3-2信疑
どさりと地に落とされ、夕希は体の痛みと口の中に混じる砂の不快感で意識を呼び起こされた。
「——う、ぅあ」
ブレザーの袖で口を拭い、それから地面にぶつけた肩をかばいながら身を起こす。傍らには、こちらに背を向けた運命が立っていた。
「起こす手間が省けたな」
「ここ、は?」
と聞いて鮮明になってきた頭で先ほどの流砂を思い出す。とすると、ここはあの砂漠の地底ということか。夕希はゆっくりと立ち上がり、地上よりもずっと視界の悪い中で周囲へ目を凝らした。
そのだだっ広い空間は、鍾乳洞に近い様相であった。数十メートルはありそうな遠い天井からは、氷柱状の鋭い岩が幾多にも垂れ込めている。岩かべの大小様々な空洞には、薄闇よりもさらに濃い、まるで何かが息を潜めているような不気味な暗がりが形作られていた。
夕希たちのすぐそばには、巨大な岩の柱のようなものがそびえ立ち、それは地下の天井にまで達していた。おそらくあの沈んだ残丘だろう。柱の根元は、落下の衝撃からか砕けた岩や砂塵で埃っぽい。天井のほうも、岩の突き抜けている周囲は微妙に隙間が生じ、地上の薄明かりがわずかに漏れていた。ぽかんと口を開けて高い天井を見上げていると、夕希はその一箇所に、細く短い亀裂を見つけた。その真下には、蟻塚のような砂の山が積まれている。
「私たち、あそこから…?」
「そうだ。…登るのは無理そうだが」
かすかな砂が、細い光を受けてさらさらと流れ落ちてきた。夕希はその様子をぼんやりと眺めていたが、突然に思い出して運命の方を向く。
「あっ、あの、助けてくれてありがとう。運命くんいなかったら、私きっと落ちて死んじゃってた……」
すると彼は横目でこちらを一瞥し、「ふん」とつまらなさそうに鼻を鳴らすと顔を逸らした。
「礼なんてなんの価値もない。これじゃどこに進めばいいのかも分かんねえし、お前を連れてる意味もなくなる。……早く出口探すぞ」
細く鋭い針が、音もなく胸を刺すような感覚だった。
——連れてる意味も、なくなる。
止めたいのに、打ち消したいのに、運命の言葉がやかましいサイレンのよう繰り返し、脳裏に鳴り響いている。
「なにやってんだよ、行くぞ」
我に帰ると、運命がいつの間にか数歩離れたところにいた。慌ててその後を追うと、暗がりの中でもわずかに色づく淡い姿が、黒い闇に飲まれるようにして洞穴へと進んだ。
「行く……って、どこに?」
「静かに、よく聞いてみろ。この穴だけ奥に続いてるようだ」
促され、注意深く耳を傾けてみる。少しだけ、本当に幻聴かと思うほどにわずかだが、水の流れる音が聞こえた気がした。
「地獄で水なんて見たことねぇが……他の穴からはなにも聞こえない。ここで口開けて亀裂を眺め続けるよりはマシだろ」
そういって躊躇なく闇に歩を進める運命のドレスの袖を、夕希はとっさに掴んだ。少年は不思議そうな顔でこちらを振り返る。
「なんだよ」
「あ、明かりもないのに、本当にこの穴が出口に通じてるのかな……」
もっと他の洞穴も調べたほうがいいのではないか。そう提案したが、運命は夕希の手を振り切った。
「どの穴も真っ暗、希望があるほうから手をつけてったほうが早いに決まってる。それとも、今更暗闇くらいでビビってんのかよ」
それだけ言い放つと、少年はまた歩き出してしまう。夕希はかろうじて飲み込んだ言葉を心の奥にしまい、おとなしく彼の隣を歩いた。
——暗闇が怖いんじゃないよ。
暗闇の中で、用済みだと、糸までたどり着けないのならもう意味がないと。
そうやって見捨てられるかもしれない。そのことが、夕希に得も言われぬ恐怖を感じさせた。
「………ほら、これなら文句ねえだろ」
黙り込む夕希に何を思ったのか、運命がおもむろに手を差し出してきた。意味がわからずにきょとんとしていると、しびれを切らしたのか夕希の手を引いて歩き出した。
「えっ、あの」
「これなら見えなくても少しはマシだろ。はぐれる心配もない」
手をつないでいる、というよりは手首を掴まれ、洞窟の中に引っ張られる夕希。薄明かりすら届かない闇の中、少年の姿はほとんど見えないに等しい。しかし暗がりにこだまするヒールの高い音や、掴まれた手首の少し痛いくらいの感触が、彼の存在を声高に主張していた。
夕希は不意に彼の手を掴みたい衝動に駆られたが、なんだか振り払われるのが怖くなり、結局彼に手を引かれるまま歩いた。
「そういえば、さっき聞きたかったことってなんだよ」
しばらくの間二人分の足音だけを響かせて歩いていたが、運命がそんな風に尋ねた。夕希は心臓が跳ねるのを感じた。手のひらに汗がにじむ。
「ええとね」
糸までたどり着いた時、自分をどうするつもりなのか。
置いていくつもりでもいい。ただ、見捨てるつもりで隠していた、騙すつもりで言わなかったのかどうか、それが聞きたいだけだ。ただ運命の真意が知りたいだけで———
「………」
——それでもし、隠していたと答えられたら?
夕希は問うことができなかった。まるで言葉の発し方を忘れてしまったかのごとく、喉の奥で声がつっかえた。体が問うのを拒否しているような感覚に、夕希は混乱と情けなさで涙が滲んだ。
「あ、の」
「いいよ」
言葉にもならない震えた声を遮って、運命は静かに言った。
「理由は知らねえけど、言いづらいなら別に聞かない。……お前さっきから変にビビってるし。落ち着いたら言え」
「……うん。ごめんなさい」
ほっと安堵で満たされる一方で、疑いの気持ちは晴れるどころか、重く沈み込むようにして心の奥に残されている。
疑念を拭いきれない。信じきることもできない。それなのに、導くその手に頼りきりの自分に、夕希はますます嫌気がさした。
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