第5話「強欲、そして――RECALL」

 巨大なあかい月を隠して、太陽が昇る。

 ハコブネの街に朝が来た。

 今日も市街地を見下ろす巨艦はこぶねは、それ自体が街の人達にとって大きな大きな日時計だ。傾いた影が大地にきざまれ、街に日向と日陰を作る。

 市で賑わう街の中央広場にザジは来ていた。

 オルトリンデに腰掛け、黙ってハナヤの買い物を見守る。

 あれこれ細かな話をしながら、ハナヤはこちらを振り向き手を振った。


「ザジ! ちょっと来て、キミの格好もなんとかしなきゃ」

「俺か? いいよ、あれこれ着込むのは好きじゃないんだ」

「まあまあ、そう言わずに」


 基本、ザジは上半身は裸で、ハーフパンツだ。唯一のこの着衣も、村の皆で共有してる布から作ったものだ。妹のリリが縫ってくれたもので、一張羅いっちょうらである。

 ザジは手招きするハナヤを無視して、しっしと手を振った。

 瞬間、電撃が背骨を突き抜ける。


「ってえ! おいこらっ、手前てめぇ! オルナントカ!」

「マスターがお呼びだ、行ってもらおうか。次は電圧をあげるぞ。それと……私は第七世代型の自律戦闘用AI、オルトリンデ」

「くそっ、オル公! 図体でかいからってお前――」

「電圧を三倍に設定」

「わーったよ、行けばいいんだろ! ったく」


 渋々オルトリンデから降りて、周囲の行き交う人々が振り向く中で歩く。

 どうやら衣服や防具を売る店らしく、既にハナヤは買ったマントを羽織はおっていた。そして、その手に半袖の白いシャツを握っている。ボタンがないタイプで、そのまま被ってしまえば終わりの簡素なものだ。

 渋々受け取り、ザジは袖を通す。

 襟元から首を突き出した瞬間、既にハナヤは次のものを手に取っていた。

 それを見て、僅かにザジは目を輝かせる。


「おっ、なんだそれ……いいじゃねえか、ハナヤ」

「でしょ? ボクだって、ザジのこと色々考えてるんだから」

「しかも、これ! スゲェいいじゃんかよ!」


 ハナヤが渡してくれたのは、金属のプロテクターだ。

 このハコブネの街では、簡単な加工ならば職人が行ってくれる。勿論、有償で。天へと屹立きつりつする巨大な構造物――誰もが忘れたことも覚えていない、遥か太古の宇宙戦艦――それ自体が鉱脈なのである。

 削り出された鋼材は一部が加工され、生まれた道具がさらに加工できる種類を増やす。発掘に使う道具もどんどん良くなるが、労働力は唯一、人間だけだ。

 ザジはハナヤから、プロテクターを受け取る。


「ザジってさ、動きの邪魔になるのは嫌なんでしょ? あと、重いのとか」

「そうさ、狩人は身のこなしと瞬発力が命だ。……む、むむっ? ありゃ」


 まず、ワンショルダーの肩当てを装着してみる。右肩と、あとは胸まわりを守る防具だ。利き腕が上がらなくなるようなダメージを貰えば、それは既に戦闘不能というのが大自然での狩りだ。右肩を守りつつ、動きの制限されない防具は嬉しい。

 ベルトを回して金具をはめ込めばいい筈だが、うまくいかない。

 見かねたハナヤが手伝ってくれて、パチンとジョイントが鳴った。


「うん、いいみたいだねっ! どう? 軽いでしょ」

「ああ……いいな。そっかあ、カネがあればこういうものも買えるんだな」

「あと、これは左腕にどう?」

「どれどれ」


 さっきまで渋っていた自分を、すっかりザジは忘れてしまった。

 差し出されるまま、左腕に籠手こてをはめ込む。前腕部を覆いつつ、右手の指は全て素手のように馴染なじんで動く。金属の他にも不思議な材質が使われているようだ。

 これなら、ちょっとした攻撃を受け止めることもできそうだ。

 全身で回避するのではなく、左手で払って受け流す動きが考えられる。

 ザジは二つの防具を身に着け、改めて背にピッケルを背負った。


「でも、ハナヤ。いいのか? 昨日稼いだカネは」

「ここで使い切った方がいいよ。他の街では多分、この街のお金は使えないと思うから」

「なんでだ? いや、俺ぁハコブネの街より先には行ったことがねえけどよ」

「……お金っていうのはね、ザジ。それ自体は紙切れと金属片でしかないんだよ。ただ、一定の価値を認め合う、守り合う社会が必要なの。この街はたまたまあのふねがあるから」

