第26話 流星群
房という名の小屋は他の建物に比べて壁も戸も板の厚さは倍ほどもあった。反省を促す懲罰房が、どちらかというと彼の場合には瞑想の場のようだった。
中にいる男は星明りの差し込む高窓の下で、壁に背を預けてうな垂れている。最初は死んでいるのかと危惧したが、声をかけるとひょいと顔を上げた。生気のない顔をしていたが、それでも情けなさそうに笑って見せた。殴られた頬が紫に腫れ上がっている。
「様子はどうですか長」
「芳しくない。自体は深刻を極めている……」
「俺のせいっすか」
もはや涙は出てこないようだ。上を向いて小さくため息を吐いた。
「あなたのせいじゃない」
「だったら何でここに来たんだい、オルティリア。血だらけじゃねぇか」
私のぬらぬらと光る鱗には目もくれなかった。彼は元から私の正体を知っていたのだと確信する。知っていて普通に接してくれていた。教えてほしかったと思う気持ちもある反面、大した腹芸だと感心する。この男は腹の中にどれだけの内緒話を溜め込んで笑って生きているのだろうかと不思議になってくる。
「人間種が、武器を使って反撃を始めたの。人間種が受け入れる調停者は、同じ人間種のあなたしかいない」
「なんだ、そんなことかい」
「知っていたのね?」
「ああ、そりゃあここ数年で技術力が一段と伸びてるのは知ってたからな。これは必然だよ」
諦めたように彼は笑った。顔は至極寂しそうで、悲しそうで、言っていることと彼の表情はかみ合っていない。少し前に『滅ぶなら滅べばいいこんな世界 』と言い放った人と同一人物とは思えなかった。
「すまん。行って止めてくれんかサフィエン」
「行けって言われりゃ、行きますけどね。それが俺の仕事だもんな」
分かったと言いつつ、長く、長い溜息をついたまま彼は腰を上げようとしない。
「ただなぁ、長ァ、滅びは必然だ。もう始まっちまったモンを止めるなんて、俺に出来るとは思えねぇよ」
「この通り、後生だ……」
「こうやって戦争を回避できずに、俺たちは調停者なーんて言われながら、結局は不浄の者として侮蔑されて死んでいくんだ」
膝を折り、土の地面に長が額を擦りつける。すすり泣く声が風に揺れる木の葉の音と混ざって消えていく。私も膝をつこうとした。
「こんな爺さんの真似なんかすんな」
「……」
「俺なんかにお前は頭下げるべきじゃない。誰にも頭を垂れるな、お前はお前のやりたいことを貫けばいい」
そう言われてもやりたいことなど無かった。この戦争が止まらなければ外界に戻ることも、この星を研究者の手から解放することも叶わない。その前に全滅する。だとしたら私はここに何をしに来たのだろうか。汚れた手のひらを見て悄然とうな垂れた。
「前言ってただろ、やりたいことをやっているだけで、無難な選択がそもそも思いつかないって。お前はここへ何をしに来たんだよ。何で俺なんかにくっついてわざわざシナバリに来たんだ? 忘れちまったか?」
「父さんの代わりに、機械を、壊す……」
手記はまだ懐で無事だった。よくあの混乱の中落とさなかったものだ。服の上からその厚みをしっかりと手で感じる。ペレグリの大義になるでもなく、死ぬでもなく、私はこれのためにシナバリへ来たのだったと、ようやく思い出した。私はこれをやり遂げなければならない、全ての人のために。
「元凶の方を絶つか……」
「それでこそ、だ」
クククと笑い返され、してやられたと思った。実験を始めた父が終わらせられないならば、代わりに私が終わらせなければならない。グッと腹に力を込めて、この酔狂な男を見返した。
「でも出来る限り足止めしてほしい。私が機械を見つけて壊す前に、夜が明けてしまったらまた戦闘が始まる、そしたらそれどころじゃなくなっちゃうから」
「んー、まぁそうだなぁ。おっちゃんももう少し頑張るか」
窮屈そうな猫背を伸ばして、彼はあくびを一つ噛み殺す。ここまで来て緊張感のない男である。これが彼の性分ともいうが、それにしても肩を回してパキパキと音を立てるのを見ていると、まだ世界は何事も起こっていないかのように錯覚させられる。穏やかな昼下がりこそこの男には似合うのだ。よっこらしょと立ち上がったサフィエンは私よりも頭一つ以上も背が高い。見下ろされる形になったので私は彼の顔をねめつけた。彼はにやりと笑って私の頭をぐしゃぐしゃと撫でまわす。
「上手くやれよ」
「そっちこそ」
彼はじゃあなと一言。それからぽんと肩を叩いて彼は懲罰房から出ていった。夜更けのことであった。
