第17話 待っていたもの

 荒い岩肌の道を歩いていく。翼を使ってひょいひょいと飛びながら歩いて行くので、人型よりはずいぶんと楽だった。後ろの方から四足で走ってくる者と二足で走ってくる者もいる。フェーとその護衛だった。フェーは手足を猫にはさせていないものの、全身のしなやかなばねを使って4足気味に難なく走っている。と見せかけて、ちょっと走ると一休み、またちょっと走っては一休みする。持久力があまりないようだ。護衛の方は犬の仲間らしく二足歩行ながら素晴らしい速度で走り、そして時々止まっては持久力のないフェーを待っている。


「あたしたちだけなら、ぱぱっと飛んでもう着いてるころだわ」


 ぶつぶつ文句を言うイビスをどうどうと抑える。言わなかったが、私は全行程を飛ぶよりは、移動している感覚があって地面を行く方が性に合っているようだった。だから彼らが付いて来てくれてよかったと少しだけ思っていたところだ。とはいえ人が歩くよりもずっと速度が速いため、思っていたよりも遠くまで来ているようだ。半日でつくとは聞いていたが、さすが移動距離おおざっぱ計算方式だった。


「もうちょいじゃん!」

「早く来なさいよ!」


 甲高いやり取りに双方の兵士たちも苦笑いをする。分厚い朝霧がいまだに晴れない中に、声だけがこだました。


 目的のルスデバ洞窟というのは、マーメリアからさらに南に行ったところにあった。日の出とともに出発して森林を抜けていくと、あるところで森が途切れて原野が広がり、さらに進むと植物が生えなくなっていて代わりに足元が塩になっていた。サッと風が吹いて重たそうな霧が飛ばされると、目の前にはさざ波が立つだけの静かな湖が広がっていた。


「この一帯は塩の湖で他の生き物は住めないのよね」

「代わりに塩はこれでもかってぐらい取れるけどな。この近くに王家の墓をわざと作って平民を入れないようにして、塩の流通量に王家が直々に制限かけてるってわけ」

「だから来るのに許可が必要ってことか」


 塩湖は端から端まで見渡すことが出来る程度の大きさの楕円形だったが、それでも植物も動物もいない静まり返った湖面というのは圧巻だった。湖水は非常に透明度が高く、白い底にさざ波だけが影を映す。中央付近は結構な深さがあるらしく、とろりとした青い色の水を満々と湛えて底を隠していた。


「あそこ」


 指差された先を見る。対岸にぽっかりと口を開けた黒い入り口が幾つか見えた。言われるまでもなく洞窟。対岸は少し高くなっていて、その下部が洞窟内部になっているようだ。あそこに父がいたのだ。私の足取りは自然と早くなった。父はなぜここを出たのか、どうしてアベスへ向かったのか、行かなければ殺されなかったかもしれない。そう考えると知りたいと思う気持ちが形にならないままもやもやとして、足を動かす方に意識をやる。無意識に飛ぶこともなく、私は歩いて対岸を目指していた。


 入り口へそろそろ到着すると思った時、中に人影が見えた。


「待って!」


 速足がさらに速くなる。しまいには走って人影が見えた入口へと飛び込もうと入り口を覗きこんで、そこまで来て躊躇した。目の前には純粋な闇が広がっていた。追いついたイビスがきびきびと兵たちに指示を与え始める。


「入口で待機していて。日の入りまでに戻らなければ迎えに来てちょうだい」

「明かりがあっても鳥目のお前らじゃ何にも見えねぇだろ」


 フェーは油を入れた木の筒に紐で作ったこよりを垂らしてた小さな照明器具を取り出した。器用に石を打って火を着ける。小さな明かりは足元を照らす程度で、手を伸ばしたぐらい先はすでに暗くてよく見えない。明かりをつけたとしても、一尺先は闇だった。彼の飛び出した尻尾に私は思わず手を伸ばす。念願かなって掴んだ尻尾はふわふわだった。


「あ、あんまり強く引っ張んなよ?」


 私の腰帯をイビスがギュッと掴む。3人でそろりそろりと洞窟の入り口の坂を下って行った。周囲は小さな灯に照らされた乳白色の壁で、きらきらと輝く。中は意外と広く、歩く音がコツンコツンと響き渡った。ある程度下っていくと今度は上り坂になった。


