第24話 弱者の反撃

 私とイビスは、背の高い男女の烏族クーウに連れられて木の根の間から外へ出た。フェーもすでに屈強な四肢族オグの調停者の小脇に小さく抱えられている。不謹慎だが、彼が小さくてかわいいと思うのはもう何度目かだ。


「前線はどのあたりまで進行しているんです?」

「リンネ川からシナバリへの道半ばといったところです。レグナム同士ではないのではまだ大規模な戦闘が起こっていません。人間種がこちらへ追い立てられているところですね」

「戦争というより、何の力も持たない人間種が一方的に殺戮されることになるかと……」


 正直この進軍速度には驚いていた。早すぎるのだ。私たちが拉致されたのが四日前だが、軍隊と呼べるものを動かすことが一朝一夕にできるわけがない。統率がとれない有象無象を寄せ集めた軍、あるいは群と表現すべきものを全速力で追い立てたとしても早すぎる。同じことを考えていたのか、イビスは私の薄汚れた袖を引いた。


「この戦争自体が仕組まれてるんだと思う」

「ペレグリに?」


 言われて咄嗟に口を吐いたのは、あの兄の名だった。思い出すのは、ペレグリが何度もアルタイカ王に会っていたという話だ。あの真っ黒なペレグリが、最初からアルタイカ王を巻き込んでシナバリへ攻め入ろうとしているのならば、確かにこの進軍速度は納得がいく。


「たぶん……色々考えたけどそれしか思当たらないの。あの常識人なアルタイカ王ならまず捜索のために立ち入ることを、シナバリへ使者を立てて許可を取るはず。そんなことせずにリンネ川を越えたってことはたぶん、最初っからシナバリに攻め入るつもりで元からどこかに軍を動かしておいたんじゃないかしら」

「ちょうど私たちの拉致っていう理由が手に入ったわけだし、真相が明るみに出る前のどさくさで攻め入ろうって、そういうことなのかな」


 私たちは顔を見合わせて頷きながらも首を傾げた。この仮定はある程度の整合性が見られるので、恐らく大筋は間違ってないと思う。


「ただそれでもやっぱり、なんでこんな暴挙に出たのかが分からないわね……」


 この世界においては侵略はご法度のはずだ。例え王家の者が拉致されたとしても、すぐにこんな暴挙に出るだろうか。状況がそろったからと言ってそう簡単に踏み切れるものでもないだろう。まず先に立つのは『やってはならぬ」という無意識のはずだ。


 私の中でずっと引っかかっているのは以前にペレグリが言っていた『古の竜の威光』というやつだった。それが今彼の手の中にあるのなら全て条件はそろっている。ご法度だろうが禁忌だろうが踏み潰してでも侵略してくるのは目に見えている。ただ、それが具体的に何なのかが分からない。


 分からないことを分からないままにするのは気持ちが落ち着かなかったが、懐から父のノートを取り出してもう一度文面を確認する。大規模な殺し合いを制御するための実験であるならば、一方的であれ殺戮が起これば恐らく失敗と見なされてリセットになるだろう。逃げてくる人間種を保護しつつ、前線に向かうのがよさそうだ。速く飛ぶためにも荷物は少ない方がいい。荷物の口をきつく縛って大樹に立て掛けた。その様子を不思議そうに男女は見ている。


「あなた本当に空からの使者?」

「ああ……わけあって外界で生まれ育った烏族クーウって言った方がいいのかな。使者の定義が外界からの混ざりものなら、確かに私は使者でしょうね」

「あなたって不思議な感じがする」

「イビスにも言われた。匂いが違うって」


 いまだにそれが分からなかった。彼らは特殊な第六感を有しているのだろうか。それを匂いと表現しているだけで、いわば勘のようなもので嗅ぎ分けているのかもしれない。私たちの周囲には続々と烏族クーウの者が集まり始めた。総じて背が高い者が多いのが特徴だ。


「今、天の声は……聴こえる? 何か言っている?」


 私には彼らがいう天の声が全くと言っていいほどわからない。幸か不幸か、私には受容する器官がないようだった。あるいは使い必要がない場所で生活していたために、器官の能力が著しく低下しているのかもしれない。どちらにしろ私には聞こえない声を聴く彼らは、問われると手を止めて天を仰ぎ見る。誰もが不安な面持ちでいたが、難しそうな顔をして首をひねって私の方へ向きなおした。


「何か、意思決定を迷っているような」

「混沌としている空気が感じられる」

「これといって指示を出してきているわけじゃないけど、でも何かもぞもぞと決めあぐねている感じがするよ」


 いずれもそんな曖昧な答えが返ってきた。世界をリセットすると言ってきてないのならいい。要はその決断をする前に戦いの矛を収めさせられるかどうか、時間との勝負だ。だから、その決断がまだされていないのなら、それでよかった。