「父の手記によれば、シナバリのどこかに実験の最初に個体を発生させる、つまり竜の原種が生まれる場所があるということですけど、心当たりは?」
「誰も入ったことがない場所が一つだけある。集会場の奥じゃ……」
「あの扉ですか」
ほの暗い中だったが、大きな扉があったのは覚えている。鉄板のような床材といい、恐らくあの集会場自体が、外界の人工物と考えるの妥当だろう。
「扉を開ける方法は?」
「残念ながらあそこは開けるすべがから、わしらが入った例はない。開ける方法が伝わっておらんのだ」
「力づくで開けるしかないか……」
木の根元に残してきたイビスは目を覚ましていて、私を見るなり泣きながら抱きついてきた。ありがとうと口の中で唱えながら血でボロボロになった金の髪を撫でる。彼女がいなければ私は恐らく死んでいた。あの混乱の中どうやってここまで歩いてきたのか分からなかったが、飛ばなかったのは英断だった。
「イビス聞いて。私、本来の目的を果たす。手伝ってくれる?」
「お父さんが壊そうとしていたものを、壊すのね」
察しのいい彼女は、血と土で汚れた腕で涙を拭く。その顔つきは、つい先日まで城で粘土板を片手に鼻歌を歌っていた少女とはまるで別人だった。
「あたしもいく」
「あの、一応、俺も生きてるからな!」
ひょっこり、猫耳と縞模様の尻尾が顔をのぞかせる。さすがに疲れた顔をしていたが、フェーも健在そうだった。腕に血のにじんだ布を巻いているところを見ると、どこかで傷を負わされたようだ。
「無理しない程度にお願いね」
「おう、任せとけよ」
「場所は?」
「集会場の奥よ。集会場の奥の扉を開けるから、手が空いている人は手伝ってちょうだい!」
若い調停者たちは夜通しで説得に向かっている。残っているのは逃げてきた人間種の女子供老人、そして調停者リタイア組とまだ外回りの出来ない子供たちばかり。それでもいないよりはマシだと思って、体が動く人を連れて私は集会場の奥の扉の前へ仁王立ちした。
手を掛けるところは一応あった。まずは私ともう一人で手をかけて力いっぱいに引いてみる。案の定びくともしなかった。それからふと考える。この扉は引くべきか、押すべきか。壊れてもいいから開けるというのであれば、これだけの人数を利用して扉を叩き押してひしゃげさせた方が効率がいい。
「太い丸太とかはない? 全員でそれで押すのはどうだろう」
急遽、切って乾かしている最中の丸々1本の木が運び込まれ、全員でそれを抱えてぶつける。
せーの、ドーン、せーの、ドーンと何度も繰り返す。手に木の破片が突き刺さった。何ともやれば扉がひしゃげてくる。手に血をにじませながら丸太を抱え、なおも突進すること数十回。ようやくできた隙間は拳二つ分ほどで、どう考えても体をねじ込むことは出来ない。だがその隙間から中を覗くと、青白い光が見えた。
――中で何か光ってる!
この惑星で明かりと言えば火の明かりか、昼間の太陽、星明り以外は発光するものはない。あの青白い光が、何らかの機械の明かりであることを確信する。
「あともう一息なのに……」
周囲の方が限界だった。鱗の肌を持つ私はともかく、人間種の人々では体がもたない。人間種よりも強い体を持つイビスやフェーですら擦り傷だらけで血を流していた。満足に動く体を未だ持ち合わせているのは私一人。
「私が始めたことだもんな」
幸い爪がかかるだけの隙間は十分にある。あとは体をねじ込むぐらいに扉をこじ開けさえすればいいのだ。私は右側の扉に両手をかけて、力をこめながら引っ張りながら考える。
――引っかかるような爪と、それから屈強な肉体がほしい。
まず自分の指先に鋭利な爪を持つイメージを持つ。鱗が腕を侵食して次第に爬虫類のような手になっていく様子は、自分の体とは思えなかった。普通の時にこれを見れば、卒倒するだけの激変を体が起こしている。だが今は望むがままに改造できる肉体がこれほどありがたいと思ったことはなかった。
――あとは筋肉。
血潮が駆け巡る音とは別に、体中から軋む音が聞こえる。急激な改造に体が悲鳴を上げる。それでもなお力を入れ続けた。扉にかけた手の平が金属の扉のふちに食い込む。久々に赤い血が流れる。不思議とその血の色を見て、未だに人と紙一重のところにいるのだと分かってホッとする自分がいた。
「オルティリア、体が壊れちゃうでしょ!」
