第8話「交錯、さりとて――REACT」

 この星に生きる人類の朝は、早い。

 巨大なあかい月が去らぬ早朝から、村は動き始める。過酷な大自然の中で生き残るためには、目覚めと同時に居場所を切り取る作業が始まるからだ。

 クスク村でも、総出でまずは草刈りをする。

 村のあちこちで芽吹めぶいた新芽を、残さず潰してまわるのだ。

 ザジのいたアスモ村もそうだった。老若男女ろうにゃくなんにょを問わず、動ける人間は全てこの作業をこなす。おこたれば、三日ともたず村は巨大な森へと飲み込まれてしまうのだ。

 それが終わると、ようやく個々に任された仕事が始まる。

 そんな中、ザジは朝からライラに付き合わされていた。

 村の広場で今、二人は木を削った刃のないナイフを向け合う。


「いいね、ザジ! 手加減はなしだよっ」

「わーってる! けど、なあ……」

「やっぱ嫌かい? アタシが女だから」

「そうだ。俺ぁ、女に手荒な真似まねはしたくねえ」

「そういう素直で正直なとこ、好きだ、よっ!」


 地を蹴るライラが目の前へと飛んでくる。まるで瞬間移動のような、点から点への突出。並外れた瞬発力に驚きつつ、ザジは落ち着いてライラの突きをいなす。

 繰り出される鋭い刺突しとつが、ザジの足さばきを加速させた。

 フェントを混ぜつつ、ザジも手を出しナイフを振るう。

 だが、どうしても普段のような気迫がみなぎらない。


「ほらほら、ザジッ! 本気を出さないと……巫女様みこさまの前で負かしちゃうよっ!」

「あっ、あいつは、ハナヤは関係ねぇだ、ろっ!」

「おっと、火がついたねザジッ! いい男だよ、アンタ!」


 ザジとてアスモ村で狩人かりうどを任された男だ。日々の鍛錬たんれんは欠かしたことがないし、ナイフも体術も自信はある。

 だからこそ、二律背反にりつはいはんな目の前のライラに戸惑うのだ。

 鍛え抜かれた感覚が告げてくる……ライラの腕が確かなことを。

 同時に、豊かな胸の膨らみやくびれた腰が、どうしても闘争心をいでくる。

 人は生まれを選べないというから、それはしかたがない。だが、子を産み育てて村中の仕事をするのが、ザジが知る限りの女たちの生き方だ。まるで真逆なライラが、狩人として十全な能力を持っていることに戸惑う。

 そんなザジの背中に声援が飛んだ。


「ザジー、やっつけちゃえー! 攻めて攻めて、ガンガン押してーっ!」

「マスター、そのような発言は巫女の品格を疑われます。おやめください。連血れんけつ巫女みこ、イメージ12%ダウンです」

「オルたんもほら、応援してっ!」

いやです」


 オルトリンデの上で、ハナヤが気炎をあげる。

 不思議とザジは、彼女に無様はみせられないと気負う。どういう訳か、彼女の前で負ける自分を想像したら、無性に腹が立った。

 それは血中の酸素を爆発させる。

 ザジはライラの薙ぎ払いに刀身を立てて、衝撃の音をカツン! と響かせた。

 次の瞬間には、細い手首を握るや円の動きに引き込む。

 周囲の空気が渦巻き、背負って投げたライラが宙を舞った。


「俺の勝ちだな、ライラ! ったく、なんて女だよ」

「イチチ……やられたあ。ハハッ、ザジは強いな!」

「ったりめーだ、誰に言ってんだ誰に。おら、立てっか?」


 身を起こすライラへと、ザジは手を伸べた。

 なんだか背中で感じるハナヤの視線が痛い。負けるなと言ったから勝ったのに、どうして彼女は頬を膨らませながらむくれているのだろう? 理不尽さにザジは眉をひそめる。

 ザジの手を握ったライラは、そのまま見上げながら笑った。


「なあザジ、アンタさ……ここでアタシと結婚しないか?」

「はぁ? お前、なに言ってんだよ。お前の相手は」

「指輪なら、突っ返してやった。アタシに生半可なまはんかな男はいらない。女だって、一人で生きてけるはずなんだよ。そして、御神体ごしんたいを使えばそれが可能なんだ」


 ライラの瞳には、危うい輝きが見て取れた。

 だが、その気持ちがザジにはわかる。

 模擬戦とはいえ、刃を交えて雌雄しゆうを決したから感じたこと。ライラが一流の狩人で、そんじょそこらの男になびくような女じゃないのはわかる。理解するまでもなく、そう感じる。

 ライラは声をひそめて、ザジに静かにささやいた。


「連血の巫女なんてさ、あのヘンテコな乗り物で送り出しちゃえばいいだろ?」

「それはできねえ! あいつはリリの、妹の恩人だ。そして、あいつの奇蹟きせきをみんなが待ってる。どこの村だって街だって、病人は山ほどいんだよ」

「じゃあ、どうして巫女様は真っ直ぐ星都せいとチェインズへ降りていかなかったんだい? アタシだってバカじゃない、知ってるよ。巫女様は空の果て、天の高みから来たんだろう?」


 確かにザジも見た。

 ハナヤは流れ星に乗ってやってきたのだ。

 多くの村で言い伝えになっている、幸せの流れ星。それを追いかけ一番乗りした者だけが、大いなる宝を手に入れられるのだ。ザジが肌身離さず背負うピッケル、父の形見がそうだ。父も流れ星を追って、不思議な金属のピッケルを手に入れたのだ。

