2-4荊棘繭

「道…はないけど、どの方角に行くかは決まってるの?」


 迷いなく歩を進める運命に、夕希は不安になって問いかけた。さまよっているだけでは埒があかないことは、彼もわかっているだろう。


「霧と熱、あと錆の量。樹海の中心に近づくほど濃くなってるだろうが。そこに行きゃ何かわかる」

 随分と大雑把な理由だが、他に手がかりもない。夕希は運命の勘を信じるしかなかった。


「……おい」

「はいっ」

「後ろ歩くな……見えないと守りづらいだろ」

「あ……ごめんね」


 夕希は控えめに隣りに並ぶ。しかし隣りと言っても運命が纏うミニドレスが結構な幅をとるため、少しだけ距離を置いて歩き出す。


 再び二人の間に沈黙が降りる。


「……二度と死にたがるなよ」


 なんとも気まずい気持ちでずっと下を向いていると、不意に少年はそう呟いた。おそらく先ほどの、夕希の無謀な行動のことを言っているのだろう。思わずどきりとしたが、夕希は慌てて言い返した。


「し、死にたがってるわけじゃなくて! ………自分でも、よくわからないの。すぐ自分をあきらめちゃうの、癖になってるのかな、なんて……」

「そういうことも、二度というな」


 自嘲の笑みでごまかそうとした夕希に、少年は立ち止まって真剣な眼差しで告げた。思わず、夕希の表情も固くなる。


「いくら俺が強くても、生きるのを諦めたやつ守るなんて無理だ」


 怒っているわけでも、呆れているわけでもない。少しだけ悲しそうなその冷たい目に射られ、夕希は息が苦しくなった。


「そ、んなつもりは……」

 すると運命は我に返ったようにはっとして、それからまた前を向いて歩き出した。

「…ふん。まあ俺が生き返るまでは絶対死なせてやらねえけどな」


 珍しく、重たい空気をごまかすように冗談めいた言い草をする運命。彼は夕希をけっして見ようとはせずに、ただ前を向いて続けた。


「見ろ、向こうに開けた場所があるぜ」

 運命の指し示すほうを見る。鉄柱が生い茂っているだけで、森を抜ける気配は一向に感じられない。


「私には見えないけど……」

「は? あるだろ。だいたい1キロもないくらいだな」

「…………」


 見えるわけがない。


 少しだけ恨めしい気持ちで隣の少年を見やる。だが彼に口答えしたところで、自分勝手な言い分が返ってくるだけであるため、何も言わないでおいた。


 運命に従って数分も経たないころだろうか。徐々に鉄柱の数が減り、またその色も錆びて赤茶けたものばかりになるころ、少々先に空間ができているのが夕希にも見えた。


 熱気というより、湿気がだいぶ強くなってきた。ほとんど雨の中を歩いていると言ってもいいほどに服はじっとりと水気を含み、踏みしめる錆の砂もまた、水分が入り混じってじゃりじゃり音を立て始める。熱気はさきほどからすっかり飽和状態でむせ返りそうだが、頰を舐める霧が、少しだけ体の熱を奪い去ってゆくのがせめてもの救いであった。


 樹海がようやく開けた空間には、小さな湖があった。煮えたぎるそれは灰色に濁り、腐臭と錆の入り混じった異臭が、水蒸気となって放出されている。


 その湖の中央に、奇妙なものが浮かんでいた。生えているというべきか。


 有刺鉄線が幾重にも重なり、まるで巨大な繭のようにして、湖の中央にそびえ立っている。


「あれが……運命くんが会いたかった人…ひと?」

「……こっちが聞きてえよ」


 しばらく、熱気も異臭も忘れてただ呆然と鉄の繭を見つめていたが、夕希はあの繭の正体を確かめるすべがないことに気づいた。二人はすこしだけ湖の淵に近寄ってみる。


「あの中に何かいるかもしれない」

「人がいるなら、どこかに渡れる場所がある…きゃ!」


 もう一歩足を踏み出した途端、ぐずぐずに錆びた足場が崩れた。


「バ…ッカ!」

 背後からブレザーを強引に引き寄せられ、夕希はなんとか湖に落ちずに済んだ。じゅわ、と音を立てて沈んだ錆の砂が、灰色の水面に赤茶けた模様を作る。


「ありがとう……」

「こりゃ足場がないと向こうに渡るのは無理だな」


 夕希が踏み外した位置を凝視しながら、運命が思案げに呟いた。夕希はもう一度あたりをよく見回した。橋どころか、少しでもあの繭に近寄れそうな岩すら存在しない。


「これ以上近づけないし、あれじゃないのかも……」

 と、隣の運命に語りかけた。だが少年はこちらに背を向け、なにやら根元近くが老朽化した鉄柱をぺたぺたと触っていた。


「こんなんでいいか」


 一度湖を見遣り、そして何かを決めたように凛々しい顔をして鉄柱を見上げる運命。おもむろに足を前後に大きく開き、身を低くして構え出す。

「あの、なにを…」


「————シッ!」


 短く息を吐く音と、連なるように繰り出された掌てい。ちょうど脆くなった部分に建てられた衝撃は、鉄柱を通り抜けて周囲の湿気た錆びをも巻き上げた。


 あっけなく折れた太い鉄柱を両腕で担ぎあげた運命が、漸くあっけにとられている夕希に気づいた。


「足場なんて作りゃいいだろ」

「…うん」


 夕希はしかし、身の丈以上の鉄柱を担ぐ美少女の姿にまだまだ慣れない。彼の規格外な身体能力にたじろいでしまう。


「ビビってるなら別についてこなくていい。俺が見てくる」

 曖昧に返事をした夕希になにを感じたのか、運命はそれだけ吐き捨てるように言うと、湖に鉄柱を横たえるべく振り下ろした。


「っと……!」

 蒸気を裂き、鉄柱が水面に触れようとしたときである。


「待て。」


 低く掠れた、しかしやけに鮮明な男の声がした。それと同時に、湖から現れたいくつもの鉄の荊棘。運命が鉄柱から身を離し、後ろに退いた。

 荊棘は蛇に似た動きで鉄柱に巻き付き、湖のほとりにそっとそれを横たえた。


「私の城だ、あまり汚してくれるな。」


 そしてまた、声が聞こえた。湖にそびえる繭の中央が徐々に開き始める。がさり、がさりとゆっくり音を立ててうごめく荊棘の塊は、まさに生き物のようである。


 やがてその男は、ゆっくりと姿を現した。

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