腕はワニのように鱗が生え、爪の形は虎のようだ。体は力を入れるたびに皮膚と鱗の間を埋めるように、羽毛が吹き出す。背に甲のようなものも感じていたし、足を踏ん張ると革のブーツを突き破った長い爪が床に食い込むのが分かった。バランスが取りづらくなったと感じると、背骨が伸びる感覚があり、気が付いたときには長いトカゲの尾が床を叩いていた。驚きと恐怖が一周まわって笑いが飛び出てくる。どう見てもこれでは化け物だ。
「やめて、死んじゃう!!」
泣き叫ぶ声が背後から聞こえた。イビスにごめんね、と心の中で謝る。ここで止まったら私は死んでしまう。やらなければ私が死んでしまうのだ。姿形がどうあっても、私が私だと思えるのならそれで構わない。
「おらあああああああぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁ」
体も悲鳴を上げていたが、ようやく扉の方も嫌な音を立てて始める。手がちぎれるのが先か、扉が外れるのが先か。先に壊れたのは運よく扉の方だった。金属が弾けるような音がして、支えを失った金属の板が私の上に倒れてくる。慌ててそれを爪のある強靭な足で蹴り飛ばした。フェーが駆け寄って私の体にローブを掛けてくれる。周囲の人々は私の姿形を見て皆一様に後ずさりしていた。これが当たり前の反応だろう。
体はぼろぼろだったが、それよりも奥からひんやりとした空気が漏れ出てくる方が気になる。かび臭くないのだ。空気が正常に循環されている匂いがする。
「行こう」
力が入りづらい足を庇って、二人の肩を借りつつ、扉の奥へ入った。長だけが付いてきて、それ以外の誰も着いて来ようとはしない。私への恐怖、それから奥にある不気味に光るものへの恐怖だろう。
「これが、外界の物なの?」
「間違いない。相当、型は古いが、この機械ちゃんと動いてるわ」
大きなパネルが二つ並んでいた。物理的に接触して入力するタイプの、とても古い入力デバイス。画面の上部にはここ一帯と思われる地図と何万という数の光る点が示されていた。緩やかに南西から北東へと弧を描く海岸線、その中央やや北東寄りに太い川がある。これがリンネ川だろう。川の西側に緑の点が密集しているところがある、これが恐らくアベス。そこから東へ赤と緑の点が列をなして進み、密集している。アベスの南西方向にマーメリアと思しき赤の点の大きな密集地、海の上には網目のように青が小さな集団をいくつも形勢していて、北西方向に黄色の大集団が列を作ってこちらへ移動してくる様子が見て取れる。
「この点一つが、一人分か……。これじゃシャーレの中の細菌と大別ないじゃないか」
初めて自分たちが住む土地の全景を見た二人も、食い入るようにパネルを見ている。私はパネルより、次の実験の最初の個体を作り出す機械というものを探していた。この周囲に、必ずどこかにあるはずなのだ。左右前後部屋を見回す。それを咎めるように私の名を呼ぶ声があった。
『オルティリア・マンジャロアか』
声が響いた。男の声だ。
声の主は姿が無かった。私以外は声がどこから聞こえてくるのか分からず、あたふたと周囲を見回している。私は目の前のパネルへ向かって声を投げつけた。
「その通り、エトレの娘がこの実験場を壊しに来てやったよ」
思わずはははと大きな声で笑った。我ながら傑作だと、よくできたお芝居だと思った。相手も誰がここへ来るのかちゃんと分かっている。
「その声はミズシマ博士じゃないのね」
『彼は君のおかげで未だ拘束中だ。だがこの実験、彼ら二人だけで行っていたというわけではない』
「まぁそうでしょうね。これだけ大規模なもの、いかに優秀でも二人だけで出来るはずがない。けどその優秀な二人がいなかったら、こんな馬鹿げた実験自体なかったかもしれないのが皮肉ね」
返事はなかった。だが向こう側の慌てた様子を背景の音としてマイクが拾う。何か声が飛び交っているのが分かった。
『そんなことはどうでもいいのだ。それより我々は、君とコンタクトがとるべく、コンタミが起こる危険を冒してでも音声を送っているのだ』
「コンタミって、私を混ざり物扱いしないでくれるかしら」
このコンタクトを皮肉だと笑いながらも、向こうから話しかけてきてくれたことは好都合だったと私は内心で思う。イビスが考えた通り、大事なものを人質に取ればさすがに研究者であっても出て来ざる負えなかったのだ。このあとは当初の予定通り、この施設の中のどこかで生成されている新しい実験の最初の個体たちを人質にとって彼らと交渉すればいい。新しい実験を断念させられたくなければ、今の世界をリセットするのを諦めてこの星の実情を世界に知らしめよ、と。冷静に考えれば交渉にも何もなっていないのだが。しかし、次の一言に耳を疑う。
