夕暮ノ記憶

「俺、病院行くから今日こっちだわ」

「おー、ヨシちゃんにもよろしくな」


 タカと別れ、運命は駅に向かった。駅前は帰宅途中の大学生や部活帰りの高校生、定時であがれたサラリーマンやOLですこし混雑していた。


 電車に揺られ、徐々に赤みの差してきた空をぼんやりと眺めているうちに目的の駅に着いた。電車を降り、改札を経て駅を出る。三人の女子高生が、すれ違いざまにこっちを凝視してきた。


「……ねえ……あの人……」

「ほんと…モデル……?」

「女の……しれない…」


 後ろで女子がひそひそと話しているのが聞こえる。すれ違ったはずなのに、その小さな声はすこし距離を置いていつまでも後ろから聞こえてくる。どうやらあとをついてきているらしい。


「どこ……だろ…」

「声……みる?」

「えー恥ず……よ」


「おい」


 笑い声が大きくなったところで、運命は耐え切れずに振り向いた。奇異な視線で見られるのはよくあることだが、こうやって露骨に興味を示してくる人間は不愉快で仕方がなかった。


 女子達は声をかけられたことに驚き、立ち止まっていたが、なぜか期待するような目でこっちを見つめている。


「気色悪いんだよ、警察呼ぶぞ」

 すこしだけ声を張ってそう伝えると、彼女達は周り気にするようにあたりを見回し、それからそそくさと来た道を戻っていった。


 ざまあみろ。彼女たちの後ろ姿に心うちでそう呟き、運命は再び道を進んだ。


 目的の病院は、運命の住む周辺でもっとも大きな大学病院だった。受付を通り過ぎ、いつもの病棟、いつもの個室へまっすぐに向かう。看護師の何人かが声をかけようとしてきたが、返事を返す気分でもないので聞こえないふりをした。


「ヨシナ」

「———あ、来たんだ」


 その病室を開けると、中にいた人物は本を読むのを止めた。衛生上の理由で髪の毛は少年のように短く、また食も細いため運命よりもずっと華奢だ。しかしそれでも二人が双子であるということは、瓜二つの顔立ちを見れば誰だって分かることだろう。


 そんな自分とほとんど同じ顔の姉は、サイドテーブルに本を置くと「お茶とってよ」と冷蔵庫を指し示した。素直にペットボトルを取り出し、プラスチックのコップに注いで手渡す。そして自分の分も用意してひとくち口に含んだ。


「もうすぐ六時かー。そういえば部屋暗くなってきたね」

「電気つけるか?」

「まだいいかな。夕日の明かりってけっこう好き」


 そう言って窓から差し込む斜陽に目を細めたよしなは、随分と調子が良さそうだった。運命はほっと胸をなでおろすと、いつものように話をした。


「今日、終業式だったよ」

「そっか…入学してもう4ヶ月経ったもんね。あたしは…かれこれ2ヶ月行けてないなあ」

「タカが、ヨシナによろしくだってさ」

「タカヒロくん? あの子一度も同じクラスになったことないのに…優しいなあ」

「中一のとき一回なっただろ……」

「あれそうだっけ? 覚えてないや」


 実は中学の時まで彼が由に恋慕していたことは、友人の面目のために黙っておく。人のことは言えないが、姉もよほど興味があること以外に関しては、あまり覚えていない節がある。


「ねええー、サダメのコイバナは? コイバナないの?」


 きた。


 姉はすぐに愛だの恋だの、恋愛に関する話を聞きたがる。そういうものに憧れを抱いているのか、やたらと「恋話」をしたがるのだ。同じ年代の同性の友人がほとんどいないため、こうして自分の身内——ほとんど片割れといってもいい運命に、学校での色恋の話を迫る。


「………先月タカに彼女ができた」

「それは先月聞いたよ。運命は? 彼女は?」

「いない」


 以前、鬱陶しくなって拒否した際に、話さない代わりに大量の少女漫画(やたらきわどい)をレンタルショップで借りさせられる羽目になったため、運命は由の希望通り話に付き合うしかなかった。


