襲ったのだ。
僕が顔を上げようとすると、ラプトルは僕の右足に食いつき、獣道から逸れた密林へと引きずり込もうとする。
「こんにゃろ!」
僕は足をばたつかせ、左足でその鼻先に蹴りを入れた。
重傷を負わせたはずの相手からの思わぬ反撃。そう思ったのか、ラプトルは僕の足から口を話した。
僕は後方に跳ぼうとしたが、
「あれ?」
そうか。主人公補正は、痛覚や出血を抑える程度のものだったのか。噛みつかれていた右足は、確かにダメージを受けている。お陰でコケてしまったが、
「ふっ!」
僕はその場で、背中から一回転。ひざまずくようなポーズで手を下ろし、鞘を押さえつけながら抜刀した。
すると、ちょうど追撃を試みていたラプトルの首元を剣先が掠めた。足の爪と筋肉を活かし、急停止しようとする。が、遅い。
僕は振りぬいた剣を、往復ビンタのように同じ軌道で数回横薙ぎにした。
流石にこれでは、致命傷を避けられなかったのだろう。ラプトルは声も立てずに倒れ込み、消え去った。残り四頭。
「竜太、無事!?」
「ああ! けど右足が動かない!」
里香はと言えば、短刀でラプトルを翻弄していた。
一番小柄な敵を選び、無理やりまたがるようにして後頭部をグサリ、と一突き。短刀とはいえ、いやだからこそできる体術だろう。残り三頭。
敵もこちらの戦力を見計らったのか、下手に跳びかかろうとせずに、円を描くような動きを始めた。僕と里香は背中を合わせ、互いの背後を守る。
すると、ちょうど僕と目が合った瞬間、ラプトルが一頭跳び込んできた。単純な直進軌道だ。
僕は面を打つのと同じ要領で、剣を上から振り下ろした。が、そこにラプトルの姿はない。
「ッ!」
舌打ち。ラプトルは、僕の剣が届く直前に脇へ飛びのいたのだ。
横からの牙を想像し、僕が我が身の最期を思った直後、
「ぶはっ!」
右から襲ってきたラプトルに対し、左から突き飛ばされた。里香の肘打ちが僕の胴体を捉えたのだ。僕の頬を掠めるように、後ろから短刀が突き出される。それはバックリと開いたラプトルの口内を突き抜け、後頭部までを貫通した。
「竜太、今!」
僕は立ち上がる勢いを活かし、
「でやあっ!」
下から剣を振り上げた。その軌道上にあったのは、ラプトルの腰から胸にかけての筋肉と骨。それらを引き裂いたのを確認してから、僕は剣を引き抜いた。
慌てて振り返り、
「里香!」
と叫んだ。里香は顔の前に短刀をかざすいつものポーズで、残る二頭のラプトルを牽制している。
それに対し、残るラプトルは分が悪いと察したのか、一鳴きしてから密林へと戻っていった。
「ふう……」
僕は胸を撫で下ろした。すると直後、
(いやあ、随分と見応えがあった! いい勝負だったな!)
「爺ちゃんが言わないでよ……」
祖父の気楽な言葉に、僕はどっと疲れた気がした。主人公補正はかかっているし、疲労感はさほどでもないが、右足が動かせないのは辛い。
「竜太、今日はこのへんにしておきましょう。もう日が沈むところだし」
「そうだね、里香」
(二人共、明日も来てくれよ! 今度も期待しとるからな!)
「はいはい」
僕はひらひらと手を振りながら、
「里香、じゃあ、また明日学校で」
里香は恥ずかしそうに自分のつま先を見つめていたが、ぱっと顔を上げてしっかり頷いた。
(女神様、いらっしゃいますか?)
(あ、竜太くんと里香さんね! 今日はもうお帰り?)
(はい)
(じゃあ、二人を元いた場所に帰すから、取り敢えず目を閉じて深呼吸!)
この手順にも、僕はだんだん慣れつつあった。自分の身体が淡い白色光に包まれるのが分かる。
(それでは~)
という呑気な声と共に、僕は現実世界に引き戻された。
※
「よっと……」
僕は慎重に足を下ろし、絨毯につけた。
服装はといえば、恐竜と戦っていた時についた汚れは消え去り、裂かれた背中にもそんな痕跡はない。無論、怪我もしていない。右足も普通に動くようになっていた。
ただ、身体は少し重かった。主人公補正のある世界にいたせいだろう。
一応、今日は帰る旨を呟いた。
(おう! 明日は服装も揃えておくからな、活躍してくれよ!)
「服装って何?」
(制服では動きにくいだろう? ロッジで準備しておいてやろう)
「学校の体操服でいいじゃんか」
すると、ため息らしき気配がした。
(あのなあ、竜太。こういうのは雰囲気が大事なんだ。せっかくファンタジーっぽい雰囲気で戦うんだ、それらしい小道具が必要だろうよ)
いかにもゲーム好きだった祖父らしい言葉だ。
「まあ、そのへんはもう任せるよ、爺ちゃん」
(うむ。年輩者の意見は尊重するもんだ)
得意気な祖父。正直怒気が湧きかけたが、相手はあれほど世話になった祖父だ。怒るに怒れない。
(おっと、もう真っ暗だな! 中間霊域と現実世界の時間はリンクしてるから――)
僕はポケットに入っていたスマホを取り出した。
「げっ、もう午後十時だ!」
(早く帰ってやれ、竜太。親に心配をかけるんじゃないぞ)
「うん! んじゃ!」
僕はスマホの灯りを頼りに廊下を渡り、自転車で実家へ戻った。
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