「船? どこに? ……難しい話だなあ、おい」

「ま、いいよ。はい、これはマントね。それと、ゴーグル」


 ハナヤの言ってることは、やっぱりわからない。

 ネイチャードの肉とか皮、甲殻や鱗がカネになるのは知っていた。

 コウショウというものでそれが増えるのも、昨日知った。

 だが、ザジにはもらえるカネを増やす方法は考えられないのだ。昨日のバニーが銀貨二十枚という事実を知ってさえ、倒す兎を増やしてどうこうなるという発想がない。

 釈然としないながらも、マントを羽織ってゴーグルを首にかけた、その時だった。


「ん……あそこ、あの路地。ちょっと待ってて、ザジ」

「おい、ハナヤ! ったく、なんだよ」


 ハナヤは会計を終えると、オルトリンデに駆け寄る。

 彼女はどうやら、また例の絶対血清マイティブラッドとやらを作る気だ。

 それでザジは、先程ハナヤが見ていた路地を見やる。そこには、恐らく兄弟だろうか? 幼子を抱えたまま崩れ落ちている少年がいる。年の頃はザジより少し下だろうか? 弟の方はさらに小さく、まだとおにもなっていないような雰囲気だ。

 ザジもオルトリンデに向かえば、会話が聴こえてくる。

 どうやらオルトリンデは、例の機械をハナヤが使うのを拒否しているようだ。


「マスター、いけません。この街は、ザジの育ったアスモ村とは規模が違います」

「でもっ! ボクは連血れんけつ巫女みこ、病気の子を放ってはおけない!」

「ですから、こうして星都せいとチェインズを目指しているのでは? 百年に一度、連血の巫女はチェインズに行幸ぎょうこうの旅をします。チェインズで初めて、マスターの血は絶対血清として解析、量産され、この星の隅々に行き渡るのですから」

