第9話「激闘、それは――REVENGE」

 草原は今、弱肉強食の狩場かりば

 そしてザジは、狩られる人間の一人だ。

 街道を阿鼻叫喚あびきょうかん地獄絵図じごくえずへと変えて、白い巨影きょえいぶ。まるで風のように馳せる。美しくも恐ろしい威容を誇る、この一帯の主……巨大なフォックス、キリンヤガ。獰猛どうもうなる爪と牙が、悲鳴を奏でる楽器となって空を裂く。


「ひいいいっ! に、逃げろっ! あの狩人のボウズんとこまで、逃げろお!」

「積荷が……大事な商品がっ! くっそお、ネイチャードには手も足も出ねえ!」


 商隊キャラバンの男たちは、荷車を放り出して逃げ出した。

 入れ替わるようにザジは踏み込み、キリンヤガへとピッケルを振るう。ヒュン、と風鳴かざなりを連れて、鋭い刃が輝いた。

 だが、キリンヤガは不思議とザジを見向きもしない。

 執拗しつように商隊が残した荷物の周囲に留まり続ける。


「なんだ? 妙だ……俺を見ない。なにを見てる? クソッ、どうなってんだ!」


 ザジは完全に、キリンヤガに無視されていた。

 以前と同じだ。

 獲物として見られていない。狩るに値しない動物だと思われているのだ。それが悔しいが、同時に安堵感をも連れてくる。大型のネイチャードともなれば、ファルケンバニーとは違う。人間などという、小さな肉は食べる必要がないのだ。

