最終話「真紅、これにて――Re:」

 故郷のアスモ村に戻ってからも、ザジは狩人ハンターとして忙しい日々を過ごしていた。

 あれ以来、父の形見のピッケルが光の剣になることはない。

 別れ際に教えてもらったが、それは本来オルトリンデ達のような対戦車たいせんしゃモービルに搭載されていた武器だという。たまたまつばの部分が左右に尖っているので、ピッケルだと思いこんでいただけなのだ。

 だが、ザジにはそれで十分だ。

 野生のネイチャードと戦うために、光の剣はまぶしいし強過ぎる。


「あっ、お兄ちゃんだ! みんなーっ! お兄ちゃんがお肉を持って帰ってきたよー!」


 巨大なラットを肩に担いで、ザジは村に戻った。

 もっと大きな獲物が欲しかったが、今日は不思議とネイチャード達の気配がおとなしい。こういう日は、深追いして彷徨さまよっても無駄なのだ。

 早めに狩りを切り上げ、集まり出した村人達の前で立ち止まる。

 大人より二回りほど大きな鼠を、ドスン! と地面に下ろした。


「すげえ……ははっ、見て見て! こいつ、前歯が凄い!」

「これはまた、立派な鼠だ。前歯は少しの加工で刃物が作るれるのう」

左様さよう、皮も骨もありがたい。何より、今日も肉にありつけるというものじゃ」


 ザジは今日も、自分の務めを果たした。

 そのことが今は、以前よりずっと誇らしい。

 長い旅の中で、一人では困難な障害が無数に立ちはだかった。そんな時、かたわらに仲間がいてくれた。一人と一台は、旅を共にした生涯の友だと思える。

 友だと思わなければいけない。


「ん、どしたの? お兄ちゃん。何か、遠くを見てたよ? 今、なんか」

「ん? ああ、何でもねぇよ。さ! 切り分けんぞ! 病人や怪我人にはデカく切ってやらないとな。まあ、ざっくばらんに切るから、みんなで分け合ってくれ」


 黒曜石こくようせきいだナイフを取り出し、鼠の解体を始める。

 まだ、その身体はわずかに温かい。

 ザクザクと皮をいで、腸を出し、食べられる部位を順々に並べていく。周囲に広がる血の臭いは、生命いのちを貰って生命を繋ぐことのあかしだ。

 狩人として、そのことに感謝を忘れたことはない。

 以前よりずっと、ネイチャードへの敬意を感じるザジだった。


「ねえねえ、ザジにーちゃん! また、旅の話をしてくれよ!」

「そうそう! この間は、銃ってのの話だったけど、怖かった。もっと楽しい話がいいなー!」

「……それと、ザジにーちゃん。俺にさばくの、やらせて。俺も、狩人になるから」


 ふと振り返ると、小柄な少年がじっと見詰めていた。

 彼の手には、以前造ってやったナイフが握られている。


「おう、やってみるか? 初めてだよな」

「誰だって、最初は初めてだよ」

「違いねぇ、やってみな」


 二、三の注意点だけを手短に伝えて、場所を代わる。

 ザジがやれば半刻はんこくとかからない仕事だが、何事も経験だ。ザジだっていつか、この村に帰ってこれなくなるかもしれない。大自然の脅威はそれほどに強く、ただ一人の人間であるということは常に危機の連続なのだ。

