第5話「強欲、そして――RECALL」
巨大な
ハコブネの街に朝が来た。
今日も市街地を見下ろす
市で賑わう街の中央広場にザジは来ていた。
オルトリンデに腰掛け、黙ってハナヤの買い物を見守る。
あれこれ細かな話をしながら、ハナヤはこちらを振り向き手を振った。
「ザジ! ちょっと来て、キミの格好もなんとかしなきゃ」
「俺か? いいよ、あれこれ着込むのは好きじゃないんだ」
「まあまあ、そう言わずに」
基本、ザジは上半身は裸で、ハーフパンツだ。唯一のこの着衣も、村の皆で共有してる布から作ったものだ。妹のリリが縫ってくれたもので、
ザジは手招きするハナヤを無視して、しっしと手を振った。
瞬間、電撃が背骨を突き抜ける。
「ってえ! おいこらっ、
「マスターがお呼びだ、行ってもらおうか。次は電圧をあげるぞ。それと……私は第七世代型の自律戦闘用AI、オルトリンデ」
「くそっ、オル公! 図体でかいからってお前――」
「電圧を三倍に設定」
「わーったよ、行けばいいんだろ! ったく」
渋々オルトリンデから降りて、周囲の行き交う人々が振り向く中で歩く。
どうやら衣服や防具を売る店らしく、既にハナヤは買ったマントを
渋々受け取り、ザジは袖を通す。
襟元から首を突き出した瞬間、既にハナヤは次のものを手に取っていた。
それを見て、僅かにザジは目を輝かせる。
「おっ、なんだそれ……いいじゃねえか、ハナヤ」
「でしょ? ボクだって、ザジのこと色々考えてるんだから」
「しかも、これ! スゲェいいじゃんかよ!」
ハナヤが渡してくれたのは、金属のプロテクターだ。
このハコブネの街では、簡単な加工ならば職人が行ってくれる。勿論、有償で。天へと
削り出された鋼材は一部が加工され、生まれた道具がさらに加工できる種類を増やす。発掘に使う道具もどんどん良くなるが、労働力は唯一、人間だけだ。
ザジはハナヤから、プロテクターを受け取る。
「ザジってさ、動きの邪魔になるのは嫌なんでしょ? あと、重いのとか」
「そうさ、狩人は身のこなしと瞬発力が命だ。……む、むむっ? ありゃ」
まず、ワンショルダーの肩当てを装着してみる。右肩と、あとは胸まわりを守る防具だ。利き腕が上がらなくなるようなダメージを貰えば、それは既に戦闘不能というのが大自然での狩りだ。右肩を守りつつ、動きの制限されない防具は嬉しい。
ベルトを回して金具をはめ込めばいい筈だが、うまくいかない。
見かねたハナヤが手伝ってくれて、パチンとジョイントが鳴った。
「うん、いいみたいだねっ! どう? 軽いでしょ」
「ああ……いいな。そっかあ、カネがあればこういうものも買えるんだな」
「あと、これは左腕にどう?」
「どれどれ」
さっきまで渋っていた自分を、すっかりザジは忘れてしまった。
差し出されるまま、左腕に
これなら、ちょっとした攻撃を受け止めることもできそうだ。
全身で回避するのではなく、左手で払って受け流す動きが考えられる。
ザジは二つの防具を身に着け、改めて背にピッケルを背負った。
「でも、ハナヤ。いいのか? 昨日稼いだカネは」
「ここで使い切った方がいいよ。他の街では多分、この街のお金は使えないと思うから」
「なんでだ? いや、俺ぁハコブネの街より先には行ったことがねえけどよ」
「……お金っていうのはね、ザジ。それ自体は紙切れと金属片でしかないんだよ。ただ、一定の価値を認め合う、守り合う社会が必要なの。この街はたまたまあの
「船? どこに? ……難しい話だなあ、おい」
「ま、いいよ。はい、これはマントね。それと、ゴーグル」
ハナヤの言ってることは、やっぱりわからない。
ネイチャードの肉とか皮、甲殻や鱗がカネになるのは知っていた。
コウショウというものでそれが増えるのも、昨日知った。
だが、ザジにはもらえるカネを増やす方法は考えられないのだ。昨日の
釈然としないながらも、マントを羽織ってゴーグルを首にかけた、その時だった。
「ん……あそこ、あの路地。ちょっと待ってて、ザジ」
「おい、ハナヤ! ったく、なんだよ」
ハナヤは会計を終えると、オルトリンデに駆け寄る。
彼女はどうやら、また例の
それでザジは、先程ハナヤが見ていた路地を見やる。そこには、恐らく兄弟だろうか? 幼子を抱えたまま崩れ落ちている少年がいる。年の頃はザジより少し下だろうか? 弟の方はさらに小さく、まだ
ザジもオルトリンデに向かえば、会話が聴こえてくる。
どうやらオルトリンデは、例の機械をハナヤが使うのを拒否しているようだ。
「マスター、いけません。この街は、ザジの育ったアスモ村とは規模が違います」
「でもっ! ボクは
