カシシャ 〜蜘蛛ノ糸争奪放浪譚〜

ニル

死ノ淵ノ闇

 ————ここはどこだ。


 目がさめると、そこはどこまでも続く暗闇の中だった。


 溶けてしまいそうな意識をかろうじて保ちながら、光を求めて一歩踏み出そうとした。


「………?」

 そこでようやく、身体中の感覚が失われていることに気がついた。するとここは暗闇なのではなく、単に自分の視力が失われてしまっているということかもしれない。


 そして、自分に何が起きたのか、これから何が起きるのかを思い出す。


 誰か、誰かに気づいてもらわなければ。


 焦りで徐々に思考がはっきりしてくる。なんでもいい、指一本でも、うめき声一つでも、何か自分が生きているということを証明しなければ。


 必死な感情とは裏腹に、からだは何一ついうことを聞かない。急く気持ちを駆り立てるように、戻り始めた嗅覚に無情な薬品臭が刺さる。聴覚も回復しつつあるのか、壁の奥から届いてくるような、こもった話し声が聞こえた。自分が仰向けになっていることも知覚する。


 残された時間は、あと数分もないかもしれない。

 歯をくいしばることさえできず、悔恨はじわりじわりと増していく。


 どうして自分は、いつもいつもこんな目に合わなければいけないのだ。


 振り返れば、自分の人生は何一つとして自らものにはならなかった。今なお、他人に決められた死へと着々と近づきつつある。


 全てを自由にさせろとは言わない。

 ただ、何か一つだけでもいいから、自分でえらんでみたかった。

 自分の人生を生きていると、実感したかった。


 その願いすら、もう手の届かないところへと放り投げられてしまった。


「…………………………………………」


 ————まだだ。まだ終わらせたくない。


 まだ聞こえる。まだ匂える。まだ感じる。まだ生きている。

 まだ、生きられる。


 こんな状況の中でも、心を占めているのは嘆きでも諦めでもなく、怒りと生への執念。

 いやだ。誰かに死ぬまで、死んでからも利用されるような人生はまっぴらごめんだ。


 自分は——俺は俺の意思で、俺がえらんで生きて死ぬ。


 これが終わりだというのならば、まだ始まってすらいないと否定しよう。

 希望が彼岸の彼方にあるのなら、彼岸まで行って奪い返そう。


 再び、今度は急速に、全ての感覚が消失していくのを感じた。意識が保てなくなっていく。


 ————まだ、終わりじゃない。


 最後まで足掻きながら、意識はふつりと切れた。

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