1-4糸

 ここは地獄。


 自分は死んだからここにいる。


「私は、死んだ……」

 声に出してみても、その実感はわかない。


「何も知らないにしては、意外と冷静だな」

「だ、だって、ちゃんと体もあるし、走ると疲れるし、転んだら痛いよ……生きてるみたいに」


 夕希は自分の胸に手を当てる。暖かい。そしてまだ、心臓の鼓動を感じる。これで死んでいると言われても納得できるはずがない。

 しかし少年は不満げな夕希に構う様子はなく、突き放すような視線をよこしただけだった。


「お前、ここで目がさめる直前にどうなった? 事故か? なんなら自殺でもしたのか?」

「な、自殺なんて……!」

「じゃあなんだ」

 手近な岩にどかりと腰を下ろす少年。金属棒に体重を預け、がに股で座るその姿は、はしたないを通り越して様になってすらいる。先ほどから有無を言わさない調子の少年に戸惑いを覚えつつも、夕希は正直に質問に答えた。


「ナイフで…刺されたの。友達をかばって」

「その傷は跡形もなく消え、化け物がいる気味が悪い場所で目が覚めたんだろ?」

「で、でもまだそうと決まったわけじゃ……」

「頑固な奴だな。俺だって死んでここに来たんだ」

「そ、そもそも、どうしてあなたは自分が死んだって、はっきりわかるのよ……!」


 少年は面倒臭そうにため息をつくと、鋭く夕希を睨み上げた。夕希は思わず肩を竦ませた。

「いちいちうるせぇなあ……! 俺は目が覚めた時から自分が死んでるのも、地獄に落ちたことも自覚してたんだよ!」

 なんでこんな当たり前のことから……、と少年は苛立った様子でぶつぶつ文句を言っている。


「ちょ、ちょっと待って!」

「あ?」

「当たり前って……じゃあ、ここにいる人は普通、自分が死んでることを知ってるの? 地獄だってわかっててここにいるの?」


 普段なら不機嫌な人物の気に触るようなことは絶対にしないはずの夕希であったが、さすがに気を使う余裕がなくなっていた。自分だけが何も知らないということではなく、すべてを知っていることがまるで普通であるかのように振る舞う少年に困惑していた。


 力が抜けて、夕希はその場にしゃがみ込んだ。自分の膝に顔を埋める。その様子を見た少年はフンと鼻を鳴らし、夕希の頭を棒で軽く小突いた。


「おい、しょぼくれてねぇで俺の話を聞け。一回しか説明しない。だから二度と面倒くさい質問すんじゃねぇぞ」

 そして少年は気だるげに口を開いた。

「まず、お前は死んだ。これはもう認めろ。んで、ここは地獄だ。地獄っつっても極悪人共が罰を受けるために落ちてくる場所じゃない」


 もしそうなら、自分が落ちる義理はない。夕希はそう思ったが、もう何かを言い返す気力もなかった。

 少年は淡々と続ける。

「ここは、死ぬ前の記憶を持ったまま生まれ変わるために落ちてくる場所だ」


「望んで落ちてきたってこと……?」

 顔を上げて控えめに質問をすると、苛立ちが収まってきたのか、睨まずに答えてくれた。


「似たようなモンかもな。少なくとも、俺が見てきた奴らはみんな、何が何でも生まれ変わっってもう一度やり直したいって奴らばっかりだったし。落ちようと思って落ちた奴なんて知らねぇけど、望んだ結果辿りついた場所がここってことかな」


「じゃあ、どうやって生まれ変わるのかも知ってるってこと?」

 少年の口ぶりからして、転生できるまでただ待ち続けているわけではなさそうである。すると彼は、ニヤリと口の端だけを上げて笑って見せた。


「もちろん、地獄で目が覚めたその時から、俺たちは転生に必要なものを知っている。それが“糸”だ」

「いと、って……」


 夕希は遥か遠くに見える白い光を見つめた。少年も夕希と同じ方向に目を遣った。


「自分は死に、もう一度人生をやり直すために地獄で糸を求める亡者であること。ここにいる奴らはみんな、堕ちたその時からそれを知っている」

「じゃあどうして……」


 どうして自分は何も知らないままここにいるのか。


 言葉にしなくても、少年は夕希の言わんとすることを悟ったようだった。

「俺も噂を聞いただけで、ついさっきお前を見つけるまで信じちゃいなかった。地獄に落ちた亡者の大半は、自分がどうしてここにいるのか知っている。だが稀に、何も知らないまま落ちてくる奴らがいるらしい。そいつらは他の亡者みたいにデカい未練を持っているわけでもなければ、気持ち悪いくらい生きることに執着しているわけでもない。地獄のことを何も理解していないから、大抵はすぐ死ぬ」


