第19話「因果、それなのに――REQUEST」
ザジを迎えての宴が、盛大にとり行われた。
だが、ザジは驚いている。
農業というものも初めて見たし、ネイチャードではない生き物にも目を見張った。
ザジのような
同じだと教えてくれた少女、キラーラが少し先を歩いている。
「街の巨大な
今、ザジは暗闇の中でキラーラと歩いていた。
オルトリンデはエンジン音も静かに、ゆっくり背後をついてくる。
祭のようなジャンクシティの喧騒は、徐々に背中へと遠ざかっていた。
闇に
ザジに劣らぬ健脚で、茂みや木々に身を隠しながらキラーラは進んだ。彼女は先程、ザジを誘ってくれたのだ……二人で山を超え、チェインズに潜り込みたいと。そのチャンスを待っていた彼女にとって、オルトリンデと共に現れたザジは救世主だと言った。
「あの門はチェインズ側からしか開かない。何度か試したけど、開放も破壊も無理よ」
「成る程。それよりなら山越えか」
「そう。でも、ずっと待ってた……一緒に来てくれる仲間を」
「他の街の連中は?」
脚を止めて振り返ったキラーラは、無言で首を横に振る。
彼女の赤い
「駄目よ……見たでしょう? ここではもう、ネイチャードに
「だが、あの場所には命が感じられねえ。生きてる感じがねえんだよ」
「ザジは狩人だもんね……生を勝ち取る大自然での闘争から、あの街は切り離されてる。それを人間同士で分かち合ってる限り、誰も現状を変えようとはしないわ」
この世界は、残酷だ。
世は正に、弱肉強食の時代。
文明の恩恵を失った人類にとって、ネイチャードの支配する星は過酷である。
そして、その中で自然から
生きることは戦うこと……それがザジ達にとっては当たり前の
だが、ジャンクシティは違った。
チェインズから捨てられたジャンクを活用し、農耕技術で共同体を構築している。何故ここではネイチャードがいないのかは謎だが、完全なサイクルで糧が
ここでは強者に守られる弱者は存在しない。
ザジが生まれ育った村のような、助け合わねば皆が死ぬ世界ではないのだ。
「さ、進みましょう。ザジ、なんて言ったっけ? その」
「ああ、ハナヤだ」
「そう、ハナヤ! それがあなたの指輪の人? 一緒に家庭を
「……いや、違う。けど、約束した。守るって約束したんだ」
「ふーん、いいな。そういうの、好きよ?」
ザジはキラーラの笑顔に、心の奥がズキリと痛んだ。
キラーラもまた、深くは
それなのに、進むほどに彼女は
「私はね、ザジ……子供、産めないらしんだ」
「……は?」
「同じ年頃の友達は、みんな月のものが来たけど、私はそれがないの。痛くもないし
ザジは言葉が見つからなかった。
闇の中、キラーラは前だけを見て歩きながら話す。
「でも、チェインズに行けば治るかもって言われたんだ。ほら、連血の巫女の伝承って知ってるでしょ? 巫女様はチェインズを目指して
「あ、ああ」
「巫女様はどんな病も治しちゃうんだよ? だから、私も子供を産める身体にしてもらうんだ。そしたら……この指輪に秘められた名前の人が、迎えに来てくれる気がするの」
キラーラが振り向き左手を向けてきた。
彼女の薬指に、赤い指輪が星明かりを拾って輝く。
この時代の子供達には皆、赤い
女児は黙って未来の夫を待ち、自分を訪ねてくれた男の前で指輪を外す。
互いの名を
「ザジはどんな相手がいい? 私はね……強い男がいいわ。とにかく健康で、ザジみたいな狩人だったら最高よ? 私はその人のために、一生懸命家と子を守るの」
ゆっくり背後をついてくるオルトリンデが、何かを言いかける気配が感じられた。
ザジにとってもう、オルトリンデは物を言う機械ではない。
鋼鉄の肉体を持って車輪で一緒に走ってくれる、仲間。
だから、彼女の言いたいことも多少は察することができる。
オルトリンデがハナヤとやってくる前の世界は、こうした男が主導的で女がそれを甘受する社会は悪しきものとされていたらしい。だが、男と女は肉体がまるで違うのだ。
以前、女だてらに狩人をやっていた少女とザジは会った。
名は、ライラ。
ライラは女ゆえの非力さを、銃という名の武器で補っていた。
ザジは女を
子を産んで集落を守る女は、誰からも尊敬され守られている。
女にしかできないことをやってくれるからこそ、男はその全てを守って働くのだ。
「ねえ、ザジはどんな人が相手だったら嬉しい?」
「ん? 俺か……そうだなあ」
突然の問に思わず空返事を返してしまう。
その時、脳裏にハナヤの笑顔がちらついた。
よく笑う少女だった。
快活な笑顔が今も思い出される。
トラブルの種で、今までどんな暮らしをしてたのかは知らないが、常にトラブルの元だった。だが、なまっちょろい白い肌は淡雪のように綺麗で、どこか姉貴面をして世話を焼いてくるのが嫌いではなかった。
そのハナヤは、チェインズの者達に連れ去られた。
どう見ても、連血の巫女として旅をしてきた者への敬意が感じられなかったのだ。
だが、ハナヤはこの星の民の全てを守る存在で、ザジは護衛のガイドでしかない。