 それは全て、蒼穹そうきゅうの彼方より飛来する。

 そして今回は、連血の巫女としてハナヤが降りてきたのだ。


「おかしかないかい、ザジ。巫女様はわざわざ危険な旅をする必要があるのか?」

「それは……その、なんだ」

「ふふ、スキありっ!」

「お? おっ、おわあ!」


 不意にライラは、握ったザジの手をひねった。

 同時に、脚を払ってその場でザジをひっくり返す。大地につんのめったザジは、すぐに立ち上がったライラに腕をねじりあげられた。

 油断が招いたことだが、決着の後であることはライラが承知している。

 それでも彼女は、ザジの肘を逆関節にきしませつつ笑った。


「アンタの子なら産んでもいいってんだ。なあ、ザジ! 巫女様の行幸ぎょうこうなんて、古いしきたりさ。女に狩りを認めないのと一緒だ。それでなにが得られる? なにが守れるんだ」

「ぐっ、お前……イテテ。で、でもよ……しきたりはしきたりなりに、守ってんだよ」

「なにを!」

「女と、子供とだ。村と、暮らしと……俺にそれ以上わかっかよ!」

「なら、それに倍するものをアタシが得てくれば? 認めるのか、ザジ!」

「男には子供は産めねえ。男と女は、どっちが欠けても駄目だろ。なら、互いにハマる場所にハマって、あとは互いのために働けばいいじゃねえか」


 ライラはつまらなそうに鼻を鳴らして、ザジを解放した。

 だが、その背後で……ザジが手放した木のナイフを拾う気配。

 振り向けばそこには、真剣な顔をしたハナヤが立っていた。その手に、いかにも不慣れな様子でナイフを握っている。

 ライラが笑いを浮かべると、彼女はへっぺり腰で切っ先を突き出した。


「次、ボクッ! ザジ、見てて……かたき、取ったげるんだから!」

「やめなよ、巫女様。アタシだって、アンタが星都に行ってくれりゃありがたいさ。御神体の力でも病気は治せない。それがわからないから、村長もみんなも御神体に祈る」

「祈りの気持ちを馬鹿にしないで!」

「馬鹿になんか……してる、かな。祈り願っても、御神体は応えてはくれない。あれは武器だから。武器は敵を倒してこそ、めぐみをもたらす。この村に肉をもたらすんだ」

「ボクたちが、連血の巫女が旅する理由を教えてあげる。それは、祈りが見えないから……しゅは常に高きより見守り、決して何者も救わず助けない。でも、祈りは届いているよ。だからボクはここにいるっ!」


 震えながらも叫ぶハナヤが、ザジにはまぶしく見えた。

 怯える気持ちを隠さない彼女は、それでもライラと戦う気だ。その華奢きゃしゃな肩に、この星の全ての生命いのちがかかっている。その覚悟があるからこそ、彼女は祈りの体現者として旅をするのだ。訪れる先々で、百年に一度の救済がめぐってきたのだと……彼女が主と呼ぶ存在が、干渉できぬ自分に代わって御使みつかいを遣わしたと知らしめるために。

 ライラが背負うライラの世界。

 そして、ハナヤが抱えるハナヤの世界。

 二つの価値観は、ぶつかり合う視線の中で弾けて火花を散らす。

 だが、その時だった。


「ライラッ! ライラは……ああ、いてくれたか! 助けてくれ、奴が……キリンヤガが出たっ! この村に向かってた商隊キャラバンが、街道かいどうで襲われた!」


 緊迫感を叫ぶ男の声で、ライラはすぐに鋭く表情をとがらせる。

 その時にはもう、へなへなとハナヤはその場に崩れ落ちていた。


「頼む、ライラ! ハコブネの街からの商隊だ。村でも買い付けるものが沢山ある!」

「チィ、あのフォックスめ……今日こそ決着をつけてやるっ!」


 ライラは村の奥、ほこらのある方へと走り去った。

 ザジは立ち上がると、ハナヤへと手を伸べる。彼女は震えながらも、ザジを見上げて無理に笑ってくれた。そして、意外なことを言い出す。


「ザジ、お願い……

「ああ? 俺がか? お前も見たろ、あの御神体っての。すげえよ、あんな飛び道具があるんじゃそうそうヘマは踏まねえ。ライラ自身も立派な狩人だしな」

「それでも! ……嫌な予感がするの。祈りも信じず、願いはかなえるだけの人。それはとても寂しいから、寂しいままで死んで欲しくない」

「……わっかんねえなあ、でも……あのでけぇ狐には借りがある。うし! ちょっと村で待ってろ。ライラの前に俺が狩ってやるよ。俺だって、あの御神体に負けてらんねえしさ」


 ザジは身につけた防具をチェックして、ピッケルを改めて背負い直す。

 おずおずと立ち上がったハナヤは、心なしか顔色が悪かった。彼女は唇を噛みながら、震える声を絞り出す。


「ボク、もっとライラさんと話さなきゃ……伝えたいのは信仰じゃないんだ。ただ……信仰を信じなくても、信仰心を持つ人を信じて欲しいの。上手く言えないけど」


 ザジの村には御神体などはないが、村人は誰もがなにかを信じていた。

 それはこの星を埋め尽くすネイチャードであり、同じ生命への敬意かもしれない。祈る対象は時に川のせせらぎであり、吹き渡る季節風であり、ザジが狩ってきた獲物の時もある。恵みへの感謝を忘れぬことで、謙虚に生きる姿がそこにはあった。

 そして、それがなにかしらの利を生み出しているかはわからない。

 しかし、その想いを共有することで、ザジの村は平和な営みを続けてきた。

 ザジはハナヤを安心させるように頷くと、戻ってきたライラのあとを追う。

 ライラの手には、御神体がチカチカと不気味な赤い光を明滅させていた。

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