第2話「旅立ち、即ち――RESTART」
アスモ村へと戻ったザジは、すぐに子供たちに囲まれた。
この村で肉食の凶暴なネイチャードを狩ったのは、この百年ではザジだけの筈だ。その彼も、助けがなければ危ういところだった。
そして振り返れば、村の入口に奇妙な取り合わせがこっちを見ている。
片方はピカピカ光る青い物体、どうやら機械の乗り物らしい。
それに腰掛け
一人と一台は、あの流れ星に乗って来たと言う。
子供たちも次第に、そちらの方へと興味を退かれてゆく。
「なあザジ! あれ、誰だ? あんな白っちょろい奴、見たことねえぞ!」
「妙なもん着てるぞ、ふわふわしてて、隠さなきゃいけないとこ以外も隠して……ないか。そうでもないや、でも変なの!」
「それより、あれはなんだ? え? 機械? らしい、って……機械?」
「んな馬鹿な話あっかよ、機械ってな遠くの街とかでも珍しいもんだぜ」
ザジもそう思う。
だが、事実だ。
言い伝え通り、流れ星は恩恵をもたらした。
だがそれは、結果的に熊が狩れたというだけに過ぎない。
あのハナヤが大自然の
そのハナヤは今、
そんなことを思っていると、ザジは聞き慣れた声に振り返る。
「お兄ちゃん、お帰りなさい。……わあ、大きな熊! お兄ちゃんが?」
「おう、リリか! どうだ、具合は? 今、こいつを解体して肉を配るからよ」
「今日は調子がいいみたい、平気よ。……ゴホ、ゴホッ! んっ」
「おいおい、全然平気じゃねえよそりゃ」
そこには、無理に笑顔を作って咳き込む少女が立っていた。
妹のリリで、今年で十歳になる。
彼女は、長い間ずっと不治の病を患わっていた。
村の
村でも既に十人以上の患者がいて、養生するしかない人生を送っている。ザジのように
他にも、村には不思議な病気の人間が何人かいた。
多くはないが、人数の問題ではない。
毎日が生き残るのに必死の小さな村では、養う負担も人手が減る痛手も大きい。
それでも、誰もが誰も見捨てない、そんな村だった。
そして、声が響く。
「病人? ちょっといい、ザジ。ボクに
さっきまで離れて見ていたハナヤが、気付けば近づいてきていた。
子供たちは誰もが、言われたわけでもないのに左右に分かれて道を譲る。
歩いてくるハナヤは、ザジの目にも不思議な雰囲気を感じさせた。
そのハナヤだが、例のオルトリンデとかいう、喋る機械からなにかを持ってきたようだ。それは、なんに使うのかさっぱりわからない。村長が時々話す、大昔の道具に似ていた。確か、銃とかいうもので、弓よりも遠くの敵を瞬時に殺せる武器らしい。
「咳が酷いみたいね。それと、顔色も……症状は長いの? ザジ」
「リリはずっとこの調子だ。物心ついたときから、ずっと」
「……きっと、ウィルス性の毒だ。やっぱりボク、降りてきてよかったよ。今こそ、連血の巫女の義務を果たす。その最初の一歩さ」
そう言って笑うと、不意にハナヤは手の道具を自分に向けた。
銃に似た道具を自分に押し当て、握り手の中で指に引っかかる部分を押し込む。
プシュッ! と音が鳴って、一瞬だけハナヤは激痛に顔を歪めた。
そして……道具の上部にある透明な容器の中に、血が満ちてゆく。
ザジはリリや周囲の子供たちと一緒に、訳も分からず言葉を失い見守った。なにがなんだかわからないが、酷く神聖で
日の出た時間に水に入るような馬鹿なのに。
「ん……よし、これを。ちょっと待っててね、ええと……リリちゃん、だよね?」
「は、はい。あの」
「リリちゃんの病気、治るんだ。ボクが、治す。治せる」
やがて、ハナヤの血を満たした容器の中が光りだした。
紅い紅い血が、不意に光を帯びてゆく。
それを確認してから、ハナヤは道具をいじって今度はリリに向ける。
リリの二の腕に押し当てて、再び道具を操作した。
「いたっ! あ、あの、なにを!」
「
「おいっ! ハナヤ! 手前ぇ、リリになにをしたっ!」
咄嗟にザジは、ハナヤの
だが、直感で動くザジには、本能的な危機感があった。
目の前で行われた謎の儀式が、わからない。
無知である故に、警戒心がささくれだつ。
「ったく、食えねえ野郎だな! それとも、カッ
「そ、その、食べるとか言わないでよ……ボク、女の子なんだよ?」
「だったらなんだ! リリだって女の子だ。いずれ誰かと家族を作って、この村でまだまだ生きててもらわないと困るんだよ! 生きててさえいてくれれば、俺が守んだよ!」
「……でも、病気が治らないまま生きてるのは、辛いよ。だから、ね」
