第18話 手記
『外界の文明から来た者へこれを託す。
もし君が外界から来た者であれば私の名を知っていると思う。エトレ・マンジャロア。私は最期に、このノートを調停者たちの影響を受けないこの一族に託すことにした。これを読んだらこの星を脱出する方法を模索してほしい。私は自分が作ったこの星のこの環境を終わらせに行く。きっと戻ってはこないだろう。
君はこの星の住人達と接しただろうか。接したならばきっと驚いたことと思う。これほどまでに特異な種族は宇宙どこを探しても見つからないだろう。初めての発生源を別にする生命体の星を見つけたと喜んだかもしれない。しかし残念ながらここは政府が見落とした惑星でも、新しい文明が育っている星でもないのだ。おどろかないでほしい、ここは監視されている巨大な実験場である。 なぜこんなことになったのかと遡れば、私が疑似細胞を開発したことが一つの転換点だったのだと思う。
他の生物と比較した時、爪や牙と言った体に武器を持つ動物よりも、持たない私たちヒトの種内攻撃性は非常に高い。ヒトは種内攻撃性について最も才能を持つ種と言ってよい。種内攻撃性、文化的な言葉に置き換えるなら戦争を行えるということだ。私たちはこの攻撃性を抑えるための研究を政府から課せられていた。
なぜ私たちは攻撃性が高いのか、なぜ非情なまでに殺し合うのか、なぜ私たちヒトだけが生存本能の喧嘩を大規模な利潤追求の戦争に発展させてしまうのだろうか。他の生物は必ずといっていいほど、同じ種を傷つけすぎないようリミッターを持っている。そうでなければ自分で自分の仲間を、ひいては多様性を殺して種の寿命を短くして行ってしまう。これは生物として当然の仕組みだ。
しかし私たちはこのリミッターをどこかで捨ててきたのだ。だから私たちはリミッターを今後の人類に付与できるように研究を進めた。そこで行きついたのが爪や牙だった。他の生物は自分たちの体の延長線上に武器を持つ。だが我らは武器を体外で作る。私たちは進化の過程のいずこかで、体の武器と一緒に理性のリミッターを捨ててきたのだ。
これを元通りにするためにはどうすればよいか、簡単だった。もう一度体にリミッターごと武器を付与させてやればよい。私は自分が開発した疑似細胞で、ありとあらゆる生物の遺伝子情報を混ぜた人型を大量に作り出した。最初の個体には万能性を持たせ、彼らがどのような生物の遺伝子を選択して派生していくかを実験し始めた。途中で体外から植物由来の遺伝子を取り込んで、独自進化を遂げた者たちのうち、細菌を取り込んだのが今君の目の前にいる白い一族だ。私にとってもこれは予想外だった。
私は彼らの話を聞いた。最初の万能性を持つ個体は竜種と呼ばれており、そこから派生した種族は主に5種に分化している。鳥類、爬虫類、魚類、哺乳類、そして昆虫だ。私がこの星に来たとき、すでに竜種は滅びていた。つまり私が知る限りでは現状で観測しているのはこの5種族だけなのだ。
ここでまず重要な観測現象2つを、現在のこの惑星における文化的名称結び付けておく。
・誉れ子=可変できる疑似細胞を大量に持つ攻撃性の制御個体
・忌み子=他の動物の資質を失ってヒト化した個体 攻撃性を体外に生成する可能性が大きい
私たちは、成功ともいえる誉れ子を多く産出し、忌み子であるリミッターの外れた個体の産出を抑えるために何度も実験を繰り返した。そう、何度もだ。私の1万年と少しある年齢のほぼ全ての歳月を、この実験に費やしたといっても過言ではない。ヒトが増えれば道具を開発して武器を持ち戦争になる。私たちはそのたびにこの星をリセットした。数万人規模にまで増えた彼らを幾度となく絶滅させてはやり直した。
私はこの罪の意識から逃れようと1万年以上苦しんできた。だが死ねない体ではどうすることもできなかった。全てを告発して終わらせるために、この星のある子供の遺伝子から全く同じ娘を作り出した。わが娘、オルティリア。あれを使って本当は世界中に全てを暴露するつもりであった。だがどうしてか育てるうちに愛おしくなった。娘もすでに20年以上生きて私の手を離れつつあり、もはや全身が疑似細胞であることを隠し通すのは難しくなった。それゆえ私の弟子であり一番長い月日を共にしたミズシマを説得しに向かったが、願い叶わず私は自分の手で全てを終わらせることにした。
