第23話「出発、からの――REINCARNATION」

 旅は、終わった。

 そして、また始まる。

 日々を生き、いとなみをつらつなげてつむぐ旅が。

 人はそれを日常と呼んだ。

 星都せいとチェインズの地下から、死ぬ思いで這い出たザジを待っていたのは……歓声と熱狂だった。オルトリンデがいつもの乗り物の姿に戻って、その沸騰ふっとうした空気の中へとザジを放り出す。


「お、おいっ! オルトリンデ、お前っ!」

「胸を張ってください、ザジ。貴方あなたが私の乗り手でよかった……感謝しています」

「へへ、ありがとよ。俺も……お前がいてくれてよかったぜ、相棒」

「それと、強攻形態きょうこうけいたいでの着用時における警告動作が2,000件ほどあったため、報告しておきます。まず第一に前傾時における左脚部のフリクションに対して――」

「う、うるせえ! ……くっそ、こいつ……言うようになった、面倒臭えなあ」


 だが、改めてザジは群衆を見渡した。

 この街に今、大勢の者達が詰めかけているのだ。

 白ずくめの市民達は皆、呆然ぼうぜんとしていた。崩れ落ちる者、立ち尽くす者……皆、言葉はない。ただ、何度も瞬きをしながら、その場から動けないでいた。

 ザジは今、改めて大勢の前で勝利を叫んだ。


「この街は爆発しねぇ! 明日もずっと、ここにある! あり続ける!」


 隣でオルトリンデが、お小言のような声をあげた。

 だが、ザジは無責任に言い放つ。

 真に先を、明日を……未来を知る人間などいない。

 そんな人間がいるとしたら、それはすでに人間ではないのだ。

 そういう存在を形容する言葉すら、この星の生命は忘れてしまったかもしれない。だが、孤独になってしまった彼は……便宜上彼と呼ぶことに鳴るだろう存在は、見守ってくれている。そして、百年に一度の福音をもたらしてくれるのだ。


「俺には何もわからねえ! 知らねえよ! けどなあ……ここは星都チェインズで、連血れんけつ巫女みこ辿たどいた場所だ! 今度の巫女は……これからの巫女は、俺達と共にあるんだぜっ!」


 本当に無知で、無知であることしかわからない。

 それでも、あの少女を知れば信じられる。

 ハナヤはザジに、長い旅の中で教えてくれた。

 人が生き、生命いのちが生きるという意味を。

 そして、今も教え続けてくれる……そう思っていた。

 割れんばかりの歓声の中、集まる群衆が縦に割れた。海を知らぬザジだったが、見る人が見ればまさに、大海が左右に押し開かれるような光景だった。

 その奥から、裸同然の少女がやってくる。


「おお……巫女様だ! 連血の巫女様!」

「さらなる百年が始まる……また、続く! 俺達の明日は続くぞ!」

「それより、俺達はチェインズにいるんだ。辿り着いたんだよ! この世の楽園へ!」

「うおお、ハナヤ様っ! 祝福を!」


 ハナヤは今、ただ一枚の白い布で身を覆っている。

 それを引きずる半裸の姿が、不思議と神々しかった。

 彼女は、巨大な配管が並ぶ中から出てきたザジに、微笑ほほえみながら駆け寄る。

 そのまま抱き留めると、確かな重みがザジを一回転させた。抱き合い回る一瞬の中で、二人の気持ちと気持ちが繋がり行き交う。

 抱き締めた体温、その柔らかさにザジは胸が熱くなった。


「ザジッ! ありがと……ありがとっ! ボク、信じてたぞッ!」

「おう! 俺を誰だと思ってんだよ、誰だと……へへ」


 ザジの手を取って握り、そのままハナヤは皆の前に歩み出る。

 だが、彼女が歩いてきた人の輪の中に、ふらふらと現れる影があった。

 それは、色とりどりの装飾品すら重そうにあえぐ、あのサクヤだった。威厳に満ちた衣装も今は、引きずるようにして歩いている。誰もがざわめく中で、ハナヤが毅然きぜんとして言い放つ。


「その人を傷付けないでっ! ……もう、終わったんだよ」


 彼女が声を発しなければ、たちまちサクヤは外から来た者達に押し潰されていただろう。

 何より、苦しげに近付いてくるサクヤを弾劾だんがいする者達は、今にもとびかかりそうだ。

 それは……先程まで唖然あぜんとしていた白服の者達。もとよりこの街に住み、清潔な管理社会で生活していた人達だった。自称エリート、選ばれた人間だった者達が、誰よりも先にサクヤを取り囲む。


「おっ、俺はだまされていたんだ! そうだ、俺達は被害者なんだ!」

「そうだ! 今こそハナヤ様を盛り立てて、次の百年に我々の繁栄を!」

「サクヤ様を、いや……サクヤを! 我々の恭順きょうじゅんの意思表示として、この手で……!」


 だが、ハナヤは静かに澄んだ声を解き放つ。

 叫んでなどいないし、声を荒げたりもしない。

 ただ、水面に波紋が広がるような声音が場に満ちた。


「ボクには恭順なんていらないっ! そして、これからのことを考えるための流血なんて必要ない……それに、その人は、もう」


 ハナヤの言葉はしっかりとしたものだった。

 だが、ザジの手を握ってくる彼女の手は震えていた。

 そこには、彼女の怒りと、それを律して制する高貴な意志が感じられた。だから、ザジはしっかりと手を握り返してやる。自分が握る手は、連血の巫女でも、この街の新たな支配者でもない……大事な仲間、ハナヤの手なのだ。

