第3話「仕入れ、然るに――REMEMBER」

 見慣れた景色は今、目にも留まらぬ速さで飛び去る。

 疾走する駆動体の上で、ザジは初めて経験する興奮に感動していた。理由はわからない。ただ、言葉にならない感情が風と振動を覚えている。

 それは、はるかな昔に人類が忘れた、文明の鼓動。

 オルトリンデというAIが制御する対戦車モービルは、久方ぶりに大地に文明のわだちきざみながら走る。オプティカルエンジンの金属的な高鳴りを奏でながら。


「すげえな、オルトリンデ! これなら昼間に移動しても危険がないかもしれねえ」


 オルトリンデにまたがるザジは、ハンドルを握りながら声を弾ませた。

 操縦はまだしていない。

 その必要もない。

 全てオートで動いているが、そのことすらザジには理解が及ばない。

 ただ、野生のネイチャードが跳梁跋扈ちょうりょうばっこする大自然の中を、まるで意に返さず駆け抜ける様に驚いていた。その横では、左側のサイドカーに座ったハナヤが笑ってる。


「やだなあ、大げさだよ。その、ネイチャード? っての、そんなにやばいんだ?」

「ああ? ハナヤ、お前……やっぱ馬鹿なんだな。ゴメンな、優しくすっからな、今度から。それに、守ってやる」

「あ! また馬鹿って言った! ……守ってくれるのは、うれしい、けど」


 何故かハナヤが頬を赤らめる。

 だが、ザジは既にオルトリンデに夢中だ。

 光沢のある金属のボディに、強力な兵装の数々。そして、悪路をもろともしない走破性。異次元の性能は全て、ザジの好奇心を必要以上に刺激してやまない。

 それは奇蹟の塊で、忘れ去られた旧世紀の科学力の結晶だった。

 オルトリンデのあちこちを叩いて撫でながら、ザジは言葉を続ける。


「いいか、ハナヤ。この土地じゃあ人間なんて弱っちい生命いのちでしかねえんだ。それは、これから行くハコブネでも変わりゃしねえ」

「ハコブネ? って……」

「デカい街だよ。そこで旅支度だ。星都せいとチェインズは遠いからな。ハコブネは、どうしても村で必要な物資がある時だけ行く。村と違って賑やかで、人も沢山いるんだけどよ」

「へえ……そうなんだ。ふふ、結構元気じゃん、人類」


 星都チェインズへの旅は、おそらく長いものになるだろう。

 軽快に走るオルトリンデに乗っていても、それはわかる。だから、まずは旅支度……ハコブネの街で色々と買い付けなければいけない。

 そう、面倒極まるのだが、この買い付けというのがザジは苦手だ。

 昔から村の狩人として、ハコブネの街に何度も買い出しに行ったことがある。父親が生きていた時代はよかったが、今は勝手が違った。

 あの、とかいうのが苦手なのだ。

 村では物々交換が基本だし、そもそも共同体の中では代価という概念が乏しい。村人全員が社会の貴重な人材であり、病人や怪我人も含めて、全員で全員を養い守る。だからザジも狩りで働き、村人たちに肉を配るのだ。