 まだ身長が伸びきっていないイビスは、見知らぬ顔に囲まれて不安そうに私の手に縋り付く。その手を握り返して少しだけ後悔をする。こんなことになるならば、彼女を無理にでも返しておけばよかった。今更それを言ってもどうしようもないのだけれど。


「行きましょう。私たちの無事が確認できれば彼らに侵攻の理由も無くなる」


 傾きかけた西日に、翼を伸ばした。久々に血潮が目まぐるしく腕を駆け巡る。風のない地面を蹴ってどうにか上空へ飛び立つと、南にはほんの小さく海が反射する光と金色のきらめきが、西には大きく青々とした原野が続いていた。


 原野の向こう側が騒がしい。遠目に見ても大きな鳥がを空を舞っているのが見えた。あの下に大勢の何かがいる。緩い風に乗って大樹の周囲を一周くるりと回ってから、西日に目を細めながら飛び始めた。


 近づくにつれて見えてきた原野は惨憺たるものだった。動物大行進ならぬ大侵略、体の大きい四肢族オグ鱗族ホヌの戦士たちが、最前線で道沿いの木々を押し倒して道幅を太くしながら進んできていた。上空は烏族クーウが飛び回って行先を案内している。大型の兵士の合間を縫うように、先を尖らせただけの簡単な木の槍を持たされた歩兵部隊が動くものを刺殺さんと目を光らせていた。上空から見ると森の中を逃げる人間種は一様にシナバリの樹へと向かっている。大樹の根本まで走る彼らとすれ違い、私たちは押し倒された木々の戦端へと降り立った。


 興奮した戦士たちの荒い鼻息が頭の上から吹き降ろされる。獣臭い空気がどっと押し寄せた。私たちを庇うように前へ降り立った調停者たちは目深にフードを被ってその大きな目を見せつける。戦士たちもその大きな目を見ると自然とたじろぐ。なるほどこの目は、天の目を表すと同時に、自分よりも大きい動物がいるという本能を刺激しているらしい。


「申し訳ないが我ら調停者一同、この侵略認めるわけにはいかぬ。即刻、川向うへ帰られよ。いかなる理由があれ、シナバリの地を侵すものを通すわけにはまいらぬ」


 中央に立った壮年の調停者が、柔らかい茶色の翼を静かに広げた。腹に響く声が騒がしい森へと響き渡る。一瞬気圧されたように半歩下がった獣の群れが、しかし盛り返すように吠える声が湧き上がる。


「では烏族クーウの王妃と姫君、我が一族の王子を見殺しにせよというのか!」

「誉れ子は一族の宝ぞ!!」

「竜を殺すな!」

「調停者は人間種の肩を持つのか!」


 先頭を行くクマのような男が吠えた。舞い降りた烏族クーウの男も甲高い声で叫ぶ。先陣を切っている者たちから怒号のようなものが飛び交う。統率のとれていない群れの個々人が好き勝手に吠えるものだから、誰が何と言っているのかうまく聞き取れない。ただ人間種に対する怒り、そして人間種を保護している調停者への怒りという点では共通していた。興奮した獣の群れが止まっているだけでも奇跡なのだと、今更ながらに自覚して冷や汗が噴き出る。


 先ほどの背の高い男女に促されて私とイビスは壮年の男の隣へと立った。少女は強張った顔をしたまま。私はその手をそっと握る。少し遅れて小脇に抱えられたフェーも隣へと連れてこられる。私たちの姿を見て取ると先頭集団の兵士たちからは感嘆の声が漏れた。ほんの少し安堵の空気が流れる。


「お三方をお連れしたのは人間種ではなくわれら調停者なのだ。わけあってお三方をシナバリへお連れする最中に、手違いがあって人間種が関わってしまった。この通り、お返しする。どうか獣王と烏王にお取次ぎを」


 彼ら戦士たちの進むそもそもの理由は私たち三人を保護することであって、人間種を侵略するのは後付の目的に過ぎない。この侵攻が禁じられた行為であるという自覚が元からあるのだろう、だからこそ私たちの姿を認めた者たちは一様に肩の力が抜けているようだった。そう、彼らにはこれ以上戦う理由などない、はずなのだ。


 私の方もほっと胸を撫でおろす。分別あるアルタイカ王であれば兵を引くだろうし、ガルゼッタであれば逆に首根っこを掴んででもアベスへと引き返せばいい。この程度で戦争が止まるのなら外界の研究者とて実験を無駄にリセットさせようとは考えないだろう。あくまで希望的観測ではあるが最悪の事態だけは回避できそうだと、そう単純に私は考えていた。


