弐、廻リ囚ワレル者
2-1鉄樹海
そう思ったのとほぼ同時に、何か雷音にも似た地鳴りが響く。彼はまだ戻ってこなさそうだ。夕希は膝を抱えて、ただ見つからないよう静かにすることに徹する。
——糸の前に寄りたいところがある。
運命が言っていたことを思い出す。彼が言うには、ここがまさに「寄り道」の目的地なのだが、彼もまた噂を頼りにやって来ているあたり、本当にここで間違いないのか疑わしい。
知らずため息をひとつこぼし、夕希は運命との会話を思い出す。
*
「寄りたいところってどこなの?」
一通り地獄について説明を受けた直後、糸に背を向けて歩き出す運命の行く先には、先ほどの剣山地帯があった。夕希も一歩後ろから運命のあとに続いて歩く。
「もしかして……またあの岩山に戻るの?」
「違う。俺があそこにいたのは、剣山の上からどこに何があるのか知りたかったからだ。邪魔が入ってまだ把握しきれてないけどな」
その代わり、カシシャ見つけられたからいいけど。まるで珍しい生き物を捕まえたような口ぶりに、夕希は反応に困って苦笑した。
「あの、それで…運命くんの寄り道の目的って何?」
「傍観者に会いに行く」
「傍観者?」
また新しい言葉が出てきた。
説明して欲しそうにする夕希を一瞥したのち「行けばわかる」と言い放った。
「俺も尋ね歩いて聞いたことばっかだから、詳しくは知らねぇよ。本当にいるかどうかもわからないしな」
「でも、私よりは何か知ってるはずだし……何も知らないよりは、足を引っ張らなくて済むかなって思うんだけど……」
「あーもう!」
運命は振り向くと、苛立ちを露わにした表情で夕希に近寄った。腕を引かれ、絵画のように美しい顔が真近に迫る。
「なん——ぅわっ!」
ドキッとしたのも束の間、素早く肩に担がれた。
「飛べない戦えない時点で十分足引っ張ってんだよ、のろま!」
彼が何をしようとしているのか察した夕希は、慌ててじたばたする。しかしどこからそんな力が出ているのか、運命の細腕はビクともしない。
「ちょっと待って、せめて背負っ——」
「最初からこうすりゃよかったんだ」
一人納得している様子の運命は、夕希の声を全く聞いていない。
*
そして、運命が探す「傍観者」はこの蒸し暑い湿地にいるらしい。夕希たちはこの樹海に入ってしばらくもしないうちに他の亡者たちに遭遇した。運命に再び担がれ彼らを巻いたかと思いきや、鉄柱の中に放られる。そして、片付けてくるから動くな、と言い残した運命に置いていかれ、今に至る。
大きく息を吸ったが、熱い霧が空にこもって呼吸した気になれない。湿気のせいで鉄柱たちは錆びが目立ち、おまけに何かが腐敗したような嫌な臭いが立ち込める。果たして本当にこんなところに人がいるのだろうか。
熱と腐臭に耐えられなくなり、夕希は少しだけ外に顔を出した。熱いが、
ひとしきり深呼吸を繰り返し、また空の中に戻ろうとしたとき、首根っこをつかまれた。
「ひゃ…!」
そのまま後ろに引き倒される。見上げると、痩せこけた兵隊服の男が立っていた。手には血で汚れた鉄片を持っている。
「お前あのゴリラ女の仲間か!?」
「あ……っ!」
腰が抜けたまま後ろに這いずると、樹海の陰から数人の亡者が姿を現した。皆服は切れ端のようにボロボロで、中には腕の関節がおかしな方向に曲がっている者もいた。
「おい、こいつ戦えねぇのか?」
「じゃあそろそろ“溶ける”な」
「いや、鬼になりかけの可能性もある」
「どっちにしても、だ」
「いたっ!」
髪を引っ張られて無理やり立たせられた。
「今こいつに何をしても、なんの問題もないってわけだ」
兵隊服が何を考えているのかを悟った夕希は、とっさに叫ぼうとした。
「や、運命く——」
「大声出すなよ嬢ちゃん、すぐ終わるからよ。おい、腕押さえろ」
乱雑に地面に押し倒され、四肢をがっしりと固定される。男たちの肌は土気色でひどく汚らしいが、皆目だけが一様にぎらついていた。
「や、やだっ」
「おい嬢ちゃん、お前が黙ってりゃ俺たちも満足だし、ゴリラ女も下手に怪我しなくて済むんだぜ」
その言葉に、夕希は無意識にもがく力を緩めた。その様子を見た兵隊服は饒舌に続ける。
「わかるか? 別に殺そうってわけじゃない。もう死んでんだ、ガキができるなんてこともないだろうし、お前が耐えてくれりゃあ平和に解決できるんだよ」
自分が耐えれば運命が危険な目に遭うことはない。
もちろん、死ぬほど嫌だ。もう声も出ないほどに、恐怖が胃の底からせり上がってくる。
だが自分の気持ちに反して、どこか離れたところから、冷静に夕希を観察している自分自身がいる。そしてそれはひどく優しく囁くのだ。
——役に立ちたいの?
