第2話「旅立ち、即ち――RESTART」

 アスモ村へと戻ったザジは、すぐに子供たちに囲まれた。

 この村で肉食の凶暴なネイチャードを狩ったのは、この百年ではザジだけの筈だ。その彼も、助けがなければ危ういところだった。

 そして振り返れば、村の入口に奇妙な取り合わせがこっちを見ている。

 片方はピカピカ光る青い物体、どうやら機械の乗り物らしい。

 それに腰掛けあかい髪をいらいでいるのは、ハナヤという少女だ。

 一人と一台は、あの流れ星に乗って来たと言う。

 子供たちも次第に、そちらの方へと興味を退かれてゆく。


「なあザジ! あれ、誰だ? あんな白っちょろい奴、見たことねえぞ!」

「妙なもん着てるぞ、ふわふわしてて、隠さなきゃいけないとこ以外も隠して……ないか。そうでもないや、でも変なの!」

「それより、あれはなんだ? え? 機械? らしい、って……機械?」

「んな馬鹿な話あっかよ、機械ってな遠くの街とかでも珍しいもんだぜ」


 ザジもそう思う。

 だが、事実だ。

 言い伝え通り、流れ星は恩恵をもたらした。

 だがそれは、結果的に熊が狩れたというだけに過ぎない。ベアみたいな肉食の大型ネイチャードはリスクが高く、ザジ一人だったら避けていたかもしれないのだ。

 あのハナヤが大自然のことわりも知らず、呑気に水浴びしていたから。

 そのハナヤは今、からだのラインを浮き上がらせる奇妙な着物を着ている。隠したいのかさらけ出したいのか、それとも飾りたいのか目を引きたいのか。紅白に彩られたその着物は目に鮮やかで、白い肌と紅い髪に調和していた。

 そんなことを思っていると、ザジは聞き慣れた声に振り返る。


「お兄ちゃん、お帰りなさい。……わあ、大きな熊! お兄ちゃんが?」

「おう、リリか! どうだ、具合は? 今、こいつを解体して肉を配るからよ」

「今日は調子がいいみたい、平気よ。……ゴホ、ゴホッ! んっ」

「おいおい、全然平気じゃねえよそりゃ」


 そこには、無理に笑顔を作って咳き込む少女が立っていた。

 妹のリリで、今年で十歳になる。

 彼女は、長い間ずっと不治の病を患わっていた。

 村の祈祷師きとうしでも直せぬ病で、彼女だけではない。

 村でも既に十人以上の患者がいて、養生するしかない人生を送っている。ザジのようにたくましい肉体を持った人間は、幸せだ。妹のリリは咳が止まらず、野を駆け回ることすらできないのだ。

 他にも、村には不思議な病気の人間が何人かいた。

 多くはないが、人数の問題ではない。

 毎日が生き残るのに必死の小さな村では、養う負担も人手が減る痛手も大きい。

 それでも、誰もが誰も見捨てない、そんな村だった。

 そして、声が響く。


「病人? ちょっといい、ザジ。ボクにせて」


 さっきまで離れて見ていたハナヤが、気付けば近づいてきていた。

 子供たちは誰もが、言われたわけでもないのに左右に分かれて道を譲る。

 歩いてくるハナヤは、ザジの目にも不思議な雰囲気を感じさせた。

 そのハナヤだが、例のオルトリンデとかいう、喋る機械からなにかを持ってきたようだ。それは、なんに使うのかさっぱりわからない。村長が時々話す、大昔の道具に似ていた。確か、銃とかいうもので、弓よりも遠くの敵を瞬時に殺せる武器らしい。


「咳が酷いみたいね。それと、顔色も……症状は長いの? ザジ」

「リリはずっとこの調子だ。物心ついたときから、ずっと」

「……きっと、ウィルス性の毒だ。やっぱりボク、降りてきてよかったよ。今こそ、連血の巫女の義務を果たす。その最初の一歩さ」


 そう言って笑うと、不意にハナヤは手の道具を自分に向けた。

 銃に似た道具を自分に押し当て、握り手の中で指に引っかかる部分を押し込む。

 プシュッ! と音が鳴って、一瞬だけハナヤは激痛に顔を歪めた。

 そして……道具の上部にある透明な容器の中に、血が満ちてゆく。

 ザジはリリや周囲の子供たちと一緒に、訳も分からず言葉を失い見守った。なにがなんだかわからないが、酷く神聖でおごそかな雰囲気を感じる。まるで、目の前のハナヤが尊い賢者に見えた。

