第17話「再起、さらに――RELOAD」

 空は青く、白い雲がたゆたう。

 真っ直ぐ続く平坦な道は、左右に緑の草原を広げていた。

 だが、その平和な光景がザジには薄ら寒い。

 今、ザジは凍えるような震えの中で立ち尽くしていた。の光が温める肌から、悪寒おかんのようなしびれが消えない。握った拳はもう、爪が食い込む痛みさえ感じなかった。

 周囲は同じように立ち尽くす人達であふれていた。


「お、おい……なあ。ワシはどうすれば」

「こんな話、聞いてないわ。私達の旅は……何年も旅してきた時間はなんだったの?」

「待つんだ、落ち着こう! 落ち着け! とっ、とと、取り乱してはいけない!」

「きっと訳が……理由があるんだ」


 皆、驚きを隠せない。

 そして、失意の中で言葉だけが行き来する。

 それを黙って背中で聴きながら、ザジは真っ直ぐな道の先を見据みすえていた。

 ハナヤを連れた無臭むしゅうの男達、無臭人むしゅうじんが飛び去った方向だ。

 ザジ自身、いきどおりで今にも爆発しそうだ。

 それ以上に今、理解不能な状況に混乱していた。

 そんな時、背後で不意に声が響く。


「若いの……一緒の子だけが連れていかれた、というより、連れ去られたようじゃな」


 振り向くとそこには、一人の老婆ろうばが立っていた。

 彼女はそのままザジの隣に立つと、突いたつえに両手を置いてフムとうなる。年の頃はもう、六十や七十ではきかないくらいの歳月を感じる。酷く小さく見えるのは、腰が曲がっているからではない……しわだらけの全身はもう、しなびたように縮んでいるのだ。

 それでも、隣からザジを見上げて、老婆も道の伸びる先へ視線を放った。


「ばあさん……俺は、どうしたらいい? 俺は約束したんだ。ハナヤを星都せいとチェインズに連れていくって」

「ハナヤ、それがあのお嬢さんの名前なんだねえ? うんうん」

「ずっと、旅してきた。色々あって、一緒に乗り越えて」

「みんなそうさね。ここにいる、みんな。だが、思った通りにはならなかったのさ」


 それだけ言うと、老婆は背後を振り向いた。

 その矮躯わいくからは想像もできない大声が、あたりのざわめきを塗り替えてゆく。

 それは、老いた者特有の威厳と知性を感じさせる。

 そして、老いた肉体のおとろえが嘘のような響きだった。


「みんなもよくお聞き! 星都チェインズは地上の楽園……そうと信じてみんな、ここまで来たはずだ! そうだねえ?」


 誰もが皆、口々に叫びなげいていた声を潜める。

 この場の何十人という視線を吸い込み、ザジの隣で老婆は周囲を見渡した。まるで我が子、我が孫を見詰めるような優しい目だった。そして、彼女の視線を追ってザジも皆の顔を見る。

 誰もが皆、失意で暗い表情をしていた。

 老婆を黙って見詰めるその瞳は、暗くにごっていた。

 だが、多くの者達の絶望を前に、老婆の声は澄み渡る。


「長く辛い旅だった筈だねえ? あたしにもよーくわかる。苦難の連続、生命の危機……その中で何度も決断を迫られ、大切な者も大事な物も置いてきた。全部は持っていけないから、捨てるしかなかった」


 誰もが顔を見合わせうなずく。

 ザジにとっても、老婆の言葉は感慨深かった。

 多くの経験を得た旅、その七難八苦の日々が思い出される。

 巨大な街で知った、ハナヤの絶対血清マイティブラッドの力……力を前にした人の欲望。

 女の狩人かりうどが、狩人であるために頼った御神体ごしんたい……その正体は、旧世紀の武器だった。

 異形の森も通り抜けたし、サイバーダインという機械の人形が支配する城もあった。

 なにより、進む過程で多くのネイチャードと対峙たいじし、生命のやり取りの中で生きてきた。

 そう、生きるとは生命を並べて競うこと。

 弱ければ敗者となって、強き勝者のかてとなる。

 逆もまたしかり……だが、誰もが全力で勝者を目指している。

 そして、敗者への敬意を持つのは人間だけとは限らない。

 血と肉を得て捕食者となり、己の力へ変える事で明日へと生命を繋ぐ。

 それは大自然のいとなみで、ザジ達人間も同じだ。


「長い長い旅を続けてきた、あたしもそうだ。みんなもそうだろう? じゃあ、あたしから言えることは一つだ。あたしゃ賢人けんじんでもなければ族長でも村長でもない。ただの夢見る老いぼれさ……だから、一つだけだ」


 そう言って老婆は、ニヤリと口元をゆがめた。


「ここは、チェインズかい? ここに今、みんなが夢見た星都チェインズがあるのかい? ……?」


 誰もが言葉を失った。

 ザジ自身も、呆気あっけにとられて隣の老婆を見下ろす。

 あっという間に周囲には、ざわめきが広がっていった。誰もがつぶやきとささやき交わす。不安げに言葉を交えて、老婆の語る意味を自分以外の者の中に探しているようだ。

 そして、老婆はコンコンと地面を杖で叩く。

 不思議な灰色の道は、恐ろしいまでに平らだ。こんな技術は見たことがない。


「さあ、答えは出てるんじゃないかねえ? あたしゃチェインズを目指して故郷を旅立った。そして、ここはまだチェインズじゃあ、ない。……旅はまだ、終わってないよ」


 それだけ言うと、老婆は大荷物を背負い直して……歩き出した。

 先の見えない真っ直ぐな道を、一人でゆっくり歩き出したのだ。

 最後に一度だけ、肩越しに振り返る。


「ここで旅をやめたら、チェインズに拒否されただけで終わる。この先へ旅を続ければ……理想郷の現実、そして真実くらいはつかめる筈さ。あたしはここで終わるくらいなら、まだまだ旅を続けたいねえ。本当のチェインズを知って、それを伝えに故郷に帰るんだ」


