第4話「沐浴、故に――RESET」

 ハコブネの街に夜が来る。

 大地に突き刺さる巨大な船体は、物言わぬ歴史の遺物として斜陽の残滓ざんしを浴びていた。それ自体が今は、大きな鉱山街になっている。街の男たちは皆、日がな一日そびえる構造物へと登る。無敵を誇った星海うちゅう戦艦いくさぶねも、今は少しずつ削られるままに朽ちていた。

 周囲を取り巻く生活圏は、ザジの住む村と違って賑やかだ。

 削り出された金属は、かろうじて加工可能なものから売れてゆく。

 ここにはまだ、僅かながら技術と貨幣の価値観が残っていた。


「……おかしい。何故だ。どういうことだよ、こりゃ」


 ザジは今、宿屋の前でオルトリンデにまたがっている。その手には、ずしりと重い革袋があった。先程倒したバニーが、革袋いっぱいの硬貨に変わった。硬貨は色で価値が違うらしいが、ザジにはよくわからない。普段は、トンベコメリーなんかを持ち込む。どれも銅貨三枚になって、それで村に必要なものを探した。直接一対一の交換もザラだった。

 だが、ハナヤが間に入っただけで、まるで違ってしまった。

 銀貨が二十枚、これはザジにもわかる重さだった。


「あいつ、なにをしたんだ? 言ってることがさっぱりわからねえ。けど、すげえ」

「ザジ、わかりませんか? マスターは交渉を行ったのです」

「コウショウ? なんだそりゃ」

「ザジは恐らく、今までネイチャードを持ち込み、言われるままに交換していたのでは?」

「そらそうだ、俺には読み書きも数字もわからねえ。だが、これは」


 先程、ザジは確かに見た。

 いつものように、業者に兎を持ち込んだ。笑顔で差し出されたのは、いつもと同じ銅貨が三枚。だが、それをハナヤが突っぱねたのだ。彼女は周囲の市場、並ぶ屋台や出店を見たといい、それらを統計してこの経済圏がどうとか、物価がどうとか言っていた。業者の主人が笑顔を引きつらせる中、まっとうな対価とか流通の相場とか、強気な中にもたしなめ諭すような言葉を選んでいた。

 そして今、銀貨がぎっしり詰まった革袋がある。

 ザジには、まるで夢をみているような話だ。

 だが、オルトリンデはなるべくわかりやすく説明してくれる。


「貨幣とはすなわち、あらゆる物品やサービスを数値化したものです。ザジ、貴方の狩るネイチャードは放っておけば腐りますね? しかし、貨幣は腐りません」

「つまり?」

「ネイチャードの肉や毛皮を必要とする者に与え、代価として貨幣を得る。その貨幣でザジも、村に必要なものを買う。これが経済です」

「なるほど、わかってきたぜ」


 実は全然わかっていなかった。

 だが、オルトリンデは教えてくれた。物の価値というのは、必要とする者やその環境で変わる。ザジのように、誰もが恐れる大自然のネイチャードを狩る者は、獲物をもっと高く売るべきなのだ。それを知らないから、今までずっと買い叩かれてきたのだという。

