幕間

放課後ノ記憶

「……っ! さよなら……!」


 涙をこらえながら走り去る女子生徒の背を眺め、運命はうんざりした気分になっていた。彼女の走り去った方向にはごみ捨て場があるだけだ。校舎への入り口とは逆方向なのだが、そんな簡単なことにも気づかないのだろう。気づかないほどに、彼女はいま、自分の悲しみに浸っているのだろう。


 運命はくるりと踵を返すと、校舎入り口へと足を運ぶ。入学してわずか4ヶ月弱、すっかり校舎裏の常連である。ここの生徒の愛の告白は、こんな殺風景で味気ない場所が定番なのだろうか。日が低くなり、対照的に長い影を落とし始めた4階建ての西棟を仰ぎつつ、運命はつらつらとそんなことに考えを巡らしていた。しかしすぐに飽きて、校舎に入り、正面玄関の靴箱に辿り着く頃には、あの涙に暮れる女子生徒のことなどすっかり思考の外であった。


 正面玄関の前には人影がひとつ、ケータイをいじりながら階段に腰掛けているのが見えた。もう待っていたのかと、運命はすこし急ぎながら靴を履く。かがむと、適当に束ねた長い髪が、肩越しからはらはらと落ちてきて邪魔くさい。ちょっとだけ眉間にしわを寄せ、それを後ろに払うと、玄関前で待っている人影のもとへ急ぐ。


「おー、やっときたかイケメン」

「わり」


 タカは勢いよく立ち上がると、そのままの勢いで階段を数段飛ばして飛び降りた。


「俺もさっき部活終わったとこだよ。お前また図書室だろ。よく飽きねえな、なにしてんの?」

「別に。家にいるよりは、図書室で暇つぶすほうが好きだから」

「お前ほんと家嫌いだなー」


 小学校の頃から自分を知っているこの男は、からかうような調子で笑った。運命も小さく笑い返す。変に気遣われたり諭されたりするよりは、こうやって理解した上で茶化してくれたほうが随分とマシだ。


「とか言ってサダメー、さっき何してたんだよー」

 にやにやと意味深な笑みを浮かべる意味が分からず、運命は自分よりすこしだけ背の高い友人を訝しげに見た。本当に図書室で課題をやっていただけなのだが、この男は何を勘違いしているのだろうか。


「ちょうど練習終わったくらいにさー、女子の先輩が『サダメくんの連絡先教えてっ!』って俺に聞いてきたぜー。図書室にいるから自分で聞けばって言ったんだけど、ちゃんと会えたか?」

「ああ、それか」


 すっかり忘れていた。そういえば、なぜあの女子が図書室までわざわざ呼びに来れたのか不思議に思ったっけ。


 運命はもう顔も曖昧な彼女のことをようやく思い出し、いまだにやにやし続けるタカに簡潔に告げた。


「普通にフったけど」

「お前……」


 そんなゴミを見るような目で見られるのは心外である。「なんだよ」と返すと、タカは大仰なため息をひとつ吐いた。


「今日4人目じゃん………。夏休み前にさ? 終業式終わってさ? 夏休み二人で遊びたくて勇気出して告ってきた女子をさ? どーしてそんなばんばんフれるんだよ……先輩とか、ぜっっったい年下に告るの勇気いるし」

「知らねえよそんなの……。ただ一緒にいる気になれねえし、名前も知らないやつのことなんて俺はどうでもいい」

「……今日もそれそのまま女子に言ってきたのか」

「普通にフったって言っただろ。それ以外何言えばいいんだよ」


 するとタカは「あーもー」だとか「普通ってなんだよ普通そんな頻度で告られねーよー」だとかぶつぶつ言いながら頭を抱え出した。はたから見ればすこし変な人間である。


「明日、一日中部活なのか」

 これ以上興味のない話題を続ける気にもならないので、運命は話題を変更した。あからさまに話題を変えにきた運命をすこし呆れた顔で見ていたタカだったが、それ以上何を言うでもなく質問に返してきた。


「んにゃ、明日の昼から合宿行ってくるわ、一週間くらい」

「そうか」


 タカだけではなかった。他の友人達も皆、夏休みが始まれば午前か午後、部活によっては一日中練習というのも少なくない。運命自身は部活に入っていないため、彼らの自由時間に合わせて遊ぶのがほとんどだった。

 ちなみに、帰宅部な上に物静かな方である運命であったが、ガラの悪い先輩達にも物怖じしないこと、運動もそれなりにできて付き合いもいいことから、タカ含む同じ中学出身の友人以外にも、結構仲のいい生徒はいる。


「部活してりゃーそんなに暇じゃねえよな」

 ぼそっとつぶやくと、髪の毛を後方に引っ張られた。がくん、と首が曲がる。


「い…⁉ってーな、何すんだよ!」

「そんな拗ねんなって! いつもみたいに暇なときは誘うからさ!」


 怒っていたはずなのに、気持ちよく笑うタカの表情を見ると説教もしづらくなる。


「それにほら、夜ならいつでも泊まり来いよ! にーちゃんのゲームいっぱいあるから!」

 そう付け加えるこの友人は、運命の家——もとい母親の性質を、うっすらと察しているのだろう。いつでも逃げてきていい。決して直接言葉にすることはないが、この友人は時折、暗にそう示してくれる。


 それがまた、今の精神的な支えでもあった。

 しかし運命は、そのことを決して直接言うことはしないが。


「……じゃあ今日」

「それは急すぎる」


 代わりに、いつものように冗談を返すだけである。

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