「ですから、こうして
「それはわかってる! でも、ボクには目の前の子を見捨てられない。旅してる間に、あの子は死んじゃうんだよ? 子供一人救えなくて、なにが連血の巫女だいっ!」
オルトリンデは黙ってしまった。
そして、プシュッ! と空気が抜ける音がする。
オルトリンデの左側、いつもハナヤが座っている座席の荷物入れが開いた。そこから血を抜き薬に変える機械をハナヤは取り出した。迷わず腕に当てて、歯を食いしばる。
ザジはそれを、黙って見守っていた。
ただ、奇妙な機械を連れた二人連れは、周囲の注目を集めてしまう。
そして、それはハナヤの善なる気持ちの輝かしさで決定的になる。
「よしっ、できた! 待っててね……ボクが今、助けるっ!」
ハナヤは迷わず、自分の血液から作った絶対血清を病人の子供に投与した。兄に抱かれたまま、ぐったりとした弟が目を開いた。徐々に瞳に光が戻ってくる。
ザジは自然と、村に残って自分を待っている妹リリを思い出した。
そのリリを救ってくれたのは、他ならぬハナヤなのだ。
だが、周囲がざわつき始めて、大人たちが集まり出す。
ハナヤが見つけるまで、道端で死にかけていた兄弟を無視していた者たちだ。
「おいっ、今の……」
「あ、ああ。そういや昔、
「つまり……あの子が連血の巫女だっていうのか!?」
「なんてこった、これで病気に怯える日々も終わりだ! おいっ!」
「ああ!」
即座にザジは走り出し、兄弟と話し出したハナヤを引き剥がす。悪いとは思ったが、ハナヤの手を引きオルトリンデに戻ろうとする。
だが、遅かった。
あっという間に大人たちに囲まれてしまった。
「なあ、アンタ……連血の巫女とかってやつなんだろう? 妻の病気を治してくれ!」
「俺が先だ! 金は払う。いくらだ、俺の命はいくらなんだ!」
「待てっ、
「金ならある! いくらでも払う! 俺に……俺に命を売ってくれ!」
ザジが握る細い手から、ハナヤの動揺が伝わった。
こんな小さな女の子から、この街の人間に行き渡る絶対血清を作るのは不可能だ。
それくらいはザジにもわかる。
そんなことをしたら、ハナヤは干からびてしまう。
そしてなにより……妹の命の恩人であるハナヤは、言葉を失い震えていた。
ザジはすかさず、背のピッケルを抜き放つ。
「うるせえっ! カネなんざいらねえ、黙って待ってろ! よくわかんねえが、ハナヤはあの星都チェインズに行くってんだ。そこにハナヤが行けば、病気を治す方法がぶわーっと広がるんだよ! ぐーわって!」
だが、要領を得ないザジの説明に大人たちは納得しない。
次第に二人を囲む空気は殺気立っていった。
「星都チェインズだって? 死ににいくような旅じゃないかっ!」
「あそこは地の果て、行き着く者などいるものか……それより、今は目の前に薬があるんだ! それを逃して死なせるなんて、できないっ!」
「そうだ……世界中の者たちが助かるのも大事だが、私は自分の妻の方が大切だ!」
「さあ、言ってくれ! 命の値段を! 払う、いくらでも払う!」
ザジは背にハナヤを
ネイチャードのような、本能的な野生のぎらつく光ではない。
ひどく虚ろな目をした大人たちは、ネイチャードの何倍も恐ろしく
そして、ハナヤの震えた声が耳元で
「ああ? 殺すなって? なんでだよ、ここは強行突破っきゃねえ! こいつら勘違いしてんだ。カネでなんでも買えると思ってやがる! ネイチャードの恐ろしさも知らないのに、肉を欲しがる! ハナヤの痛みもわからねえのに、命を惜しんでんだよ!」
ザジはハナヤの
見上げる大人たちの絶叫と悲鳴を聴きながら、ザジは着地と同時に再度
すぐに走り出したオルトリンデが、視界の隅で砂煙をあげていた。
ザジは三度目の跳躍でオルトリンデに飛び乗り、左側の座席にハナヤを押し込む。
「あの兄弟、生き残るぞ。兄貴ってな、妹や弟のためなら強くなれっからな。家族を守る意味、守る家族の命をお前は救ったんだ」
「うん、でも……」
「むかつく話だぜ! なあ、ハナヤ。気にすんなよ、次の街だ、次! お前は俺が、ぜってえチェインズにつれてく。さっきの連中に
「……そう、だね。ボクは連血の巫女、全てを等しく救ってみせる。ああいう人たちだって、救いを求めてるんだから。うんっ、よし! 行こうザジ!」
ようやく笑ってくれたハナヤの頬を光が伝う。
再び大自然を貫く街道へと飛び出て、彼女の涙はハコブネの街を僅かに濡らした。ほんの僅かな絶対血清と、ほんの数滴の涙……旅半ばのハナヤには、それが精一杯だった。
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