 ハナヤが交渉し、ハコブネの街でのネイチャードの肉を評価させた。

 同時に、それを狩るザジの腕をも高く見積もるように言いくるめたのだ。

 長い講釈が終わると、オルトリンデは話を切り替える。


「ところで、ザジ」

「ん? なんだよ」

「貴方のその武器は、どこで手に入れたものですか?」

「これか! これぁ、オヤジの形見さ。オヤジも流れ星に一番乗りして、こいつを手に入れたんだ。どんな物をブッ叩いても壊れねえ、頑丈な武器だぜ」


 ザジは背負っていたピッケルを手繰り寄せ、夜空へと振り上げる。

 巨大な紅い月に、尖った十字架がかざされた。


「……ザジ、その武器の本当の使い方を知っていますか?」

「あ? 本当の使い方、って? なんだよそりゃ」

「私の強攻形態ならば、本来の用途で強力な武器として――」


 オルトリンデがそこまで話した、その時だった。

 往来の視線を浴びながら待っていた一人と一台に、宿屋からハナヤが飛び出してくる。彼女は満面の笑みで、ガシリとザジの腕に抱きついた。


「部屋、取れたよ! じゃあザジ、行こっ!」

「おい、待てって……俺ぁいいよ、外で寝る」

「なんで?」

「いつもそうしてる、この街じゃなんでもカネがかかるんだよ」

「沢山あるんだからいじゃない。それとね、ザジ!」


 ぐっと顔を近付け、スンスンとハナヤは形良い鼻を鳴らす。

 そして、ジト目で唇を尖らせた。


「ザジ、におうよ?」

「そうかぁ?」

「そう! ボク、ずっと一緒にいるんだから……少し綺麗にしなきゃって思って。ほら、お風呂も準備してきたから、来て!」

「いっ、いいよ! ちょ、待ておい! 引っ張るなって!」


 強引にハナヤが、ザジをオルトリンでから引き離す。

 そのまま宿の中へ引きずり込めば、愛想のいい女将さんが笑顔で迎えてくれた。ハナヤはまた難しい話をして、ザジの持つ革袋から銀貨を一枚払う。

 銀貨を見た女将の顔は、ぱっと光がさしたように明るくなった。

 ザジにはまだ、カネのことがよくわからない。

 何故、丸い金属片であんな顔ができるのだろうか。

 最後にハナヤは、振り向いて外のオルトリンデに小さく叫んだ。


「オルたん、とりあえず……一応警戒よろしく!」

「自衛モード、アクティブ。不当な接触者を高圧電撃で排除しつつ、マスターの安全を最優先」

「……殺すのナシだよ? ボク、この星の人のために降りてきたんだから」

「了解、電圧を最低レベルに設定」

「よしよし、んじゃザジ! いこいこっ!」


 そのまま奥にハナヤは進む。

 ドアが十個ばかりならんでいて、その一番奥が開いていた。中からは湯の流れる音が聞こえる。湯だとわかったのは、僅かに湿った空気が温かいから。

 部屋に入るなりハナヤはドアを閉め、あっという間に全裸になった。

 あのヒラヒラで透けた不思議な服を脱ぐと、白い肌が柔らかな曲線を帯びている。


「お、おいっ! まてハナヤ!」

「ほら、ザジも抜いで! 明日は服も買ったげるから! なにさ、パンツいっちょで」

「ま、待てこら!」


 あっという間にズボンも下着もかれてしまった。そのまま、尻を叩かれるようにしてバスルームに入る。ザジの村では、月明かりの夜に水浴びなどに集団で出かける。昼はネイチャードが危険だからだ。そういう時は確かに、男も女も節度を持って同じ水に浸かった。

 だが、こんな狭い密室で二人きりというのは、なんだか居心地が悪い。

 しかも、湯というのは贅沢品で、それがハコブネの街では管から出てくる。

 この街ではいつも路上で野宿だったから、ザジは目を白黒させるしかない。


「ほら、こっちおいでってば。洗ってあげるから」

「い、いいよ」

「よくない! いいから、ほらっ!」


 ザジはハナヤの前に座らされて、おけの湯を何度も浴びせられた。なんだか甘い匂いの泡を頭の上に乗せられ、ガシガシと指でかき混ぜられる。何度も何度も、揺れるハナヤの乳房が背に当たる。

 正直、妙な気分になりそうだが、そんなザジを気にせずハナヤは一生懸命だ。

 備え付けの布を使って、背からガシゴシと熱心にハナヤはこすってくれた。


「わぁ、ザジさ……傷だらけだよ? どうしたのこれ。古傷ばっか」

「俺ぁ狩人だぜ? なに言ってんだか。こんなの日常茶飯事だろうが」

「そっかそっか……あれ? ねえ、その指。へえ、なに? ザジ、オシャレだね!」


 ザジの左手を見て、ハナヤは笑った。

 その手の薬指に、小さな赤い指輪がある。村で手先の器用な職人が、真っ赤な地層の岩盤を削って作る指輪だ。

 それは、村の若い男たちにとっては、とても大事なものだ。


「これな、許嫁いいなずけの名前が書いてあんだよ。取ると裏に、書いてある。必ずよめは、別の村からめとることになってて……俺にも、許嫁がいる」

「……へえ。ど、どんな人?」

「知らねえ。会ったこともねえ」

「嘘っ!? 見知らぬ女の子をお嫁さんにしちゃうの!?」

「あっちだって俺を知らねえんだ、互角の勝負だろうが」

「結婚は勝負じゃないよう……ええー、信じられない」

「お互い、相手の名前を書いた指輪をしてる。でも、本当に結婚するまで見ちゃ駄目なんだ。その日が来たら、男は指輪を抜いて名前の女を探す。そして、女の村で指輪を交換すんだよ。相手の名前の指輪を渡して、自分の名前の指輪をもらうと一人前だ」


 ハナヤは驚きのあまりに言葉を失って、何度も丸くした目を瞬かせる。

 ザジも、まだ見知らぬ未来の花嫁を想って指輪を見詰めた。

 すると、頭から湯が浴びせられる。


あちぃ! なにしやがんだ、このっ!」

「ふふ、ザジはいいなあ。そっか、許嫁がいるんだ」

「お前はいないのか? ハナヤ」

「……うん。いない。ボクはほら、なんていうか……連血れんけつ巫女みこだから」

「そっかぁ? 見た感じ白くて病弱そうだが、丈夫なガキが産めそうじゃんかよ。尻なんざ、どっしり丸くて健康的だぜ、ハハハッ!」

「! ……サイッテー! ほら! 湯船に入って! 世話焼けるなーもう。スケベ! でも、弟がいたらこんな感じかなあ」


 こざっぱりとあかを落としたザジは、湯船へと追いやられる。湯気がたゆたう中、温かいお湯に疲れが溶け消えた。不思議なもので、確かにこれはカネとかいうのを払ってもいい。こういう贅沢なら、まあ、チキン一羽くらいの狩りの価値があるなと思った。ザジなりに少し、経済というものがわかってきた……鶏は1m前後の雑食性のネイチャード、飛べない鳥だ。比較的容易な相手だが、好戦的で凶暴な上にクチバシは人をも貫き殺す。

 だが、今はなんだか頭の中が弛緩しかんして、身体中の血行に安らぎが満たされる。

 ザジは湯船から、白い湯気の中で身体を清めるハナヤの裸体を見詰める。

 ふと、自分の未来の花嫁が気になった……いつか持って、ずっと守る家族へと想いを馳せる。早く一人前になって、妹にも楽をさせてやりたい。ザジが父のように立派な狩人として名を馳せれば、身体の弱い妹のリリにもいつか、赤い指輪がもらえると信じていた。

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