 キリンヤガのような大型のネイチャードが狙うのは、同じネイチャード。

 あたかも大自然から無視され、かつての環境破壊の罰のように放置されるザジ。

 だが、そんな空気を光が引き裂いた。

 真っ白なキリンヤガの毛皮が、吹き出す鮮血にれる。


「チィ、外した!? アタシが外したっていうのかい!?」


 背後を振り返れば、銃とやらを両手で構えたライラの姿があった。

 彼女の握る武器は、手元で赤い光を点滅させている。いては消えるそのリズムは、不思議とテンポアップしているようにザジには感じられた。

 まるで、なにかを警告するかのような赤い輝きが、不思議と不安を増幅させる。

 だが、ライラは距離を詰めつつ二射目を発射した。

 避けたキリンヤガのかすを掠めて、粒子フォトンの光条が突き抜けてゆく。


「また外した! ギリギリで避けてる? クソッ」

「前に出てくるな、ライラ!」

「ザジ、当てればやれるんだ! 協力してくれ……アタシは、アイツに勝ちたい! アイツを狩れば、村のみんなだって村長だって、アタシを認めてくれる!」


 ザジが止める間もなく、ライラが走りながら銃を乱射する。

 幾重にも重なる光が、何度もキリンヤガの巨躯きょく擦過さっかした。

 ギリギリで避ける巨大な狐が、どんどんあかに染まってゆく。その動きはだんだんと緩慢かんまんになって、スピードとキレが落ちていた。

 だが、ザジの中でなにかが警告を叫ぶ。

 恐るべきこの土地の主は、なにかを狙っている。

 ザジを貫通してライラに注ぐ眼光は、弱り傷付く中で輝きを増しているのだ。


「なにを狙ってる……お前は、なにを。……!? ま、まさかっ!」


 ザジの中で直感がひらめいた。

 それは、狩人だからこその言葉にできない力かもしれない。

 わからず知らないことが、自然と感じられる。

 同時に、隣から飛び出したライラが銃を乱射して走った。


「見ろ、ザジ! 奴は弱っている! 今だっ、確実にれる!」

「待てっ、ライラ! 危険だ!」


 その時だった。

 既に真っ赤な鮮血で染まった、紅蓮白狐ぐれんびゃっこの目に光が走る。

 咆哮ほうこうを張り上げ、キリンヤガが地を蹴った。

 爆発的な加速で、剥き出しの牙がライラを襲う。

 あっという間にライラは吹き飛ばされて、手にしていた銃が宙を舞う。慌ててザジは走り出した。転がり何度もバウンドするライラを追って、その隙をフォローする。

 だが、キリンヤガはライラを見向きもしなかった。

 すでに敵ではないとばかりに、ザジごと無視する。

 そして彼女は……そう、めすの狐だ。

 そんな気がした瞬間には、彼女は最後の力を解放した。

 円を描いて宙を舞う銃を、キリンヤガはんで口でキャッチした。同時に、力尽きたように無様に墜落して、その場で立ち上がれなくなる。

 余りに不可解な出来事で、ザジは目を見張った。

 キリンヤガは、確実にライラを殺せた……ザジごとほふれた。

 しかし、彼女が選んだのは、人間の生命いのちなどではなかったのだ。

 それを教えてくれる声が、背後で響く。


「ザジ、もうやめて! ライラさんも!」


 振り向くとそこには、オルトリンデに乗ったハナヤがいた。

 街道を村からやってきた彼女は、武装した多くの村人を連れている。皆、なたやナイフを持ち、怯えながらも集団でやってきた。訓練を受けてない人間にとって、村の外は危険な場所だ。それでも彼らは、ハナヤを先頭にやってきた。

 止まったオルトリンデから飛び降りた彼女は、真っ直ぐザジに走ってくる。


「ハナヤ、なんだ? 村の連中も……どうした!」

「ライラさんを助けにきたの。みんな、ライラさんが心配だったから!」

「アタシを、心配だって? どうして、アタシはみんなに、ウッ! イチチ……」


 ようやく身を起こしたライラが、鋭い視線を投げかける。

 それを目で追うザジは、驚愕きょうがくの光景を見た。

 力尽きようとしているキリンガヤは、その口にくわえた銃を離さない。死力を尽くすその姿は、鬼気迫る裂帛れっぱくの意思をほとばしらせていた。血の泡を吹きながら、彼女は……最期さいごの力で、銃を木っ端微塵に噛み砕いた。

 そして、それで全てを終えたかのようにドサリと崩れ落ちる。

 もう、この地を統べる偉大なぬしは動かなくなった。

 呆気あっけにとられていると、ハナヤが語り出す。


「あれは……銃は、今という時代にあってはいけないもの。ただの信仰である以上に、危険な武器。それをキリンヤガは知っていた……彼女が太古の昔から受け継ぐ遺伝子DNAが、銃を持つ人間の恐怖を、人間より恐ろしい銃を覚えていたんだと思う」

「そんな……じゃあ」

「見て、ザジ……ライラさんも。ネイチャードだってボクたちと同じ生き物だから。生命だから。大切な者のために命懸けで戦う、人間の狩人と一緒だよ?」


 ザジはようやく理解した。

 賢いキリンヤガは、人間など襲わない。食べる肉の少ない人間は、彼女の獲物ですらないのだ。だが、商隊は襲われた。

 キリンヤガは、えて商隊を襲ったのだ。

 

 ――ライラという狩人が持つ、

 彼女は一貫して、最初からライラの持つ銃が目的だった。その破壊のために、生命を捨てて戦ったのだ。わざとギリギリで避けつつ、何発かは食らって見せる。傷付く自分をもおとりにして、ライラを必中の距離へとあぶり出したのだ。

 その理由が、ザジの視界へとやってくる。

 ハナヤの言ってることが、ようやくザジにも理解できた。


「あれは……子供? 子供の狐だ。……まさか!」


 それは、まだ小さな子供のネイチャードだ。全部で三匹、どれも脅威となるような大きさに成長しきっていない。小さく鳴きながら、動かなくなった母親の周囲をウロウロと悲しそうに離れない。