 伝令役の烏族クーウの戦士が一人、空へと舞いあがって後方へ連絡に向かった。調停者たちはこれ以上何も言わず、無言で横一列に並んだ。これ以上進むのならば自分たちを殺して行けという顔をしている。緊迫した空気が張り裂けそうになったとき、聞き覚えのある低音だがよく通る、嫌な声が聞こえた。


「ご無事で何より」


 黒く染めた革の鎧、一般の戦士は持つことさえできない鉄製の槍を片手にその男は立っていた。ペレグリ、久々に見るカルセラの兄の顔だった。


「調停者殿、ご苦労様です。三人はこちらであずからせていただきます」

「その前にこの軍を下がらせてくだされ。このままでは天の怒りを買いましょう。私たちはそれを止めるためにここへ来たのです」


 中央でずっと翼を広げ、先陣と会話をしている壮年の調停者は隙がなかった。おいそれと私たち三人を手放そうとはせず、言外に軍を下げさせるための人質であることを匂わせる。フェーあたりはこういったやり取りを嫌いそうであるが、背に腹は代えられない。進軍が止まるのならば、私は喜んで人質になろうというものだ。だから私はイビスとフェーの手を握ってその場を一歩たりとも動かなかった。


 だが壮年の男の言にカルセラの兄は薄く笑って返す。


「それには、あたわず」


 持っていた槍の矛先をこちらへ、正確には私たちの背後に逃げて行った人間種へと向ける。そして彼は宣言した。


「こちらには竜が付いておりますゆえ、竜のご意思の元で我々は動いているとお考えください」


 意味をとりかねて調停者たちは首をかしげている。残念なことに、この惑星では『竜が』と言ってしまうと、どんな不届きなことでも真実味を増してしまうきらいがある。この時、彼の言葉に真っ向から異を唱えられたのはおそらく私一人ぐらいだろう。私は、ペレグリが何かよからぬことのためにアルタイカ王の元を何度も訪れていたことを知っていたし、人間の土地を奪うのに『カルセラ』が必要であると話していたことも知っている。これらがどう繋がるのかが不明であっても、嫌な感じがするというのだけは何にも代えがたい確信だった。


 さあと言って、彼は不敵な笑みを湛えたまま私たちを手招きする。緊張に耐えられず思わず一歩足が前に出たフェーの手を強く握りしめて止めた。あの男には危険な何かがある、私たちがあちらへ行ってはいけない、そんな気がした。代わりに私の隣にいた鳥族クーウの調停者が口を開く。


「王は、ガルゼッタ様はどうされたのです」

「陛下も来ておられますよ。残念ながらアルタイカ様は後発部隊の指揮と甲族オフスとの合流のため、ここにはおられませんが」


 後ろの人垣がサッと割れた。その間から酷く装飾された輿が進んでくるのが見える。隣でイビスの体が強張った。


「兄様……!」


 ここへ来てもその金の優男は健在だった。ただし目は虚ろで、小姓に脇を支えられながら輿から降りてくる。金の髪に艶は無く、絶世の美人は今や翳りを見せていた。


「カルセラ、カルセラ!」


 彼が手を伸ばしたところで届かない距離なのは明白だが、思わず一歩後ずさった。青白く伸びた腕には何本も赤い切り傷が刻まれている。何をやっていたのかは明らか。その病的な様相に私や周囲の者たちはもちろん、実の妹すら絶句していた。


「陛下はお二人の身を案じるあまり、このようにお心を病んでしまわれた」


 説明をする間も奇声を上げながら届かない手を伸ばすガルゼッタは、小姓たちによって前へは出ないように抑えられている。彼は狂ったのだ。次第に言葉がギャーギャーと意味の分からない鳥の鳴き声になっていき、彼の口からは断続的に悲しい叫び声が漏れ続けた。それをしり目にペレグリが口を開く。


「不浄の者どもよ、この代償、高くつくと思え!」


 ペレグリが槍の石突きで地面を叩くと、これに呼応して周囲の猛者たちが声を上げた。彼の声は確かに怒気が張らんでいたが、顔にはうっすらと笑みを湛えている。停戦する意思が無いどころではない。彼は人間種の土地を奪うと同時に、調停者すらシナバリから追い出すつもりなのだ。


