第25話 竜の落とし子

 襲撃から先のことは私もよく覚えていない。ペレグリのわめき声や、ガルゼッタの奇声、それ以上に周囲の混乱が酷かった。混沌とした戦場の中で、唯一イビスが泣きながら私の手を引いて歩いて逃げている後姿だけを覚えている。右手には血の付いた矢を持ち、左手は少女に引かれて歩いていく。気が付くとシナバリの樹の下にいた。


 今、彼女は隣で膝を抱えて寝息を立てていた。日が落ちてからどれぐらい経ったのかは判然としないが、完全に夜になっている。歪な凶星ティクが見えていた。


「やはり、お前さんも竜種だったんじゃな」


 横から声を掛けられてゆっくりと振り向く。そこにはカメの老人が立っていた。手に鱗がうっすらと見え、星影を背負っていて顔はよく見えなかったが、声からして長だろう。


 かけられた言葉の意味を噛みしめ、そして槍の切っ先で斬られたはずの肩口を見た。ぬらりと光る大ぶりの鱗が生えている。鳥族クーウなのだから、生えてくるのは羽毛が妥当であるはずなのに、どう見てもこれは鱗族ホヌの鱗だった。


「私も、知りませんでした……いえ、考えないようにしていただけなのかもしれません」


 不安で考えないようにしていたが、祭儀場で転化をしたときからイビスには竜のようだと指摘されていたし、城の面々が私を見る目はありがたい物を拝むようなそれだったと今なら思える。竜というのが最初に万能性を持たせた個体だと手記で知り、自分の不可思議な転化を考えればおのずと答えは出るはずだった。見ないふりをして回答を先延ばしにしていただけで、分かっている人には分かっていたのだ。


「歳ゆえ今回の空返しの儀は後進に采配を譲ったので見られなかったが、儀式の際に烏族クーウの王妃が五族混ざったような転化したというのを聞いて、まさかと思っておった」


 長はイビスの隣へ座り、くたびれて寝ている金の髪を撫でた。この老人には聞きたいことが山のようにあった。だが今、たった一つだけ質問を許されるとしたら、ひとつだけ聞きたい。言葉を慎重に選ぶ余裕はあまりなく、口を開けば悲鳴のような問い方しか今の私にはできなかった。


「今の世の竜とは一体何なのです? 竜種はとうの昔に滅びたのでしょ? じゃあ私は一体なんなんですか。教えてください。私はレグナムですか、人間ですか、それ以外の化け物ですか……」


 不気味な静けさが原野に広がっていた。夜の間は侵攻が止まっているのだろう。これが朝になったらまた動き出すと思うと、腹の底から震えが湧き上がってくる。手から矢が零れ落ちた。震える手には黒く固まった血がこびりついている。私の体はあちらこちらに鱗が浮き上がってかすり傷だけで、どこにも大きな怪我は見当たらない。この血はつまり誰かの血で、自分の物ではない。私はあの程度では死ねない体らしい。


 抱え込んだ膝に顔をうずめる。この疲労感は肉体的な疲労だけではない。手足が鉛を流し込まれたように重たい。長は、聞こえるか聞こえないかぐらいの小さい声で、ぽつりとつぶやいた。


「竜は、人間種の誉れ子なんじゃよ」


 亡羊としてそれを聞いた。意味を理解したわけではなかったが、意外にすんなりそれを心に収められたのは、私の存在自体が定義を逸脱していなかったからかもしれない。ただし稀である、その一点を除いては。


「誉れ子とは、それぞれの動物の先祖がえりのようなものなんじゃ。その動物の力を最大限に引き出せる人、言わば自分の中に流れる血が己の祖先を思い出した人じゃ」


 つまり、イビスはサギの、フェーはネコの先祖がえり。確かに彼らは他の個体よりも上手くその転化を扱って、くるくると姿を変えられる。イビスの空を飛ぶ様は誰よりも綺麗でまさに鳥然としていたし、フェーはその気になれば常に耳と尻尾で周囲を警戒し続けられる。それは彼らがその動物の血を受け継いだレグナムの先祖がえりだからであって、他の人よりも上手に自分に流れる血をコントロールできているということだ。では個々の動物の能力を失った人間種が先祖がえりしたとしたら? すとんと腹の中に何かが落ち込んだような、いつの間にか納得をしていた。