「あ、ここから階段だ」


 フェーが足元を確かめた。足元の塩がきれいな段に削られている。刃物で削られた様子ではないのだが、明らかに人工的な段差が形成されていた。その緩やかな階を滑らないよう上がって行く。ここには確かに人が住んでいるのだ。そう確信した時、むこうに明かりと人影が見えた。


「どなたでしょう……?」


 少しイントネーションが違う。角から顔を出していたのは真っ白い肌の人だった。緑族イリュフに特徴的な堅そうな毛髪も全て白かった。唯一目だけが赤い。中性的な顔立ちをしていて、性別は分からなかった。その人は困惑している様子はなかったが、とても警戒しているように見えた。


「獣王が長子、フェリダ・オグ・オガだ」

「獣王のご子息が何のご用でしょうか?」


 白い顔の後ろから、もう一つ同じ顔が現れた。まるで双子、と思った時である。


「お連れはどなた様でしょうか?」


 さらにも一つ同じ顔が出てくる。白い能面のような顔が3つ、真っ赤な目でこちらを見ている。気味の悪さに思わず半歩下がった。


「後ろにいるのは烏王の妹イビス・クーウ・クーヤと、王妃のカルセラ・クーウ・ロクシャだ。アルカエ・ルスデバに相違ないか」


 静かな洞窟の中に声が響き渡る。3人の能面は同じタイミングで同じ角度で頷いた。人形を見ているような錯覚を起こさせる三つ子。整った顔立ちで無表情だからこそ、ホラーでも見ているようだ。


「でも私たちはそれぞれがアルカエ・イソラ・ルスデバ。あなた方がもし私たちの待っていた者であれば、会うべきはアルカエ・ヴェツス・イソラ・ルスデバ」

「ではその方に取り次いでもらえないだろうか」

「それはアルカエ・ストラ・ルスデバが決める。こちらへ来てほしい」


 3人は右手で全く同じ動作で手招きをした。理由が無ければ引き返しているぐらい不気味だった。フェーもイビスもそれは同じようで、ひどく緊張した面持ちで残りの十数段の階段を一段ずつ慎重に昇って行った。階段を昇りきり3人の顔が引っ込んだところを覗くと、さらに息を飲む光景が広がっていた。真っ暗ではない。幾つも明かりがともっていて、仄明るい広間になっていた。


 その空間で、同じ顔が数十、数百とこちらを向いていたのだ。歳はバラバラだったが作りがほぼ同じ顔、無表情な赤い目がこちらを見つめていた。例え話、人間からバッタを見たとき、バッタの個体識別ができるだろうか。少なくとも私にはできない。では彼らの顔はどうだろうか。彼らのことはバッタと同等に個体識別が難しい、いやできないといった方が正しい。年齢、纏っている衣以外に何を基準に見分けたらいいのか見当がつかなかった。


「どういう種族なの……?」


 思わずつぶやいた言葉は、洞窟の壁に反響して大きく響いてしまった。


「私はアルカエ・イソラ・ルスデバ」


 奥の方から聞こえたように感じたのだが、人が多いのと反響が酷くて発声したのが誰なのか分からなかった。慌てて周囲を見回している間も四方八方から声は響き続ける。


「私たちはアルカエ・ストラ・ルスデバ」

「イソラは独り、ストラは全」

「私たちは独りであると同時に全体でもある」

「私たちに個はない」

「イソラに死はある、でもストラに死はない」

「ゆえに私たちに自由である」

「しかしこの地からは離れられない」

「ゆえに私たちは竜に縛られない」

「私たちは個にして全の存在」


 声の音叉はしばらく続いた。彼らは特殊な一族だと言われていたが、確かに特殊すぎる。唖然とした年少2人を庇うように私は前に出て口を開いた。


「あなた方の全てはストラと呼び、個人をイソラという。しかしイソラには個体の別がないということか」


 私の発した言葉が霧散するまでしばらくの余韻が残る。


「是」


 言葉の意味を理解して回答するまでにしばらくの時間がかかるようだ。機械類のレスポンスが遅いのに似ている。市で普通の緑族イリュフと会話をしたことがあるが、こんなに言語が違うと感じたことはなかった。ただ彼らの言語は非常に意味が明快で、しいて言うなら砕けていない正しい言語を使っているような感覚だ。


「もしよかったらあなた方のことを、少し教えてもらってもいい?」


 単純な興味と、それから仕事クロニスタの感覚だった。もし今後、外界とこの星が接する際に、こういった種族がいることとどういうコミュニケーションが必要なのか、単純にそれを知りたかった。