これを読んだ君は、この手記を持って早く脱出してほしい。そしてオルティリアを訪ねて父の悪行を全て話してやってほしい。あの子はきっと私の事を許さないだろうが、それでいい。私を憎んで、私のやったことを憎んで、これを一緒に世界に暴露してくれ。一刻も早くだ。
ただしこの星には、外界の研究者の意思をくみ取って動く個体が存在する。それは今は『調停者』と呼ばれている。彼らは純粋な実験世界を守るべく、外界の研究者たちの意思を受け取る器官を発現させた、いわばこの実験場の白血球だ。彼らは、私たちを見つければこの星の正当な手続きを踏んで、殺すことが出来るように文化に溶け込んでいる。彼らに見つかる前にこの星を脱出しなければならない。私はこれから調停者の目を盗み、竜が生まれたというシナバリという地へ向かおうと思う。おそらく予想が正しければ、そこは実験時最初に個体を発生させる機関があるはずだ。私はモニターに移っただけのそれがどこにあるかなど知らなかった。今では本当に愚かだったと後悔している。私はそれを停止させ、この巨大な実験場を廃棄する。これは神が私に与えた罰なのだと思う。
どうかこれを読んだ君は生き延びてこの狂った実験場を世界に告発してくれ。ここに生きている全ての生き物、そして私の娘を救ってやってほしい。
エトレ・マンジャロア』
とても、長かった。だが短くも感じた。正直なところ、読み終えてから自分の言葉が出てこなかった。何を口にしても今の自分の気持ちを表現できるとは思えなかった。
「どういう意味……?」
「要は、どういうことなんだ?」
イビスとフェーは何度も左右に首を傾げている。不穏な内容だったということは分かっているようだが、今一つのところで理解がとん挫してしまっているようだった。もちろん意味が分からない言葉自体は、質問されるたびに解説をした。だから言葉一つ一つは大まかな理解をしているはずだ。だが手記の全体像、話の根幹を把握するにはいまだに至っていない様子。困惑した表情の二人と私の間には理解の壁が大きく立ちはだかっている。これをぶち壊す一言、それは端的に言えばこうだ。
「要は、ここが人間の手で作られた箱庭……、レグナムが生き方を試されている世界だってこと」
この言い方が最適解だとは思わなかった。だが、彼らの飲み込みやすい言葉で、理解しやすい形で表現するならばそうとしか言えない。彼らにとって人間は忌むべきものなのだから、そんな人間に試されている、管理されているというのは屈辱だろう。
「おいおいおい、ちょっと待てよ。じゃあ何か、俺たちは捕らえた動物と同じってことか?」
「……そうよ。池を作って中に魚を放して見て楽しむこと、鳥籠で鳥を飼って愛でること、あるいは山羊を飼って時にはその肉を食べること、それとほぼ同じ。違うのは間違った増え方をすると全員が殺されてやり直しさせられること、かな」
増殖する過程を見られていて、そして不本意な増殖をした場合には処分される。それは何の役に立つでもなく、誰の血肉にもならず、そこで生命の流れが止まるということだ。
「なんでそんなこと……」
未だ理解できずといった様子のイビスが、虚空を睨み付けるようにして問う。この実験を行っている研究者たちの気持ちなど私だって分かんないよと言おうとして、単純にリセットをする機械的な理由ならば説明がつけられるなと気が付いた。
「例えば、一本しか木が植えられない場所に、どうしても白い花が咲く木が欲しかったとしよう。でも成長して花が咲くまで白か赤か、どちらが咲くか分からない。イビスならどうする?」
「もし、赤が咲いてしまったら、その木を……ッ!」
「うん、赤い花が咲いた木を切って、白い花が咲く木に当たるまで、植えて育てて切って、また植えて育てて切って……。繰り返すしかない」
我ながら意地悪な言い方をしたなと思ったが、いったん口から出てしまった言葉を腹の中へ戻す術はない。事実なのだから隠したり、言葉で飾ってにせめてマシに見えるようにしようと考える方が、いっそのことバカバカしいじゃないか。
「ふっざけんなよ! じゃあ俺たちは何度も殺されたり飼われたり、そういうのを繰り返させられてきたってことかよ!」