 だが、ハコブネの街は違う。

 少し億劫に思っていた、その時だった。

 不意にオルトリンデが、いつもの冷たい女の声で喋り出す。


「警告。並走する群体あり。時速60kmで接近中」

「あっ、見てみてザジ! すごーい! ボク、初めて見た。あれ、ウサギっていうんだよね。小さくて白くて、かわいいねえ。ふふふ、一緒に走ってる」


 隣のサイドカーで、ハナヤが笑った。

 だが、横目で見てザジは背筋が凍る。

 ここは大自然の真っ只中で、危険なネイチャードが支配する昼の時間だ。

 そのことを思い出させる存在が、群れなし遠くを走っていた。

 無数の赤い目が、ザジへと殺気を注いでくる。


「おいっ、オルトリンデ! もっと速く走れねえか? 追いつかれる!」

「オート走行でのスピードには限界がある。マニュアルに切り替えれば……ザジ、先程の説明は理解してもらえただろうか?」

「そんなん、やってみなきゃわかんねぇよ」

「道理ではある。マスターを守ることがお前の仕事で、それは私の存在理由と合致する。私を乗りこなしてくれ、ザジ。これからの旅では、その技術が必要になるだろう」

「よっしゃ、やらせてみせろよ!」


 ザジは日に焼けた背中に、愛用のピッケルを背負い直す。

 そして、改めてハンドルを両手で強く握った。

 操縦方法は先程、一通り説明を受けた。だが、さっぱりわからない。クラッチがどうとか、アクセルがどうとか、そういう話は全く頭に入ってこなかった。

 だが、やらせてもらえるなら話は別だ。


「コントロールをマニュアルに、操作権をザジに譲渡。ユーハブ」

「っしゃあ、カッ飛ばすぜ!」


 不意にオルトリンデの車体が、ウィリー走行で大きくのけぞる。解放されたパワーが大地を蹴って、ホイルスピンの土煙を巻き上げた。

 暴れるハンドルをザジは力で押し込み、そのまま再度走り出す。

 先程の安定感とは打って変わって、暴力的な出力がザジを振り回し始めた。

 だが、鋭敏なバランス感覚がオルトリンデの加速を大地に伝え始める。

 隣で小さな悲鳴をあげたハナヤは、サイドカーにしがみつきながら頭を押さえた。紅い髪を片手で抑えながら、不満の声をあげる。


「もっ、乱暴だよザジ! ……あれ? ね、ねえ……ウサギさんが」

「チィ、来やがったな……バニーは群れで狩りをするネイチャードだ! 囲まれっとやべえ!」

「え……そうなの? 弱くて、寂しいだけで死んじゃうってデータベースで見たけど」

「奴らは強靭な前歯で、なんでも食う! 雑食のネイチャードの中でもヤベェ連中だぜ」

「ほえぇ、そうなんだ……って、急接近!? デカッ! ちょっとザジ!」


 ひた走りに走るオルトリンデに、無数の兎たちが身を寄せてきた。

 その大きさは、ゆうに数メートルはある。

 囲まれたが最後、あっという間にザジたちは捕食されるだろう。なによりも硬い前歯で、骨も残さず食い殺されてしまう。そして、兎はその長く伸びた耳が示す通り、鋭敏な聴覚を持っている。奴らの狩りは、長引くほど仲間を呼び寄せるのだ。

 その証拠に、既に耳と耳とを震わせぶつけて、兎は異音を奏でている。

 別の群れを呼ぶ、兎だけのコンタクトだ。

 だが、ザジは乾き始めた唇を舐めて不敵に笑う。


「まぁ、いいぜ……手間がはぶけらあ!」

「手間って?」

「ハコブネじゃあ、カネってのが必要なんだよ」

「あ、それならボクがカードを――ひあっ!? ザ、ザジィ!」


 乱暴なハンドリングで、ザジがスラロームに車体を振る。本能的に感じる危機感が、オルトリンデを走らせる。既に宙へ舞っていた兎たちが、次々と背後で着地しては背後に飛び去った。