「是。私たちはあまり他の種族と交流がない。知ってもらえるのはうれしい」


 能面のような顔がにっこりとほほ笑むところを見ると、決して表情筋が無いわけではないらしい。薄いながらも感情はちゃんとある様子だ。今ここに記録する媒体が無いのがとても惜しい。私が前のめりになっている様子を、驚いたようにイビスとフェーは見ていた。


「あなた方は、何の植物なの? 普通の緑族イリュフとは違うように見えるけど……」

「ストラにもそれはよくわからない」

「でもキノコに似ているものと思う」

「キノコ……」


 答えてくれた二人がお互いに手を繋ぐ。その瞬間、2人の手が融合した。


「……!?」


 樹が絡み合うように、2人の手は捻じれ、変形してお互いを結びつける。いつか見た、粘菌同士が絡み合う様子によく似ていた。


「こうすれば話さなくても相手のことが分かる」

「私たち自身は音を必要としない……。でも他の種族は音が無いと分からないから」

「私たちの言葉、変?」

「硬い言葉だとは思うけど、変ではないよ」


 私の言葉にホッとした様子で目の前の2人は顔を見合わせた。

 恐らく彼らは普段言語を必要としないから、音声言語が発達していないのだ。大きく体を変じることができるレグナムと違い、緑族イリュフはあまり体構造を変えることが出来ない。それでもこれだけ体の形が変化するところ、そして同じ顔をしているところを見ると、彼らは恐らく何かの菌類がベースになった緑族イリュフなのかと推測する。他の動物が生きられないような塩の洞窟で生活しているのも、恐らくは特異的な環境ではないと逆に生きられないから。


――菌類には耐塩性とか好塩性とか種類があるって習った記憶が、あるようなないような。


 学生の頃の一般教養レベルの生物学を少し思い出そうとしたが、あいにく菌類にそれほど興味があったわけでもないので、それ以上の情報は思い出せなかった。ただ特異な環境下でしか生きられない種族がいるというのは、非常に重要な情報だ。


「ではアルカエ・ヴェツス・イソラ・ルスデバとはどういう方なのだろうか」


 またシーンと間が空く。次に答えがあったのはコツコツと杖が地面をたたく音だった。


「私がヴェツスです」

「はじめ……まして」


 老女のような人だった。顔の違いをうまく認識できないが、おそらく先ほどの三つ子が老女を両脇から支えている。正確には性別は無さそうなのだから老女というのは間違いなのだろうけれども、見た目はやはり老女のように見えた。硬く伸びきった毛髪は流木のように白く滑らかに削れている。


「ヴェツスとは一番古い株を意味します。私がこの中で一番古い記憶を持っているのです」


 その人の目はすでに白濁していて、こちらの顔を見てはいたが光は届いていないようだった。白い能面のような顔にはいくつもの深いしわが刻まれていて、この人の年齢を物語っている。他の人よりも言葉が少し流暢なのか、イントネーションが私たちとあまり変わりが無かった。


「どのようなご用でこんな辺鄙なところへ参られた」


 年少2人にとっては外界と繋がる何かを発見するため、私にとっては父の遺品を回収するため。だがそれを素直に言っていいものか、この人は信用に足る人物なのか、私は一瞬ためらった。それを察したのかヴェツスの方が口を開いた。


「後ろの小さいお二人はこの大地で生まれ育った方でしょうが、でも大きいあなた」


 ヴェツスが私の手を取った。しわだらけの手は見た目に反して柔らかで、だが骨ばっていた。その白い手が手の甲を撫でる。その人の手はほのかに温かさがあった。


「あなたはこの大地の者ではない。あなたは、使者だ」

「……分かるのですか」


 その人は大きく頷く。


「ここに少し前までいた使者と、あなたは同じ空気をもっている。私はもう光が見えないから、空気の方がよく感じられる。彼の名はエトレ。私たちストラの友人になった」


 声が出てこなかった。父はやはりここにいたのだ。嗚咽が漏れそうになる。後ろからイビスが不安そうに見上げていた。


「それは私の父です。父は……死にました。私はエトレの娘、オルティリアと申します」

「やはりそうですか……。待っておりましたよ」


 眼尻から音もなく涙が流れていた。父の痕跡を見つけられた嬉しさ、亡くした時の辛さが一緒になって流れていく。どうしてもっと父と一緒の時間を過ごさなかったんだろう、何で私はわざわざ家を離れるような仕事を選んだんだろう、今更ながらそんな思いばかりが募った。父の名声が疎ましく思う時期もあった。父のように立派になりたいと思って、でも頼りたくはなくて、わざと遠い職を選んだ。そして最期はこうなった。