 日の出た時間に水に入るような馬鹿なのに。


「ん……よし、これを。ちょっと待っててね、ええと……リリちゃん、だよね?」

「は、はい。あの」

「リリちゃんの病気、治るんだ。ボクが、治す。治せる」


 やがて、ハナヤの血を満たした容器の中が光りだした。

 紅い紅い血が、不意に光を帯びてゆく。

 それを確認してから、ハナヤは道具をいじって今度はリリに向ける。

 リリの二の腕に押し当てて、再び道具を操作した。


「いたっ! あ、あの、なにを!」

あとは残らないよ、安心して。残ったらボク、今頃は注射痕だらけだし」

「おいっ! ハナヤ! 手前ぇ、リリになにをしたっ!」


 咄嗟にザジは、ハナヤの襟首えりくびをひっつかんでしまった。そのまま引き寄せ、瞬きを繰り返す顔に顔を近づける。鼻と鼻とが付きそうな距離で、頬を赤らめハナヤは目を逸らした。

 だが、直感で動くザジには、本能的な危機感があった。

 目の前で行われた謎の儀式が、わからない。

 無知である故に、警戒心がささくれだつ。


「ったく、食えねえ野郎だな! それとも、カッさばいて中身出して、食っちまうか? ええ、おい! リリは俺の唯一の家族だ……なにかあったら――」

「そ、その、食べるとか言わないでよ……ボク、女の子なんだよ?」

「だったらなんだ! リリだって女の子だ。いずれ誰かと家族を作って、この村でまだまだ生きててもらわないと困るんだよ! 生きててさえいてくれれば、俺が守んだよ!」

「……でも、病気が治らないまま生きてるのは、辛いよ。だから、ね」


 そんな二人を止めたのは、意外にもリリ本人だった。

 彼女は珍しく、呼吸を乱すことなく言葉をザジに投げかけてくる。


「やめて、お兄ちゃん! あの……変なの。少し、喉と胸とが、楽になったの。変、だよね。このお姉ちゃんにチクッてされたら、スッと楽になったんだ」

「リリ、お前」

「お姉ちゃんは、別の村の祈祷師様? あの、他の人も……村にはまだ、いろんな病気の人が」


 ザジはリリの両肩に手を置き、目を疑った。

 こんなに喋るリリは珍しい。

 そして、ハナヤを振り返る。

 どこか得意げな笑みで、ハナヤは豊かな胸を僅かに揺らした。


「ふふん、どう? これが連血れんけつ巫女みこの力……ボクの血を元に作った、絶対血清マイティブラッド。接種した人間に、現時点で解析が完了してる全ての病気の治癒と免疫をもたらすの。まあ、すぐには治らないけど……少しは楽になるよ? そして、これから良くなる」


 なにを言ってるか、ザジには訳がわからない。

 時々、別の村で巫女を名乗る神がかりの女が現れるが、それとはまるで違う。祈祷師と一緒で、今まで見てきた巫女は祈りを捧げ、雨乞あまごいをしたり病をはらったりしようとする。それで上手く行く時もあるし、駄目なことも多い。

 だが、ハナヤは別次元だ。

 そして、周囲に大人たちも寄ってきた。

 その中心でハナヤの背後に、あの乗り物がやってきて冷たい声を放つ。


「マスターは連血の巫女、大いなるしゅよりの御使みつかいである。その血はあらゆる病を治し、さらなる病を防ぐ。が……現時点でこの星は薬学が遅れているようだな。薬草の類をせんじたりはしないのか?」