「ねーじゃあ好きな子は? 告白したりされたりは?」

「しない」

「本当に? 絶対嘘ついてない?」

「……………だーもー! されたよ、今日!」


 つい大きな声を出すと「騒いじゃだめだよ〜」とのんびり指摘され、運命は口を閉じた。そしてしまった、と後悔したが、由の目はすでにキラキラと輝いていた。


「えー誰? だれだれ?」

「覚えてねーよ。全員うちの生徒」

「全員!? 何人なの?」

「………四人」

「ほあー。やっぱりモテモテだねーサダメは」

「ウザいだけだよ」

「つまんないの。貸してあげるから参考にしなよ」


 いつのまに買ったのか、華やかだがすこし色っぽい表紙の少女漫画を差し出される。大仰にため息をつきつつ手だけでいらない、と制すると、運命は恨みがましく姉を睨めつけた。しかし怖がるそぶりもなく、由はにこにこと微笑むだけだ。毒気を抜かれて、もう一度ため息をつく。


「ドナーは見つかりそうなのかよ。……母さんは俺に何も話してくんないけど」


 話題を変えたくて、今日ここに来た目的でもある質問をすると、由はその表情をすこし寂しそうなものに変えた。


 由の頻繁な入院は、彼女の生来の体の弱さに加え、心臓が悪いことが起因していた。難しいことは知らないが、20代が寿命の限界だろう、ということを運命は酔った母から聞かされていた。心臓移植が必要だということは自明の理であったが、そう上手く事は運ばない。


「ママとお医者さんは、まだ時間がかかりそうって言ってた。順番待ちなんだってさ」

「そうか……」

「あっ、でもでも、明後日から東京に行ってくるって言ってたし! もしかしたら何か伝手があるのかも!」


 懸命に明るく振舞おうとする由を見て、運命は言葉に詰まった。母が東京に行く理由は、彼女の期待から大きく外れたものなのだ。


「……東京なら、俺も一緒に行くんだ」

 母の目的は、華やかな衣装に身をつつんだ息子と、単に旅行することだった。曰く、まだ可愛いうちに思い出作りをさせろとのことである。高校生になった今でも、幼い頃の悪夢はまだ続いている。あの母親は結局のところ、息子の事も、娘の事も、何一つ考えていない。


 絞り出したそれだけの言葉から、由は全てを悟ったらしい。ズボンを握りしめ、うつむく運命。すこしの静寂の後、由がぽつりと呟いた。


「そう…だよね。そっか、うん。サダメも、大変だなー」

 震えの混じった声に顔を上げると、由はこちらから顔を背け、燃えるように赤い夕日を見つめていた。


「なんか……ごめんね? サダメはちゃんと男の子なのに、ママの言うこと全部聞いて、辛いよね、ほんと」

 堰を切って溢れ出すのは、彼女らしからぬ悔しさと、悲しさの入り混じった言葉たち。

「あたしはこんなんだから、髪も短いし、ママの好きな服も着れないし、ママは優しいけど全然会いに来てくれないし。サダメが、あたしの代わりに犠牲になってるのわかってるのに、かまってもらえて羨ましいとか思うし、でも、あたしじゃなくてよかったとかも思っちゃうし、ほんとあたしって体も中身も最悪——」


「おい、いい加減にしろよ」


 そう言って運命は無理やり由の顎をひっつかみ、自分に向かせた。ぼろぼろと泣きべそをかく自分とそっくりな少女が、あっけにとられてこちらを見上げていた。


「いいか、俺を勝手にお前の犠牲にすんな。これは俺と母さんの問題だ。俺の問題を、お前のものみたいに言うな。俺はいつか絶対、あのクソみたいな母親を振り切って好きなように生きてみせる。お前が母さんを好きだろうが嫌いだろうが関係ないけどな、あいつにかまってもらえる事だけが俺たちの価値じゃない。あいつがお前を見放すなら、俺がお前の面倒も見てやる」

「……うん」

「だからぐちぐち謝ったり文句たれたりすんな。……あと、泣くな」

「…………うん」


 泣きすぎて鼻をすする由のベッドに箱ティッシュを放ると、運命はコップのお茶を飲み干して帰る支度をした。カバンを担いで由を見ると、彼女はすでに持ち前の穏やかな笑顔を取り戻していた。


「本読むなら電気つけろよ」

「わかってますよー。またね」

「おう」

 背を向けてドアを開ける。


「サダメ」


 呼び止められて、振り返る。すっかり暗くなった病室に佇む由は、なんだかすこし寂しそうだった。


「ありがとね。……頑張って」

「……ヨシナも、な」


 そんな姉にすこしだけ微笑み、運命はドアを閉めた。 

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