なのに、チェインズに行ってしまった彼女を、こうして追いかけている。
不思議だとは思っているが、間違ってるとは微塵も感じていない自分がいた。
「俺は、そうだなあ……この指輪に刻まれた名前の女は」
「うんうん! 女は?」
「どんな奴でもいい。弱くてもいいし、
「えっ! な、何で……ご飯作ってくれなかったら困らない? 寝たきりだったら大変だよ? ……子供が産めないって、凄く
キラーラがそうだったことを知ってても、素直にそう思ったから言えてしまった。
ザジは、赤い指輪の制度が生まれた昔の話を村長から聞かされたことがある。
かつて人は豊かな時代、自由に好きな者を
だが、今の世は違う。
そして、ザジもまた今という時代に多くの大人達に助けられて育ったのだ。
だから、妻がいたら支えたい……どんな女でも守って一緒に生きたいのだ。
そのことを話したら、キラーラは初めて本当の、本物の笑顔を見せてくれた。
「ザジは強くて優しいんだね。……私、この指輪にザジの名前が書いてあったらいいなって思っちゃった。でも! 私は病気を直して、指輪の相手が誰でも
「お前の方が強いよ、キラーラ。病気に負けてない、戦ってる……その強さがここまでお前を導いたんだろうな」
「でしょ? ふふ、まいったか。私を
「はは、確かに。尊敬すんよ、キラーラ。それと……俺を助けてくれてありがとな。チェインズに行けずに途方に暮れるとこだったぜ」
月夜の夜、少年と少女は笑みを交わす。
そして、そんな時間は終わりを告げようとしていた。
二人が目指す先で、左右に見果てぬ山のカーテンが頂上を見せ始める。
「見て、ザジ! ほら……山際が光ってるでしょ? あれはチェインズの明かりよ」
キラーラが指差す先で、山頂がぼんやり光を
まるで、夜明けを背負っているような明るさだ。
あの山の向こうに星都チェインズがある……そこにハナヤはいる。
キラーラは最後の力を振り絞るようにして駆け出した。
「行こう、ザジ! 未来が待ってる……こういうの、希望ってんだよ? 知ってる? 私、やっとチェインズに行ける……連血の巫女に病気を治してもらえる!」
「待てよ、キラーラ! 走ると転ぶぞ! 足元に気をつけないと!」
「大丈夫よ、女の脚だからって
笑顔だった。
チェインズの漏れ出る光よりも、ザジにはキラーラが眩しかった。
そして、走る彼女は突然全身を
不意に身を強張らせて、全身を自ら引き裂くように広げて硬直した。倒れる彼女を抱き留めたザジは、聴き覚えのある音を聴いたのだ。
それは、銃。
指一本で命を終わらせることができる機械だ。
昔知り合った女の狩人が響かせた、自分の存在を謳うような音とは違った。同じ音、銃声だったが違って聴こえた。とても無慈悲で、命に向けた音ではなかった。
そして、キラーラを抱きながら隠れるザジは人の声を察知する。
「どうした? 何かいたか?」
「時々いるんだよ、ここまで登ってくるやつがさ。427号より各員へ、今日はゴミ捨て場が騒がしい。あのお祭り騒ぎ、本当に馬鹿みたいだぜ……ゴミで生きてるクズの声だ」
「おいおい、言ってやるなよ。汚染レベルが高くても生きてるんだぜ?」
「我ら選ばれしチェインズの民の、そのおこぼれで生きてる連中だ。しかも、そのことに無自覚ときてやがる。知ってるか? ああして共同体で富の公平な再分配を徹底させるのを、共産主義ってんだ。まともな人間には実現不可能な世界さ。狂ってるんだよ、連中」
何を言われているかわからなかった。
ザジにはただ、腕の中で息を荒らげるキラーラの血が温かかった。
そのぬくもりが逃げ続けてるキラーラは、どんどん冷たくなっていった。
「あ、ああ……ザジ、私……へま、やらかしたな。ごめんね……ザジ」
「
「いいよ……いいんだ。わかる、わかっちゃうんだ。私、助からない……もう、ザジが見えないもの。声も遠く聴こえる」
「しっかりしろよ、キラーラ!」
「ザジ……最後に、指輪を。私の指輪を取って。ふふ、ズルだけどさ……私の旦那様の名前を教えて。本当は……迎えに来てくれるまで、待つ、しか、ないんだ、けど」
ザジはキラーラの震える手を手に取った。
薬指の指輪を外す手がもどかしい。
それでも、赤い指輪を取ってその内側に目を凝らした。鍛え抜かれた狩人の視力は、ほのかな月明かりの中に文字を拾っていた。
「おい、キラーラ! お前の
「ザジ、もういいでしょう。……彼女を眠らせてあげてください。ザジはベストを尽くしたし、貴方に落ち度はなかった。そして、我々は運良く監視の目を逃れたようです」
オルトリンデの声は冷たく無機質だったが、今は怒りを感じられた。
それは、ザジが怒りで全てを塗り潰されていたから。
キラーラは
悪意が行き交う人の気配を間近に感じながら、ザジは泣いた。
チェインズを守る者達の目を盗み、耳が拾えぬ
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