 少なくとも不浄という言葉を、調停者に対して面と向かって投げつけてくる人はこれまでにいなかった。それは彼らが誉れ子を言祝ぎするからであり、そして葬送を見送る聖職者でもあるからだ。どこかで不浄を司る者であると蔑みつつも、自分たちの生活の一部として受け入れていたはずなのだ。その普遍的な生活の一部をかなぐり捨てても、ペレグリはこの土地を手に入れようとしている。残念ながら覚悟の程度が違った。


 自分たちの無事さえ分かれば止まってくれるだろうと思っていた少し前の自分が憎らしかった。だが後悔しても何の役にも立たない。すぐに停戦させる手段を模索する。しかし元から止まる気のない指揮官を止める方法が果たしてあるのだろうか。


 調停者たちは咆哮にたじろぐことはあっても決してその列を崩そうとはしない。私たちは再度その列の後ろに庇われていた。きっと接敵したら瞬間にこの均衡は崩壊する、その前に何とかしなければならない。そう思うと体が勝手に動いていた。無為無策と言われても体が止まらなかった。人垣を割って前に出て、そして声を張り上げる。


「私たちは自分の意思でここに来たんです。別に何もされていない。今すぐ、一緒にアベスに引き返しましょう!」

「やっと自分で出てきたか」


 本来のカルセラは血は繋がっていなくとも、ペレグリを兄と慕っていたという。妹をいつから政争の具としてしか見られなくなってしまったのかは分からないが、この侵攻は誰よりも彼を止めなければならない。


 果たして妹ではない私に止められるだろうか。血潮が早瀬のように全身を駆け巡る。父が殺されたときのように体全体が熱を帯びて、炎の中にいるような感覚になっていた。心拍一つ、血潮が駆け巡るごとに、まるで体が変化していくような。ただ、私はそんなことを気にも留めず、そのまま相手の方へ歩を進めた。なぜかその一歩が、戦士たちを驚かせた。一歩また一歩進むたび、私ごときの何に気圧されているのか分からないが、四肢族オグ鱗族ホヌの戦士たちが一歩ずつ後退していく。その様子を見てペレグリは高らかに笑った。彼だけは一歩も退かず、ただ笑って私を見ていた。


「流石、我が妹だ。さあカルセラよ、今ここに力を示せ! お前が真に竜種であること、この侵攻が竜の、お前のためであることをこの場の全てに見せてやるがよい!」


 言うや否や黒い風となった彼は、槍を構えて私の首筋から斜めに振り下す。ほんの一瞬の出来事、熱い鉄が体の上を走った。血潮が噴出して、私はたたらを踏んで一歩後退する。


「オルティリア!」


 イビスの叫び声を確かに聞く。その名前で呼んではいけないと、思考する。

 そうなのだ、思考していた。


――生きて、る? あれ、痛くない……?


 見開いた目で自分の体を見た。体自体で摩擦する槍の先を受け止めていた。そんな馬鹿な、と思う。仮にも鉄製。刃が付いているし、付いていない模造品だったとしてもあんな勢いで振り下ろされたのでは打撲では済まない。骨折か下手をすれば皮膚が割れる。だが事実、私の体は刃を受け止めていた。


「見よ、これが竜の力。全てのレグナムに転化する能力を持つ最強の血だ!」


 はだけた服の肩口に見えたのは、光る鱗だった。なぜこんなものがと思うよりも、それが自分の体であるのかどうかすら分からない。足から力が抜けてその場にぺたんと座り込んでしまった。呆気にとられているとペレグリの口上は続く。


「我が妹カルセラは、その実、我が父が人間種の里より救い出した義理の妹である! 幼き日に鱗族ホヌの凶漢に襲われた際も、自らを鱗で守って生き延びた! さらに先日の空返しの儀においても、その非凡なる竜の力を知らしめている!」


 オォーという歓声が上がる。何を言われているのか分からなかった。言葉としては聞こえていたが、全くの理解不能。竜を守れ、竜を殺すな、という声がどこからともなく湧きあがった。それは圧力、期待、あるいは狂気じみた希望といった、目には映らなくても熱量で存在を知らしめる種類のものだ。もし私が信仰というもの持っていたら少しは理解できたのかもしれないが、残念ながら毒気に充てられたように体中が麻痺していく感覚しかなかった。


 この熱に浮かれた期待、どこかで感じたものだと思いを馳せる。思い当たったのは、私から悪霊を追い出したからもう大丈夫とイビスが言った後に、周囲から向けられた眼差しだった。空返しの儀で転化した私の姿がいろいろなレグナムが交じり合った様子だったのを、竜のようだと皆密やかに期待に満ちた目で私を見ていた。その時はそういう目で見られることについて深く考えていなかったし、単なる噂話だからと流していたのだったけれど。