「動物の能力を失った人間種は先祖がえりする固定の祖先をを持たない。だからあなたのように人間種の先祖がえり、つまり人間種の誉れ子は巡り巡って最初の竜種に戻る。これまでも記録上では二人ほどいたようじゃが、会うのは初めてじゃな」

「では私じゃない、本物のカルセラの髪も調停者の手で集められて外界へ?」


 長は静かに首を縦に振った。


「その通り。本物のカルセラ、本名はカルセラ・ツァ・クーウ、彼女が本当の人間種の両親に育てられていた時、彼女の髪を持ちかえったのはサフィエンじゃった。今でも覚えている。同じ人間のよしみで、彼は自分と正反対の彼女を言祝ぎこそすれ、恨むことはなかった」


 人間種の中で生まれた調停者が、人間種の中に生まれた誉れ子を言祝ぐ。これがどれぐらい稀なことであるかは想像を絶する。


「その後カルセラが生まれ育った人間種の里は、城方に近いという理由で烏族クーウにより追い立てられた。きっとその時、烏族クーウに拾われたカルセラは、咄嗟に目の前にいた烏族クーウの姿かたちを模したのじゃろうな」

「姿を模す……擬態みたいなものかしら。竜とは他の動物の姿を真似るものなのですか?」

「それが生きるのに必要であれば。お前さんの体もまた必要に応じて体を変化させたじゃろう。きっとどこかで本物のカルセラの翼を見て同じように真似たのかもしれん。ただ無意識とはいえ、これほど急激な変化をするのを目の当たりにすると、やはり我々の原種となった竜とは少し違うのかもしれんが……詳しくはわしらにも分からん」


 指摘されれば、いくつも思い当たることがあった。この惑星に落とされて以来、食べる量が徐々に減っていった。そして体格も華奢に、体重も軽くなってどんどん鳥族クーウらしくなっていく体をいぶかしんだこともあった。そもそも、記録者クロニスタの試験に合格した一番の要因は、環境適応力の高さではなかったか。


「人間は生きるために周囲の環境を変え、レグナムは自分を変化させる……」

「確かにそれは否定はできぬ。しかしそれに当てはめれば、お前さんやカルセラは人間種であるにもかかわらず最高のレグナムだ。外界で育ったお前さんがカルセラと瓜二つだという摩訶不思議な点を除けば、な」

「それについては、おおよそ見当がついてます」


 ほう、と長は目を見開いた。私がカルセラと同じ顔をしている、つまり同じ遺伝子を持っていたのは、全くの偶然ではない。単純に私が彼女のクローンだから、それだけ。


「誉れ子の体の一部を天に奉じるのが長の役目って聞きました。外界ではそれを情報に変えて記録、保存してあるんです。たぶん」

「つまりお前さんはその情報から生み出された……と?」

「ええ。だから体はまるっきり本物のカルセラと同じです」


 調停者は、誉れ子が生まれると天の声に従って誉れ子の元を訪れて言祝ぎして、その代わりに体の一部、毛や羽をひと房頂戴していくとサフィエンは言っていた。その体の一部はこのシナバリへ集められ、天に送られる。


 地上からこれを見れば、単に天が祝福しているだけのように見えたのかもしれないが、そんな奴らが上に座しているわけではないことは、残念ながら承知の通りだ。彼らが欲しているのは単純に『成功個体の遺伝子情報』だろう。地上の物を吸い上げるぐらいの技術力なら彼らは有している。そうやって調停者が集めた特別な個体の遺伝子情報の中から、父はわざと素体に近い人間種の誉れ子を選んだのだろう。なぜって、人間社会の中で成長させるには同じ人型をしていた方が都合がいいから。


「本当のカルセラの遺伝子情報を使って私を作って、私がちゃんと人間社会の中で生活できるかどうか、父はずっと試していたのか……」

「どうしてそんなことを?」

「おそらく、この実験を終わらせるためでしょう。外にいる人間と変わりないことを証明するために、私を実子と偽って育てたんでしょうね」


 父に選ばれたカルセラの遺伝子情報である私は、外界で何不自由なく人間として育てられた。本体であるカルセラは、ペレグリの父に勘違いの末に保護されて烏族クーウとして育てられた。