『君の体を検体として提供してほしい』
一瞬何を言われたのか理解が出来ずに、音声の出どころらしきパネル付近を睨み付ける。だが相手にそれが見えているわけでもなく、声は淀みなく続けられた。
『なに、検体と言っても死体が欲しいわけじゃない、むしろ生きている状態の方がいい。もうわかっていると思うが君の体は特別だ。万能細胞の状態である原種から鳥への種分化をしたのち、動物部位が退化した人間種の親から、本来は不可逆であるはずなのに君は万能性を再獲得して生まれたのだからな。そういう個体はこれまでにほとんど存在していない』
声の主は自信たっぷりに続けた。
『君は大成功なのだよ』
最初に湧いてきた思いは怒りだった。これほどまでに自分を一つの物として扱われたことへの怒りだった。同時に、憐みが湧いてきた。点でしか確認できない実験場の命が、自分たちと同じように生きていることを想像できない科学者への憐みだった。父はこの点の一つ一つに命を見ていた。父に罪が無いとは言わないが、それでも依然として実験場の中を知ろうとしない相手を、どんなに学があっても愚かとしか思えなかった。
「断る」
突っぱねる以外の選択肢はない。体が生きていようが死んでいようが、私を、ひいてはこの惑星で血反吐を吐きながら生きている人々を蔑ろにするような奴らに、くれてやるものは髪の毛一本だってない。
『断れる状況とでも思っているのかい君は。もう浄化は始まっているんだよ?』
「!?」
隣で長の目がカッと見開かれ、唸り声を上げた。
「どうしたの?」
「天が、全てを……殺せと」
最後まで聞かずに、私は踵を返して歩き始めた。茫然とした長には悪いが、その場へ放り出す。悪い予感しかしなかった。
イビスとフェーが黙って肩を貸してくれた。集会場の中にいた何人かの調停者たちも長の様子と大差なかった 。頭を抱えて震えているか、涙を流して天を仰いでいる。見上げているのは暗いの天井なのだが、彼らの目線はもっと遥か高見を見ているようだった。
「終わった……」
「許しては、もらえなかったのか」
困惑した人間種の人々が、様子のおかしい彼らの背中をさすったりしている。 怨嗟のように諦めの声がその場に充満している。彼らが見ているもの、聞いているものを私もイビスもフェーも感じることは出来ない。ただサフィエンから聞いた話のように、声に苛まれているのだとしたらひどいものだ。奥にも一人倒れているから、と手短な人に声をかけようとしたその時、外から悲鳴が聞こえた。尋常ではない叫び声に、私は足を引きずりながら集会場の外へと急ぐ。開けられたままの扉の外を覗き見て、息を飲んだ。
流星群だった。
少し顔を出した太陽がようやく大地を明るくし始めた時分。西の空に沈んだはずのティクがなぜか南天に輝いて、満天の流星を吐き出している。流れ落ちてくる長い流星は、地上にまで届いていた。
恐慌状態になった何人かが樹の根元へ走り込もうとしてくるのが見える。だが、それが目の前で消えた。一瞬の出来事だった。音のない雷が落ちたかのように目の前が光り、残ったのは黒く焼き尽くされた死体と生き物が焦げる臭いだけ。一人、また一人と、光の槍が人を貫いていく。光の雨が森に降り注いでいるようだった。
転がるように先ほどのパネルの前に戻る。あらん限りの力で機械を叩いたが、もうさほど力は残っていない。腕の肉がどろりと溶けて落ちた。熱に焼かれた痛みが走る。それを抑えて私は吠えた。
「星の周りに衛星兵器を配しているのか! あれはザサー条約で禁止されたいるはずだ!」
『対人兵器としては禁止されているが、あくまでこの星の実験は疑似細胞と疑似遺伝子情報から作り上げたものであって、君たちは政府憲章に照らし合わせても”生物”の定義外。問題はない』
「そんなことが、本当に……」
『通用するさ。この実験自体、政府の指示だからね』
力が抜けていく。体が元に戻ろうとしているのだ。膝が床に着くと重みに耐え切れず割れて血が流れ出す。もはや何の力も残っていない。愕然とする私の目の前で、機械が駆動する音が聞こえ始めた。
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