2-3鬼

「おい」

「……う、ん」

「おい、起きろ!」

「——ひっ、は、はい!」


 ドスの効いた声で怒鳴られ、夕希は跳ねるようにして身を起こした。いつの間にか眠っていたらしい。おかしな姿勢で固まっていたのか、全身が鈍く痛んだ。思わず表情をゆがめていると、仁王立ちでこちらを見下ろす運命と目があった。急いで立ち上がり、制服についた錆を払い落とす。


「ご、ごめんね、勝手に寝ちゃって……」

「別に何も起きなかったから問題ない。それよりも」


 運命は立てかけてあった金属棒を掴み取ると、警戒するように空の外を見回した。

「たぶん鬼が近くにいる。ここ出るぞ」

「あの、隠れてた方がいいんじゃない…?」


 夕希は思わず、出て行こうとする運命の袖をつかんだ。彼は少しだけ振り返って一瞥すると、乱暴に夕希の手を振りほどいた。


「鬼なら隠れても無駄だ。遠くに逃げるか、戦うかしか方法はない」

「で、でも運命くん怪我が……」

「もう骨はとっくにくっついてる。お前が寝てる間にな」


 証拠でも見せるかのように軽々と棒を振り回してみせる運命。夕希はぽかんと口を開けてその様子を見ていたが、やがて我に返って鉄柱から出ようとした。が、棘だらけの金属棒にそれを阻まれる。


「お前はまだ入ってろ」


 そういう少年の視線はこちらを向いていない。まっすぐに前を睨みつける運命は、やがてゆっくりと鉄柱から離れた場所に移動した。夕希も恐る恐る、空の中から彼の視線の先を伺う。


「……っ!」


 夕希は声をあげそうになるのをなんとか抑えた。運命もまた、射るような瞳でその影を捉えている。


 一瞬、それは巨大な猿に見えた。地についてしまいそうなほどに長い腕、体毛に覆われた体。しかし樹海の影から現れたその化け物の首からは、三つの蛇の頭が生えていた。


「首ちぎっただけじゃ足りねーってのか……」


 どうやら先ほど倒したという鬼であるようだ。運命は少々表情を引きつらせながらも、鎌首をもたげる鬼ににじりよった。


 直後、少年の白い影が鬼の懐に踏み込んだ。ふわりとドレスを翻した刹那、鋭い蹴りが鬼の胴体にめり込む。巨大な体躯が後方に吹き飛んだ。ぶつかった鉄柱がひしゃげているのが見える。


 少年は間髪入れずに鬼に迫る。瞬間、運命を捉えようと豪速で迫る腕。それを跳躍でかわし、着地とともに再び踏み込む。視線の先には三つの蛇頭。


内臓なかみごと引っこ抜いてやらぁ!」


 肩に乗りかかった運命は、手にしていた棒を三つの頭にまとめて突き刺した。絡め取るように棒を一捻りすると、両から差し迫る手を上空に避ける。その勢いで首をちぎり取った。


 夕希は首から噴水のように血を吹き出す鬼から目を逸らした。


「これももう使いものにならねえな」

 そう言って首が絡まった棒を乱雑に投げ捨てる運命は、息ひとつ切らさず涼しげな表情である。彼は比較的細い鉄柱を見つけると、軽々しく引っこ抜いた。先ほどまで持ち歩いていたものより、ひと回りもふた回りも幅がありそうなそれを、あたかも枝でも折るようにして扱いやすい大きさに調整し始めた。


 ようやく目の前の血なまぐさい光景に慣れてきた夕希は、おそるおそる空から身を出し、運命の元に駆け寄った。


「さだ——」

「————おい!」

「えっ?」


 突然強引に腕を掴まれ、そのまま彼の元に引き寄せられた——と思ったのも一瞬、そのまま後方へと放られる。


「いっ…!」

 痛みに顔をしかめたのも束の間、夕希は先ほどまで自分が立っていた位置で、大きな獣の手が拳を握りしめていることに戦慄した。


「マジで中身まで引きずり出せってか……」


 運命もまたわずかに困惑をにじませてそう呟いた。ずるずると拳を引き下げた首なしの獣が、ゆっくりと立ち上がった。襲ってくる気配はない。


「止まった…?」


 小さく呟いた途端に、鬼の巨体が目の前に迫った。運命に突き飛ばされ、夕希はなんとか横に逃れる。


「さ——」

「声を出すな!」


 怒声に阻まれ、夕希は言葉を飲み込んだ。


「音を出したら気づかれる!」


 夕希に気を向けた数秒で、鬼は運命に狙いをつけた。長く巨大な腕が振り下ろされた。体躯に似合わないその速さに、運命はかわすことができなかった。反射的に、持っていた鉄柱でその手のひらを受け止める。


