最果てのブラッドリング

ながやん

第1話「出会い、或いは――RETRY」

 しらみだした空の彼方かなたに、大きな大きなあかい月が消えてゆく。

 太陽の光が遠くの稜線りょうせんを紫に染め出した。

 この星に、朝が来る。

 少年は今、去りゆく夜を追いかけて走っていた。

 名は、ザジ。

 かつてあおき星を満たした者たちの末裔だ。

 ザジは走る……遠き父祖ふそが万物の霊長として君臨した、この星を。

 今は見る影もない、科学の文明を忘れた肉体だけで、走る。


「流れ星! 俺は……俺は、見たっ! いつものより、ずっと、ぐっと、近かった!」


 夜露よつゆに濡れた草が、風に揺れている。

 える草木の匂いは、甘い空気がむせるほどに濃密だ。

 今、この星はみどりのゆりかご……人類の多くが捨てて旅立ったのは、衰退と滅亡が原因ではなかった。ザジたち今の人類が忘却した過去に、それは起こった。

 人間は遠い昔、大自然の摂理に屈したのだ。

 今、この星を満たす主は……人間以外のあらゆる生命体。

 暴力的なまでに生命力に溢れた大自然を、人はと呼んで恐れた。


「この地面! ……近いぞ、この先に……あったぁ!」


 腰までしげる草が、一部だけわだちになって焼かれている。その先へと視線をめぐらし、ザジは瞳を輝かせた。

 高熱で硝子がらすになった土の道は、その先に巨大な金属の塊を沈ませている。

 まだ白煙を巻き上げている、それは夜に見た流れ星。

 村から追いかけ二時間は走ったが、ようやく辿り着いた。


「へへ、一番乗りだ……つまり、二番手が来るまで、喰らい放題ってことだ!」


 ザジが狩人ハンターの目を鋭くまたたかせる。細身ながら鍛え抜かれた肉体は、無駄な脂肪が全くない。引き絞られた肉食獣のような痩身そうしんが、必要最低限の筋肉だけで構成されている。その身を覆うのは、粗末なズボンだけ。

 背には大きなピッケルをかついでいたが、これは父の形見だ。

 父はこれを、流れ星に最初に追いついて得たのだ。


「……しっかし、こりゃどこをどうすりゃいいんだ? ……開いてるあそこが入り口か? なんだよ、流れ星って中に入れるってのか?」


 夜明けの光が強く、熱く燃え始めた。

 そろそろネイチャードたちが本格的に目覚め始める。動植物の別なく、日の出てるうちに活動できるのは強い個体だけだ。弱い個体は夜行性となって、闇の中を影から影へと生きねばならない。そういう弱いネイチャードだけが、ザジたちのような狩人の獲物なのだ。

 だが、流れ星は別だ。

 そもそも、イキモノでもなければ岩や山でもないらしい。

 それは、鈍色にびいろの光沢だった。

 注意深くザジが回り込もうとした、その時。

 不意に悲鳴が響く。

 女の、それも少女の声だ。


「今の声! 他にも、星を追いかけてた奴がいたのか!?」


 咄嗟とっさにザジの肉体が躍動やくどうする。

 俊敏さを爆発させた彼は、地を這う影のようにせた。

 身を低くして、疾走しっそう

 すぐに視界が狭くなる中で、風景が背後へと飛び去る。

 鋭敏な感覚は、獰猛な野生の敵意を拾っていた。

 二度目の悲鳴の、その中心へと飛び込むザジ。


「下がってろ! 水辺みずべ……馬鹿野郎っ! 太陽が出てんだ、水に入るな!」


 真っ白な肌、そしてあかい髪。

 目も覚めるように美しい裸体が、水飛沫みずしぶきをあげて逃げまどっていた。年の頃はザジと同じくらいか、少し上で17か18だ。

 どっちにしろ、正気の沙汰さたとは思えない。

 明るくなったこの時間に、水辺に近づく……あまつさえ、水に入るなんて。

 点在する森や茂みに隠れるように、小さな泉はあちこちにある。

 その一つで少女が振り返る。

 濡れた大きな瞳に、ピッケルを構える自分が映るのがザジには見えた。


「キミは!?」

「こっちだ、早く!」


 瞬間、少女の背後で巨大な水柱が屹立きつりつした。

 響き渡る獣の咆哮ほうこう

 日の出と共に活発化した、この星の支配者……ネイチャードだ。それも、植物型ではなく動物型。どうみても肉食だ。


「チィ! おい、あんた! 早くこっちに来るんだ!」

「あ、脚が……」

「ちょいとヤバいぜ……ベアじゃねえか。しかも、デケェ!」


 人の時代を終えて今、翠の星を支配するのは……。かつて科学文明の消費社会で受けた仕打ちを、あらゆる大自然は忘れてはいなかった。再び摂理が支配する世界では、人間のヒエラルキーは限りなく低い。

