4-3 取捨
先に動いたのはどちらだったのか。
呼吸も忘れるほどの焦燥、そして怒りよりも疾く、身体が動いた。考える余裕などなく、降るように迫るかがりに立ちはだかった。
「………か、か」
かがりは動きを止めた。その隙に運命は夕希を連れてかがりから離れた。荒く削れた岩肌の陰に夕希を下ろし、怪我が増えていないことに安堵した。しかし夕希の表情は青ざめ、口を押さえて愕然としている。
「運命くん、けがが」
「………」
声には答えず、運命はかがりへと注意を戻した。
無我夢中で伸ばした切っ先は、彼女の口内を貫通した。一方で運命もまた、自身の握りしめる手を伝い、鮮血が白い刃に細く模様をつけていることに気づいていた。腕の側面が削がれ、筋肉が露出している。
だが、そんなことを気にしている余裕などない。運命は血で滑りそうな柄を握り直し、再び地を蹴った。
————遠い。
どうすればいい。どうすれば届く。
否、本当はわかっているのだ。攻防を繰り返すだけでは届かない。さっきの衝突で気づいてしまった。一撃を確実に届かせることができると確信してしまった。が、しかし。
「……く、」
鮮血を撒き散らす右腕の痛みに、運命は表情を歪ませた。トドメを刺すなら、犠牲は腕だけじゃ済まないかもしれない。その不安が運命を踏みとどまらせていた。
だがこの右腕が、使い物ならなくなるのも時間の問題だ。鬼徒になった時のように、うまく代わりが生えてくる保証もない。
頰を掠ったかがりの腕を数本切り落とすと、運命は後ろに引き、武器を影と化した左腕に持ち替えた。
「いらいら、ふふ、かわいいおかお」
瞬きの間すら与えず生え変わった無数の腕の奥で、女は薄笑いを浮かべている。全くと言っていいほどにダメージを受けた様子がない。対するこちらの片腕は、ほとんど使いものにならない上に体力の限界も近い。
このままだと、自分が力尽きてしまうのも時間の問題だ。
そうなってしまえば、もう自分も、彼女も。
「………っぁぁあああああああ!!」
慟哭は、まとわりつく躊躇を掻き消した。
白濁の武器には、血が伝うようにして赤銅の影が絡みつく。骨身の剥き出た巨大な腕のようなそれを掲げ踏み出し、一直線に突っ込む。
ほんの刹那がやけに長く、はっきりと感じ取れた。
いくつもの刃が迫る。防ぐ間はない。
視界の端で、少女のネクタイが揺れた。
————捨ててやるよ。
それで、失わなくて済むのなら。
死への恐れも、生への渇きも、欲への執着も。
全部捨ててやる。
数本、かがりの腕が運命を貫いた。頭部は無事なためか、意識はまだある。
こみ上げた血が口から溢れ、かがりの水色の浴衣にこぼれ落ちた。
「————————な、ん、あた、」
突き立てた白い一撃は届いた。
背から伸びる腕は骨を軋ませ、まだ動けることを示すかのように痙攣を繰り返している。
「どういう……つもり」
頭を半分砕かれた状態のかがり。その血に濡れた片目には驚愕が映し出されている。
「こんな、相討ちみたいな……でき、るは」
「お前には分かんねぇだろうな——最期まで」
頰に、服に飛び散ったかがりの血が、熱い蒸気となってあたりの熱気へと消えてゆく。運命を突き抜けた無数の腕はぼろりと崩れ落ち、灰となって熱気に舞った。そしてかがり自身の白い肌もまた、漆黒の岩へと変化しつつある。
「いや……! だめ、まだ、」
状況を悟ったかがりの目から流れ落ちるのは、透き通る涙ではなく、朱に燃える溶岩だけ。
「ぁあ、兄さま。兄さま。逢いたい、たすけて……! そんな、待って、逢いたい、あに———」
伸ばされた手は指先から黒ずみ、やがて岩とも炭ともつかない物体となって脆く崩れた。
運命はかつて女だった瓦礫から獲物を引き抜き、地を蹴る。先ほど別れた場所に少女の姿はなく、ほんの少しだけ離れたところで、膝を傷だらけにした夕希が這うようにこちらを目指しているのが見えた。彼女は運命に気づくと、一瞬だけほっとしたような表情をし、それから目を見開いて慌て始めた。
「え、ちょっとその傷、じっとしてた方が……!!」
じっとしているべきなのは、おそらく彼女の方だ。立ち上がろうとして、その痛みで顔を歪めた彼女に呆れてものも言えない。
「……ふ、」
なのに、少しだけ口角が上がってしまうのは何故だろうか。自然とこぼれた笑いに気づかないまま、運命は自分を見上げておろおろしている少女の腕を引き上げた。
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