「もしかして、私のことを竜だってあなたは知ってて……噂を流したってこと? ペレグリ、そういうことなの?」


 黒い彼の返答は、笑みだった。ちくしょうと思いながら、弱弱しく拳で地面を叩く。その拳もまた皮膚が硬化して鱗が生えた。体が焼かれるように熱い。ずっとずっと竜を待ち続けていたレグナムたちの、静かで膨大な熱の波が私を飲み込んでいく。それは到底一人で支えきれるようなものではない。


「さあ諸君らは今、生きた竜の証人となった! 我が烏族クーウは竜の王妃を得たり! 竜の守護は我らにある! 我に続け! 忌まわしき人間種とそれを庇護する調停者どもから、神聖なシナバリを取り戻すときが来たのだ!」


 私の中で意志というものが音を立てて瓦解した。烏族クーウの女戦士たちが近寄ってきて衣を掛けてくれる。私の横を他の戦士たちがすり抜けて背後で構えていた調停者の人垣をあっさりと崩した。ややあって返り後ろを向くと、すでに血しぶきが上がっている。踏み潰される人垣、怨嗟の声、忘れていた自分という存在の不安定さを再確認する。


――どうしたらいいの、どうしたら、なぜこうなった。


 手が勝手に震えた。立って追い縋ろうとしても足腰に力が入らない。進軍を止めるつもりで来たはずなのに、私という存在自体が彼らに止まらぬ大義を逆に与えてしまった。私という存在が、ペレグリの大義だったのだ。


――どうしたらいい、どうしたら……! これ以上、血を流させたらいけないのに!!


 頭の中が、ガラガラと音を立てて空回りする。ペレグリが煽動するレグナムの大衆が待ち続けていた大義、すなわち竜という存在はカルセラから私に役者が交代した。されど、誰がその役にあたっていても存在意義が変わることはない。本物のカルセラを失っても私という竜さえ手に入れられれば、彼の作戦は問題なく遂行できたということだ。可愛い義妹の死を悼む兄とは全く別の、大義さえ手に入ればいいという非情な為政者がそこには立っていた。


 私の隣に歩み寄った彼は、喜々として進撃を始めた動物の群れを見て満足そうに笑う。ガルゼッタのわめき声が聞こえる。そして阿鼻叫喚の声。その中に悲鳴が混じった。


 押しつぶされる調停者たちのうめき声に混ざって、突き進む兵士の何人かが悲鳴を上げる。先を行く者から順に動きが鈍くなり、そして止まった。何が起こったのか一瞬分からず、笑う膝を叱咤しながら私は立ち上がる。もはや意地。侵攻が止まるのなら何でもいいから止めてくれと願いながら、悲鳴の元凶を探す。


 明らかに四肢族オグ鱗族ホヌの戦士たちは狼狽していた。どさっと音がして、私の目の前に烏族クーウが落ちてくる。醜く折れ曲がった首には木の枝が刺さっていた。樹に衝突して枝が刺さったのかと思い、見返して枝の端に羽を認める。そして思い当たる、まっすぐなこの枝は削られた木。


 膝をこすりながら落ちてきた死体に駆け寄る。絶命した兵士の首から、真っ直ぐな木を引き抜いた。その先端には鮮血に光る尖った石が付いていた。


「矢か……!」


 返しが無いので簡単に抜けるが、急所を貫かれればひとたまりもない。毒でも塗ってあれば最悪だ。烏族クーウであれば片羽かすっただけで飛べなくなってしまう。これまで剣や槍といった近接攻撃を旨とする武器は、簡易なものではあるが何度も見てきた。だが二つ以上の物を組み合わせた武器は初めて見る。弓矢の存在を知らないレグナムは、なぜ細木が勢いよく飛んでくるのか理解できていないようで、未知への恐怖が徐々に伝播していく。


 私が矢を確認している間にもあちらこちらからギャーという声が聞こえる。背中に何本も矢を背負わされた大柄の戦士たちが、うめき声を上げながら後退してくる。空から地上の様子を管制している兵士も、簡単に射られて落ちてくる。


「どうした、何が起こっている! 状況を報告しろ!」


 ペレグリが慌てた様子で周囲を見回す。彼の腕にもまた一本、矢が突き刺さった。舌打ちをしながら引き抜いているが、こんな細木が勢いをつけて飛んでくる不思議とその重要性に、彼は未だ気が付いていない。彼が止めなければこの軍勢は止まらないのに、まだ止めるほどの脅威を認識できていない。


 まだ倒れていない木々の奥から一斉に矢が放たれた。それと同時に白く反射する刃を持った一陣が掛け声とともになだれ込んでくる。

 人間だった。

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