 だけど、と少年は続けた。光の筋の方向を見ているが、その視線はただ遠くを眺めているだけのようにも見えた。


「だけど、そいつらは地獄で唯一、糸を視ることができる。亡者が血眼になって探し求める糸の在り処を、何も知らないそいつらだけが視ることができる」

 実際お前には視えているようだしな。少年はおもしろくもなさそうに呟いた。


「わ、私にしか視えてないの? アレ……」

「他にそういうやつがいなかったらな。ちなみにお前みたいなやつのことを“カシシャ”って呼ぶらしいぜ」

「カシシャ……」


 呆然と、遥か彼方の「糸」を見つめる夕希。今にも切れてしまいそうに細いが、暗く色のない世界の中でただ一つ、確かに光を放っているのがわかる。


「どうだ、少しは今の状況を認める気になったかよ?」

 問いに、夕希は曖昧に頷いた。実感は沸かないが、無理やり納得するしかない。


「——さっきよりは、少し」

 すると少年はしばらく横目で夕希の様子を見ていたが、やがてどうでも良さげに言った。


「あっそ。んじゃ、やっと本題に入れるな」

 そして彼は夕希に向き合った。栗色の巻き毛が風に揺れる。真剣なその表情は美しかったが、獣にも似た獰猛さを帯びていた。夕希は思わず息を飲む。


「俺は何がなんでも生き返りたい。そのためにはお前が必要だ。だから、夕希、お前が俺を糸に導け。その代わり、俺がお前を守ってやる」

「あの、私———」

「亡者はお前より強い。さっきみたいに“鬼”に遭遇したら確実に死ぬ。俺のために糸を目指すか、自分一人で生き抜くか、選べ」


 少年とともに糸を目指すか、一人で地獄を彷徨うか。

 選択肢なんてないも同然だ。

 それでも夕希は、構わなかった。


「私は——」


 こんな地獄で、一人取り残されるのはごめんだ。

 何より、この少年は自分を必要としてくれている。


「い、糸まであなたについていくよ」


 夕希の返事を聞くや否や、少年はくすっと笑った。

「決まりだ。来い、夕希」

 そしてくるりと身を翻すと、スタスタと歩き出した。夕希もあとに続く。


「あ、あのどこに……」

 少年が進むのは、糸とはまた別の方向である。夕希は斜め後ろの糸を振り返りながら尋ねた。


「糸はどれくらい遠くにある?」

「えっ……と、かなり遠い、かな。1日じゃ無理だと思う」


 そもそも、ここに日にちという概念はあるのだろうか。ふと疑問に感じた。

「ここじゃ時間なんてわかりゃしねぇよ。ずっとこの天気、この空、この暗さだ」

 すると少年は適当な調子で述べた。さらに付け加えるように続ける。

「けど長い道になるのは確実だ。糸の前に寄りたいところがある。もともと俺は、そこを目指してこの辺に来てたんだ」

「もとからこの辺にいたわけじゃないんだ……」

 夕希はてっきり、皆があの場で目覚めるものだと思っていた。


「同じところにいても何もかわらねぇからな。地獄に落ちたときに知っているのは最低限のことだけだ。生き残るための情報集めるのは当然だ」

「そっか……。それで、どこに行きたいの? えっと……」


 そういえば一方的に聞かれただけで、彼の名前を聞いていない。

 今更聞いていいものか迷っていると、少年はそれを察したように告げた。


赤崎あかざき運命さだめだ」


「赤崎くん……くん?」

 言わんとすることを理解したのか、彼は不快をあらわにした。


「これが女の声に聞こえたのか? あと苗字で呼ぶな。……運命でいい」

「ごめんなさい……。えっと、よろしくお願いします、運命くん」

「……おう」


 ぶっきらぼうに返された返事は頼もしく、夕希の不安の中にほんの少しだけ安心が芽生えた。

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