そんな二人を止めたのは、意外にもリリ本人だった。
彼女は珍しく、呼吸を乱すことなく言葉をザジに投げかけてくる。
「やめて、お兄ちゃん! あの……変なの。少し、喉と胸とが、楽になったの。変、だよね。このお姉ちゃんにチクッてされたら、スッと楽になったんだ」
「リリ、お前」
「お姉ちゃんは、別の村の祈祷師様? あの、他の人も……村にはまだ、いろんな病気の人が」
ザジはリリの両肩に手を置き、目を疑った。
こんなに喋るリリは珍しい。
そして、ハナヤを振り返る。
どこか得意げな笑みで、ハナヤは豊かな胸を僅かに揺らした。
「ふふん、どう? これが
なにを言ってるか、ザジには訳がわからない。
時々、別の村で巫女を名乗る神がかりの女が現れるが、それとはまるで違う。祈祷師と一緒で、今まで見てきた巫女は祈りを捧げ、
だが、ハナヤは別次元だ。
そして、周囲に大人たちも寄ってきた。
その中心でハナヤの背後に、あの乗り物がやってきて冷たい声を放つ。
「マスターは連血の巫女、大いなる
だが、ザジの答は一つだ。
まわりの大人たちも口々に声をあげる。
「薬草? とんでもねえ、草にかかっていくなんて恐ろしい……」
「んだんだ、植物だってネイチャードだ。ザジみたいな狩人でも難しい個体だっている」
「俺らは毎朝、村の周囲の草刈りをして、新芽と戦うだけで精一杯だよな」
ザジも知っている。危険なネイチャードは動物型だけではない。比較的おとなしい
毎朝飽きずに生えてくる、
そのことにハナヤが驚きの表情を見せた、その時だった。
声が重々しく響いて、村人たちが頭を垂れて下がる。
「ふむ、連血の巫女と言ったか……
村長が現れ、うやうやしくハナヤに頭を下げる。
ハナヤもかしこまって礼で応じ、村長の手を取り手を重ねた。
「先代の巫女が降りてより、既に百年……新世紀の折り目だから、ボクが
「ありがたい話ですのう……病人をどうか頼みます」
「お任せください、村長。でも、話に聞いていたより酷い星ですね。ボクは知りませんでした……大自然がこんなに恐ろしいなんて」
言ってることはよくわからないが、ザジにはそれがわかった。
村長は村の賢人で、代々の村の記憶を引き継いでいる。
文字というものをザジは知らず、村には読む者も書く者もいない。
代々の村長は、後継者に全ての記録を記憶させるのだ。
ハナヤは村長に、病人たちの治療を約束し、その代わりとは言わないまでも一つの条件を出した。ザジから見て、それは選択を強要するような態度ではなかった。
どこか哀願するように、ハナヤは村長を頼ったのだ。
「お願いがあるんです、村長。ボクはこれから
周囲の村人にざわめきが広がり、見合わせる顔が不安に満ちてゆく。
ザジでもその名は知っていた。
星都チェインズ……地の果てにあると言われている、この星で一番巨大な都市だ。今は失われた奇蹟の技術が生きてるとも言われるし、この世の
だが、辿り着いた者を誰も見たことがないし、聞いたこともない。
それでも、毅然とした表情でハナヤは言葉を選ぶ。
「ザジを、ボクの案内人兼護衛として貸していただきたいのです」
ザジの手を、隣のリリがぎゅっと握ってきた。
だから、安心させるように握り返す。
そして、ザジはゆっくり村人たちの輪の中心に歩み出た。
「いいぜ、行ってやらあ。村の病人が全員治るってんだ、いい話じゃねえか。それに……死んだオヤジが言ってたぜ。考えるより先に動け、動きながら考えろってな」
そう、それは流れ星を見上げた時にはもう、誰よりも速く走っていた父の教えだ。この過酷な大自然の中では、思考を巡らせても選択肢は限られる。それに、ザジは思った。自分がハナヤの恩恵だけを受けて、このまま村から放り出すとしたら……それは、ハナヤの死を意味する。あの、オルトリンデとかいう機械が一緒でも同じだろう。
逆にハナヤが生きていれば……旅路の先で、いくつの村が助かるだろう? そして、もし星都チェインズにたどり着けるなら……ザジも見てみたい。
本当に楽園があるのかを。
ザジの了承の言葉を受けて、ハナヤはパァァと笑顔を輝かせた。
そのまま抱きついてくるハナヤを自分から引き剥がそうとしつつ、ザジは決意する。ハナヤを守って、行けるとこまで行ってやろう。そして必ず、リリの元へ戻ってこようと。
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