第7話「信仰、何故ならば――RESTORE」

 その女は、ライラと名乗った。

 街道の先、クスク村の狩人だという。だが、ザジは驚いた。女の狩人など、聞いたことがない。女はどこの村でも、とても大事にされる貴重な存在だ。誰もが皆、親から赤い指輪を貰って婿むこを待つ。その間に様々なことを学び、村で多くの仕事をこなすのだ。

 女は尊敬され、誰もが感謝の念を欠かしたことがない。

 まして、危険な狩りに出すなど始めて見る。

 だが、クスク村に案内してくれるライラは、振り返って笑った。


「アンタたち、運がよかったね。アタシが来なかったら、アイツに……にやられてた。ヤツはこの周辺を牛耳るぬしだから」

「キリンヤガ?」

「あのデカくて白いフォックスさ」

「ああ、さっきの」


 ライラは肩に先程の奇妙な武器を担いで歩く。

 程なくして、彼女の進む先に小さな集落が見えてきた。

 だが、ザジの視線はライラの武器に釘付けになる。

 狩人の中には、弓やスリング等、飛び道具を有効に活用する者たちは多い。しかし、この世界の狩りにおいて、そうした武器が決定打になることはない。だからザジは、飛び道具に関してはすっぱり諦めている。携帯すれば荷物になるし、構えて狙う前に走り出す方がいい。そう自分に言い聞かせて、扱いに不慣れな飛び道具を遠ざけてきた。

 だが、ライラの持つ武器は始めて見る。

 あの距離から、狙いたがわず狐を撃った。

 避けた狐は、なるほどキリンヤガと呼ばれる主だけはある。

 しかし、真に恐ろしいのはやはり、筒状の杖にも似た不思議な武器である。


「ああ、これかい? これはクスク村の御神体ごしんたいさ。これがある限り、クスク村の豊かさは保証される。そして、アタシのような女でも、狩りに出れば負けはない」


 そう言って笑うライラが、村に入ってゆく。

 村人たちは、ザジが引きずる巨大なファルケンに目を見開く。

 同時に、最後尾に続くオルトリンデと、その上で不満顔のハナヤにも驚いたようだった。だが、ライラは気にした様子もなくザジたちを村に招き入れる。

 よく見れば、ザジを呼ぶライラの左手には指輪がない。

 年頃の娘たちが必ず身につけている、将来の伴侶の名を刻んだ指輪がないのだ。ライラはザジと同じくらいか、少し年上だろうか? 女だてらに狩人をやっているだけあって、その全身は引き締まって無駄な肉がない。毛皮で腰元を巻いて、零れそうな豊満な胸を布で縛っている。よく日に焼けた健康そうな身体は、強くて元気な子を産みそうな生命力に満ち溢れていた。

 だが、ライラを迎えた村人たちの中から、年寄りが歩み出て声を強張らせる。


「ライラ、また御神体を持ち出したな? それと……客人か」

「ああ、村長。知ってるか? アスモ村の狩人、ザジだ。旅をしてて、あの星都せいとチェインズに行くんだとさ。そうだよな、ザジ!」


 ライラの言葉に頷けば、不思議とオルトリンデから飛び降りたハナヤがくっついてくる。彼女はザジの腕にぶら下がって、何故かライラを厳しい視線でにらんだ。

 多分、睨んだつもりなんだと思う。

 だが、頬を膨らませて、むむむー、とうなっても全然怖くない。

 なにをむくれているのかと、ライラは相手にせず笑っていた。

 村長だけが集まる村人を散らしながら、声をひそめてとがめるように言葉を続ける。


「御神体はこの村の守り神、村人たちの心のどころだ。それをライラ、みだりに持ち出して……あまつさえ、女が狩人の真似事をするなどと」

「真似事じゃないさ、アタシは狩人なんだ! この村の狩人だ!」


 村長の言うことは、ザジにはよくわからない。

 ザジの村には守り神とか御神体とか、そういうものはなかった。

 だが、女が狩人というのは、たしかに恐ろしいと思う。もしライラになにかあったら、彼女が子供を産めなくなったら……それを考えると怖い。それに、彼女が野山に分け入り危険な大自然でネイチャードと戦うなら、本来彼女がやるべき村の作業がとどこおる筈なのだ。