悲鳴にも似た怒号が洞窟の壁に反響する。フェーが顔を真っ赤にしていた。私の横ではイビスが体を震わせている。
「フェー……」
「オルティリアなんか言えよ! お前の親父が、俺たちを作ったって言ってたよな? 俺たちはお前らの道具ってことなのか? どうして? 嘘って言ってくれよ! 俺たちはちゃんと生きてるって、俺たちはちゃんとした生き物だって証明してくれよ!!」
これを読むのが、私であってほしくないという父の願いを私は知らずに踏みにじった。だがこんなこと他人に任せたくなかった。一番に読んだのが自分でよかった思う反面、父への怒り、あるいは私が生きていた外界への怒り、落胆、絶望、いろいろな感情が湧いて来た。だがそれを彼のように素直に言葉にすることが出来なかった。彼のようにうまく言葉で表現できるほど、私の心の様相は簡単には片付かなかった。
ミズシマ博士が言った、私が罪その物であるという言葉。なぜ足以外生身であったはずの私が、疑似細胞転送器で分解されたのか。私と寸分違わぬカルセラという人が存在したのか。そして父がなぜ殺されたのか。全て得心がいって、逆に力が抜けてしまっていた。
「あなた方はこれを父から聞いたのですか」
持ちこんだ小さな明かりを囲んでいたアルカエ・ヴェツス・イソラ・ルスバデに問う。白い顔がゆっくりと縦に振られた。
「友人エトレから全てを聞いた。彼の謝罪も聞いた。だが私たちは逆に彼のおかげで生を受けることが出来た。それについては感謝しているよ」
「ふざけんな! こんな家畜みたいに飼われているのがいいのか! 俺は嫌だ、その飼い主面しているやつらを全部殺してやる!!」
興奮したフェーは耳が出て尻尾が膨らんでいた。手足も茶色い虎縞の毛皮に包まれ、爪が鋭利に光った。誉れ子はその攻撃性を制御しているという文言だったが、逆に言えば必要である分だけ相手に攻撃を加えられるということだろう。彼が種の存亡という危機の元で動いたとしたら、おそらく研究者は過不足なくしっかりと殺される。もちろん彼だけではなく、私の腰帯を掴んだままいまだに一言も発さないイビスについても同じだ。
「落ち着きなさい
「これが落ち着いてられるか!」
「吠えても、私たちにできることはないのだ。どうやってこの星を管理する者たちのところへ行くというのだ?」
「オルティリア案内しろよ!」
私もその研究者たちを殺してやりたいと思う気持ちは一緒だった。彼らを目の前にしてまで同じことが出来るかは分からなかったが、少なくとも今この瞬間は、こんな閉じ切った世界を作り出した彼らに何らかの罰を与えてやりたい気持ちはあった。だが、帰る方法がない。そして私もまた、研究者からすると恰好の研究対象でしかない。飼い主は家畜から害される危険性をまず先に排除する。つまり私たちは最初から劣勢に立たされているのだ。
「外界へ、戻る手段を見つけなければならない」
「じゃあ見つけろよ!」
ブツッと何かが切れる音がして、私は考えるより先に口走っていた。
「それがあったら私はもう帰ってるわ!」
彼が八つ当たりしたい気持ちは十二分に分かる。分かったとしても、それは私とて一緒なのだ。
だから、私の方こそ助けてほしい。そう思うのは間違いなのだろうか。
「私だって被害者なのよ? 私自身が父さんに作られた存在だったって今しがた知ったばかりでどうしろと? あなたはそんなに偉いわけ?」
一度口から出てきた言葉は止めようがなかった。
「体は確かにこの星の人たちと根本は同じだろうけれども、中身は外界由来だと分かれば、捕まって殺されるかもしれないのよ? それでも私は戻りたい、ああ家に帰りたいわよ! もういっそのこと全部、時間を戻してよ!」
フェーが固まっていた。子供を相手に言いすぎた感が多少あったが、不思議と後悔はなかった。彼が私を見捨てようとかまわないと思ったのだ。手記を読む限り、私はこの星の種族たちからも、そして外界の人からも追われる立場になる。元々がどちらにもなれない、不安定な身の上だったのだ、仕方がない。ここからは1人でどうにかせざる負えないのだ。
「だめ」
腰帯を引かれた。目を真っ赤にしたイビスが見上げていた。
「あなたまで、まだ私を利用しようって言うの? 外界と交易をさせろって言うの?」
「……違う」