「ぐっ…!」


 武器を掴まれ、運命の動きが止まる。そのほんの一瞬のうちに、もう片方の腕が運命を掴みとろうと差し迫った。とっさに武器を離し距離を取る。


 鬼は運命から取り上げた金属棒を確かめるように触ったのち、あっけなく後ろに放り捨てた。


 そのまま運命を襲うと思いきや、鬼は再び動かなくなってしまった。どうやら標的がどこにいるのかわからなくなったらしい。運命は鬼を睨み上げたまま、緊張の面持ちでじっと動きを止めている。運命が近くにいることはわかっているのか、あたりを見回すような素ぶりを見せる鬼。


 風の音すらかき消すような、張り詰めた静寂が訪れた。


「こっちだよ!」


 とっさに、夕希はそう叫んでいた。鬼の体がこちらを向く。のしり、と一歩ずつこちらに近寄ってきた。


 ああ、またやってしまった。

 まさか二度も自分を犠牲にして死ぬなんて。


 鬼と向かい合っている間、夕希はそんなことを考えていた。


 目を見開いてこっちを見る運命と目があった。その間にもう、鬼は夕希の直前に立っている。

 やけに時間の流れが遅く感じるのも、刺された時と同じだ。


 おそらく次に瞬きをする間には、夕希は吹き飛ばされているだろう。それでもいい。死に際にそう思うのも二回目。だが。


 ——これで運命くんが守れるなら、それでいい。


 夕希はどこか、晴れ晴れしい気持ちだった。鬼が勢い良く手を振り下ろした刹那、夕希は目を閉じその瞬間を待っ————


「夕希!!」


 運命の叫び声と同時に、大地が大きく揺れた。金属が互いにこすれ合う音、そしてぐちゃりと崩れる音がする。夕希は顔に生暖かい固形のような液体のような、不気味な感触を覚える。


「は、え……!?」


 目の前の鬼は、夕希に手を伸ばした状態で固まっていた。正確には、動きを止められていた。

 鬼の周辺から突出した細い鉄柱が数本、首のない胴体に深く突き刺さっている。同じように地中から伸びた有刺鉄線が肢体に絡みつき、鬼の自由を奪っていた。鬼がもがき逃れようとするたびに、荊棘のようなそれが肉にめり込む音が聞こえる。


「早くそこから離れろ!」

「あ…ごめんなさい!」


 夕希は運命に呼びかけられ、我に返った。急いで立ち上がると、鬼の様子を見つつそっと距離をとって逃げ出す。と、背後から嫌な破壊音が聞こえた。


「うわわ………」


 振り返ると、有刺鉄線が鬼の両腕を千切ろうとしている最中だった。 

 筋繊維の裂ける音、骨の砕ける音、血の滴る音。頭のない鬼は叫ぶこともなく、その体を文字通り八つ裂きにされてしまった。


「ぼさっとするな! 巻き込まれたらどうすんだ!」

「は、はい!」


 慌てて運命の元へ駆け寄る。鬼はようやく息絶えたのか、骨は錆に、血は霧となってその場から消え去った。すると鬼を縛っていた鉄の荊棘たちは、鉄柱を伝って地中へと戻ってゆく。あとにはさきほどの凄惨な光景の名残は微塵もなく、ただ不自然に突き出た数本の鉄柱だけが残った。再び薄気味悪い静けさが訪れる。二人は一寸の間あっけにとられていたが、やがて夕希の方から口を開いた。


「偶然生えてきたわけじゃ……ないよね」

「当たり前だ。それにあの鉄線……ただ生えてきただけじゃねえよ」


 運命の言いたいことは夕希にもよく理解できた。あれらは明らかに、意志を持って鬼に巻きついているように見えた。まるで生き物だ。

 と、そこまで考えたのち、夕希はふとあたりを見回した。


「も、もしかしてこの鉄柱全部が鬼…とか……」

「バカ。それならこの樹海に入った瞬間俺たちも速攻で殺される」

「そうだよね…」


 即答で否定された。夕希としては少し言ってみただけなのだが、そこまではっきり言われると少し悲しくなる。夕希の方など見向きもせずに、運命はただただ交錯する鉄柱を見つめていた。


「鉄柱や鉄線を操っているやつがこの樹海にいるはずだ。……あのタイミングで手を貸すってことは、俺たちのことを見てたとしか思えねえ」


 覗き見変態野郎が。ぶつぶつ不満をこぼしながら、運命は先ほど鬼に取り上げられた鉄柱を拾いあげ、無造作に担いで歩き出した。夕希もその背中に続いた。

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