4-2 鬼徒

 体内から湧き上がる異常な熱は、まるで内臓が溶岩になってしまったかのようだった。気分が落ち着かず、気を抜けばすぐにでも頭に血が上って我を失いそうだ。運命はゆっくりと深く呼吸し、それからまっすぐに二人の姿を見つめた。


 運命の目の前、火口の向こう側にいる夕希は立ち上がれないのか、かがりの足元に這いつくばっていた。腕を切り落とされ、浴衣の袖を血で染めた女は、気味の悪い薄笑いを浮かべたままだ。運命は奥歯を噛み締め、それから自身の分身とも言える白濁の武器を見遣る。夕希から借りたネクタイは、自分の血ですっかり赤黒くなってしまっている。

 これはもう貰っておこう。密かにそんなことを考え、そしておもむろに武器を前方に向ける。運命の意思に呼応するように鎌のように曲がった五本の刃がまっすぐにまとまり、鋭い槍のような形に収まった。その先端で指し示すように、夕希へと向けた。


「夕希ィ!」


 名を叫び、呆然とする少女を見つめた。もとより、言いたいことはハッキリ言う質なのだ。回りくどい表現は苦手だ。


「お前が犠牲になりたがろうと死にたがろうと知ったこっちゃないんだ! 俺と来い!」


「———うん!」


 何度も大きく頷く夕希の表情は泣きそうに笑っていて、運命は少し気持ちが落ち着いてきた。これで心残りは消えた。胸をなでおろしたものの、すぐに白い矛先を少女の隣の人物へと変え、強く睨めつけた。いつのまにか、女の白い両腕が何事もなかったかのように生えてきていた。


「おいキチガイ女!」

「ひどい言いようね、惨めな坊や」

 熱気に髪の毛をなびかせるその表情はどこまでも涼しげで腹立たしい。運命は嫌悪を隠すことなく顔いっぱいに表し、それから思うままに言い放った。


「そいつ返せよ、俺ンだ」

「あら、大胆だこと。……でもあげないわ」

 するとかがりは運命から目を逸らし、夕希を無理やり引き上げた。立つことのできない夕希をその腕に抱くと、こちらに背を向け、振り向きざまに微笑をよこした。


「奪ってみなさいな」


 そう告げられるのとほとんど同時に、運命は地を蹴った。立ち上る熱気を切り裂き、かがりめがけて獲物を振り下ろす。


「——ふふっ、鬼徒になれば互角だと思っているのかしら」


 ばき、と不気味な音を立て、一瞬のうちに無数の腕がこっちの攻撃を受け止めた。うち数本が、運命めがけて刃を立てた。


「かもな」


 だがその切っ先は、運命の体に達することはなかった。少年の右腕からのびる影が、異形の腕の動きを止めたのだ。赤黒い飛沫のようなそれは夕希をかかえる細腕にまで伸び、きつく絡みついた。かがりの白い腕がひしゃげ、夕希から手を離す。


 支えを失い倒れんとする少女を素早く自分のもとに引き寄せた。かがりを蹴り飛ばし、その勢いで自身も後方へ飛ぶ。運命の歪な赤銅の腕からは、虫の羽のような影が方々に伸びていた。


 ふと抱えている少女に視線をやると、彼女は困った様子でこちらを見上げていた。

「あの、ええと……」

「話はあとだ。絶対に戻ってくる」

 しどろもどろになる夕希に短く述べ、彼女をゆっくりと地に下ろす。そして再びかがりを見据えた運命は不敵に笑った。


「俺は見逃したりしないからな」

「——るの」

「あ?」


「兄さまに、逢えなくなったらどうしてくれるの!!」


 その咆吼に応えるように、かがりの背から伸びる腕たちがみるみる肥大化してゆく。やがてそれは彼女自身の肢体をも取り込み、もはやその中央に座するかがりのわずかな上半身を残して、人である部分は無に等しい。


「ぁあっう、かえして、かかえ、おぅ、わたさ、シ、おいしぃ、あ、あにさま、かえしてぇ」


 変わり果てた女の目は血走り大きく見開かれ、荒い息とともに漏れる言葉は意味を失いかけている。


「いっそ鬼になった方が良かったのかもな」


 ——お前にとっても。


 何の気なしによぎった考えは、言葉になることはなかった。

 火口の向こう側にいたはずのかがりが、次の瞬間には目の前に迫っていた。裂けた口から乱杭歯がむき出しになっている。運命はそれを獲物で受け止め、左右から挟み込む鋭い腕を自身の赤い影でいなした。


「わたさないわたさないわたさないわたさない!!!」

「——! ちっ」

「あにさまは! だれにも!!!」


 その巨躯からは想像もつかない速さで繰り出される攻撃を、運命はひたすら受ける一方だ。一度距離を取るにしても、躱した次の瞬間には再び攻められ、撒けそうにない。隙をついて数本の腕を薙ぎ払ったものの、すぐに生え変わるのが厄介だ。


 ——こいつ自身に、届かなきゃ意味がない!


 運命は無数の腕の中央にいるかがりの姿を捉えた。

「ふふ、ふふふふあはっははっははぁああ! あにさま、あにさまぁああ!」

 涎を垂らしたその様子からは、もはや理性と呼べるものを感じられない。ほとんど鬼と同一となったそれを「かがり」という存在たらしめているのは、ひとえに彼女の渇望のみ。それが今の運命にはよく理解できた。


 だからこそ、トドメを刺す方法が一つであることもわかっていた。

「うっ——とおしいんだよ!」

 薙ぎ払い、踏み出し、そして阻まれる。


 何度繰り返しても、伸ばした切っ先は女に触れることさえしない。


「あふ、いひひひひ、ひぁ?」

 かがりの視線が右に流れた。ほんの一瞬,同じ方へと意識をそらすと同時に後方へと吹き飛ばされた。

 岩肌に叩きつけられる衝撃をこらえ顔を上げる。そしてすぐにかがりの目的に気づいた。


「あにぁま、に、あぁせて………」

 巨大な体に隠れてかがり自身は見えない。しかしその巨躯の向かう先には、あの少女がいた。

「ひっ、あ……!」

 座り込んだままの彼女はどうすることもできないまま、変わり果てたかがりと対峙している。


「ぁあたしの!!」

「あのヤロ……っ!」

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