 脆弱ぜいじゃくな人類など、技術と知識を失った今は獣ですらなかった。

 だが、まだ火と道具があることで、辛うじて生き残っている。

 そしてザジは、若くして村長に認められた狩人だった。


「っし、やるか!」


 のろくさと水をけ逃げる少女と、一足飛びですれちがう。

 同時に、振り上げたピッケルが獲物へと吸い込まれた。

 普段は、こんな危険な狩りはしない。雌牛メスベコトンチキンを狙うし、それでも倒しきれず逃げられることが多い。牡牛オスベコがいる時など、手痛い逆襲を食らうこともザラだ。

 だが、熊というのは……まだザジは倒したこともない。

 当然、食べたこともない。

 それはザジにとって、とても大事なことだった。

 振り下ろした一撃が、熊の頭蓋ずがいへと食い込む。確かな手応え……だが、頭部にピッケルを生やしたまま、突然熊は立ち上がった。その身はザジの数倍だ。あっという間に巨獣がの光を遮り、その影でザジを包む。

 ピッケルを手放してしまったザジは、膝上まで水に浸かりながらも距離を取った。


「へへ、やるじゃねえか……お前が勝ったらそれをやる! 俺のオヤジの形見だぜ。俺が勝ったら……手前ぇを、カッ喰らうっ!」


 両手を振り上げた熊が、鋭い爪を繰り出す。

 大きく上体をスェーさせたザジの、たなびく長髪の先が細切れに舞う。だが、構わずザジは大きく身を揺すって狙いを散らしつつ、側面へと回り込んで水面を蹴る。

 足場の悪い中でも、強靭な足腰で熊の背にとりついた。

 もう一度ピッケルを手にして、それをより深く押し込めば、勝てる。

 直感でしかない確信が、ザジに危険な高揚感を与えていた。

 しかし、熊も流石は摂理の一角、ネイチャードの肉を喰らうネイチャードである。必死でザジを引き剥がそうと暴れた。

 その時、聞きなれない爆音……そう、機械の金属音が鳴り響く。


「ハナヤ、怪我はありませんか? ……原生動物、危険度A++と認識……その背に、人間? 原住民と推測」


 特殊樹脂とくしゅじゅしのタイヤが地を蹴る絶叫も、甲高いオプティカルエンジンがかなでるエグゾーストも、人類が忘れて久しい音だ。

 ザジの視界の隅に、不思議な物体が走っていた。

 左右非対称、右側は前後に輪を回転させるウマのようなもの。馬も今は、人間に背を許すことなどありえない。左側にも輪はあって、そこは人が座って収まるように見えた。だが、それが喋ったことにもザジは意識を向ける余裕がない。

 そして、ようやく岸にあがった少女は叫んだ。


「お願い、オルたん! 彼を助けてあげて!」

「マスター、私は第七世代型の自律戦闘用AI、オルトリンデ。そのような呼称ではありません。音声入力は正確に願います。それと……原住民への接触は可能な限り避けるべきかと」

「ボクのせいなんだ、水浴びなんか……その、青い水が透き通ってて。綺麗な自然の水、初めてで! だからつい、ボク! それで彼が」

「……まあ、どのみち案内役は必要でしょう。では――」


 少女の声に答える、謎の物体。それは女の声で喋っているが、酷く冷たくて平坦だ。抑揚よくように欠く声音は、言葉遣いだけは慇懃いんぎんだが、いささか鼻持ちならない雰囲気。しかし、そんなことを考えている暇はない。