 それは理屈でわかる。

 だが、ライラの肉体に満ちた生命力は、ザジの持つ常識から説得力を奪っていた。

 そうこうしていると、一層ザジに身を寄せ腕を抱き締めながら、ハナヤが声を張り上げる。


「あなた、ええと、ライラ! 銃を何故使うのです。その武器がなにか、わかっているのですか!」

「ジュウ? なんだい、それは。ザジ、お前さんの連れはなにを――」

「それは、銃と呼ばれる武器です。遥かな太古の昔、人がけものを狩る歴史の中で生まれ、やがて人を殺すために進化した道具……今という時代、忘却の彼方へてられた遺物いぶつです!」

「……言っている意味がよくわからない。代々村に伝わる御神体で、見ての通り便利な狩りの道具だ。そう、アンタが言うように、人が獣を……ネイチャードを狩るのにとても便利なんだよ」


 ライラは困惑気味に笑うが、ハナヤは真剣だ。

 しかし、村長はライラから銃と呼ばれた道具を取り上げる。


「ライラ、もしやチェインズとは……この者たちは。このおなごは、まさか」

「あっ、村長! 返しておくれよ、それがあればアタシだって狩人なんだ」

「ちゃんと説明しなさい、ライラ。もしや、あのお方は連血れんけつ巫女みこ様では? あの伝説にある、我らを百年ごとにお救いくださるという……巫女様ではないのか?」

「そういえば、そう言ってた。けど、それより御神体を」

「ライラ! これはほこらまつる大事な御神体、この村の心の拠り所。それを度々持ち出して……以後、使うことはまかりならん! 聖なる守り神で殺生せっしょうなどと」

「でも村長、アタシがそいつで殺した肉を食べるだろう? アタシは狩人なんだ」

「そいつ、だと? ライラ、いいかげんにせんか!」


 どうやら複雑な話があるらしい。

 結局村長は、ライラから銃とかいう道具を取り上げるや、それをうやうやしく両手で持って村の奥へ去った。

 ライラは肩をすくめつつ、ザジを振り返って笑う。

 不思議と彼女の笑顔は、ハナヤの不興を買っているようだ。

 ハナヤは鼻息も荒くザジから離れようとしない。


「みっともないとこ見せたな、ザジ。あれは便利なんだが、村人は誰も使おうとしない。このクスク村には、男手が少なくてね。三年前に最後の狩人がやられてから、肉を配る者がいないんだ。アタシ以外の誰もね」

「そうか、もしかして」

「ああ、キリンヤガだ。あいつにやられた……みんな、やられた」

「デカい狐だからな。それにあの気迫、ただもんじゃねえさ」

「やっぱわかるか? ザジ、お前……ははっ、流石だよ!」


 村長はライラに厳しい態度だったが、村人は再度集まり出す。

 皆、隼の肉が配られるのを待っているのだ。

 そして、ライラは特に考えた様子もなく、躊躇ためらいを見せず石のナイフを腰から抜く。これから隼をさばいて村人たちに配るつもりだ。

 それは、狩人が負う使命で、村への第一の貢献だ。

 既に動かなくなった隼からは、子供たちが羽根をつまんでむしっては、巨大な羽毛を手にはしゃぎ始めている。そして、今日の糧を待つ女たちも、料理の話で盛り上がっていた。

 ザジは心なしか、妙な違和感を感じる。

 この隼は、キリンヤガと呼ばれる主の狐が倒した獲物だ。そのキリンヤガは、己に必要な糧を得たため、ザジたちを見逃してくれた。ザジたちのような小さな人間に、狩りの労力を割く価値がないと見たのだ。