金の後れ毛が、火の揺らめきに合わせて輝いた。見た目は可愛らしい少女。だが中身はどうなのだろう。今は何もかもが不審なものに見えて仕方がない。
「あたし、オルティリアに会えてよかったと思ってるのよ?」
「おい馬鹿イビス、今そんな話してる場合じゃねぇだろ」
「フェーはちょっと黙ってて」
彼女はすっくと立ち上がった。前に合わせた手がわなわなと震えているのは、決して気のせいではないだろう。火はオレンジ色だったが、彼女の顔は蒼白そのものだった。ただその赤くなった目だけは鋭い光をまだ灯している。
「あたしも飼われるのは嫌よ。でもヴェツスさんの言うとおりで、ここに生まれて来られたのはその外にいる人たちのおかげだし、オルティリアと出会えたのもそのおかげだわ。そして、あたしたちだけじゃ確かに何もできない。でもこれじゃ、絶対にだめだわ」
「だから……」
「だから、エトレさんがやり残したことをやりに行きましょ」
周囲の空気が止まった。動いているのは彼女だけ。
「一番いいのはあたしたちが独力で外界に出る技術を開発すること。それで何も知らない顔をして外界に出て『あれ、ここって他にも人がいるんですね』って言うべきなんだろうけど、生命を作り出すほど技術が発展するまで待ってたらあたしたち寿命で死んじゃうわ。それに相手だってその前に潰してくるだろうし」
小さな頭からせわしなく回転している音が聞こえてくる気がする。
「逆にこの手記をあたしたちが今いる民たちに公開して、自分たちが飼われていることを知らせても、何度もこの星をやり直してきた人たちにとっては、やり直しが一回増えるだけにしかならない」
さすがのフェーも目を丸くしていた。ヴェツスをはじめとしたこの洞窟の住人達も、この金の少女を無言で見つめ続けた。静かな洞窟には彼女の声と、ほんの少し水が滴る音だけがこだましていた。
「外界の人たちは絶対に安全な場所から、あたしたちを観てるんでしょ。でもエトレさんの手記にはシナバリにある何とかって言うのを壊せばこの悪循環は終わるって書いてあった。別にそれを壊すのがあたしたちでまずいということはないはずよ」
「それはそうかも……」
恥ずかしい話だが、イビスが一番物事を冷静に見ていた。そして私は諭されてようやく頭が回り始める。いつの間にかフェーの尻尾も落ち着いて、手足も人型に戻って来ていた。
「それにそんな大事なものを壊されようとしたら、さすがにどんな高みの見物を決め込んだ人たちだって、あたしたちの前に出てくるかもしれないでしょ」
「人質にするってわけね」
「そうだ、シナバリの半分は調停者の持ち物だから、見つからないように入り込むにはレグナム側の入り口を使わないといけないしな。俺たち誉れ子ならそれができる」
3人寄れば何とかなる、そんな気がしてくるから不思議だった。自然と先ほどまでのイラついた空気が薄れていく。私はイビスの手を取った。震えていた彼女の手は冷え切っている。申し訳ないことをしたとは声には出さない分、その手をぎゅっと握りしめた。フェーもまた私の肩をトンと叩いて、ふわふわのしっぽが私の手をくすぐった。彼なりの言葉のない謝罪だった。
「若人と友人の娘よ」
ヴェツスが口を開く。
「ありがとうございました。私たち行きます」
「よくよく注意しなさい」
天高くから見ている研究者たちが、どうやって私のような異物を発見しているのか方法はよくわからない。だが、いずれにしても調停者たちに見つかるわけにはいかない。何としてでもシナバリの地へたどり着いて、最初の万能性を持つ個体を生むという装置を探し出さねばならないのだ。
「竜は幾度も生まれ、幾度も戦を引き起こし、そのたびに地上は火の海となった。私たちは竜に縛られないがゆえに、いくつもの厄災をこの洞窟に隠れて乗り越えることが出来た。 ヴェツスの名を継ぐ者はこの記憶を持つ者だ」
「はい」
「天の竜によくよく注意することだ。気を付けて行きなさい」
ヴェツスの手を取り、ありがとう、と言いかけたときだ。フェーの大きな耳が外に向けてぴくっと動いた。
「悲鳴がする! 外で待たせといた奴らの声だ!」
私とイビスの手を引いて、彼は一目差に出口へと走り始めた。
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