 仲間がいつもいてくれた旅路たびじが、そのことを一層強く考えさせてくれた。

 だから、ザジは以前よりずっと用心深く、時には大胆に、そして繊細な狩りをするようになった。それは、周囲の大人が見て驚く程だというが、あまり実感はない。


「じゃあ、今日は何を話したもんかな。ええと」


 集まり始めた子供達の前で、妹のリリが出してくれた水で手を洗う。

 そういえば最近、皆に旅のことを聞かせてやるのが日課になっていた。中には、遠くハコブネの街や、その向こうから話を聞きに来る物好きな大人もいる。

 そして、誰もがザジの語る旅に笑顔になるのだ。

 連血れんけつ巫女みこ様は、無事に星都せいとチェインズへと辿たどいたのだと。

 そう、ハナヤはついに成し遂げた。

 旅する中で多くの人に触れ、無数の試練を乗り越えた。

 そうすることで、この星の病魔に触れ、それを乗り越える力を自分の血にたくわえるのだという。それこそが、百年ごとに連なる血を継承けいしょうさせてゆく巫女達の宿命。

 そう、これから百年ずっと、ハナヤはこの星を見守りやしてくれるのだ。


「よし、じゃあ……砂漠の話をすっか!」

「砂漠? 砂漠って!? え、何!?」

「ばかだなー、しらないのかよ! さばくってな、ずーっとすななんだよ!」

「何それ! 砂ばっかりだったらでも、毎朝の草刈りもないのかな!」


 無邪気な子供達の声が押し寄せてくる。

 その中心で全てを見渡していると、ふと向こうに村長が現れた。

 皆と一緒に、ザジは頭を下げて挨拶をする。

 鼠の解体に夢中になってた子も、気付くやピンと背筋を伸ばして立ち上がった。


「ああ、そのまま、そのまま。おや、キリク。もう解体の仕事をザジに習ってるのかね? ふむ、鼠……大きないい鼠だ。大丈夫、落ち着いてゆっくりやりなさい」

「は、はいっ!」

「で、ザジや。いいかね?」


 子供達は話が聞けなくなると、ブーブー言いながらザジにまとわりついてくる。

 やれやれと村長は、その場で要件を話し始めた。


「ザジ、お前さんが巫女様の行幸ぎょうこうの旅に付き添う間、キリクは少しずつ狩りを学んでおった。その話は聞いておるね?」

「ああ。大したもんだよ、キリクは。ナイフを造ってやった甲斐があった」


 ザジは、一生懸命に鼠と格闘する少年に目を細める。

 名は、キリク。

 次代つぎの狩人は、恐らく彼だ。

 勿論もちろん、まだ狩場を知らない。相当鍛えているだろうが、狩りの世界では強さはある程度のラインを超えると意味を持たなくなる。そして、その先は経験だけがものを言う。経験はリスクを恐れず外へと挑まねば得られない。


「干し肉や流れの狩人から肉を買って、お前さんがいない間も村はなんとかやってこれた。それに、これからはキリクにも狩りに出てもらおうかと思うんじゃ」

「そりゃいい、俺も楽になるしな。っし、明日から仕込んでやっか!」

「それはならん。ザジ、お前さんにはやらねばならぬことがある。もう、その時が来たのじゃ」


 長老の言葉に、自然とザジはさとった。

 周囲からも「わあ!」と声があがる。

 女達は少し残念そうに肩をすくめてるし、子供達ははしゃぎ回ってはやし立てた。


「ザジがよめを探しにいくぞー!」

「この村に、花嫁様を連れてくるんだ!」

「素敵……わたしにもいつか、ザジみたいな人が迎えに来てくれればいいのに」

「早く指輪を! ねえねえ、花嫁様の名を教えておくれよ!」


 せがまれるまま、ザジは左手をじっと見詰める。

 薬指に、真っ赤な石で造った指輪がはまっている。その内側には、これからザジが結婚して家庭を築く相手、将来を約束された少女の名前がってあるのだ。

 その指輪を外して名前を確認し、その少女を探す旅に出る。

 また、旅が始まるのだ。

 そして、それはザジが一人前の大人として認められた証拠だった。


「さあ、ザジ。指輪を外しなさい。お前の名をきざんだ指輪を持って、その少女が待っておる。探し出して、指輪を交換し、この村へと迎えるのじゃ」

「……わかった、村長」


 ふと、一抹のさびしさがあった。

 自分でも、何故なぜそんな気持ちになるのか不思議だ。昔から、早く一人前として認められたいと思っていた。いつか妹の元にも誰かが迎えに来るし、この世界ではどの村もおおむねそうして新たな血を迎え入れている。

 だが、妙な寂寥せきりょうが脳裏で一人の少女をかたどる。

 赤い髪をした、肌の白い女の子だ。

 健康的で肉付きがよく、生意気で気分屋で、とても意志の強い娘。


「どうした? ザジ」

「ああ。悪ぃ……へへ、らしくねえよな。そうだよな? ハナヤ」


 小さくつぶやいて、左手の薬指から指輪を外す。

 その内側にある名前を読み上げると、歓声があがった。

 祝いの声に包まれる中で、ふとザジは呼ばれた気がして左手を見下ろす。

 そこには……今まで指輪がはまっていたあとが、くっくりと残っていた。

 日に焼けたザジの肌に刻まれた、

 指輪の痕は徐々に薄れて、最後には消えてしまった。

 何故か不思議と、遠く離れた場所からの祝福を感じた。


「っし! じゃあ、行くか!」

「待て待て、ザジ! これ、待つのじゃ。出立しゅったつは明日にして、今宵こよいは祝いのうたげを」

「善は急げだぜ、村長! みんなも! ちょっと行ってくる。なに、すぐ戻ってくるさ。嫁を迎えたら、みんなを招いて馬鹿騒ぎだ! キリク、肉を沢山れよ! お前ならできる!」


 それだけ言って、再び赤い指輪を指につける。

 不思議ともう、ハナヤの笑顔は遠ざかってゆく。それを感じても、黙って笑顔で見送れる気がした。巫女として旅を共にした少女は、ザジの中で思い出になっていった。

 それがわかったら、不思議と身体が軽い。

 着の身着のまま、ザジはピッケルを背負って走り出す。


「ほいじゃま、出発すんぜ! あばよ、みんな! すぐ戻っからよ!」


 半分あきれたような声を背に、ザジは走り出す。

 既に空には、かたむいた太陽が斜陽しゃようの光で世界を染め始めている。代わって、星々を引き連れ真っ赤な月が大きく大きく頭上を覆い始めた。

 血のように真っ赤な中を、ザジは走った。

 己の燃える血潮が、全身の筋肉をめぐって躍動する。

 生命の色に包まれて、ザジは再び人生という名の旅へ出発したのだった。

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