 だが、それをライラは先程の御神体、銃で横取りしたのだ。

 に落ちない、少し気分がよくない。

 だが、ザクザク解体してゆくライラの笑顔は、とても輝いて見えた。彼女が迷いなく喜び、それを村人と分かち合えるのは……彼女が女だからかもしれない。

 そう思っていると、ハナヤが再度口を開く。


「ライラさん! 銃は、あの道具は使えば使うほど消耗する筈。だよねっ、オルたん!」


 彼女が振り向くと、青い車体が喋った。

 ザジとハナヤを乗せて走る乗り物で、移動手段である以上に保護者のような声。それは無機質な調べだが、不思議とザジを落ち着かせる。

 オルトリンデは、一拍の間をおいて喋り出した。


「クトヴァPK88Fはマキシア・インダストリアル製のオプティカル対物アンチ・マテリアルライフル。かつて存在した人類同盟軍じんるいどうめいぐんの兵士が使う武器です。使用後はエネルギーのチャージが必要な筈ですが。材質の経年劣化から見て、あの銃は千年以上前の物と推測されます。正直に言って、稼動状態にあることが不思議なくらいの骨董品アンティークですが」


 オルトリンデの言葉は、相変わらず訳がわからない。

 だが、ザジは知っている。

 この世界には、訳がわからないものが沢山あるのだ。例えば、天へと屹立きつりつするハコブネの街だ。周囲に人が集まり街をなしてる、その中心は巨大な構造物だ。誰もが宝の山だと言って、登っては削り取ってくる。

 それに、ザジの背中にある大きなピッケルだって、得体の知れない物質だ。

 ライラは少し思い出す素振りをしながら、喋り出した。


「御神体はさ、使ってると赤い光を出すんだ。チカチカ光る。そうなったら、鉄のみやこに行くしかない」

「鉄の都? おい、ハナヤ」

「ううん、知らない……」


 オルトリンデが言葉を挟まないということは、彼女も知らないのだろう。ライラはさして興味がないようで、言葉を続ける。


「鉄の都は、街道をずっと進んで、閉ざされ森を抜けた先だ。高い壁に囲まれた街で、よくわからない連中が住んでる。そこへ持ってけば、御神体の神通力は戻るんだ」

「ライラが持っていくのか?」

「そう、アタシ以外は誰も使わないよ。ただおがんで手を合わせるだけ。でも、アタシに言わせりゃそんなの宝の持ち腐れだ。あれは、御神体は素晴らしい狩りの道具なんだ」


 鉄の街というのは、ザジが知る世界の外の話に思えた。

 聞いたこともないし、全く知らない。

 ただ、何度か閉ざされ森のことは他の村の狩人から聞いたことがある。それ自体が巨大なネイチャードと言われる、全てを拒む暗い森だ。陽の光さえ届かぬ、闇の深淵しんえん……原初の森では、迷い込んだ人間などネイチャードのえさでしかない。

 だが、ライラはそれを抜けて行き来するというのだ。


「御神体があればアタシは無敵さ! ……もう、嫁に貰われるまでつまらない仕事ばかりやらされる必要もないんだ。アタシは狩人、このクスク村の狩人なんだ」


 誇らしげなライラの言葉は、どこか自分に言い聞かせるようだ。

 ただ、ザジは妙な落ち着かなさを感じて左の手を見下ろす。薬指には、赤い指輪が小さく光っている。この世界では、ザジが知る限り若い男女が大事にしてきたきずなの指輪だ。それはしきたりで、営みで、そして希望のようなものにさえ思える。

 それを持たぬライラの不思議な活力が、ザジには驚きだった。

 そして、不思議な道具に頼らずとも、彼女が立派な狩人であることはわかる。ライラを包む空気が無言で伝えてくる。だが……どうしてもザジには、彼女が同じ年頃の女で、誰かが彼女を待っているような気がするのだ。ライラの名を刻んだ指輪を手に、今日もどこかで将来の伴侶が生きている。それを思うと、言葉にできないモヤモヤを感じるザジだった。

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