「それはわかってる! でも、ボクには目の前の子を見捨てられない。旅してる間に、あの子は死んじゃうんだよ? 子供一人救えなくて、なにが連血の巫女だいっ!」


 オルトリンデは黙ってしまった。

 そして、プシュッ! と空気が抜ける音がする。

 オルトリンデの左側、いつもハナヤが座っている座席の荷物入れが開いた。そこから血を抜き薬に変える機械をハナヤは取り出した。迷わず腕に当てて、歯を食いしばる。

 ザジはそれを、黙って見守っていた。

 ただ、奇妙な機械を連れた二人連れは、周囲の注目を集めてしまう。

 そして、それはハナヤの善なる気持ちの輝かしさで決定的になる。


「よしっ、できた! 待っててね……ボクが今、助けるっ!」


 ハナヤは迷わず、自分の血液から作った絶対血清を病人の子供に投与した。兄に抱かれたまま、ぐったりとした弟が目を開いた。徐々に瞳に光が戻ってくる。

 ザジは自然と、村に残って自分を待っている妹リリを思い出した。

 そのリリを救ってくれたのは、他ならぬハナヤなのだ。

 だが、周囲がざわつき始めて、大人たちが集まり出す。

 ハナヤが見つけるまで、道端で死にかけていた兄弟を無視していた者たちだ。


「おいっ、今の……」

「あ、ああ。そういや昔、じいさんが言ってたぜ。確か、百年に一度――」

「つまり……あの子が連血の巫女だっていうのか!?」

「なんてこった、これで病気に怯える日々も終わりだ! おいっ!」

「ああ!」


 即座にザジは走り出し、兄弟と話し出したハナヤを引き剥がす。悪いとは思ったが、ハナヤの手を引きオルトリンデに戻ろうとする。

 だが、遅かった。

 あっという間に大人たちに囲まれてしまった。


「なあ、アンタ……連血の巫女とかってやつなんだろう? 妻の病気を治してくれ!」

「俺が先だ! 金は払う。いくらだ、俺の命はいくらなんだ!」

「待てっ、横入よこはいりをするな! 俺はこれでも、この街じゃちょっとした名士めいしなんだぞ」

「金ならある! いくらでも払う! 俺に……俺に命を売ってくれ!」


 ザジが握る細い手から、ハナヤの動揺が伝わった。

 こんな小さな女の子から、この街の人間に行き渡る絶対血清を作るのは不可能だ。

 それくらいはザジにもわかる。

 そんなことをしたら、ハナヤは干からびてしまう。

 そしてなにより……妹の命の恩人であるハナヤは、言葉を失い震えていた。

 ザジはすかさず、背のピッケルを抜き放つ。


「うるせえっ! カネなんざいらねえ、黙って待ってろ! よくわかんねえが、ハナヤはあの星都チェインズに行くってんだ。そこにハナヤが行けば、病気を治す方法がぶわーっと広がるんだよ! ぐーわって!」


 だが、要領を得ないザジの説明に大人たちは納得しない。

 次第に二人を囲む空気は殺気立っていった。


「星都チェインズだって? 死ににいくような旅じゃないかっ!」

「あそこは地の果て、行き着く者などいるものか……それより、今は目の前に薬があるんだ! それを逃して死なせるなんて、できないっ!」

「そうだ……世界中の者たちが助かるのも大事だが、私は自分の妻の方が大切だ!」

「さあ、言ってくれ! 命の値段を! 払う、いくらでも払う!」


 ザジは背にハナヤをかばって、包囲の輪を狭めてくる大人たちをにらむ。

 すでにもう、周囲は獣の目だ。

 ネイチャードのような、本能的な野生のぎらつく光ではない。

 ひどく虚ろな目をした大人たちは、ネイチャードの何倍も恐ろしくおぞましい。

 そして、ハナヤの震えた声が耳元で懇願こんがんしてくる。


「ああ? 殺すなって? なんでだよ、ここは強行突破っきゃねえ! こいつら勘違いしてんだ。カネでなんでも買えると思ってやがる! ネイチャードの恐ろしさも知らないのに、肉を欲しがる! ハナヤの痛みもわからねえのに、命を惜しんでんだよ!」


 ザジはハナヤの華奢きゃしゃ矮躯わいくを、両腕で抱き上げた。そして地を蹴れば、鍛え抜かれた脚力が爆発した。先程買ったプロテクターは、やはり重さを感じない。身体に不自由は感じず、裸でいるかのように全身が鋭く躍動する。

 見上げる大人たちの絶叫と悲鳴を聴きながら、ザジは着地と同時に再度ぶ。

 すぐに走り出したオルトリンデが、視界の隅で砂煙をあげていた。

 ザジは三度目の跳躍でオルトリンデに飛び乗り、左側の座席にハナヤを押し込む。

 うつむく彼女の涙を見て、紅い髪をザジは乱暴にわしわしと撫でた。


「あの兄弟、生き残るぞ。兄貴ってな、妹や弟のためなら強くなれっからな。家族を守る意味、守る家族の命をお前は救ったんだ」

「うん、でも……」

「むかつく話だぜ! なあ、ハナヤ。気にすんなよ、次の街だ、次! お前は俺が、ぜってえチェインズにつれてく。さっきの連中にづらかかせてやろうぜ」

「……そう、だね。ボクは連血の巫女、全てを等しく救ってみせる。ああいう人たちだって、救いを求めてるんだから。うんっ、よし! 行こうザジ!」


 ようやく笑ってくれたハナヤの頬を光が伝う。

 再び大自然を貫く街道へと飛び出て、彼女の涙はハコブネの街を僅かに濡らした。ほんの僅かな絶対血清と、ほんの数滴の涙……旅半ばのハナヤには、それが精一杯だった。

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