 義妹の成長過程のどこかで、ペレグリは幼い義妹の資質を見抜くに至ったのだ。鱗族ホヌに襲われて怪我をしそうになったとき、例えば襲ってきた相手とまるで同じような鱗が生える体だったとしたら、確かに妹が尋常な体ではないと気が付くだろう。そしてそれが竜という存在であると気が付くまで、ずる賢そうな彼ならばそう時間はかかるまい。


 そんな彼の最も優秀なところは義妹が竜であることを見抜いたことではなく、竜という大義を見つけたところで性急に動かず、長期間かけて計画を立てたことだ。シナバリに陣取る人間種と調停者を追い出し、鳥族クーウの土地にする。そのためにまず気弱な王を手玉に取り、自分の義妹を妃に据えた。下手をすればあの気狂いも、彼が何らかの手を下している可能性だって考えられる。秘密裏にアルタイカ王を訪ねていたという話も、これほど素早く進軍してきたことも、これを裏付けるに値する。


 カルセラが祭り上げられたのは偶然でもなんでもなく、性質を見抜かれたら最後、旗頭にされるような存在であったというだけの話なのだ。そして仮にカルセラが死んだとしても、同じ性質を持った私が代用品となれば確かに問題ない。さらに付け加えるならば、里を焼きだされずにカルセラが人間種として生きていたとしても、何かの折に竜の性質を見抜かれれば、人間種側の大義に使われることも容易に想像できる。どう転んでも彼女と私は、存在するだけでこの状況を引き起こすに十分な爆弾だったのだ。


「なんて体に生まれてきちゃったんだろう」


 偶然が重なりあって私がここへたどり着いたように思っていたが、実際には糸が細々とつながっていたというわけだ。自分の知らない自分の背景を20年たってから聞いて、どうにも乾いた笑いしか出てこない。自分が滑稽に思えてくる。これを知りつつもずっと黙っていたサフィエンを思うと、何か家族を思うような情が湧いてくるから不思議だった。


「彼は今どうしていますか」

「さすがに、ことが大きすぎて懲罰房に入れてある」


 そうしなければ周囲の調停者たちが怒りにまかせて彼を殺してしまうだろう。懲罰というより保護に近い。彼もまたこの静かな星空を見ているのだろうか。あの緩い男が、葦のように何事も受け流すような男が、愕然としている姿が目に焼き付いている。彼は今、自分の非力に嘆いているのかもしれないが、私は逆に一つ考えが浮かんだ。


「彼を調停者として働かせませんか?」

「どこの種族が人間種の話を受け入れるだろうか、こんな状態になったら逆効果じゃろう」

「いいえ、人間種側に行かせるんです」


 長は、どうしてそんなことをするのだ、という顔をしていた。分からんでもない。長の頭の中では、レグナムに追い立てられるばかりの無力な人間種という像が未だに崩れていないのだ。


「人間種が武器を使って反撃をしているんです。これがその証拠の矢という武器です」


 先ほど取り落した矢を、長の手に乗せる。血の跡が生々しい矢じりに長は目を細めて首を傾げた。


「こんなもので相手を殺すのは無理じゃろう。第一こんな細木では相手を刺す前に折れてしまう」

「弓という道具と合わせて使います。サフィエンもよく切れるナイフを持っているでしょう。人間種はすでに他のレグナムと対等に戦えるだけの道具が、武器が作れるんです。あなたならこの意味が分かるはずだ。一番外界の者たちが望んでいない展開なのです」


 矯めつ眇めつ矢を見て首をかしげているところを見ると、人間種が反抗するほど力を蓄えていることをこの老人は未だに理解していなさそうだった。だが圧倒的な力がの差があるのに、樹の周囲まで逃げてきているのは女子供老人ばかりであるのが不可解だとは思っているらしい。男たちがまだどこかで戦おうとしているようだというのは、想像がついたのだろう。


「わかった。あやつにやる気があればじゃが、藁にもすがるとはまさにこのことか」


 寝息を立てているイビスを隣の女に任せる。星明かりの下で長の影を踏みながら小屋の一つへと急いだ。

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