 どうして、どうして、どうして、言葉だけが頭の中をぐるぐると駆け巡る。なぜこの洞窟にいたのか、なぜ出て行ったのか、なぜ父は殺されなければならなかったのか、色々な疑問と後悔の念が波のように押し寄せて、堰を切った。


 背を小さな手が2つ、私の背中を心配そうにさすっている。周囲のイソラの1人がおもむろに声を上げた。意味がある言葉とは少し違う、それは単純な音ようだった。反響して他のイソラの声を引き出していく。何重にも響く声は次第に歌となった。漠然と、これは葬送の歌なのだと分かった。


「エトレはいい友人でした。娘オルティリアもまた私たちストラの友人です。オルティリア、エトレから預かっているものがあります」


 ヴェツスは懐から包みを取り出した。大きさは手に収まる程度。包みを開けるとそこには見覚えのあるノートがあった。


「オルティリア、これが外界と連絡をつけられる道具なの?」

「見たことねー形だな」


 イビスとフェーが興味深そうに私の手の中にある黒いノートを覗き込んだ。父は長く生きていたからなのか、どうしても電子データだけで物事をまとめるのを嫌って、このご時世、後生大事に紙のノートを持つ変人として有名だった。何で前時代的で非効率な紙媒体を持つのか当時は理解できなかったが、これでなければこの環境では到底残らなかっただろう。改めて紙の素晴らしさを実感した。


「残念ながらこれは記録するための道具で、外界とは連絡取れないわ……。ヴェツスさん、これ以外には父は何か残して行きませんでしたか」


 ヴェツスは大きく首を横に振った。


「証拠が残らない方がいいと、服は彼が燃やしてしまった。彼が乗っていた船も湖に沈めてしまった。」

「オルティリア、その沈めた船なら外界にいけるんじゃないの?」


 イビスの顔がぱっと輝くが、フェーはさすがに塩湖の性質を知っているようで首を横に振る。


「多分無理だ。塩の湖にはうまく潜れないんだ。何でか分からないけど、浮いちまう」

「それに今頃はもう潮の塊でしょう」

 

 足がつかないようにしているのならば、さすが父と言ったところだ。ただ今となっては船ぐらい残しておいてほしかったと言いたい。唯一の手がかりが、渡されたノートだけというのは少し難易度が高いように思えた。


「もし空からの使者がここへきたら、これだけを渡すようにと私たちは頼まれた」


 だから、最初に『私たちが待っていた者であれば』と言われたのか、と納得がいった。父は誰かがここへ何かを探しに来ることを予見していたのだ。だとしたらこのノートにはきっと大切なことが書かれているはずだ。


「エトレは、できれば娘は来てほしくないと、そう言っていたが」

「父の最期の願いを、破っちゃったのか……」


 とんだ親不孝者だなと自嘲する。


「なぁオルティリア。それがただの記録なら、早くここを出ようぜ。明るいところの方が読みやすいだろ?」


 フェーは欲しかったものが見つからなかった不満と少しの手ごたえ、そして暗くてじめついた空気に辟易した顔をこちらに向けた。イビスも不安そうな顔をしてまだ腰帯をグッと握り込んでいる。早く地上に戻りたいのは私も同じだったが、このノートは必ずここで読んでいかなければならない。


「いや、ここで話していくよ」

「えー」

「音読しないと2人には読めないと思う。外だと他の人に聞かれちゃうから、ここで読んでいこう」

「しかたねぇなー! 聞いてやるからちゃっちゃと読めよ!」


 腕組みで虚勢を張ったつもりだろう。彼は手近にあった塩の岩の上に座った。私とイビスも近くに座る。黒いノートの初めの方は、父の研究構想のようだった。書いてある言葉は読み解けるが、意味が理解できるわけではない。専門性の畑が違いすぎて読めるが理解できなかった。それらが終わり、1ページ白紙があった。その次のページ、一枚めくるとメッセージがあった。


「――外界の文明から来た者へこれを託す」


 これだ、と確信する。

 私は数ページにわたって敷き詰められた文字列を指で追い始めた。

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