役に立ちたい。
——迷惑だと思われたいの?
思われたくない。
身体中の力が、自然と抜けてしまう。頭上の男たちが、口の端を釣り上げて嗤っている。
「痛いのは最初の一瞬さ。あのゴリラ女も喜ぶぜ」
下卑た猫なで声とともに、硬い手が腿をなぞり上げる。誰かの荒い息が耳にかかる。夕希はきつく目を閉じた。
何も起こらない。なぜか腕がゆっくりと解放された。そして夕希は、刺すような緊張が訪れるのを感じた。かつん、とヒールの鳴る音がする。
薄く目を開けると、兵隊服は顔を引きつらせて背後を凝視していた。素早く夕希から身を離し、突然現れた人物に対峙する。
「運命くん!」
「お前、さっきの鬼はどうした……!?」
「隠れることもできねーのかよ、グズ」
兵隊服の質問には答えず、運命は夕希を呆れ顔で見下ろしていた。手には今まで持っていたのとは別の、ところどころトゲの突き出た枝のような金属棒を持っている。
「この化け物が……!」
「ひとつ」
呟いた運命は、すでに兵隊服の懐に迫っていた。鋭いトゲが喉を突き破る。少年がそれを引き抜くと、ちぎれかけた首が傾き、兵隊服の男は地に倒れた。
「鬼なら殺した。だから死んでねえんだろ? わかれよ」
崩れ落ちた屍は、錆と霧に紛れて溶けてしまった。彼のもっていた鉄片が、錆の砂の上に落ちる。
「ふたつ」
運命はおもむろに鉄片を拾い上げ、逃げようと背を向けた一人めがけて投げる。頭を貫通したそれは鉄の幹に当たって大きな音を立てた。
「俺はゴリラじゃねぇし女でもねえ」
「う、わああああああああああぁ!!」
「みっつ」
やみくもに向かってきた相手の腸に、根元まで棒を突き刺す。続けて突進してきた男も、そのまま串刺しにした。運命はぐるりと棒をひと捻り、そして一気に引き抜いた。どちらがどちらともわからない臓腑が地面にこぼれ落ち、やがて錆と霧となって消えた。
「地獄にいるやつなんてみんな化け物だ、俺だけじゃねえよ」
金属棒にこびりついた鮮血もまた、霧となって散った。夕希は唖然と運命を見つめた。
「おい、ボーっとしてないで立てよ。お前を運ぶ気はないぜ」
「あ、ご、ごめんなさい……。私は大丈夫だけど、運命くんは?」
わざとらしくため息をつく少年は、自身の胴を指差した。
「見りゃわかんだろ、肋数本折れて疲れてんだよ」
そうは見えない立ち居振る舞いだが、確かに彼の表情は少しだけ苦痛をにじませていた。
「大丈夫なの!?」
体を支えようとすると、乱暴に振り払われた。運命は自身の武器を杖代わりにして、先ほどまで夕希が隠れていた空へと向かった。
「しばらく動かないで休めばくっつく。隠れて休憩するぞ」
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