 そう言うと、しわだらけの顔をことさらしわくちゃにして笑う。

 そして、老婆はまた歩き出した。

 背負った大荷物だけしか見えなくなっても、その背中はまだザジ達全員に語りかけていた。そう、旅はまだ終わりではない……ここはチェインズではない、終着点ではないのだと。

 そして、ほうぼうで声があがる。


「そ、そうだ! ここで終わってたまるか! 見てろよ……俺は意地でもチェインズに行ってやる!」

「ああ! 旅はまだ終わっていない……終わっちゃいなかったんだ!」

「ここはチェインズじゃない! 迎えが来るだけの場所で、私達は迎えてはもらえなかった。それだけだわ!」

「あの女の子は連れて行かれた、つまり全員駄目という訳じゃないんだ。俺達も行こう! 今まで歩いてきたあしで、この道を歩いて行こうぜ!」


 人の波が動き始める。

 皆、顔に希望を取り戻していた。

 怒り、恨み、憎しみ……そうした色も見て取れる。だが、それすらも生きる原動力。前へと進むことでやがて変わるかもしれない。なにより、それだけの魅力が星都チェインズにあるのだ。

 地上の楽園、この星で一番のみやこ……チェインズ。

 その実像は今も、謎に包まれている。

 だが、行かねばなにもわからないのだ。

 そして、ザジにも力が戻ってくる。

 多くの者達がザジを追い越してゆく中、旅の仲間がそばにやってきた。そう、仲間……機械という道具ではなく、仲間。気付けばオルトリンデが、隣に停車していた。


「ザジ、言わなくてもわかっているかと思うので問いません。ただ――」

「ただ、なんだよ。わーってるよ! へっ、俺としたことが……お前もわかってるな?」

「ええ。マスターを星都チェインズへお連れするのが私の使命。先程の連中が出迎えならば、マスターが無事にチェインズに到着し、使命を全うするのを確認する必要があります」

「……もっと単純に言えばよ、オル公」

「はい」

「ハナヤを一人にはしておけねえ。今までさんざんっぱら、守ってきたんだ。そして、俺の狩人のかんがさっきから反応しやがる。……ハナヤを守りにいくぞ」

「了解」


 オルトリンデにザジはまたがった。

 再び前へ進むため……ハナヤを追いかけるために。

 正直、理解できないことが多過ぎる。まだ頭の中はゴチャゴチャとして考えがまとまらない。だが、思考を待ってはいられない、れて爆発寸前の衝動があった。

 いつも隣にいたハナヤの、その隣にまた立ちたい。

 彼女の旅と自分の旅とを、一緒に終わらせたい。

 その時に笑顔の二人でなければ、きっと後悔する。

 訳も分からずザジは、胸の奥が熱く燃えたぎるのを感じていた。


「おい、オル公。この道ならカッ飛ばせるな?」

肯定こうてい。最大巡航速度で走行が可能です」

「っし、じゃあハナヤに会いに行くか!」

「了解」


 静かにオルトリンデが走り出す。

 周囲にはまだ歩く人々がいて、邪魔にならぬよう低速で追い抜いてゆく。

 やがて、先頭を歩く先程の老婆へと追いついた。

 隣に並んでさらに速度を落とし、ザジはハンドルを握ったまま語りかける。


「ばあさん! 乗ってくか?」

「あたしがかい? 遠慮するよ、機械ってやつは苦手でねえ。それに……あんたの隣は、こんな老いぼれたババアじゃないはずさね」

「そりゃそうだ。……ありがとよ、ばあさん。じゃあ、チェインズで会おうぜ」

「当たり前さ、若造が。ヒヒヒッ、せいぜい急ぎなよ? 昔から若い娘をさらった連中がやることは一つさ。だから……さっさと行って助けておやり!」


 大きくうなずき、ザジはオルトリンデに加速を命じる。

 徐々にスピードをあげるオルトリンデは、いつもの空気のまくで車体を覆って増速した。みるみる背後の気配も声も、遠ざかってゆく。

 そして、真っ直ぐな道の上でザジは疾風かぜになる。

 普段は悪路や荒野を走るので、オルトリンデは意図的にスピードを落としていた。その秘められた力が今、全て解き放たれたのだ。身を低くしながら、ザジは異次元のスピードに驚く。


「そういや、オル公! こうして二人になるのは初めてだな……お前のこと、もっとよく聞かせろよ」

「……いいでしょう。マスターに与えられた権限の範囲内でお話します。まだまだ先の長い道中、マスターがいない今は……ザジとでも話す意義があります。知的な会話が期待できずとも、私の忍耐はきっと旅の最後までもつでしょう」

「なんか今、妙に腹が立ったぞ。意味はわかんねえけど」

「それと、ザジ……これだけは覚えておいて下さい」

「ん? なんだよ、オル公」


 その時、オルトリンデは疾走する中で珍しく殊勝しゅしょうなことを言ってきた。


「ザジ、貴方あなたがマスターを守ろうとする時、私は全力でその援護を行います。無条件にザジへの協力を惜しみません……有り体に言えば、信頼しているということでしょう」

「はは、お前が俺を? ま、そんときゃよろしく頼むぜ」


 こうしてザジは、再び旅を始めた。

 穏やかな景色が続く先……道の伸びる先、星都チェインズへ向かって。

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