 避けなければのしかかられて、あっという間に数で潰されていた。

 だが、危機に際して心は躍る。

 ザジは片手でハンドルを保持しながら、背中のピッケルを抜き放った。

 不思議な光沢で光る、左右対称の奇妙なピッケル。

 鋭く尖るそれは、まるで神を忘れたこの星に残された十字架だ。


「へへ、兎は肉もうめえし毛皮が重宝すんだよな。どれにすっか……お前だぁ!」


 ぐいと急ハンドルで、ザジから兎へと急接近。

 徐々に引き剥がしかけていた群れの先頭、一際大きな兎へと車体を寄せてゆく。

 真っ赤に光る目を充血させる、その個体はおそらく群れのおさだ。

 見るもたくましい巨躯を躍動させて、オルトリンデの加速についてくる。

 迷わずザジは、飛び降りた。


「!? ザジッ! オルたん、ザジが!」

「操縦をオートに、全兵装ロック解除。しかし数が多い……!?」


 高速で走るオルトリンデからんで、ザジはそのまま群れ長の兎に飛び乗った。そして、その背中で巨大な耳を鷲掴わしづかみにして、片手でピッケルを振り上げる。

 兎もまた、急停止するやザジを振り落とした。

 何度も地面にバウンドして転がりながらも、ザジは片手で大地を掴む。

 指と爪とで土をえぐって、自分を立たせながら長い長い轍を刻んだ。

 そうして向き直れば、兎は後足で立って威嚇に前足を広げる。


「いいぜぇ、お前……丸々太ってうまそうじゃねえか。んじゃ、まあ……やるか!」


 絶叫を張り上げ、兎が飛びかかってくる。

 回避に身体を投げ出せば、背後で土煙があがった。

 ザジは油断なく円の動きで脚を使って、その中心に兎を捉えながら走る。長引けば、引き剥がした群れの兎たちが追いついてくる。

 そしてそれはもう、すぐ近くまで迫っている。

 ザジは両手でピッケルを構えて、そして地を蹴った。


「行くぜっ、だらっしゃあああああああっ!」


 全力で体ごとブチ当たって、真正面から兎へとピッケルを振るう。

 鈍い音がして、巨体の脇腹へと刃が食い込んだ。

 そのまま押し込み、両手を放す。

 食い込み腹に生えたピッケルを足場に、ザジは迷わず駆け上がった。

 一瞬遅れて、ザジのいた場所で兎の爪が空を切った。

 兎は絶叫を張り上げ、転げ回りながら吠え荒ぶ。

 ザジは狩人、ネイチャードを狩って皆に肉を配る男だ。

 どんなネイチャードでも、人間が戦う時の基本は一つだ。

 すなわち、心臓を止めるか、頭を潰すか。

 長い耳を掴んで、ザジは拳を振り上げる。


「いただきますってんだよお、この野郎っ!」


 ありったけの力を込めて、握った拳を兎の眉間みけんへと叩きつける。

 ――拳。

 それは、人類が初めて手にした武器。

 生まれる時から握って振り上げた、原初の武器だ。

 ザジは激しい痛みの先で、頭蓋ずがいが砕けて衝撃が脳に突き抜ける感触を確かめた。紅玉ルビーのような大きな兎の瞳が、ぐるりと裏返る。そして、身体を痙攣させながら巨体が崩れ落ちた。

 手首を振りながら、ザジは飛び降りる。

 その頃にはもう、追いついてきた兎の群れは周囲を囲んでいた。

 だが、遠巻きに見て襲いかかってはこない。

 それが大自然では普通で、おそらくザジたち人間も一緒だ。

 群れを統べる長の死で、兎たちは察して悟った。ザジの方が強いと。そして、兎の中で最強だった長の死は、群れの再編を意味していた。兎はネイチャードの中では、決して強い種族ではない。昔は草食だったらしいと、父親が昔言っていた。イナリベオルブといった危険度の高いネイチャードがひしめく中で、生き残るために雑食となったのだ。

 やがて、一匹、また一匹と兎が逃げてゆく。

 ザジはそれを見送り、ターンして戻ってきたオルトリンデとハナヤを振り向いた。

 速度を落として近づく一人と一台の向こうには、


「よぉ、バッチリだぜ。これならハコブネでも取引ができんな!」

「また無茶してさ、ザジ……ボク、ハラハラしたよ」

「なに言ってんだ、なにか手持ちがねえとカネってのがもらえねえんだよ。ハコブネのやつら、カネでなきゃ取引してくれねえんだ。ほら、見ろよ……あれがハコブネだ」


 ザジが指差す先を振り返り、ハナヤは停止したオルトリンデのサイドカーから立ち上がった。

 そこには、巨大な構造物が大地を穿うがってそそり立っている。

 それがなんなのか、ザジは知らない。

 だから、オルトリンデが発する言葉の意味も、全くわからなかった。


「これは……サルガルファ級。こんなものが、まだこの星には」


 それは、全長4,200mの巨大な宇宙戦艦だ。

 今はその全てを忘却の彼方へ置き去り、斜めに突き立ち沈黙している。そして、暮れ始めた斜陽の光に、その巨体から長い長い影を引き出していた。

 ハコブネの街は今、夜を迎えるべくあちこに人の住む明かりをともし始めていた。

 かつて人類華やかりし時代、星の海を渡った戦艦は今……ときの堆積するままになにも黙して語らない。既に戦いを忘れたその艦体は、そこに住む人々の営みを抱えて屹立していた。

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