 だが、ザジの答は一つだ。

 まわりの大人たちも口々に声をあげる。


「薬草? とんでもねえ、草にかかっていくなんて恐ろしい……」

「んだんだ、植物だってネイチャードだ。ザジみたいな狩人でも難しい個体だっている」

「俺らは毎朝、村の周囲の草刈りをして、新芽と戦うだけで精一杯だよな」


 ザジも知っている。危険なネイチャードは動物型だけではない。比較的おとなしいベコメリーが食べる草木だって、人間が刈るとなれば戦いだ。根を張り動けなくても、植物型は強力な毒を持っていたり、鋭利な葉を刃のように振り回す。

 毎朝飽きずに生えてくる、芽生めばえたてのものを即座に刈るのが精々だ。

 そのことにハナヤが驚きの表情を見せた、その時だった。

 声が重々しく響いて、村人たちが頭を垂れて下がる。


「ふむ、連血の巫女と言ったか……祖父様じいさまが言っておった、村の伝承にその名がある。皆の衆、失礼があってはいかん。この方は、我らを救いに天から降りてきてくださったのだ」


 村長が現れ、うやうやしくハナヤに頭を下げる。

 ハナヤもかしこまって礼で応じ、村長の手を取り手を重ねた。


「先代の巫女が降りてより、既に百年……新世紀の折り目だから、ボクがつかわされました。主は常に、人間を見守っています」

「ありがたい話ですのう……病人をどうか頼みます」

「お任せください、村長。でも、話に聞いていたより酷い星ですね。ボクは知りませんでした……大自然がこんなに恐ろしいなんて」


 慇懃いんぎんに礼節をもって、ハナヤは礼儀正しく村長に接する。

 言ってることはよくわからないが、ザジにはそれがわかった。

 村長は村の賢人で、代々の村の記憶を引き継いでいる。

 文字というものをザジは知らず、村には読む者も書く者もいない。

 代々の村長は、後継者に全ての記録を記憶させるのだ。

 ハナヤは村長に、病人たちの治療を約束し、その代わりとは言わないまでも一つの条件を出した。ザジから見て、それは選択を強要するような態度ではなかった。

 どこか哀願するように、ハナヤは村長を頼ったのだ。


「お願いがあるんです、村長。ボクはこれから星都せいとチェインズに赴かねばなりません。代々の巫女はチェインズへと行幸ぎょうこうの旅をして、己の血を納めねばならないんです」


 周囲の村人にざわめきが広がり、見合わせる顔が不安に満ちてゆく。

 ザジでもその名は知っていた。

 星都チェインズ……地の果てにあると言われている、この星で一番巨大な都市だ。今は失われた奇蹟の技術が生きてるとも言われるし、この世の楽土らくどだと伝える話も聞く。

 だが、辿り着いた者を誰も見たことがないし、聞いたこともない。

 それでも、毅然とした表情でハナヤは言葉を選ぶ。


「ザジを、ボクの案内人兼護衛として貸していただきたいのです」


 ザジの手を、隣のリリがぎゅっと握ってきた。

 だから、安心させるように握り返す。

 そして、ザジはゆっくり村人たちの輪の中心に歩み出た。


「いいぜ、行ってやらあ。村の病人が全員治るってんだ、いい話じゃねえか。それに……死んだオヤジが言ってたぜ。考えるより先に動け、動きながら考えろってな」


 そう、それは流れ星を見上げた時にはもう、誰よりも速く走っていた父の教えだ。この過酷な大自然の中では、思考を巡らせても選択肢は限られる。それに、ザジは思った。自分がハナヤの恩恵だけを受けて、このまま村から放り出すとしたら……それは、ハナヤの死を意味する。あの、オルトリンデとかいう機械が一緒でも同じだろう。

 逆にハナヤが生きていれば……旅路の先で、いくつの村が助かるだろう? そして、もし星都チェインズにたどり着けるなら……ザジも見てみたい。

 本当に楽園があるのかを。

 ザジの了承の言葉を受けて、ハナヤはパァァと笑顔を輝かせた。

 そのまま抱きついてくるハナヤを自分から引き剥がそうとしつつ、ザジは決意する。ハナヤを守って、行けるとこまで行ってやろう。そして必ず、リリの元へ戻ってこようと。

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