3-7決壊
洞穴には、かがりが使っているものなのか、松明が数メートルおきに取り付けられていた。その中を脇目も振らずに走り続ける少年に、夕希は戸惑いと不安を感じつつも、なすすべなく抱えられていた。
「きゃあっ!」
どれほど経った頃だろうか。がくん、と運命が膝から崩れ、そのまま地面に身を投げるようにして倒れこんだ。当然、抱えられていた夕希はどうすることもできず、硬い地面に放り出される。風を切る音が止み、代わりにどこからか水の流れる音が聞こえた。
「い…った……。運命くん?」
運命はぼろぼろの体を引きずるようにして壁際にたどり着くと、上半身を起こして咥えていた左腕をぼとりと離した。夕希は一番近くにあった松明を手に取り、運命の元へ駆け寄った。木にしては少しなめらかで細く白っぽいその松明を立てかけ、少年のそばに膝をついてその様子を伺う。
意識があるのかはわからない。しかしその顔は、橙のほのかな灯火の中でもわかるほどに真っ青で、大量の汗に濡れていた。息は荒く、ちぎれた腕以外にも、身体中に限界がきていることは夕希にでも分かった。
「な、なにか血を止め……ひゃ、なにっ!?」
「貸せ」
夕希は唐突にネクタイを引っ張られ、危うく運命に倒れ込みそうになったのをなんとか堪えた。そんなことに構う余裕もないのか、運命は夕希からネクタイを奪うと、おぼつかない手つきで左腕に巻き付けようとした。どうやらくっつけようとしているらしい。
「お、い……腕持て」
「えあ、あの」
「早くしろ……!」
恐ろしい形相で睨まれた夕希は逡巡したのち、黙って少年の左腕を支えた。あまりの痛々しさに思わず目を背けた。震えているのが自分でもわかる。
運命は片手と口を使って器用にネクタイを腕に巻きつけると、うつむいたまま浅く速い呼吸を繰り返した。夕希はただ、その様子を見守ることしかできない。
「ぐ、かふっ、げほっ!」
「運命くん!」
咳き込みながら吐血する運命の肩に触れようとすると、力なく拒絶された。
「だい、じょうぶだ……。休めば、すぐ…けほっ」
「そんな、でも」
「いいから、黙ってろ……」
「だけど、私にもなにか……!」
なにか、なにか自分にはできないのだろうか。
この人を死なせたくない。
「る……せんだよ」
必死に考えを巡らしていると、小さく運命がつぶやいた。
「え……? どう———」
「お前は、何もできねえだろ!」
告げられた言葉に、夕希は身を固まらせた。炎に照らされた運命の横顔は、痛みをこらえて歯を食いしばったものの、またすぐに不満を叫んだ。
「おま、お前が、流砂に巻き込まれなければ、順調に進んだんだ! 傍観者のとこでだってそうだ…とろくて、俺がいなきゃすぐに死んじまうようなやつに、今! ここで! 何ができる!? もうあの女がすぐそこに来ているかもしれない。けどお前には何にもできねえだろ、分かれよ! 心配だけじゃ、何も状況は変わらない……! 俺はこんなとこで死にたくないんだよ、死ぬはずじゃなかったんだよ!! ……死にたがりのお前とはわけが違う! お前なんか………ここで死ぬくらいなら、見捨てときゃよかったんだ!」
少年の怒声が洞穴に反響した。再び訪れた静寂の中、少し冷静さを取り戻したのか、運命は静かに続けた。
「カシシャってだけで、ここまで守ってやってんだよ。わかったらおとなしく……」
うつむいたまま動かない夕希に、運命は眉をひそめた。
「……運命くん、だって」
「あ? なんだよ」
夕希はスカートの裾を握りしめ、勢いよく立ち上がった。運命を見下ろすその目は怒った様子で彼をにらみ、しかし涙がたまっている。
「運命くんだって! あたしのこと最初っから騙すつもりだったんでしょ!」
運命の怒号を聞いて、夕希ははっきりと悟ってしまった。
彼は、自分のことを道具としてしか見ていない。情など、欠けらも感じていないのだと。
「は、いきなり……」
「私、ぼ、傍観者さんに聞いたもん。糸で転生できるのは一人で、それは亡者なら誰でも知ってることだって」
「な——」
彼が今まで見せたことのない、本気で狼狽えた表情に、夕希は自分の言っていることがどうしようもなく真実であることを突きつけられた。ぼろぼろと目から雫がこぼれ落ちたが、ぬぐう余裕などなく、ただ溢れ出してしまった感情を吐き出し続けた。
「今まで考えないようにしてた。運命くんが、私のこと騙してるなんて思いたくなかった。だってあなたと一緒にいて、自分のために生きたいって、生まれ変わってやり直したいって思えた。初めて自分のために生きたいって思ったんだよ。生まれ変わったら、また運命くんに会いたいって思えた……! 信じたくて、少しでも疑ってる自分がすごく嫌だったのに……! でも今のでわかった……! あなたは結局、私を使い捨てるつもりだった! 自分のことしか考えてないのに、恩着せがましいこと言わないで!!」
感情の昂ぶるままに全てを吐き出した夕希は、ようやく我に返った。静まり返った洞穴には、松明の燃える音とささやかな流水の音だけが響いている。
夕希は運命を見つめた。彼もまたこちらを見つめ、驚いた表情で固まっている。暗闇に浮かぶその姿にはいつものような華やかさはかけらもなく、ずたずたに裂けた裾や血のにじむレースが、かえってその無残な状態を強調している。
「あ……私」
激しい後悔が夕希の心を満たし始めた。取り返しのつかないことを言ってしまった。心臓が早鐘のごとく鳴る。
「ごめんなさい。少し……頭冷やしてくる」
震える声で小さく告げて、夕希は運命に背を向けた。一刻も早くこの少年のそばから離れたくて、夕希は足早にその場を離れた。
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