 大勢に取り囲まれた中で、サクヤは苦しげに声を発する。


口惜くちおしや……その若さ、そのからだ……われの、我のっ!」

「サクヤ、キミは間違っちゃったんだよ。本来、新しい巫女が、古い巫女を吸収して次の巫女を待つ。でも、君はずっと新しい巫女を吸収して乗っ取り、永遠を夢見ていたんだ」

「そう……夢、だ……我が夢は、まだ」

「夢はやがて覚めるよ。そして、繰り返し巡りくる朝に、ボク達は生きてゆく!」


 サクヤは最後に、笑った。

 その笑顔が、まるでものの落ちたように穏やかになった。そして、そのままボロボロと肉体が崩れ始めた。その姿に、周囲を取り巻いていた白服達が声をあげる。


「ひいいいっ! サクヤ様が、あ、いや! サクヤが!」

「くっ、くさい! 腐ってる……消毒だ、誰か消毒を!」

「汚物の臭いだっ! 耐えられんっ! こんな死に損ないに我々は!」


 ザジは、初めて怒りを超えた感情を知った。

 いきどおる価値も感じられない……ただ流れに乗って強者になびき、流れが変われば次へとうつろう。そんなにまでして、清潔でいたいのか? リスクのない仮初かりそめの楽園で、ただ死んでいないだけの毎日を繰り返したいのか? ザジならゴメンだ。 

 だが、隣のザジを気遣うように、寂しげにハナヤが笑った。


「サクヤの身体は、もう限界だった……だって、ボクに乗り換える直前、百年目だったから」

「……オルトリンデから全部聞いたぜ? じゃあ、お前は」

「うん。僕がサクヤの全てを引き継ぐ。この星には再び百年の絶対血清マイティブラッドが振りかれ、今までの病気は全て駆逐される。……でも、また新しい病魔が少しずつ生まれると思う」

「でも、次の巫女が来るだろ? お前よか、もうちっとかわいげがあって、おしとやかで……ってえ! んでる! 踏んでるって!」


 容赦なくハナヤはザジの足を踏みにじった。

 そうしてニヒヒと笑いながらも、視線を遠くへ放る。

 周囲では、新たなこの星都の支配者に、誰もが歓呼の声をあげていた。

 だが、どこか寂しい言葉がザジにだけ伝わってきた。


「ザジ、あの人達のこと……許さなくても、いいよ。でも、知っててね……覚えておいて。人間はみんな、弱いから。ボクもそう、弱い……だから、ボクはあの人達さえも守って共に生き、強さを教えたいんだ。それはね、ザジ」

「ああ」

「ザジみたいな強い人もいるって、わかったから。ただ弱いからと、しゅのようにほどこすやりかたは間違っているかもしれない。けど、その中からザジみたいな強い人が出てきて、その生き方は多くの人に希望をともすよ」

「俺ぁそんな大した人間じゃねえ。ネイチャードを狩る狩人かりうど、そんだけだ」


 それだけで十分だった。

 そして、それ以上であっても得られぬ人が目の前にいる。

 ザジはさとった。

 別れの時が来たのだ。

 否、別離ではない……また、旅が始まるのだ。

 二人の旅は終わり、一人と一人の旅が始まる。

 だから、再び会うために違う道を選ぶのだ。


「ザジ……今までありがと! ボク、この街でやってみる。サクヤとは違うやりかたで、ここをみんなの目標になるような街にする」

「おいおい、できんのかよ」

「できるできないじゃないのっ! やるの! ……やるんだ。ここを閉ざされた聖地じゃなく、弱い人や傷付いた人、助けが必要な人達の場所にする。そして、ここから世界に旅立てる人達を育てるんだ」


 今はなんだか、ザジにはハナヤがとても大きく見えた。

 成功する狩りにしか出かけない狩人は、それは狩りとは言わないのだ。

 狩るか狩られるか、だが生命をけねば生命の糧は手に入らない。

 挑むこと、挑み続けるために生きることが大切だとザジはもう知っていた。


「ザジ、手」

「あん? 握ってるだろ、今」

「いいから! 左手」

「あ、ああ」


 ハナヤは左手でザジの右手を握ったまま……ザジの左手を右手で招く。

 そして、薬指にはまった赤い石の指輪にそっと触れた。


「ザジ、女の子にはちゃんと、優しくしてあげてね?」

「なんだよ、急に」

「いーから、返事ぃ!」

「イテテ、おいっ! 割れちまう! 俺の大事な指輪!」


 ハナヤはおもいっきり、左手を握ってきた。なんだか、まるで薬指の指輪を砕いてくるような、それを我慢してるような……その中に封じられた、二人の知らぬ名を祝福するような息遣いが感じられた。

 こうして、二人の旅が終わった。

 ザジはハナヤとの短い別れの時間を惜しみつつも、故郷への岐路を歩き出した。

 今度は、一人で。

 旅の仲間と一つの思い出を共有して。

 そうして、また一つ成長した男として、郷里に凱旋がいせんするのだった。

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