 必死でザジは熊の背を昇る。

 どんな断崖も踏破とうはしてきたが、僅か十メートル程が届かない。

 全身の筋肉にしびれが溜まって、急激な発熱でパンパンだ。

 それでも、振り落とされぬように剛毛を鷲掴わしづかみにして、登る。

 肉の壁は大きく暴れて転げながら、ザジを振り落とそうとしていた。

 だが、異変が突然一人と一匹を襲った。


「少年、マスターに……連血れんけつの巫女ハナヤ様に感謝するのだな。……出力0.4%、口径最小……スタンモード。少年、当たったら許せ。先に詫ておくぞ」


 直後、苛烈な光が謎の物体からほとばしった。

 まるで、稲妻だ。

 閃光が熊を貫き、穿うがつ。

 あっという間に熊は、小さな悲鳴と共に動きを止めた。

 そして、今まで以上に暴れ始める。

 だが、僅か一瞬……一秒にも満たぬ硬直は、ザジには値千金あたいせんきんの時間だった。


「なにをやったか知らねえが、るなら今だぜ! オラァ! ――いただき、まぁす!」


 あっという間にザジは、余力の全てで再びピッケルを握る。

 そして、それをバネに宙へと舞うや……急降下で蹴り足をピッケルへと叩き込んだ。左右対称に伸びる鋭角の片方、その根本を蹴り込む。

 鈍い感触と共に、永久金属トワニウムの刃が熊の脳髄のうずいを貫通した。

 雪崩なだれのような轟音を立てて、泉に熊が崩れ落ちる。

 ピッケルを引っこ抜いたザジは、全身で呼吸をむさぼり崩れ落ちた。

 気付けば目の前に、裸の少女……確か、ハナヤと呼ばれていた娘が立っていた。


「えっと、大丈夫? だよね? あーあ、水が血でにごってく」

「当たり前だろ、馬鹿かあんたは」

「ま、あらゆる血は尊いから……って、また馬鹿っていった! さっきは馬鹿野郎って!」

「野郎は取り消す、立派なもんだしな……いい尻だ、頑丈なガキをバンバン産めそうだぜ。でも、馬鹿だけどな」

「また! ぐぬぬ……って、ぁ……あ、あわわ……ボク、裸だったーっ!」


 慌ててハナヤは、ザジに水を浴びせて走り去る。先程、謎の光を放った物体に駆け寄り、その影に隠れた。

 そして、ハナヤをかばうように未知の物体が喋り出す。


「少年、礼を言おう。マスターの救出に感謝を。私は対戦車モービルに搭載された第七世代型の自律戦闘用AI、オルトリンデだ」

「オルたんだよっ! そしてボクは、ハナヤ!」

「マスターの使命のために協力してもらえないだろうか。道案内を頼みたい」


 だが、半ば無視するようにして。ザジは一息つくや仕事にかかる。

 妙な少女と謎の物体のせいで、流れ星への一番乗りが無駄になりそうだ。話に聞いてた流れ星は、宝の山で、未知の神秘で、幸せの塊だったのに。頭の弱そうな、乳やら尻ばかりむちぷりとした少女と、喋る物体がいるだけだ。

 だが、突然の遭遇とはいえ熊は僥倖ぎょうこう極まりない。

 初めて肉食のネイチャードを倒した、これにはザジも興奮を隠せない。


「なあ、あんた! ええと」

「ハナヤだよ。ねね、キミは?」

「俺か? 俺はザジ、アスモ村の狩人ザジだ! で……その妙なの」

「ああ、オルたん?」

「熊を引き上げんの、手伝ってくれよ。それ、なんか知らないけど乗り物なんだろ?」


 右側の二輪にはまたがれそうだし、両手で握る棒も突き出てる。左側にも人が座って乗れるだろう。村では乗り物といえば、人力の荷車にぐるまくらいだが、それとも違うらしい。

 だが、女の声がするから、中には人間が入ってるかもしれない。

 どっちにしろ、ザジの目的は一つだった。


「……ねね、ザジ。オルたんを使って……なにすんの? それ、やっつけたんでしょ?」

「ああ? やっぱ馬鹿だな、あんた。決まってるじゃねえか……!」


 これが、ザジとハナヤ、そしてオルトリンデとの出会いだった。

 紅い巨月を見上げる星、翠に支配されたネイチャードの楽園エデンで……二人と一台は出会った。それは、ハナヤが背負わされた宿命への旅へと、ザジをいざなう。

 流れ星という名の大気圏突入カプセルが運んできたのは、冒険。

 だが、今のザジには初めての熊退治と、その肉の味で頭がいっぱいだった。

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