 ハナヤの言葉で、ザジは確信を得る。


「キリンヤガは、我が子を銃という太古の脅威から守るため……命を捨ててそれを破壊したの。賢くて優しく、強い母親……この世界を支配する、残酷で美しいネイチャードそのものだね、ザジ」


 にごった瞳に我が子を映して、キリンヤガは死んでいた。

 心なしかその表情が、勝ち誇った笑みに見えた。

 そして……まだ小さな狐たちは、人間に気付いて身を低くうなる。背に母親の死骸をかばって、獰猛な野生もあらわに吼える。

 だが、まだ成長していない狐など、ザジは勿論ライラにとっても敵ではない。

 あっという間に狩ることができるだろう。

 ほんのわずかな、一人一切れにも満たぬ肉を村にもたらすだろう。

 そしてそれを、狩人は選ばない……だからライラも、その選択をしないとザジは感じた。信じていた。


「……よぉ、ライラ。どうする?」

「どうする、って……アタシは狩人だ! 得る肉の少ない狩りはしない。死骸もあさらない! そんなことをしたらアタシは、狩人ではなく、人ですらなくなってしまう」

「だな。でも、見てみろよ、後ろを」


 ライラを振り向かせて、ザジはハナヤに笑いかけた。

 ハナヤの背後では、安堵あんどの表情で村の若者たちが顔を見合わせている。

 その中から、村長がゆっくりと現れた。


「ライラ、御神体ごしんたいは」

「すまない、村長……壊されてしまった」

「いや、よい……御神体は最後まで、村の大切なものを守ってくれた」

「守った? それは?」

「お前が無事でよかった、ライラよ。我が村の同胞はらから、ワシらのいとしい娘よ」


 そっと村長は、ライラの頬に触れた。

 その肌を濡らす涙を拭って、何度も笑顔で頷く。

 それで始めてライラは、自分が泣いていることに気付いた。


「アッ、アタシが女だからか!」

「そうではない、ライラよ……連血れんけつ巫女みこハナヤ様にさとされた。女にしか子は産めぬが、ライラ……お前にしか、ワシらの村に肉をもたらしてはくれん」

「じゃあ、アタシが狩人だから」

「それだけでは十分ではない。お前は大事な女で、大切な狩人で、そして村の娘で、仲間だ。さあ、帰ろう」


 そう言って村長は、最後に村人たちと慇懃いんぎんにハナヤへと頭を下げる。

 どうやら村をもう引き払ってきたようで、自然とザジはハナヤに連れられオルトリンデに乗った。村人たちは手分けして商隊の荷物を運び始める。

 ライラは最後にキリンヤガを見やり、名残惜しそうに離れてゆくその子らを見送った。

 誇り高き草原の覇者は今、いにしえ災厄さいやくを封じて滅ぼし……土にかえろうとしていた。


「お別れだな、ザジ。アンタの子なら産んでもいいと思った。だが、アタシは狩人……いつか母親になる時、それがアタシの強さになる。それがようやくわかった」

「へへ、そうかよ。それは俺ら狩人にとって、なによりの財産だ。俺はそう思う」

「御神体がなくても、アタシは狩人を続ける。そしていつか、キリンヤガのような母親になりたい。今は、そう感じるよ」

「だな」


 こうして再び、ザジはハナヤと旅立った。

 村人たちに手を振られながら、真昼の街道を星都せいとチェインズに向かって北上する。

 真昼は危険なネイチャードの時間だが、不思議と敵意は襲ってこない。まるで、偉大なる主の死を迎えて、厳かにに服しているようだ。

 ネイチャードは野生の獣、本能のみで動く摂理せつりの化身だ。

 しかし、心がないと誰が言えるだろう?

 いつくしみといたわりの心がないと、誰が証明できる?

 ザジには理論も説法も不要で、千の言葉を並べられる必要などない。

 ただ、唯一の心で感じることが全てで、隣のハヤナがそうだと頷いてくれる……それだけで十分なのだった。

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