3-5死闘
かがりはかくんと首を傾けてうつむいた。不気味な含み笑いが艶のある黒髪の奥から聞こえる。
「お前こそ、何モンだよ。こいつがカシシャなんて適当なこと言いやがって」
「ふふ。5周もしていれば、亡者も鬼徒も、カシシャの違いも、さすがにわかるの」
夕希より一歩前に出た運命が、自身の得物を構えて目の前の笑う女を睨んだ。
「うふ、ふふふ。怯えちゃって可愛いのね。でも大丈夫よ。夕希ちゃんをくれたら、痛くしないでいてあげる、ね?」
夕希は運命の後ろ姿を見つめた。
ちらりと振り返った運命の険しい視線が、夕希のそれと交錯する。
「………断るに決まってんだろ」
少しの間を置いたのち、運命が告げたのは拒否だった。
「そう。じゃあ少しだけ、楽しみましょうか」
顔を上げた女の目は血走っていた。浴衣を大きくはだけさせたかと思うと、かがりは袖から手を抜いた。生白く艶めかしい上半身が露わになる。
「ぅあ…あ、あっ……んっ」
苦しそうな、しかしどこか恍惚とした表情で呻くかがり。彼女の躰が大きく跳ねた。その細い背が歪に盛り上がる。
「ァア、ハァー……ハァー……にさ、まぁ……!」
みし、と不吉な音を立て、それは女の背を突き破った。
昆虫の前足のようにも見えるそれは、よく見ると骨と皮だけの人の腕のようであった。無数に生えてきたそれらは血に濡れ、薄く差し込む明かりで僅かに光っている。先の鋭く尖ったそれを二つ、かがりは造作もなくちぎり取った。
「うふ、ふふふははっ!」
夕希が状況を理解するよりも早く、運命が動いた。一秒もない間に夕希は運命に抱えられ、高く飛び上がっていた。先ほどまでいた場所には砂塵が舞い、その中心に佇む異様な人影が見えた。
「ここにいろ、絶対動くな!」
地に降りてそれだけ告げると、運命は無数の手を蠢かせる影の元に飛び込んでしまった。
彼の得物である金属棒は、初撃とともに軽々と弾かれた。瞬時に身を引いた運命は、追ってきたかがりを避けて高く舞い、弾かれた得物を宙で取り戻す。
「あら、釣れない坊やね」
「っの、ヤロ!」
下から迫る無数の腕を紙一重で躱す。回避できないものを受け止めると、そのまま地面に突き飛ばされた。運命を追うようにして、破壊された天井から氷柱状の岩が降り注ぐ。
跳ねるように起き上がった少年は手近に落ちてきた岩を振り上げ、かがりめがけて投げた。一瞬の間も置かず、その後に続いてかがりへと突っ込む。
懐に入り込んだ運命の蹴りを、上空に避けたかがり。それを見越してか、運命は躊躇せずそれめがけて地を蹴った。
得物を振りかぶる刹那、運命は考えるよりも先に体をひねり、守に転じる。左腕——さっき心臓のあった位置——に深々と鋭利な腕が突き刺さった。かがりはその笑みをますます歪めると、抉り取るようにして貫いた。筋が裂け、骨が砕ける。
「うふっ、きもちい?」
「ぐっ…….」
脳が激痛に犯される寸前、運命は渾身の力でかがりの腕を薙ぎ払った。勢いに圧され、かがりが天井に叩きつけられる。瓦礫と共に落ちる暗色の血が、淡いドレスを汚した。
「運命く……っ!」
「——ただの亡者でここまでできる子、初めて見たわ」
落下した少年に駆け寄ろうとした夕希は、土埃の奥、軽々と着地した影に息を飲んだ。
「……生え、かわるなんて聞いてねえよ……」
軽口を叩く運命の声は、しかし、今にも途切れてしまいそうだった。
「ふふふっ、この腕はね、私が今までたっぷり愛してあげた人の数だけあるの。もちろん、一番愛しい人は他にいるのだけれど」
あなたも愛してあげたかったのだけどね。かがりは血の付いた指を、吟味でもするかのようにしゃぶった。
「あなたは、愛せる気がしないの。こんな風に殺しあうのは趣味じゃないのよ。ほら、どうせ愛するなら、もっと穏やかに、ゆっくりじっくり愛したいじゃない? 急ぐのは嫌いよ」
「化け物が……」
「まあ! 今更ね」
その一言と同時に迫り来る攻撃。その全てをかろうじて回避するものの、反撃の隙はない。左腕はちぎれかけ、とっくに使い物にならない。このままでは埒があかないと、運命は意を決し上に跳ねた。
宙に浮き無防備になった運命を、かがりが逃すはずもない。運命は迫り来る腕の軌道をそらした。致命傷を避けるも、薙ぐように天へと吹き飛ばされる。
「か、ふっ……」
「運命くん!!」
叫ぶ夕希の声は、運命に届いてはいなかった。呼吸が止まり、視界が数秒、黒く染まる。
「上はあなたに不利よ。同じ愚行、学びなさいな」
「く、そ……」
地に落ちた衝撃で意識を取り戻した運命は、身体中の痛みを無視して立ち上がった。
そしてこれだけの怪我を負っても、なお握りしめていた武器に体重を預けた時、異変に気付いた。
「てめ、も……あんま、舐め…よ」
「あら、なぁに?」
「ハッ……ばー、か」
余裕の微笑みを浮かべるかがりの真上に、運命は得物を投げた。
「らぁあああ!」
金属棒は激しい音を立てて天井に突き刺さった。しかし破壊された部分はわずかでしかないようで、拳程度の礫が幾つか落ちただけであった。
「まあ、可愛い」
真上の様子を仰いでそう言ったかがりが、再び運命に向き直った時だった。
空間が、揺れた。
「————えっ?」
かがりの頭上に、巨大な岩塊が降り落ちた。あっけにとられる間もなく、あたりを埋め尽くすように洞窟の天井が崩落を始めた。
「な、なっ……!」
すぐ近くに岩塊が落ちてきて、夕希は衝撃で尻餅を付いた。立つこともままならない中、少年の姿を探す。
「——あっさだ……きゃあ!」
突進するようにこちらへかけてきたかと思うと、運命はその勢いのままに夕希を肩に担いだ。
「……運命くん! 腕……!」
「—————」
頭上越しに前を向こうとした夕希は、少年が皮一枚でつながっているような、自身の腕を咥えていることに気がついた。無事なほう、夕希の腰に強く巻きつく腕も、手のひらに触れる背も、燃えるように熱を発している。
運命は何も言わないまま、いまだ崩れ落ちる瓦礫をかわしながら、目的の洞穴に飛び込んだ。急速に遠くなってゆくその入り口は、やがて岩塊に塞がられて闇に塗りつぶされた。
「ちょっと、もう大丈夫だよ! ……運命くん?」
声をかけても、彼は応じなかった。背中越しでは表情は見えないが、聞こえていないのかもしれない。
「落ち着いて、一度休もう!? 死んじゃうよ、ねえってば、運命くん……!!」
動いていることが不思議なくらいボロボロの少年を見ていられず、夕希は必死に呼びかけた。
それでもなお、少年は疾走をやめなかった。
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